2002年9月16日月曜日

夏休みに読んだ本、読み残した本

講談社選書メチエ<br> 身体の零度―何が近代を成立させたか・何の予定もなく、たまたま見つけた本を、ただ楽しみだけのために読んでみたい。「読書の快楽」。ぼくの夏休みにしたいことの一つ。だが、一度も実現していない。夏休みはまとまった時間がとれるから、どうしても仕事のための読書の時間になってしまう。読むというよりは読まされる気分。読みたいではなく、読まなければの気持が強いから、楽しいというより、苦痛が先に立つ。今年もそんな感じで休みが終わろうとしている。

・今年の宿題は二つ。一つは翻訳で、これは同じところをくりかえし読む読書だ。何度も読んでいると、訳した文章に何の違和感ももたなくなる。ところが、人から指摘されて、原文と照らし合わせると、何?というおかしな訳になっていることに気がつく。たしかにわかりにくい、意味が通じない。で、いったん直すと、その前後も気になるから、時間はどんどん過ぎていってしまう。そんなことをやっていると、関係ない本が無性に読みたくなる。しかし、今年はもう一つの宿題があるから、一つに厭きても、またもう一つのねばならない読書をしなければならなかった。

・実は池井望さんと平野秀秋さんから「肉体論」で本を出すから君も書けと命令されているのだ。君の担当は「アドヴァタイジング・メディアとしての肉体」。そういわれれば、断るわけにはいかない。といって、あらかじめ問題意識があったわけではないから、「さぁ、何を書こうか」と考え、めぼしい本を探してそれを読むことからはじめることになった。キイワードは「セクシャリティ」か、と思って数冊を用意して、ぼちぼちと読みはじめた。

・まずは歴史から。『挑発する肉体』(H.P.デュル、法政大学出版局)『性の歴史I,II,III』(M.フーコー、新潮社)『文明化の過程』(N.エリアス、法政大学出版局)『フランス革命と身体』(D.ウートラム、平凡社)………。どれもヨーロッパの歴史で、近代化の過程で変容した体やそれに関わる生活習慣、あるいは行動パターンと近代化(のイデオロギー)との関係についてふれている。清潔感の誕生や性にたいする禁欲的な意識の意味などそれぞれ面白い。しかし、まだすべてを読み終えたわけではないが、書こうとするものには直接役にたちそうもない。

・N.O.ブラウンの『ラヴズ・ボディ』(みすず書房)はもう20年以上前に原文で読みはじめて、難しくてやめた本だ。フロイト派の哲学者で60年代にはW.ライヒの『性と文化の革命』とあわせて、よくとりあげられていた。どちらも抑圧された性意識の解放を提唱する本だが、ライヒの方が行動的で、ブラウンは性を思索する。

・ところがある。彼によれば、文化は、体を加工し、そこに意味づけをすることと切り離せない。現代は、その文化的に強制される身体加工の呪縛が解けた時代で、それを「身体の零度」と名づけている。「自然な体」。しかしその自然はまた、テクノロジーや科学と密接に関係せざるを得ないし、文化的意味を捨象した身体加工は一種の流行として復活している。この本を読んでやっと、こんなところで書けそうかな、という気がちょっとだけした。しかし、まだまだ漠然としている。

・アンソニー・シノットの『ボディ・ソシアル』は、面白そうだと思って買ったまま積んどいた本だ。「社会的身体と物理的身体との対立」。最近は健康に対して誰もが自覚的だ。運動をしなさい、歩きなさい、不規則な時間の過ごし方はやめなさい、バランスのある栄養を摂りなさい、と周囲の人もメディアもうるさくいう。ぼくも子どもに、ちゃんと食べてるかなどと、ついつい言ってしまう。しかし、健康志向もやっぱり社会的身体が求める理想からくるもので、それが本当に物理的身体にいいのかどうかわからない。第一、物理的身体にとって「いい」とはどういうことなのか。この本を読みながらそんなことを考えた。

・精神と肉体、内面と外見。その分離が曖昧になったり、前者の優位性が薄れているのが現在の傾向で、人はますます容貌や姿形で、その人間性を判断したり、されたりするようになってきた。だからこそ、「アドバタイジングとしての肉体」か。と考えたら、ちょっと方向が見えてきた気がした。

・ところで、日本ではもっぱら、この手の話は「身体論」と名づけられていて、けっして「肉体論」とは言わない。英語ではどちらも「ボディ」なのだが、どうしてか。「身体論」の方が格好いいということなのか。しかし、ぼくは「身体」と聞くと「身体検査」「身体測定」を連想してしまう。「肉体」の方が、ずっと興味をそそりそうなのだが、その興味をそそる肝心の部分、つまり「セクシャリティ」を避けて通ろうとするためなのかもしれない。インテリの抑制だとしたら、もったいない話だ。

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unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。