2004年3月15日月曜日

セディク・バルマク『アフガン・零年』


セディク・バルマクの『アフガン・零年』はNHKとの共同製作による、一人の少女の物語だ。旧ソ連のアフガニスタン侵攻以来、20年以上も戦乱が続く国の現実を、少女の運命を通して描きだしている。この映画は、2004年の「ゴールデングローブ賞外国語映画賞受賞」のほか、2003年のカンヌ国際映画祭では「カメラドール特別賞」「 CICAE賞」「ジュニア審査員最優秀作品賞」をとり、さらに釜山、ニューデリー、ロンドン、バリャドリッドなどで開催された国際映画祭でも受賞している。僕はこの映画をNHKのBSで見たが、続けて放送した映画の製作過程のドキュメントとあわせて、アフガニスタンの現状について思い知らされた気がした。


映画の主人公は母と祖母と暮らす13歳の少女だ。しかし、タリバン政権下では働くのは男と決められているから、女3人の暮らしは成り立たない。少女は髪を切って男の子になりすまして仕事を得る。ところが、他の少年たちと一緒に招集されたタリバンの宗教学校で女であることがばれてしまう。井戸に吊される罰、初潮、宗教裁判………。話の残酷さ、悲惨さはもちろんだが、瓦礫と土埃だけの風景もまた異様で、まるで地獄絵を見ているような感じだった。


ドキュメント・タッチで迫真力のあるこの映画は、それだけで完成された一つの作品だ。けれども、僕は、同時に見た製作過程の方によりいっそうの興味を覚えた。主人公の少女を演じるのは「マリナ」という。監督がストリート・チルドレンの中から見つけてきた。内戦で足が不自由な父親に変わって5歳から物乞いなどをして一家を支えてきたという。その少女は美しいが、その目はまた何とも哀しげで絶望している。

私は、主人公の少女を探して3400人の少女達と会いました。そして、ある日路上で一人の物乞いの女の子と出会ったのです。「お恵みください」そう言った少女の目には深い悲しみが宿っていました。それがマリナでした。(監督のことば)
マリナは学校に通ったことがない。だからセリフはその都度、監督が口移しで覚えさせる。笑わないマリナに冗談を言い、なかなかとれない顔の緊張をほぐそうとする。ところが泣くシーンでは、悲しかったことを思い出してごらんと言うと、彼女の目からは大粒の涙があふれ出る。母親をくりかえし呼んで泣く井戸に吊されるシーンの説明はなかったが、おそらく恐怖感から自然に出たものだと思う。製作過程のドキュメントを見ていると、マリナが演技をしたシーンなどは一つもなかったことがよくわかる。彼女にとって映画に映されたシーンは、自分の日常の一こまの再現にすぎなかったのである。


この映画の撮影期間中、彼女とその家族には食べ物や燃料が配給され、撮影後には家族が半年以上暮らせる出演料が渡された。物乞い以外で得たはじめての収入、カメラの前に立つというはじめての経験。ドキュメントは最後に1年後のマリナを映し出した。施設で勉強する彼女は将来、女優になりたいという。アフガニスタンを代表する女優になって欲しいと思うし、そうなる才能や魅力にあふれている少女だと思った。


この種の映画を見て思うのは、極限状況で生きる人たちにとって何より大事なのが、その日の食べ物だということだ。『戦場のピアニスト』はまさに、どう食いつないで生き延びたかがストーリーの骨格だった。そんなに大事なことも、飽食の時代には、忘れたり軽視されがちになる。人は3日も食べなければ、途端に空腹感に苦しみ飢え始めるのに、そういう状況にならなければ、本気で考えることもない。「人はパンのみに生きるにあらず」とは満ち足りた人間の言うセリフで、『アフガン・零年』を見ると

、「人は食うために生きている」ということをもっと大事にしないといけないと思った。
今年のアカデミー賞は『ロード・オブ・ザ・リング』が総なめしたが、『アフガン・零年』は候補にも挙がらなかった。娯楽一辺倒の姿勢が批判されたりもしたようだ。しかし、賞を取るかどうかという以前に、僕はこの映画をアメリカ人はもっともっと見るべきだと思う。ベトナム、ユーゴスラビア、アフガニスタン、そしてイラクと、アメリカが介入した戦争のためにいったいどれだけの人が肉親を失い、飢えに苦しみ、将来を台無しにされたか。マリナにはアメリカのいう「正義」などまったく無意味なものなのである。数日後にあったアメリカの州兵がイラクに派兵されるドキュメントを見て、特にそう思った。

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