2001年4月9日月曜日

Nomo No-No!!

 

・野茂が二度目のノーヒット・ノーランをやった。ボストン・レッドソックスに移籍して最初の試合。大学の研究室でReal Playerの実況放送を聞いていて、鳥肌が立ってしまった。本当にすごいことをやる人だ。僕はますます好きになっった。

・いつものことながら、今年のキャンプ報道も腹が立つものだった。「イチロー」「シンジョー」ばかりで野茂のノの字もない。BS放送もシアトル・マリナーズ中心で他の選手の試合を中継する予定の話はほとんどない。メディアがみせる相変わらずの現金さやミーハーさにここ数ヶ月、本当に腹が立っていた。だから、野茂の快投は、「ざまー見ろ!」と叫びたくなるほどうれしかった。

・ノーヒット・ノーラン達成の瞬間はBSでも中継があったようだ。しかし、番組欄にあったのはマリナーズの試合で、そのゲームが終わった後で、きりかわったようだ。野茂の試合は録画で夜ということになっていたが、実はこれも、後から追加変更されたものだった。野茂のファンがつくるサイトでは、今年は野茂の試合が見られそうもない、という話がよく出ていた。NHKの視聴料不払い運動をやろうとか、NHKに抗議のメールをだそうとか、書き込みをした人たちは一様にNHKに腹を立てていた。BS放送の普及に果たした野茂の力をNHKはどう考えているのか?そもそもメジャー・リーグに日本人の目を向けさせたのは誰だったのか?野茂はまだ現役でがんばっているじゃないか!そんな抗議に慌てたのか、野茂の初戦が録画で放送されることになった。NHKは抗議のメールのすべてに返事を出したようだ。

・もちろん、そんな態度はNHKだけではない。民放テレビのスポーツ・ニュースもスポーツ新聞にも、野茂の様子が紹介されることはほとんどなかった。メジャー・リーグではもう過去の人。メディアの態度は、明らかにそのようなものだったし、たまに取り上げられれば、調子が悪いということばかりだった。掲示板には、そんな少ない記事を丹念にさがして、今日は何新聞がいいとか、だめとか書き込みをする熱心なマニアもいた。僕は本当に、ファンの一途さ、ひたむきさに感心したし、ひとつの方向、ひとつの話題に一丸となって同調するメディアの姿勢にうんざりした。

・もっとも、インターネットで情報を集めれば、野茂の様子は知ることができたし、けっして調子が悪いわけではないこともわかった。初球をストライクからはいることを心がける。とにかく腕を振り抜くように投げる。今年の課題はこれで、練習試合の結果は特に気にしていない。野茂のことばはいつも決まっていた。キャンプから結果を求められた去年とは違って、監督もピッチング・コーチも信頼してくれている。日本人の取材陣も数人だったようだから、じっくりマイ・ペースで調整できたのだろうと思う。
・野茂は今年7年目になる。ドジャーズでの3年間とは対照的に4年目から去年までは苦労の連続だった。肘の故障、トレード、解雇、マイナー落ち、そしてここ2年は弱小球団での投球。寡黙な口からは苦労話はほとんど聞けないが、僕にとっては後半の3年間の方がずっと興味がある。スポーツ・ジャーナリストには、そこを追いかけている人はいないのだろうか。だとすると、まったくもったいない話だ。

・もちろん、イチローに期待する気持ちはわからないではない。あるいは新庄の性格や行動にも興味を惹かれるものがある。しかし、それだけになってしまうところが、何とも救いがないほどだめなのだ。で、野茂がノーヒット・ノーランをやると、また途端に派手に騒ぎ出す。野茂はといえば、「プレイ・オフまでがんばるだけです。」と、相変わらずのぶっきらぼうのコメントでおしまい。それは「目先のことでそんなに一喜一憂するなよ」という彼の隠れたメッセージなのかもしれないが、残念ながら日本のメディアには、そこに自戒の念を感じるようなデリケートさはまったくない。

・録画でテレビ中継を見ていて感じたのは、終盤になってからの観客の反応だった。尻上がりに調子をあげる野茂は連続して三振を取った。そうすると、味方の攻撃なのに、観客は三振を期待する拍手をした。8回、9回はもう完全に記録への期待でいっぱい。ゲームが終わったときには歓呼の声で満たされた。何しろボルチモアでは、長い歴史の中ではじめての出来事だったのである。野茂は、そんな観客の反応に、「もうひとつ新しい野球の見方があることを知った」と言った。日本でだったら、汚いヤジやものをグラウンドに投げ込む事態になっていたかもしれない。

・彼が見せてくれるパフォーマンスから、日本人や日本の社会の「おかしさ」を発見することがよくある。日本から外に出て、外から見つめることではじめて気づく日本人や日本社会のもつ「おかしさ」。野茂が一番強く自覚していて、示したいのは、たぶんそこなのだと思うが、そんなことをに気づいているのは、メディアの中には誰一人いないようだ。世界に通用するパーソナリティは、今、政治や経済ではもちろんなく、音楽でもない、スポーツ選手によってつくられようとしている。僕は何よりそこのところに関心がある。

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unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。