・“穴” というのは不思議な場所だ。閉じた空間にできた裂け目、あるいは未知の世界への通路。どんな穴でも、ふとそんなことを連想させる。家の近くに「風穴」とか「氷穴」と呼ばれる洞窟がある。富士山が噴火したときにできた大きな穴で、一年中冷たかったり、逆に暖かかったりする。地中深くの穴で風を感じるということは、どこかにつながっているということ。一説では、相模湾に通じるなどといわれるから100km近い長さがあるということになる。そんな話を聞いただけで、穴の奥の闇、あるいはその向こうにつながる世界に、想像をかき立てられてしまう。
・村上春樹の小説には、そんな不思議が、装置としてしばしば登場する。壁の穴、エレベーター、井戸、あるいはダンキン・ドーナツ。それらが必ず異世界への通路になって、二つの世界を行き来する物語を可能にさせている。世界には、そして人の心には、明るい自明の世界のほかに、暗い闇の部分がある。あるいはだれでも、今ここではない、もう一つの「生きられる世界」の可能性を信じたり、夢想したりするが、そこへ通じるはずの道はまた、ブラックホールのようにも感じられる。
・テレビの番組欄で『マルコヴィッチの穴』という奇妙な題名を見た。“穴”と聞いただけで、もう見ずにはいられない。Wowowでの放映時間が待ち遠しかった。
・主人公は操り人形使い師。大道芸をやっているがなかなか思うようにはいかない。自分のやりたいものと客の望むもののズレに悩んでいる。同居している女性はペット・ショップをやっていて、家にも何種類もの動物がいる。二人の関係は今ひとつしっくりいっていない。
・彼は新聞で見つけた求人広告をたよりに出かけてみる。そこはビルの7階半にあって、天井の高さも半分しかない。エレベーターもちょうど
7階と8階のあいだで緊急停止させてバールでこじ開けなければならない。何とも奇妙な場所で、よく分からない仕事をはじめる。ちょっと気になる女性。そしてたいへん気になる穴の発見。それは書類棚の後ろにあって、先が見えないほど暗くて深い。彼が思いきって先に進むと、扉が閉まって、急に真っ逆さまに落ちていく。底についたら、目の前に視野が広がっていた。
・新聞を読む、珈琲を飲む、シャワーを浴びる、鏡の前で身繕いをする。どうやら誰かの中に侵入したようだ。俳優でマルコヴィッチというらしい。他人の中に入って、その世界を感覚するという奇妙な経験。しかし15分たったらニュージャージーのターンパイク近くの土手に落とされた。
・彼はそのことを気になる女性に話す。彼女はそれを商売にしようと考える。「一瞬だけ他人になれる経験をしてみませんか」というわけだ。入り口には長蛇の列。彼はそのことを同居人にも喋る。彼女は男の中に入ることで、すっかり意識変革してしまう。入っているときにちょうど、マルコヴィッチは気になる女性とセックスをはじめたのだ。彼女は、自分は実は男で、女性が好きだったのだと思ってしまう。
・彼は彼で何度かくりかえすうちにマルコヴィッチを制御する術を見つけだす。入っている時間もだんだん長くなる。そしてマルコヴィッチに俳優を辞めて操り人形使い師になると宣言させる。それはたちまち話題になって、引っ張りだこになる。人形を操るのはマルコヴィッチだが、その技術は主人公のもので、彼はマルコヴィッチ自身をも人形のように操ってしまう。
・わたしたちは他人の経験を直接経験することはできないし、私の経験を他人に直接経験させることもできない。だからそれをコミュニケーションで理解させたり、想像力で補ったりする。しかし、なかなか他人のことは分からないし、自分のことを他人に分かってももらいにくい。だから、たがいがその経験を直接共有できるというのは人間関係の究極の形だといえる。理想にも、夢のようにも思えるが、しかしそれはまた、たがいが直接コントロールしあえたり、自他の境界をなくさせたりすることにもなるから、必ずしも幸せなこととはかぎらない。
・そう考えると、わたしたちの経験はたがいに閉ざされている方が気楽だということになる。ただ、たがいのあいだに時に通じあう穴、つまり通路がなければ、人は本当にバラバラな存在になってしまう。まるで一緒になっても生きられないし、バラバラでも生きられない。そんなことを考えると、穴の魅力と恐ろしさの意味が納得できるような気になってくる。
0 件のコメント:
コメントを投稿
unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。