若杉冽『東京ブラックアウト』講談社
矢部宏治『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』集英社インターナショナル
・沖縄県民が辺野古基地建設に"No"を突きつけているのになぜ、政府は聞く耳持たない姿勢でいられるのか。国民の大多数が原発に反対しているのに、政府はなぜ再稼働を強行しようとするのか。ここ数年ずっと感じていて、昨年暮れの選挙でさらに強く思った疑問だが、正月休みに読んだ2冊の本には、その疑問に答えるヒントが書かれていた。
・若杉冽の『東京ブラックアウト』は『原発ホワイトアウト』の続編である。僕はこの本をちょうど去年の正月休みに読んだ。暮れに続編が出たから今年も正月休みに読もうと買い求めた。内容は前作とは違ってずいぶん退屈だと思った。続編とは言っても、前作で起きたはずの福島に続く2度目の原発事故がテーマで、時間だけが1年後になっている。で、前半の話は、政府の中枢にいる政治家と官僚との間で練られ、仕組まれていく原発再稼働のシナリオ作りである。慣例や既得権が何より大事だと考える連中の本当に汚いやりとりが前作以上にうんざりするほど綴られている。
・話は再稼働が実施された2015年の大晦日に新潟の原発がメルトダウンを起こすところから急展開する。東京はもちろん関東一円が放射能に侵され、皇室は京都の御所に移り、政府も京都に移動する。そんな事態の中で数千万人の人たちがどうなったかは、ほとんど描かれない。この小説の視線はあくまで政治家と官僚の対応にあって、それは2度目の事故の後でも少しも変わらない。それに対して大きな役割を演じるのが平成天皇だが、にもかかわらず政治家と官僚は、原発の存続を画策する。
・陛下は誕生日に続いて正月にも、戦後70年にあたるのを機会に「満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なことだと思っています」と発言し、震災や原発事故の被災者に対しても「かつて住んだ土地に戻れずにいる人々や仮設住宅で厳しい冬を過ごす人々もいまだ多いことも案じられます」と思いやられた。これを精一杯の政府批判と受け止めた人は多かっただろうと思う。憲法を護持すべきという発言もたびたびおこなわれている。
・矢部宏治の『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』は基地がなくならない理由を、敗戦直後に昭和天皇とマッカーサーとの間になされた交渉に見つけ出している。そこでおこなわれたのは、日本軍の解体とそれに代わるアメリカ軍の駐留、沖縄の放棄、そして日本国憲法の制定である。天皇制の存続は、日本の社会の混乱を避けることと、天皇の人間性に対するマッカーサーの信頼が大きかった。そこから戦後の日本は、国防はアメリカに任せて経済復興に邁進する道を歩むことになった。
・そして米軍の駐留は日本が国として落ち着いてもずっと70年間継続され続けてきている。その理由は、在日米軍が持つ特権を定めた「日米地位協定」が憲法の上位に置かれたものであることを日本の裁判所が認めたこと(砂川裁判)、日米安保条約が日本の希望として存続し続けてきたことにある。そもそも理想的と思われる日本国憲法は自衛隊が作られたとはいえ、米軍が駐留しつづけてこそ意味を持つものとして制定されたのである。それは日本が軍事大国となり世界の脅威にならないための防波堤だが、同時に日本にとっても経済大国として存在感を示すために欠かせないものだったのである。
・戦後70年経っても日本は被占領状態にある。本書が「基地」をなくせない理由としてあげるのは上記した理由にある。それはアメリカの意向だが、それ以上に日本の希望でもある。そう考える人たちを著者は「安保村」と名づけている。そしてその住人の意識は、「原発村」の住人とほとんど同じものである。だから、大事故を起こしてもやっぱり原発をやめられない。
・この2冊を読んで感じたのは、日本にとって独立とは何で、それはどうしたら可能かということを考える難しさだった。安保条約を破棄して米軍を撤退させれば、自衛隊を軍隊にして軍事大国を目指す動きが出てくるのは明らかだ。ドイツがEUの一員になったように、中国や韓国、そして東南アジアとの間に、共同体とはいかないまでも友好な関係を築くことが不可欠だが、それはまた簡単なことではない。そんな難問について議論を戦わす必要があるという世論はどうやったら盛り上げることができるのだろうか。ほとんど絶望的な思いに囚われたが、ほんの少しだけ未来への道と明かりを見つけた気がした。
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unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。