2002年5月13日月曜日

「聞く」ことのむずかしさ

  • 人の話を聞く。だれもが当たり前におこなっていることだが、実際のところ、本当にむずかしいと思う。最近、学生と話をしていて、あるいは学生同士の話を聞いていて、特にそう感じる。要するに、たがいが自分の言いたいことだけに意識をむけていて、相手の話にはあまり耳を傾けない。あるいは逆に、話題をあわせ、同意や共感だけを目的にした会話も多い。こちらは一見、相手の話を聞いているようだが、相手が何をどう言おうと「うん、そうそう」というだけだから、やっぱり聞いているとは言えない。
  • そういうコミュニケーションの形が目立つのだ。もちろん、それは学生にかぎることではない。大人同士の話は、はなからそういうものだと思ってしまってさえいる。そんなじぶんの態度を自覚して、時にはっとすることもある。
  • 単純に「わがまま」とか、「自分がない」と言ってしまえばそれまでだが、それでは、そういう特徴の強い人間をステレオタイプ化しておしまいということになってしまう。おそらく、大事なのは、そういうコミュニケーションがなぜ目立つようになったのか、その原因を個々の人格ではなく、関係の変容として考えることなのだと思う。
  • 友人の庭田茂吉さんが、また本を出した。去年の秋に『現象学と見えないもの』を出したばかりだから、半年もたたずに2冊目ということになる。送られてきた包みの中には、今年もう1冊出す予定だと書いてあった。その他にも数冊、翻訳をかかえている。ためていたものが一挙に噴出という感じだが、健康状態があまりよくないようだから、無理をしないほうがいいのにな、と余計な心配をしてしまう。その新しい本『ミニマ・フィロソフィア』(萌書房)はエッセイ集だが、そのなかに「聞く」ことについておもしろい文章があった。
    人の話がちっとも面白くない。………得心する、その通りだと心から納得する、なるほどと心から唸る、黙って聞いているだけで心地よい、そんな納得の仕方がなくなった。しかしそれでも、人の話を聞いている時は、うんうんと相槌を打って解ったような顔をしている。実はこれがいけない。こちらがそんなふうに相槌を打つものだから、相手はますます熱心に話してくる。
  • 彼はつづけて、「話すことは聞くことによって成り立つ。そうだとすると、話すことの現在を問うことは聞くことの現在を問うことにほかならない。」という。で、相手を考えずに勝手な話をする人は、結局自分自身でも自分の話を聞いていないのだと。「自分の話を自分でよく聞かない習性からくる病」。そこに会話が成立しているように感じられるのは、おたがいが、相手の話を聞いているようなふりをするからである。
  • 相手の話を聞いて、「それは私とまったく同じだ」ととこたえる言い方がある。相手の話に同意を示しているのだが、庭田さんは、それは相手の耳を占領するためのレトリックだという。「それは他人の話をことごとく自分の経験に置き換え、他人の経験を自分の話に吸収してしまうことである」。それは他者を抹消して、自分だけを生き残らせる戦術にほかならない。
  • 相手の話を相手の身になって黙って聞く。そのことのむずかしさ、大切さを話題にしたもう一冊。鷲田清一の『「聴く」ことの力』には、カウンセリングの話がでていて、そこで、カウンセラーが患者や相談者の話にこたえて出すことばが、相手の言ったことをくりかえして「〜なんですね」ということであることを紹介している。その一言が、他者との関係や自分のことで悩む人の心を落ちつかせ、開かせる。「〜なんですね」によって、人はほかのどんなことばより、自分のことばが相手に届いたこと、届いたという反応が自分に返ってきたことを実感できるのだという。
  • ここには、相手かまわず言いたいことを喋りつづけることや、聞いていること、同意していることのふりをすること、あるいは、相手の耳を占領する戦術のどれともちがう、相手の声を聞く相互の関係がある。しかしこれは、職業上の方法としては可能であっても、現実の人間関係のなかでは、なかなかむずかしい。
    自己の同一性、自己の存在感情というのは、日常的にはむしろ、(眼の前にいるかいないかとは直接関係なしに)他者によって、あるいは他者を経由してあたえられるものであって、自己のうちに閉じこもり、他者からじぶんを隔離することで得られるものではない。他者から隔離されたところでは、ひとは<自己>を求めて堂々めぐりに陥ってゆく。
  • 「私」とは「他者」にとっての「他者」。だからその「私」の存在確認は、「他者」からの呼びかけや自分の声に対する反応としてするほかはない。だから「聞(聴)くこと」のむずかしさは、「他者」を認識することはもちろん、「自己」を確認することの困難さに繋がる。
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    unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。