2016年10月31日月曜日

追悼 平尾誠二

 「平尾誠二VS.松尾雄治伝説の名勝負」

・平尾誠二の死というニュースは,あまりに唐突だった。まだ50代前半の若さで、闘病中などといったことも知らなかった。ラグビーのワールド・カップで日本が活躍したのに、その指導的役割としてなぜ彼が表に出てこないのか疑問に感じていたが、体調のせいだったのかと改めて納得した。

・NHKのBSで「平尾誠二VS.松尾雄治伝説の名勝負」という番組が急遽再放送された。2011年1月2日に放送されたもので、内容は1985年1月15日に今はない国立競技場で行われた、ラグビー日本選手権の同志社大学対新日鉄釜石の試合を二人の話を交えて再現したものだった。6時から始まり9時前に終わる長い番組だったが、個人的な思い出もあわせて,いろいろ考えながら見た。

・平尾が大八木と共に同志社大学にいた当時は、大学ラグビーは同志社の天下で大学選手権を3連覇した。日本選手権では新日鉄に3連敗したのだが、その最後の試合では,前半同志社が先制して,もしかしたら勝てるかもといった期待を抱かせた。新日鉄釜石はその年まで社会人の選手権に7連覇し、日本選手権でも6連覇してきた最強のチームだったのである。

・その試合は結局、後半風上に立った新日鉄が逆転して7連覇を達成し,主将の松尾が引退をしたが、ラグビーを牽引するスターが松尾から平尾に受け継がれた試合にもなった。平尾が就職した神戸製鋼は1988年から94年までの7年間、日本選手権で優勝したが、ラグビーの人気はJリーグに押され,彼が引退した後は凋落の一途を辿ることになった。

・僕が夢中になってラグビーの試合を見たのは、松尾から平尾に続く70年代中頃から90年代初めにかけての頃だった。大学選手権や社会人選手権が暮れから正月にかけて行われて,それは年越しや新年の一番のスポーツ・イベントだった。正月の新年会に集まると、話題はラグビーのことに集中して、勝った負けたと大騒ぎになる。80年代の前半は特にそうだったなと、番組を見ながら懐かしく回想した。

・しばらくラグビーを見ない間に,ラグビーは試合の仕方もユニフォームも様変わりした。それが昨年のワールド・カップを見ての第一の印象だった。ジャパンに外国籍の選手が多かったこと、体格が一段とがっちりしたこと、ぶつかり合いが激しくなったこと、そして何より白い襟のジャージーとは似ても似つかぬユニフォームになってしまったことなどである。昔ながらのジャージーは、今では山歩きしたときに見かける服になっている。

・社会人チームに外人選手が多数入ったせいか、大学は社会人に歯が立たず、日本選手権も社会人と大学のチャンピオン同士というのではなく、それぞれの上位チームが出場するトーナメント戦になって、決勝はもう20年近く社会人チーム同士で戦われている。2014年からは国立ではなく,秩父宮球技場で行われ、テレビの花形番組ではなくなってしまった。

・僕は今でも,球技としてはサッカーよりはラグビーの方がおもしろいと思っている。その意味では日本で開催されるワールド・カップには興味がある。しかしまた、新国立競技場や周辺の再開発を巡るうさんくさい政治的な動きにはうんざりもしている。またなぜ、松尾や平尾といった人たちを前面に出して、ラグビーを再建しようとしなかったのか。平尾誠二が亡くなってから、彼を惜しんでももう仕方がないことなのである。

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unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。