・映像や音のメディアの発展が、読書の比重を軽くしたのは確かだろう。もちろん、インターネットも文字情報が基本だから、中心にあるのが読む行為であることは変わらない。しかし、絵文字やことばづかいに特徴的なように、その文体はずいぶん変わってきている。また、文章には写真やビデオ、あるいはイラストなどが当たり前に付属されるから、文字を読むという行為だけで何事かを知ったり、理解したりすることも減っているはずだ。
・このような変化は、たぶん、人びとの意識にも影響するだろう。というよりは、写真や映画、電話やラジオ、そしてテレビと続いたメディアの展開が、すでに人びとの意識に大きな変容をもたらしていることは、すでにさまざまに指摘されてきてもいる。たとえばマクルーハン、オング、あるいはリースマンといった人たちで、「声の文化」と「文字の文化」、「伝統指向」「内部指向」「他人指向」等々といった概念が提供されている。
・最近のネットや携帯の普及についての議論も、当然、このあたりが出発点になる。しかし、それだけにどうしても、注目は現在の現象に向き、過去の話は既知のこととして問われなくなってしまう。たとえばオングやリースマンがきれいに分類したような、活字の普及がもたらした意識の変容は、具体的には、どのような過程を経て顕在化してきたものなのだろうか。そこのところは、実際、詳細に解き明かされてきたわけではない。また活字と「内部指向」の関連性については、日本人にはしっくりこない面が多く、その理由などもきっちり指摘されてきたわけでもなかった。
・香内三郎の『「読者」の誕生』を読むと、そんな疑問がいくつも解消される。この本はヨーロッパにおける文字と活字の普及過程を精緻に論証したものであり、また同時に、キリスト教と活字メディアとの関連史といえる内容にもなっている。だからキリスト教に対する知識がないと理解がむずかしいのだが、それだけに、人びとの意識の変容過程は単にメディアだけでなく、キリスト教との関連で見ていかなければ理解できないことを教えられる。
・たとえば、キリスト教に限らず宗教には「偶像」がつきものである。崇拝の対象としての神の像。しかしまた同時に、宗教はこの「偶像」を厳しく禁止もしてきた。実際キリスト教は、「偶像」の是非を巡る争いの歴史だと言ってもいいのである。神は視覚化(イメージ化)されなければ、実態として理解することはむずかしい。こういう主張の一方で、神は「霊」であって「身体」として受け取るべきものではないという反論が出る。何かを心にとどめるためにはどうしても形のあるイメージが必要である。しかし、神はイメージ化できないし、してはいけないものだという。「神を思い浮かべる正しい方法は、何らかの形態を思い浮かべることではない。そうではなくて、心に彼の属性、しかるべき作用を思い浮かべる、ことなのだ。」
・グーテンベルグの活版印刷術とプロテスタントの関係はすでに、多く指摘されてきたことだが、「偶像」を巡るこのような論争には新鮮な驚きがある。読書が具体的なイメージをかき立てる行為から抽象的な思考の行為に変わっていく大きな原因には、単にメディアの特性という以上に神とそのイメージを巡る論争があったということなのだから。
・カトリックでは、信者は牧師の前で自らの罪を告白し、懺悔をする。西欧の強い自我意識の形成過程に、この行為が強い役割を果たしたことはフーコーの指摘したところだが、それはまたプロテスタントの中でも「日記」とそれをもとにした議論といった形態で受け継がれたようだ。あるいは個人的な「ニューズレター」といった印刷物も登場し、興味を持った多くの読者を生んだようである。「近代小説」と「近代ジャーナリズム」の起源………。
・活字の普及は近代ジャーナリズムを発生させ、発展させたが、この本では、その過程で重要な役割を果たしたのが「宗教」と同時に、「噂」「ゴシップ」だと指摘されている。それはコミュニティにおける濃密な口頭コミュニケーションで培われたものだが、それ自体の発展もまた、行商人や旅芸人、荷物や手紙の運び屋などが頻繁に行き交うようになってからのものだという。「声」から「文字」ではなく、「文字」が「声」を誘発したという方向も強かったのであるのである。
・この本のもう一つの柱はイギリスの王政の変遷と言論の関係にある。当然宗教が絡んでいて、ホッブスやミルトン、あるいはデフォーといった、多くの論客が登場するから、やっぱり簡単に読み進められるというわけではない。しかし、良心や真理、虚言、曖昧なことば(エクィヴォケーション)、あるいは異端や「カズイストリー」(擬態)をめぐる議論から、「客観性」や「真実」それを判断する「良心」をもった自己を基盤にした近代ジャーナリズムの発展へという流れには、納得させられるところが少なくない。メディアと宗教。日本人には一番リアリティをつかみにくいテーマでもある。
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unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。