2026年5月18日月曜日

ノーム・ チョムスキー『破綻するアメリカ・壊れ逝く世界』(集英社)

ノーム・チョムスキーは著名な言語学者だが、アメリカに対して強烈な批判をする論者であることも知られている。1928年生まれだから、もうすぐ100歳になる年齢である。トランプ大統領の最近の愚行に対する彼の批判はさすがに聞かないが、ロシアのウクライナ侵略については、その直後に「戦争犯罪」だと批判をしている。

chomsky.jpg そのチョムスキーの本をアメリカがイラクを侵略した直後に読んで、紹介したことがある。『すばらしきアメリカ帝国』(集英社)で印象に残ったのは、アメリカのイラク侵略を「国際法に根拠のかけらさえもない予防戦争」だと言い、次のような批判を書いていたことである。
つまり、軍事力によって世界を支配しようとするアメリカに挑戦しようとするものがあらわれた場合__それがさし迫っていなくても、あるいは捏造や空想であっても__それが脅威に発展する前に消滅させる権利がアメリカにはあるというのです。
それに気づいて、同年の2008年に出版されて積読だった『破綻するアメリカ・壊れ逝く世界』を読み直してみようと思った。トランプのイラン襲撃はブッシュのイラク侵略と酷似していて、もっと横暴だと思ったからである。

chomsky1.jpg この本は「無法国家のやりたい放題!」「『違法だが正当』というごまかし」「海外における民主化促進」「中東が証明するもの」「アメリカ国内における民主化促進」といったタイトルの章で構成されている。無法国家とはもちろんアメリカのことだが、それはアメリカの国内法はもちろん、国際法や国連の手続きも誤魔化したり無視することを指している。そして法を無視することが正当であることを主張する傲慢さが常套句であることが指摘されている。

たとえばユーゴスラビアが崩壊して内戦が深刻化した時に、当時のクリントン米大統領は、セルビアによるアルバニア人の虐殺を防ぐことを理由にサラエボの空爆を実行した。「違法だが正当」を主張したものだったが、実際には虐殺はむしろ空爆後に増加したのである。あるいは「海外における民主化促進」には、そのような理由とは正反対に、ナショナリズムに基づく民主化を実現させようとした国の政権を倒すことを実行している。チリのアジェンデ政権の転覆と軍政の支持や、パナマ侵攻によるノリエガ体制の崩壊である。同様のことはハイチやニカラグア、グアテマラなどの中米諸国に及んでいるのである。またその時の理由に麻薬の密輸があったことは、トランプによるベネズエラ侵攻と大統領逮捕に酷似している。ベネズエラの石油を抑えることで次に狙っているのはキューバである。

イランのホメイニ体制は1978年の革命で成立した。親米派の王政を倒したのだが、その王政は、石油の国有化を実現させたモサッデク首相をクーデターによって失脚させた後に生まれたものだった。そのクーデターを支えたのはアメリカやイギリスで、最大の理由は石油利権である。「中東が証明するもの」はそんな石油利権とブッシュによるイラク侵攻、イスラエルとパレスチナ、そしてアラブ諸国との関係に触れている。イスラエルがアメリカの後押しによってガザ地区をがれきの山にして膨大な犠牲者を出すまでにはまた、多くの横暴で悲惨な歴史があったのである。

民主主義をリードすると思われていたアメリカは、今トランプによってその崩壊の危機にある。しかし新自由主義的な政策による富の格差や、政権よりのメディアの姿勢は20年前から指摘されたことだった。オバマが大統領になって少しはましになったと思われたが、その反動がトランプを誕生させた。アメリカが破綻し世界が壊れていく。この本を読むとそんな危機がいっそう強く感じられる。

目次 2026

5月

18日ノーム・ チョムスキー『破綻するアメリカ・壊れ逝く世界』(集英社)

11日今さらですがビートルズを

4日教養はもっと大事!

4月

27日キョウヨウが大事です

20日半月滞在の客人と過ごした日々

13日デモはネットでしか伝えない

6日スタッズ・ターケル『仕事!』(上下)河出文庫

3月

30日 ボブ・マーリーについて

23日 世界が壊れはじめている

16日 させていただきましたはいただけません

9日 薪割り、ゴミ穴、そして大掃除

2日 選挙報道とオリンピック中継

2月

23日 パティ・スミス『ジャスト・キッズ』河出書房新社

16日 Bob Dylan "Shadow Kingdom" Patti Smith "Horses"

9日 ドジャースの戦力補強に違和感

2日 厳寒のお粗末選挙にうんざりだ!

1月

26日 ケヤキと格闘中です

19日 久米宏とテレビの終わり

12日 黒川創・滝口夕美編『加藤典洋とは何者だったか?』SURE

5日 ニール・ヤングの反トランプ宣言

1日 今年もよろしくです

2026年5月11日月曜日

今さらですがビートルズを

この欄で何を取り上げるか、もう何年も頭を悩ましている。昔よく聴いていたのにほとんど取り上げていないものはないかと探しているのだが、ビートルズはと気がついた。聴いていたのは1960年代から70年代にかけてで、ジョン・レノンは1980年に殺されている。毎年12月の凶弾に倒れた日からクリスマスまで彼の歌を聴くようにしていたが、最近ではそれも忘れることが多くなった。ジョージ・ハリスンも病で亡くなったし、ポール・マッカートニーには興味がなかったから、取り上げる機会がなかったのである。

john&paul.jpg アマゾンで探すと『ジョン・レノン&ポール・マッカートニー ソングブック 1957―1965』という名のビデオがあった。ビートルズはデビュー以来ずっと、自作の大半を「レノン&マッカートニー」として、曲と歌詞をどっちが担当しているのかも明記しなかった。実際、どちらかが作りはじめたものでも、二人で練り合わせて仕上げるのが当たり前だったようだ。著作権とそれに伴うお金などには興味がなく、ただ良いものを作ろうとしていたからだった。もちろん初期の頃から曲想の違いはあったものの、歌詞についてはどっちが作っても大差ないものだった。

このビデオが注目しているのは、主に歌詞に違いが出始めた時期で、1964年に発表された「ハード・デイズ・ナイト」からであることを話題にしている。「ラブ・ミー・ドゥ」でデビューして2年後のことで、同名の映画が同時に公開されている。コンサート・ツアーをドキュメントしたもので、嬌声をあげて追いかける女の子達や、楽屋や移動中の列車やタクシー、あるいはホテルでの騒ぎやいたずらが映されていた。リチャード・レスターが監督し、それまでのミュージシャンを主役にした映画とは違った趣向が凝らされていた。

変わりはじめたのはジョン・レノンで、それはボブ・ディランを知ったことがきっかけだった。アメリカの政治や社会に対して強い批判を込めた歌を自作して歌うディランは、1962年にデビュして64年までに4枚のアルバムを出している。ジョン・レノンはそのアルバムに強い影響を受けたというのである。その理由としてあげているのはハーモニカや生ギターの使い方であり、何より自分の正直な気持ちを込めた歌詞である。ジョンはまず、政治や社会に対する批判ではなく、ラブ・ソングの中に月並みではない自分なりのことばを工夫しはじめた。そこにはもちろん、自分の経験が反映されていた。

ビートルズは1969年まで続いたが、コンサートは66年までである。1964年以降に出されたアルバムは10枚で、最後の『レット・イット・ビー』は解散後の1970年だった。多くの曲はジョンとポールの共作とされたが、実際にはそれぞれが個別に作ったものを集めてアルバムにしたものになった。作った方がリード・ボーカルもやるのが大半で、その曲想や歌詞の違いは後期になるほどはっきりしたものになった。

ビートルズが解散した後、僕はジョン・レノンだけを追いかけた。その理由の一つがボブ・ディランであることを、今さらながら確認した。

2026年5月4日月曜日

教養はもっと大事!

前回、自分の生活の中では「教養」よりは「今日用」が大事ということを書いた。しかし、目を社会や世界に向けた時に思うのは、「教養」のない人たちによって世界が壊されているという現実である。その代表はトランプだが、ブッシュやレーガンが大統領になったように、アメリカには教養人を嫌悪する傾向が以前からあった。アメリカは民主主義をリードする国で、オバマによって黒人初の大統領が実現し、続いて女性の大統領だとなった時に、トランプが現れ、保守的な白人層が強く支持した。その教養のかけらも持ち合わせないトランプが王様気取りで、民主主義そのものを壊しにかかっているのである。

政治家がひどいのは日本も同じだろう。戦後生まれだから戦争責任はないと公言する高市の歴史認識は呆れるばかりだし、小泉進次郎も無知をさらけ出した発言が少なくない。自民党の中では教養があると思っている石破前首相が人気がなく、高市が高支持率を維持しているのだから、教養の軽視は日本の中にも強くはびこってしまっていると言えるかもしれない。「維新」や「参政」などは政党自体が無教養の顔をしている。

そう言えば、大学で教えていて、教養に対する大学と学生の変化を目の当たりにした経験がある。4年制の大学は教養課程の2年間と、専門課程の2年間に別れていた。それが崩れて、1年生から専門科目を提供するようになったのだが、そこには文科省の方針はもちろん、就職に関係しない科目は勉強したくないといった学生の希望も反映されていた。僕は「文化社会学」といった科目を担当していて、講義では音楽やスポーツと社会や政治の関係を話したりしたのだが、学生が関心を示さなくなったことを肌身で感じた経験がある。直接言われたわけではないが、「この授業は就職に役立つんですか?」といった態度を学生の反応から意識したのである。

「教養」とは「単なる知識の蓄積ではなく、学問、芸術、経験を通じて培われる『物事を深く理解し、応用する能力』や『精神的な豊かさ』のこと」である。自らの興味や関心に基づいて熱心に取り組んだこと、夢中になったことが、やがて自分の人格を形作る基になり、社会や世界を見る目を養うことになる。それは何かの役に立つと思ってやることとは本質的に違うものなのである。

僕は他に「コミュニケーション」や「メディア」も関心分野にしていた。だから学生同士の関係の持ち方にも興味を持っていて、それが深いところから浅いところに、内面をぶつけ合うことから外見を取り繕うことに変わるのを感じていた。ゼミでも、自分の意見を言わなくなり、誰かの発表を批判することにも消極的になった。だから表面上仲良くすることには熱心でも、結局お互いのことはよくわからない。わからないから余計に、外見ばかりの関係になる。それは「教養」を培うはずの大学教育には、決定的な敗北であることを痛感した。

「教養」によって培われる一番のものは「品位」とか「品性」だと思う。英語では「ディーセンシー」(decency)だろう。それが欠けている人たちが政治や経済を牛耳っている。それを放置し、支持さえしている人たちはまた、ネットでの暴走を見過ごし、時に片棒かつぎさえしている。正直な話、もう世も末だなと思うことも少なくない。