2010年1月25日月曜日

『ウッドストックがやってくる』

 

エリオット・タイバー他『ウッドストックがやってくる』河出書房新社

woodstock1.jpg・「ウッドストック」と言えば、伝説のロック・コンサートで、その記録は映画や本になって語りつがれている。だから今さらと思うような題名の本なのだが、読みはじめたらやめられなくなるほどおもしろかった。著者はこのコンサートの会場を斡旋し、地元との軋轢に対処して奮闘したエリオット・タイバーで、当地(エル・モナコ)で、ひどい設備で客から金をぼったくるモーテルを両親と共に営んでいた。

・「ウッドストック・ロック・フェスティバル」はウッドストックで開かれたのではない。このロック・コンサートを企画したマイク・ラングは、その場所を当時、ボブ・ディランやその他のミュージシャンが住んでいたウッドストックに決めた。しかし、反対にあって会場が見つからず、二転三転したところで、エリオット・タイバーがマイクに話を持ちかけたのである。もうすでに開催予定日は一ヶ月後に迫っていたから、準備はすぐに始まった。

・もっとも、この本でそのことが語られるのは120頁を過ぎたところからだ。そこまでは、ロシアから苦労して移住してきた気丈で強欲だが商売の下手な母の話、タールで屋根を葺く仕事を黙々とこなす父の話、ユダヤ人であることで受けた差別、そして、そんな家族の中で成長していく自分の話などで占められている。観光客のこない観光地であるエル・モナコでの家族の生活ぶりも破天荒だが、何と言っても驚くのは、著者が大学生になってニューヨークで暮らしはじめた後の生活だ。美術を学んだ彼が出会うのはポップ・アート、ロック音楽、ドラッグ、そしてゲイ。それはまさに、60年代後半のニューヨークの対抗文化そのものである。

・ロック・コンサートの会場が決まると、すぐに若者たちがやってきて、牧場にテントを張って生活をし始める。汚いモーテルもすぐに満員になるし、スタッフの事務所や宿泊施設として使われるようになる。空き地を駐車場にして、モーテルには考えられないほどのお金が毎日入ってくるようになった。父と母は嬉々として働くが、街の住人の多くは、長髪でドラッグをやり、どこでもセックスをはじめる若者たちを忌避し、その大群に恐怖を募らせるようになる。

・そんな若者たちの生態や保守的な住人とのやりとりは、まさしく60年代のにぎやかで混乱した状況そのもので、僕は読みながら、ジョンアーヴィングの『ホテル・ニューハンプシャー』やW.P. キンセラの『フィールド・オブ・ドリームス』を読んだ時の興奮を思い出した。ウッドストックの祭典は3日間だが、その前夜祭が一ヶ月前から始まっていて、何百が何千、そして何万人にもなっていく。最終的には40万とも50万人とも言われるが、実際には、ニューヨークからの道路が車で埋まって、辿りつけなかった人が大勢いて、その数を合わせると百万人にもなったようだ。

・この巨大イヴェンとをきっかけに、ロック・コンサートが何十万人も集めることは珍しくなくなった。ロックもきわめて当たり前の日常的に聴かれる音楽になったし、人びとが思い思いのファッションや髪型にすることも普通になった。それは日本でも同じだ。ただしそれだけに、なぜそれを好むのか、なぜそうするのかといったことに、自分なりの主張を自覚することもなくなった。ドラッグやセックスはその好例だろう。そういう時の流れと共に消え失せた意識を改めて思ったが、反対に、しっかりと根づいた意識もある。ゲイやレズといった同性愛者の社会的な位置の確立だ。欧米では、これこそが60年代の対抗文化が残した、大きな足跡だと言っていい。もっとも、ゲイは、日本では目立った社会運動になりそこなったままである。

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