2021年1月4日月曜日

静かな正月と新しい本




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                              家から30分弱の急登でこの景色。いつ来ても誰もいない。絶景独り占め。

forest172-2.jpg 寒波襲来とコロナ禍で、正月はどこにも行かずに過ごしている。もちろん訪れる人も誰もいない。例年なら東京に出かけてホテルに泊まり、孫や親に会ったり、初詣をしたのだが、今年は東京に行くことなど、もってのほかになってしまった。代わりに息子ファミリーが来ることになっていたのだが、感染者の急増で、それもやめになった。小さい孫がストーブに触れないようにと柵を買ったのだが、無用になってしまった。柵をつけると薪をくべたり、鍋を乗せたりするのが面倒だから、また来る日まで押し入れにしまっておくことにした。

とは言え、寒波襲来前は比較的暖かかったから、自転車に乗り、裏山にも登った。ハアハアと息をし、寒さに鼻水をすすりながら、結構がんばった。さて一月はどうなるか。来年に使う薪がないので、付近の枯れ木や倒木を拾っているが、とても足りない。原木の調達出来ましたという連絡を、首を長くして待っているところだ。雪が降って積もったら春になってしまうし、その時にもまだ手に入らなかったら、いよいよ困ってしまう。

communication1.jpg 10年ぶりに改訂した『コミュニケーション・スタディーズ』(世界思想社)ができ上がった。毎年、大学の教科書として使ってもらい、なおこれからも使われるだろうというので、著者の人たちにがんばってもらった。前半の理論的な部分の変更はわずかだったが、応用編の文化やメディアに関するところは、この10年の間に変えなければならないところが多かった。今ではもう当たり前だが、スマホやSNSは10年前にはやっと産声をあげたところだったのである。それらがもたらした変容には、調べていて、今さらながらに驚かされてしまった。

あるいはLGBTなどということばと性別や婚姻形態に関する問題もここ数年に盛り上がったものだし、貧富の格差やグローバリズムの進展と、それがもたらした問題なども検討して追加しなければならなかった。それに加えて、改訂作業を始めた頃から世界中を混乱させたコロナ禍である。人間関係の基本である対人接触を避けることが必要になったから、これはまさに「コミュニケーション」の問題だった。これが一過性のもので終息するのか、それとも、大きな変更を伴うものなのか。それはまだ不確かな問題だから、どこまで触れたらいいのか大いに悩んでしまった。

日本人にとって「コミュニケーション」能力とは、人とうまくつきあう術を意味している。特に最近では、この傾向がさらに強くなっている。しかし「コミュニケーション」にはディベートのように競う要素もあって、そのためには「アイデンティティ」、つまり自分自身をしっかり自覚することが必要だし、「コミュニケーション」を成立させる基盤になる「コミュニティ」も必要である。だから「アイデンティティ」と「コミュニティ」の意識が欠如した「コミュニケーション」が、今、一番問題にすべきところなのである。そのことは前書から強調してきたことだが、「忖度」「や自粛」など、この傾向がますます強くなってしまっているのが現状だ。

欧米では、人種差別や格差、そして気候変動をもたらす環境問題に自覚的なZ世代の登場が話題になっている。1960年代以来の、政治に自覚的な世代の登場だと言われている。ところが日本では、その同世代が極めて内向きで、政治には無関心で、協調性や同調性に敏感だと指摘されている。それはまさに「アイデンティティ」と「コミュニティ」の自覚が薄いところで「コミュニケーション」をしていることの結果なのだと思う。この本を教科書として読むことで、少しでも、そのことに自覚してもらえたらと願っている。

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unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。