2001年4月16日月曜日

高校生と携帯メール

  • 朝テレビを見ていたら、高校生と携帯メールの特集をやっていた。毎日100通のメールを出す女子高生や、メールを使った授業ができないかと工夫する英語の先生。高校生たちのインタビューへの応え方や話し方もふくめて、興味をもった。
  • 最近の高校生はこんなにメールを出しているというのに、ぼくのところへは来たことがない。同じ学校の限られた友達同士で頻繁にやりとりするおもちゃになっているのだから当然だが、パソコン・メールとの違いを感じた。実は先日、指定校の推薦入学があって、ぼくは受験した高校生と面接をした。ぼくは、彼や彼女たちのほとんどがコンピュータに関心があると言っているのに、さわったこともない人がほとんどなのに驚いた。受験したのは都立と周辺の県立高校の生徒が大半で、それぞれの高校には相変わらず、パソコンを使う授業がまったくないのである。ぼくがホームページを作った理由の一つには、高校生が大学選択するための材料提供という狙いがあった。しかし、開設してから4年たつのにいまだに一通の手紙もやってこない。理由を改めて教えられたし、「IT革命」などといってもおよそお粗末な教育の現状をみせられた気がした。
  • 高校生達は本当はコンピュータに関心があって、早くやってみたいのに、学校がそれに応えられない。だから彼や彼女たちはそれを携帯メールでやり始めている。そんなことが言えるのかな、と思ってテレビを見ていたら、携帯メールとホームページを連動させて授業をやろうとした先生が、女子生徒に反対されているシーンが出てきた。「友達とのやりとりで楽しんでいるものを、つまらない授業に使ってほしくない」。英語の授業を何とか楽しくしようと試行錯誤している先生は困惑した顔をした。生徒達にとっては、授業はどんなふうになろうがおもしろくない。だから友達とメールのやりとりをして気分を紛らわせている。入試で面接をした生徒達が一様に夢ややる気を力説していたのとはあまりにも対照的だった。彼らの本当の気持ちはどっちなのだろうか。
  • そういう疑問を持っていたら、NHKが村上龍をホストにして教育の現場についての特集をやった。午前中から夜までの長時間番組で、ぼくは全部につきあったわけではなかったが、不登校や教室内での生徒達のルール無視の言動など、現場の先生達や父母達からさまざまな現状が話された。村上龍は最近話題作を連発していて、教育や経済について、マスメディアでの発言も多い。『共生虫』も『希望の国のエクソダス』もおもしろいと思ったが、そのおもしろさの半分はフィクションとしての誇張がつくりだすものだろうとも感じていた。しかし、小中高校の現状については彼の小説には誇張はなさそうだった。
  • 『希望の国のエクソダス』では学校に行くのをやめた大量の中学生たちがネットワークでつながって社会にメッセージを送ったり、ネット・ビジネスを起こしたりする。そしてもちろん大人達はうまく対応できない。テレビを見ていて、不登校生徒の数の多さや、授業が成立しない教室という現実が誇張どころではないのかもしれないと思ったが、それとは対照的に、ネットワークへの関心と経験は、作者の全くの希望的な創作のように感じられた。中学生どころか、高校生だって、大半はネットどころか、パソコンのキイボードにすらさわったことがないのだから。だとすれば、携帯メールがもてはやされるのは、この落差が原因なのだろうか。
  • 学校の授業はおもしろくない。先生は信用できない。たぶんこれが今の小中高校生の共通認識だろう。しかし、勉強して大学まで行かないと先の展望は開けないし、コンピュータぐらいマスターしないとろくな仕事にも就けない。だから、それなりに前向きにと考える生徒と、もうどうでもいいと思ってしまっている人たちがいる。そんな彼らにとって自分自身や人間関係をかろうじて実感させるメディアが携帯メール。そんなふうに考えると、どうしようもなく憂鬱になってくる。
  • 面接を受けた受験生達の夢は、ひょっとしたら合格するために用意したセリフなのかもしれない。ぼくはそう感じながらも、彼らのことばを信じたい気になった。大学にも、最近、何をしたいのかわからない学生が増え始めているのだから………。
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    unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。