2001年9月17日月曜日

Bob Dylan "Love and Theft", Radiohead "Amnesiac"

・ディランのアルバムがまた出た。ついこの間"Bob Dylan Live 1961-2000"のレビューを書いたばかりなのにと思ったら、今度は全くのニュー・アルバム。グラミー賞を取った"Time out of MInd"から4年ぶりだそうである。とてもそんなにたっているとは思えない。たぶん、それだけディランの最近の活動は活発なんだろうと、勝手に解釈した。そういえば、その4年のあいだに1966年の幻のライブ"The Royal Albert Hall Concert"も発売されているのだ。ちなみに、編集版もあわせると、これが50枚目のアルバムらしい。

・で、さっそく聞いてみたら、なかなかいい。楽しいサウンド。リラックスした歌い方。プレスリーのようなロックンロール、ジャズのスタンダード・ナンバーのような、あるいはカントリー、ブルース、そしてハードロックと、やりたいことを自由気ままにやったという感じだ。それで、決してバラバラではなく、ひとつのトーンになっている。『セルフポートレート』を思い出させるが、曲はほとんどオリジナルで、歌詞も相変わらずいい。

一歩一歩、わたしは足を踏み外すことなく歩き続ける
きみがこの先、生きられる日は限られているし、このわたしだってそうだ
時間だけが積み重ねられていき、私たちはもがき苦しみながらも
何とかやっていく
誰も彼もが閉じこめられ、逃げ場所はどこにもない

わたしは田舎で育ち、都会で仕事をしてきた
スーツケースをおろして腰を落ち着けて以来
面倒ごとにずっと巻きこまれっぱなし("Mississippi" 訳:中川五郎)

・ディランの声は年々太く、低くなっている。歌も重たく沈んでいるようなものが多かったから、あまり好きではなかったのだが、このアルバムの声には認識を新たにさせられた気がした。歴史的な出来事や人物、あるいは物語をとりあげる歌詞からいっても、歌うストーリー・テラーといったところで、その役割を自在にこなしている。ただし、ほそく刈り込んだ髭だけはいただけない。ダリを意識しているのかもしれないが、全然似合わない。

夏のそよ風の中 急に突風が舞う
風が風にたてつくなんて
まったくばかげているとしか思えないこともある

近所のお年寄りたちは 自分よりも年下の人間たちと
ときどき仲が悪くなることがある
でも若いか、年をとっているかなんて大したことはない
結局どうでもよくなってしまうんだ("Floater"訳:中川五郎)

・ディランの自在さと対照的なのがラジオヘッド。"Kid A"のごちゃ混ぜのサウンドに、方向を見失っている印象をもったが、それから1年もたたないうちにまたもう一枚、 "Amnesiac"がでた。こちらの方が少しはまとまりが感じられてましかなと思うが、立て続けに出したところとあわせて、聴いていて受けとるのは混乱と分裂、迷いといったものだ。Amnesiacは記憶喪失者のことで、歌詞にも迷いの表現が多い。

僕は間違っていたんだ
僕は間違っていた
光がやってくるのを見たって誓ったことだ

よく考えてた
ずっと考えてた
未来なんて全然のこされていないんだって
そう考えてたんだ("I might be wrong") 


・新しいサウンドやメッセージをもったミュージシャンは誰もが光り輝いている。それが閃光のように突き抜けていって、やがて壁に突き当たる。そして乱反射。もう40年もポピュラー音楽につきあって来て、何度も見た軌跡だ。そこで消えてしまう者もいれば、新しい方向を見つけてまた光を放つ人もいる。ディランはそんな過程を何度もくりかえしてきて、また何回目かの新しい光を放ちはじめている。ラジオヘッドはたぶん、今が最初の壁で、懸命になって乗り越えたり、隙間を探そうとしているのだ。僕は"Kid A"も"Amnesiac"好きになれそうにないが、ラジオヘッドの道筋には関心がある。ぼくがロック音楽から聴き取るのは、何よりミュージシャンが表現する人生のプロセスなのだから。 (2001.09.17)

0 件のコメント:

コメントを投稿

unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。