2002年5月27日月曜日

メールがあたりまえになって

  • 最近、このコラムに書く話題が見つからない。もちろん、メールが来ないわけではない。それどころか、うんざりするぐらい来る。そのほとんどはジャンク・メールだ。特にAOLはアメリカからしつこいくらいにやってくる。腹が立つが、もうそのことは何度か話題にした。
  • 大学でのやりとりもメールが基本になってきた。学生のレポート提出、欠席の連絡。教員同士の連絡や意見交換。メールの使えない教員は本当に少数派になってきた。学内ではさまざまな書類が相変わらず、メールボックスにいれられる。メールとだぶって無駄だという意見も出るが、すべてをメールでというのは、なかなかむずかしいことだと思う。
  • 年輩の人は、目が悪いのにモニター見なければならないのはつらいとこぼす。だからいちいちプリント・アウトしてから読んでいると。「君のホームページも文字が小さくて読みにくい」などと苦情も言われたりする。「お使いのパソコンで文字の大きさは変えられるんですよ」とこたえても、「どうやって?」と聞かれると、なかなか説明に困ってしまう。といってそのために、このHPの文字を大きなものに設定したくはない。文字が大きすぎると、間の抜けたページに見えてしまうからだ。
  • もっとも、ぼくも最近老眼が進んで、眼鏡のレンズを変えた。近眼との落差が大きくなったから、遠近両用の眼鏡をつけていても、うまく調節ができないことが多い。5年後、10年後、15年後………、ぼくも必ず、モニターの小さな文字を読むのがつらくなる。けっして人ごとの話ではない。
  • 話題が妙な方向にそれてしまった。メールの話である。使い始めの頃、ホームページを公開しはじめた頃は、知らない人からメールが来ること自体が新鮮だった。外国から飛び込んできたりすれば、もううれしくて、面倒な英文のメールも苦にならないほどだった。けれども、今では、舞い込んできても、めったに返事は書かない。たとえば、ぼくの持っているレコードやCDを譲って欲しいといったメールがときどきある。コレクターで、たいがいお目当ては日本でのみ編集・発売されたものだ。自分の所蔵リストを添付して、「あなたが気にいるなら、どれとでも交換する」と書いてあるものまである。それほど欲しいものなのだと思うが、返事も書かずに放ってある。時間もないし、面倒くさいという気が先に立ってしまう。
  • 原稿やアンケートの依頼などもいきなりメールでやってくるようになった。これは電話で頼まれるより断りやすくて都合がいい。電話だと、興味がなくても、忙しくても、ついつい引き受けてしまうから、メールになって大助かりだ。メールには、相手の事情よりはこちらの都合で判断できる余地がある。しかも一度断れば、再度の依頼はほとんどない。
  • 学生のレポートもメールのほうがずっと便利だ。同じ書式でまとめて印刷できるから、保存がしやすいのだ。しかし、着いたことの確認をほしがる学生が多いし、提出が締め切りぎりぎりに集中するから、その対応にあたふたしてしまう。だからこれも、返事は書かずに、受けとったものを授業中に伝えることにした。
  • 定期購読しはじめたメール・マガジンも、結局、不要な情報が多いから、しばらくするとほとんど開けもしなくなる。頼まないのにやってくるものもあって、これは新聞に挟みこまれた折り込み広告と同じだが、ストーブのたきつけにもならないから、本当にゴミでしかない。
  • こんなわけで、やってきたメールに返事を出す割合は、日に日に減ってきている。メールは手紙嫌いのぼくにとっては、好都合な道具なのだが、それも面倒になりはじめている。会う手間が省ける。電話のわずらわしさよりはまし、とメリットは多いのだが、いまはもっと、簡単な手段はないのかなどと思ったりする。とはいえ、返事を書きたいと思う時はもちろんあるし、その数自体は減ってはいない。ぼくの方から必要があって、あるいは出したくなって書くメールも、むしろ増えていると思う。
  • 携帯を使いはじめて2カ月になる。電話はもちろん、メールのやりとりもほとんどない。出かけたとき、緊急なときに使えればいいと思って買ったから、番号もアドレスも公開はしていない。大学に来たメールのチェックを数日おきにしていたが、大きな添付ファイルのあるメールがあると、一回の接続にずいぶん時間がかかってしまう。パソコンでいらないものを削除してから、PDAと携帯で接続しているが、これでは接続する意味はないな、と思いはじめている。結局、便利は無駄ということなのかもしれない。
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    unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。