『波止場日記』
『エリック・ホッファー自伝』
『魂の錬金術』
『人間とは何か』
・働くことと暇な時間を過ごすこと。その関係についてずっと考え、何冊もの本を読んでいて、エリック・ホッファーがたびたび登場することに気がついた。で、名前は知っていたけれど、今まで読んでなかったホッファーの本を読むことにした。
・エリック・ホッファーはまったく学校に行っていない。7歳で失明し、15歳で奇跡的に回復した。18歳の時に父親が他界した後、放浪と日雇いの仕事を続け、40歳を過ぎたころから65歳までサンフランシスコで沖仲仕の仕事をした。その間、暇な時間は読書と思索という暮らしをずっと続けた人である。
・『波止場日記』は1958年6月から59年5月までの日記をまとめたものである。次々やってくる外国の船の荷揚げ作業のこと、一緒に仕事をしている仲間のこと、つきあっていて子どももいるが結婚しないリリーのこと、そして時事的な問題に対してや読んでいる本について、さらには考えていることと著作作業について等々、といったことが綴られている。
・ホッファーの最初の著作『大衆運動』(紀伊國屋書店)は1951年に出版されている。1902年生まれだから49歳の時である。沖仲仕をしながら思索をしながら文章を書く。そんな存在に興味を持った雑誌の編集者との出会いがきっかけだった。学校に行かず、放浪と日雇いの仕事を生活のスタイルにしたホッファーにとって、「大衆」とは、彼自身が出会ってきたさまざまな人びとのことである。そして、移民によってできたアメリカという国はまさに「大衆」が作った国だった。『エリック・ホッファー自伝』には放浪と日雇い仕事の生活の中での人びととの出会いが語られている。
・「ホッファー自伝』と『波止場日記』を貫いているのは、何より汗して「働くこと」の重要さだ。それがあって初めて、暇な時間を有意義に過ごすことができる。彼にとってはもちろん、読書と思索だった。だから、肉体労働とは無縁で、ただ頭だけで何事も理解する知識人に対しては、彼は一貫して辛辣な批判を投げかける。
・それは人との関係についても言えることである。放浪と日雇い生活の中での出会いは、気取りのない素顔の人間同士のぶつかり合いになりがちだ。それが時には生き死にに関わることも少なくない。そんな出会いと別れの中で彼が示す「思いやり」は、知識人には持ち得ないものだと言う。
・移民の国アメリカが世界の大国になったのは20世紀のことで、1902年生まれのホッファーは、まさにアメリカの成長と変貌と共に生きてきたと言える。第二次大戦後のアメリカは、まさに豊かな国を実現させた。その豊かな生活の中で成長した若者達が起こした60年代の反乱に対してもまた、ホッファーは手厳しい。働くことを軽視するその態度に対しては次のようなことばをぶつけている。
若者の革命は体勢に向けられているのではなく、努力、成長、そしてとりわけ見習いという慣習に向けられている。彼らは学びもせずに教えたがり、働きもしないのに引退したがり、成熟もしないのに腐敗したがる。彼らは努力しないことが自由であり、刹那的充足が努力だと考えている。(『人間とは何か』113p.)
・ところがホッファーはこの時代の若者に支持されるという一面も持った。それは彼の思想の中に、働くこと以上に遊ぶことの楽しさや重要さに注目する視点があり、自分や他者に対する愛の大切さを説く発言が多かったからだ。そして何より、当時の若者にとって、放浪と日雇いという生活スタイルを貫いた人生が魅力的だったことはいうまでもない。
・ホッファーは「実用的な道具はすべて非実用的な関心の追求や暇つぶしにその起源がある」と言っている。60年代の甘やかされた若者達が、仕事を拒否して遊びに惚けたなかで生みだしてきたものには、音楽、ファッション、そしてパソコン等々いろいろある。それらが70年代以降から現代にいたる文化産業の興隆はもとより経済や政治のシステムまでも変えてしまったことは言うまでもない。今の仕事の多くを支配しているのは、その遊びの中で生まれたものである。働くことと遊ぶことの関係の難しさとおもしろさ。ホッファーの本を読んで感じるのは、何よりその関係である。
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unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。