・本文だけでも500ページを越える大著で読み応えがあったが、おもしろかった。これはもちろん、ボウリングの話ではない。ボウリングは普通だれかと一緒にやるもので、親睦を兼ねた大会などがおなじみの光景としてイメージされる。そのボウリングをたった一人でするというのは、人間関係が希薄化しているアメリカ人の最近の傾向を象徴させたものである。
・アメリカは個人主義の国だが、その建国の時点から、コミュニティを基盤にして成り立ったという歴史ももっている。家族はもちろん、近隣関係を大事にし、社交から大きな問題の解決に至るまで、人びとが協力しあうことを第一に考えてきた。そんな傾向は、もちろん、今でも強くある。けれどもパットナムは、そこに大きな揺らぎがではじめているという。
・この本ではさまざまな統計が集められ、社会関係の希薄化がデータによって示されている。それはたとえば、大統領選挙の投票率の推移、選挙活動への市民参加、街や学校問題の公的集会への出席度、何らかの請願運動への署名、全国規模の組織の会員数、PTAの推移、教会への所属数と出席の傾向、労働組合への所属率、専門職の会員組織への参加率といった公的なものから、友人宅訪問、一緒に食事、スポーツ・イベントへの参加、社交クラブへの参加、トランプその他の余暇活動といった私的なものにまで渡っていて、そのどれもに、参加率の低下が見られることが明らかにされている。中でも一番凋落の激しいのが、リーグボウリングなのである。
・こんな傾向が始まったのは70年代からのようだ。それは、60年代の大学紛争やヴェトナム反戦、それに公民権運動の沈静化の後にやってきた。もちろん、その後にもフェミニズムの運動や環境問題に関わる大きな運動や新しい団体の出現はあった。実際、全国環境運動組織の成長率は80年代から
90年代にかけて著しい。しかし、ここには少額の寄付程度の人がふくまれていて、社会関係の積極的なかかわりを示すかどうかは怪しいという。この衰退は原因はどこにあるのだろうか。
・パットナムは「社会観系資本の試金石は、一般的互酬性の原則である」という。
直接なにかがすぐ返ってくることは期待しないし、あるいはあなたが誰であるかすら知らなくとも、いずれあなたか誰か他の人がお返しをしてくれることを信じて、今これをあなたのためにしてあげる、というものである。
・このような規範は19世紀初頭にアメリカを訪れたトクヴィルが、その体験記(『アメリカの民主政治』講談社学術文庫)に驚きをもって書いたことでもある。トクヴィルはそこに「理想主義的な無私無欲の原則」ではなく、「正しく理解された自己利益」の追求を見て、その互酬性のシステムに、ヨーロッパにはないアメリカ的なものの神髄を見つけたのである。
・それでは、社会関係資本、つまり互酬のシステムを衰退させている原因はどこにあるのだろうか。パットナムの推理は慎重で、ここでもさまざまなデータを集めて解きあかしている。もちろん、このような指摘はこの本がはじめてではないし、原因もあれこれと言われてきている。50年代から加速化した都市郊外への移住、女たちの職業従事の増加、出産率の低下、離婚や転職率の高まり、あるいは独身者の増加、自動車への依存、電話、テレビ、そしてインターネットという間接的な人間関係を可能にするメディアや道具………。
・パットナムの結論はまず、自動車への依存とそのためにすごす一人の時間の増加、さらには一人で見てすごすテレビ視聴時間の増加に向き、つぎにベビーブーマー以降に顕著になった、それ以前の世代との意識のずれを問題にする。一日は24時間しかないから、なにかが増えればなにかが減る。これはわかりやいが、世代間の意識のちがいになるとわかりにくくなる。たしかに宗教や国や家族に重きを置かなくなったのは、ベビーブーマー以降の特徴かも知れないが、今度はその原因はなにかと問わなければならなくなる。
・この本はその題名が奇抜であるだけでなく、話の展開も推理小説の犯人捜しの形式になっている。それは、なにが原因なんだ?という関心を読者に持続させることを意図したもので、実際、膨大なページも苦にならないほど、読み続けられる。けれども、読んでいくうちに、また、原因はひとつではないのだから、なにも犯人を特定しなくても、いいのではないかという疑問も生まれてくる。いくつもの原因がさまざまな結果をもたらし、その結果がまた原因になって別の結果を引き起こす。それらが複合した結果としての一人でのボウリング。
・もう一つ、読みながら考えたのは日本のことである。日本における互酬のシステムは「身内」に限られていて、「世間」にひろがることはない。その「身内」も地縁や血縁の関係は形骸化し、結婚率の減少や離婚率の増加が顕著になっている。企業から「身内」の関係が排除される傾向も強まっている。もともと閉鎖的だった互酬のシステムも弱まって、みんながひとりぼっちになるが、「世間」という、あるのかないのかよくわからない規範が監視システムのように自覚されている。そんな状態を想像すると、アメリカにおける互酬システムの復活を模索するパットナムの努力は、日本ではまるで関係のない話のように感じられてしまう。
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unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。