2001年3月26日月曜日

ダスティン・ホフマンの映画


・ ダスティン・ホフマンの映画をBSで続けて見た。『真夜中のカウボーイ』と『トッツィー』だ。両方とも何度か見ているが、懐かしかったので、ついついまた見てしまった。彼の映画を最初に見たのは『卒業』だが、ぼくの記憶に残る映画のなかにはダスティン・ホフマンが主演したものが少なくない。『レニー・ブルース』『クレーマー・クレーマー』………。


・どの映画も、今見直してみれば、特に印象深い内容というほどのものではない気がする。それがどうして、記憶に鮮明に残っているかというと、やっぱり同時代観なのかな、と思う。彼は僕より少し年上だが、彼の演じた役柄は、いつでも僕にとっては同一化しやすいものだった。たとえば『卒業』は大学生の時に見たし、『クレーマー・クレーマー』を見たときには、僕にも同じぐらいの年齢の子どもがいた。それにもう一つは、タイムリーな社会的なテーマ。『レニー・ブルース』はアメリカに実在した漫談家だが、政治的な発言や性的なことばを吐いて、何度も警察に捕まった。そういう権力に屈せず信念を貫く姿をうまく演じていた。


・『卒業』は今見れば、どうということのない青春恋愛映画だが、大人たちとの対立や、教会での結婚式から恋人を奪い取るラスト・シーンは、当時はショッキングなシーンだった。そういえば僕が昔書いた本に次のような文章があった。

・ この映画が作られた時代は、社会のあり方、人間や人間関係のあり方について、若者を中心に、既成のものを疑い、新しいものを模索しようという動きがさかんに出されるような状況にあった。
・主人公が扉を押さえるために使ったつっかい棒は、教会の十字架だった。彼はそれで、花嫁の父や母、それにフィアンセから彼女を奪いかえす。親の希望通りに生きてきた素直な優等生は、そこでひとつの儀式を破ることで、親の手から自らを離し、古い自己との別れ、つまり『卒業』というもうひとつの儀式を経験する。この映画は、新しい世代の新しい主張の成就をロマンチックに歌いあげることで、この時代の若者の心や行動を代弁することに成功したと言えるだろう。(『ライフスタイルの社会学』世界思想社)

・いや本当に、ロマンチックな映画だが、それにリアリティを感じて見たのだから、ロマンチックな時代だったとつくづく思う。今はそもそも、儀式が儀式として成立しないのが当たり前になってしまったのだから………。


・で、『トッツィ』を改めて見て感じたのも、それがつくられた時代の意識と現代との違いだった。この映画は売れない俳優が女装してテレビのコメディ・ドラマのオーディションを受けるというもので、彼(彼女)は合格して、一躍番組の人気者になる。あとはそこで仲良くなった女優(ジェシカ・ラング)に恋心をもったり、その父親から迫られたりといった話だが、これも今から思えば、どうということはない。しかし、ゲイやレズといったホモセクシャルが話題になり、その社会的な公認の主張などがされていた時代に、そのような風潮に対して普通の人たちが感じた違和感やとまどいを中心にうまく描き出した映画だった。


・と、ダスティン・ホフマンの映画を見ながら、思わず、時代をさかのぼって思い返してしまったが、そうすると、たまらなく『クレーマー・クレーマー』が見たくなった。離婚に際して子どもはどっちにゆだねるのが適当か。映画では男の子は父親になつき、父親もまた食事の世話や学校の送り迎えにがんばったが、「父親には子どもを育てる能力がない」という判断が裁判所で出された。見ていてずいぶん腹を立てたのを覚えている。僕の子育てはもう終わって、今は卒業生が時折連れてくる子どもにおじいちゃんのように思われる歳になった。仲良く子育てをしているカップルにほほえましさを感じるが、時代の流れを強く知らされるのは幼児虐待や子育て放棄のニュースの方である。「ゲームをしていてじゃまだから蹴った」などという父親のことばを聞くと、ぞっとしてしまう。


・ロマンチックがリアルに感じられた時代が妙に懐かしくなってしまった。(2001.03.26)

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unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。