2019年5月27日月曜日

加藤典洋の死

 

・加藤典洋の死は不意の訃報だった。ツイッターをチェックしていて信じられない気がしたが、同様のツイートがいくつもあって、本当のことなのだと理解した。同世代で信頼している人をまた一人失った。肺炎が死因のようだが、体調は以前から悪かったようだ。ただし、今年になっても新刊本が出ているから、病をおして書き続けていたのかもしれない。

・加藤典洋はぼくと同学年だ。1985年に『アメリカの影』(河出書房新社)でデビューして以来、ぼくは彼の著書の熱心な読者だった。彼の関心がぼくと重なることや、執筆活動を志すきっかけが鶴見俊輔だったこと、それに村上春樹の『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』(新潮社)を評論して1988年に出た『君と世界の戦いでは、世界に支援せよ』が、ぼくの『私のシンプルライフ』とほぼ同時期に筑摩書房から出版されたことなど、親近感を持つ理由はたくさんあった。

・ぼくはこのレビューで彼の本を四度取りあげている。『言語表現法講義』(岩波書店)は大学の教職について学生に文章を書かせる苦勞を書いたものだが、書かれていることの多くに強い同感をもった。彼は鶴見俊輔の『文章心得帖』(潮出版)を引用して、文章のおもしろさが「1.自分にしか書けないことを、2.だれでも読んでわかるように書く」ことで生まれてくると書いている。これはぼくが学生に対してまず最初からくり返し話していたことでもあった。そんな授業をして、彼は学生たちと『イエローページ村上春樹』(荒地出版)を出した。そしてぼくもまた、学生の書いた卒論を1990年に教職について以来、退職するまで『卒論集』としてまとめつづけてきた。ぼくも彼も、誰であれ、懸命に書いたものにはそれを読む読者が必要だと考えたからだ。

・『村上春樹は、むずかしい』は、村上自身の『職業としての小説家』(スイッチ・パブリッシング)、内田樹の『村上春樹にご用心』(アルテス・パブリッシング)と一緒に紹介した。村上は狭い文壇社会から距離を置き、独特のスタンスを築いて、日本では異端の扱いをうけながら世界的な作家になった。加藤がこの本で試みているのは、改めて村上を、日本の近現代文学の枠内に位置づけることだった。そこにはまた、閉塞的な日本の文壇という殻を打ち壊す狙いもあった。そしてその村上もまた、僕等とは同学年である。特にぼくとは生年月日が3日しか違わない。そんな意味でも、ぼくは村上の小説にはずっと関心をもち、加藤の村上論にも注目しつづけてきた。ぼくが読んだ感想と、加藤のそれとはどこが一緒で、どこが違うのか。それはぼくにとっては、村上の小説を読むことと同じぐらい、興味のあることだった。

・2011年3月11日の東日本大震災と福島原発事故について書かれた『3.11 死に神に突き飛ばされる』(岩波書店)も伊藤守の『テレビは原発事故をどう伝えたのか 』(平凡社新書)と一緒に紹介した。両者に共通しているのは、震災や原発事故の報道に見られた「原発事故と住民の避難にかかわるさまざまな情報に関して、情報の隠蔽、情報開示の遅れ、情報操作等のさまざまな問題」への注目であり、被災した住民ではなく、政府や企業サイドについているメディアの立ち位置や姿勢に対する批判だった。加藤はそこから、政府もメディアも専門家も信用できなければ、事故処理の過程や今後の原発と電力の関係について、政治や経済、社会、そして専門的な科学知識も含めて、自ら考えて、自分なりの見通しや哲学を作り出す必要がある、と説いた。

・加藤にとって最近の一番のテーマは「戦後」だった。そこにこだわって何冊もの本を書いているが、このレビューでも『戦後入門』(ちくま新書)をジョン・W.ダワーの『容赦なき戦争』(平凡社ライブラリー)と一緒に紹介した。ダワーの『容赦なき戦争』は第二次世界大戦を「人種差別」の視点から考察し、ドイツと日本への対応の仕方の違いから「人種戦争」と結論づけたのだが、加藤の『戦後入門』では、戦時中にされた都市への激しい空爆や原爆投下を、日本がなぜ人種差別的な行為として抗議をしなかったのか、その理由を詳細に検討している。

・連合国が日本に降伏を迫った「ポツダム宣言」(1945)だけであれば、日本は1952年には独立して、占領状態は終わっていた。しかしアメリカと単独で1951年に結ばれた「サンフランシスコ講和条約」によって、米軍基地や「日米地位協定」が現在まで存在して、まるでアメリカの植民地のような状態になっている。この曖昧さは「日本国憲法」と自衛隊の存在、加害者としての戦争責任や被占領国への謝罪の少なさ、非人道的な空爆や原爆投下に対するアメリカへの抗議のなさ、さらには戦争で命を落とした人への態度の有り様など、あらゆる面に及んでいて、ほどけない糸のように絡まり合っている。

・僕は最近、この『戦後入門』を再読しているところだった。加藤が安倍政権を「対米従属の徹底と戦前復帰型の国家主義の矛盾」と捉えて、批判してからもう4年が過ぎた。安倍政権はますますひどいことになっているのに支持率が下がらない。その理由がどこにあって、どうしたら現状を打破することができるのか。読み直そうと思ったのは、そんな気持ちからだった。そんな現状に対する危惧は加藤の方がはるかに強かったのだろう。彼は『戦後入門』の後も、『敗者の想像力』(集英社新書)、『もうすぐやってくる尊皇攘夷思想のために』(幻戯書房)、『9条入門』(創元社)と書いている。

・「日本国憲法」、特に9条についてもう一度、しっかりと考えてみなさい。そのことばを加藤典洋の遺言としてかみしめたいと思う。

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