2001年4月23日月曜日

感情とコミュニケーション 『管理される心』A.R.ホックシールド(世界思想社) 『楽しみの社会学』M.チクセントミハイ(新思索社)

  • 「キレル」とか「ムカツク」といったことばをよく耳にする。学生も頻繁に使うし、犯罪やもめごとにまつわる理由としてもくり返し出てくるから、しばらく前からずっと気になっていた。僕自身は使うことは少ないし、聞きたくない、嫌いなことばだが、今の時代の共通感覚を探るキイワードであることは間違いない。「キレル」というのは、いったい何がどうなることなのだろうか。学生と一緒に考えてみようと思った。
  • 「キレル」にしても「ムカツク」にしても、人間関係のなかで持つ怒りの感情をあらわしたことばとしては共通している。若い人たちのするコミュニケーションのなかには、それほど怒りを誘発する原因があるのだろうか。例えばそれを上の世代の人たちは、辛抱が足りないとか、コミュニケーションの仕方を知らない若い世代の特徴として考える傾向にある。それを非難するのはたやすいが、そうなる原因や仕組みをはっきりさせなければ、批判自体がまた「ムカツク」原因になってしまう。
  • A.R.ホックシールドの『管理される心』には「感情規則」ということばが出てくる。感情は心の中から自然に湧き出るものと思われがちだが、社会学ではそれも、きわめて社会的なものとして捉えられる。「私たちが気分や感情に関して内在的だとみなしているものは常に社会的な形態へと作り上げられ、人びとに利用されてきたとも考えられる。」たとえば怒りの抑制、感謝の気持ちの表明、羨みの抑圧等は道徳やマナーとして躾られたもので、そのいわば感情規則と呼べるものは「文化が行為を方向づけるためのもっとも影響力のある手段の一つである。」
  • 私たちが自覚し、あるいは表出するさまざまな感情は、ある規則に従って訓練されたものであり、いつの間にかそれが自然に備わったものであるかのように身についたものである。喜怒哀楽やその他の感情は、それがどんな些細なものであっても、その裏には、してはいけないこと、しなければならないことといった、規則が潜んでいる。だから、そのような規則に背いたとき、うまく実行できなかったときには「罪」や「恥」といった意識を持つ。
  • 例えば60年代の対抗文化が主張した「性の解放」はそれまでの常識的な男女関係を否定した自由なものとして考えられたが、しかし、一方できわめてやっかいな感情を「抑圧」しなければならなかった。つまり、自由な性には必然的に「嫉妬」がまとわりついたのである。しかも意識をもって「自由な性」を主張する人は、自ら感じて抑えが効かない「嫉妬」の感情に、強い罪悪感を持たされた。一つの集団を維持するため、あるいは人間関係を円滑に行うためには、いずれにしても、うまく機能する感情規則が欠かせない。『管理される心』を読むと、そんな現実を改めて認識させられる。
  • さらにA.R.ホックシールドは現代が、感情の管理を職業としてこなす人たちが増えた時代であるという。例えばサービス業と呼ばれる職種には、顧客に心地よい気持ちを与えることが何より重要である。むかついてもそれを表に出してはいけないし、キレルことなどもってのほか。そんな態度を仕事として要求される人が増えている。しかも相手はたいがい見ず知らずの初対面の人間である場合が多い。喜びや親愛の情、誠実さ、親切心………。このような感情をいわば取り繕われた演技として誰にでもくり返し表明する。それが今の社会の性格を特徴づけている。
  • こんなふうに考えると、そのような感情規則はまた、きわめて壊れやすい脆弱なものであることがわかってくる。しかも、この規則が親密なはずの人間関係の基本にも入りこんでいるとしたら、人間不信の芽はいつでもどこでも顔を出す危険を孕んでいる。それはまた、家庭内暴力や引きこもりの原因ともつながっているはずである。
  • このような感情にまつわる現状分析にもう1冊、対照的な側面を扱った本を並べると、今という時代を生きる人たちの心を理解する手だてが深まるかもしれない。M.チクセントミハイの『楽しみの社会学』。これは最近復刊されたもので新しくはないのだが、例えば「ハマル」といった、これもよく使われる感情表現をうまく説明できる概念を提出している。チクセントミハイは人が夢中になって我を忘れたり、現実感覚から抜け出す心情を「フロー」ということばで解き明かしている。ゲームにはまる。スポーツに熱狂する、あるいは小説や映画の世界に没入する。そんな時の意識は、いわば、コップという日常世界から意識が溢れ出す状態に似ている。そしてまた、今の時代はこんな意識を経験する場や道具に満ちあふれている。
  • 「はまる」と「キレル」は一面ではまったく違うが、日常の世界やそれを統制している規則からはずれる状態であることでは共通している。はまりやすい、きれやすい意識は、そのまま日常生活の世界が持つ枠組みの柔軟さと同時に脆弱さを証明する。目の前にいる相手との間に了解されているはずの感情規則が、必ずしも確かなものではなかったり、安定していなかったりする。そのような世界は、その柔軟さと脆弱さを熟知して自ら管理することができれば面白いものだと思うが、それはなかなか難しいし、若い人たちや子どもたちにその術を伝えるのはもっと難しい。
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    unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。