国家を「夢」といった実体のないものと同一視することは全く例外的なことである。夢は何ものかを喚起し、照らし出し、美しく、恐ろしくもある。しかし夢は既成事実では決してありえない。証明すべき実体をもたない。ただ修正だけがきく。もともと曖昧なものであるがゆえに、いろいろに解釈されるようにできている。夢とはあらゆる経験の中で、もっとも個人的で不可視なものである。
2001年11月12日月曜日
T.ギトリン『アメリカの文化戦争』(彩流社)
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unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。