2006年3月7日火曜日

オリンピックにメダルが欲しいのは誰?

 

・スペインに出かけたのがオリンピックの始まる直前で、帰ってきたのは、もう終盤だったから、今回のオリンピックはほとんど見なかった。もちろん、旅行中も泊まったホテルの部屋にはテレビがあり、いくつものチャンネルを見ることができた。しかし、実際には部屋でテレビを見ている時間などなかったし、つけてもオリンピックを中継しているチャンネルは見かけなかった。スペインがあまり活躍しない大会だったせいかもしれない。イタリアのトリノはすぐ近くにあるのにどうしてと思ったが、ぼくもすっかり忘れてしまっていた。
・日本では大会の始まる何日も前からメダルはいくつ取れるか、金メダルは、注目選手はと持ちきりで、ほとんど見たことがない競技種目でも、出場選手の名は覚えてしまうぐらいだった。「今井メロ」なんて突然出てきた名前が連日テレビをにぎわしていたのに比べると、スペインのテレビの何という無関心さ。代わりにスポーツで繰り返し登場していたニュースは、やっぱりサッカーとバスケット・ボール、それにアルフォンゾというチャンピオンが出たF1 だった。ただし、芸能人をスタジオに呼んでゴシップについて質問や追求をするといった番組が目立ったし、若い女の子の裸が頻繁に登場して、日本のテレビと似ているところもあるなと思った。
・そんなわけで、旅行の前半はオリンピックなどすっかり忘れていたのだが、ネットに繋ぐことのできるホテルに泊まって、お気に入りのサイトをチェックすると、「日本メダルなしの可能性」などという悲痛な見出しが目に入った。日本選手の成績は良くても4位どまりで、話題になった選手も予選落ちした人が少なくないようだった。例の今井メロもお兄ちゃんの童夢も同様で、遠くから見ているとあまりにも騒ぎすぎ、という印象が強まるばかりだった。
・ところが帰国してテレビをつけると、さんざんな成績だというのに、オリンピックの番組が一杯。ニュースでもすべての放送局が同じことを同じように、しかも繰り返し伝えている。で、残された期待は女子フィギアだけという論調も同じで、3選手に期待して神頼みという感じである。一体メダルは誰のために取るものなのか。国民のため、視聴者のため、あるいはニュース・キャスターのため?何か勘違いをしていて、それを国中に振りまいているんじゃないの?メダルは誰より選手が目標にしているもので、それを応援し、取ったら祝福するものだと思うのだが、けっしてそうではないようだ。
・時差ボケも手伝って、もううんざりしてしまったが、荒川が金メダルを取ると、それまでに日本人選手の不成績がなかったかのような浮かれぶりで、荒川の「イナバウワー」をしつこく放映するから、またうんざり。彼女の帰国を待って成田空港には900人、例によって、テレビ番組にハシゴで登場させられて、同じような質問攻めにあう。荒川に集中して、一緒に帰国した他の選手はまったく無視だから、その極端さにもあきれるばかり。過剰な期待をしてメダル候補と煽ったのはテレビではなかったのだろうか。そんな反省は、例によって、どこからも聞こえてこない。
・もっともそれはオリンピックに限らない。政治も経済もそして事件も、すべて同じ調子で取りあげられ、好き勝手に料理されて、食い尽くされる。そんなこと百も承知で、おもしろいから、退屈だからつきあっている、というのがおおかたの人の感想なのかもしれない。けれども、そんな傾向やメディアの体質はやっぱりおかしい。しばらく日本を留守にしていると、その異常さがいっそう際立って見えてきてしまう。
・家に帰って久しぶりにテレビのスイッチをつけると、出かける前とほとんど変わらない人たちが、変わり映えのしない話題で盛り上がっている。けれども、懐かしいなどという気持ちはまるでなく、逆に、何となく距離を置いて見るから、奇妙なものを見ている気がしてしまう。と同時に、テレビなんて見なくても、日常生活に何の支障もないこともわかってくる。半月も日本を留守にしていて、その間、日本のテレビをまったく見ていないのに、何も困らない。テレビとは実際、そういうものなのだということがよくわかる。
・実際、世界中どこに行っても、ネット・カフェに行けば、いつもチェックしているサイトにアクセスすることができる。日本語が使える機種は少ないが、自分のパソコンを持ち歩けば、どこにいても家にいるのと変わらない。そんな時代になったことを実感した。ぼくは旅のあいだも、普段通りに内容の更新をしたが、それはホテルによっては部屋でコードなしでできるようにもなっている。そんな日進月歩で、次々変化するネットの世界が当たり前になっているのに、テレビは内向きの発想で、内輪の関心を煽ることにばかり精出している。巨額の利益をあげ、政治や経済や文化に大きな影響力をもつテレビというメディアは、実は「裸の王様だ」。中身はなにもないじゃないかという事実が露呈されているのに、誰もそう思わない。思っていても、そう言わない。そんな違和感は、たぶん時差ボケ以上にいつまでも、ぼくのなかに残りそうだ。

0 件のコメント:

コメントを投稿

unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。