・衆議院選挙の後、立憲民主党や共産党の議席減の原因として、いつも反対ばかり、批判ばかりしているからという声が聞こえてきます。大阪維新がえげつなくののしるので、それが本当のように思われるかもしれませんが、政府が出す法案について、立憲も共産も多少の修正要求はあっても8割ほどには賛成しているのです。事実でないことでも大きな声を上げれば、それが本当であるかのようになっています。メディアがそれを大きく取り上げれば、否定し難いものにもなってしまいます。そんなことが多すぎるのです。
・とは言え、問題なのは反対や批判をしてはなぜいけないのか、それは悪いことなのかといった方にあると思います。そもそも第二次安倍政権以降の特徴は、嘘と誤魔化し、隠蔽と無視に終始してきたといっていいでしょう。それを野党がいくら批判しても、メディアが忖度して取り上げなければ大きな声にはなりませんし、なってもすぐに鎮静化してしまいます。世論はすぐに忘れるから、放っておけばいい。ここ10年ほど、政府はそんな傲慢な態度を取り続けているのです。
・今回の衆議院選挙で10代から40代にかけての層は、自公や維新に多く投票したようです。理由はいろいろあるでしょうが、それも当然と思える理由がひとつあります。大学で40年ほど教員をしていて感じてきた学生の変化として、ゼミで議論をしにくくなったという傾向がありました。特に最後の10年ほどはそれが顕著で、テーマを与えて学生に発言させても、それに対する反対や批判が出てこなくなってしまっていたのです。最後の頃には「批判してもいいんですか?」などと質問する学生が出るようになりましたから、もう呆れるやらうんざりするやらで、すっかりやる気を無くしてしまいました。定年前にやめた理由のひとつでした。
・議論はスポーツとともに、近代社会の中で生まれた闘いの場です。ルールにのっとってやれば、互いの地位や立場や属性などは関係ないですから、勝負がつくまで全力で戦えばいいし、終われば「ノーサイド」で互いを讚えればいい。そんな話をしても全く通じなくなりましたし、そもそも、世の中のことについてほとんど関心を示さない学生が大勢を占めるようにもなっていました。彼や彼女たちにとって何よりの関心は、友達関係を表面上うまくやり過ごすことにありましたし、思い通りの就職をするためには、それに役立つこと以外はやる気にならないという態度でした。
・今の政権に批判的なのは高齢者層だけで、中年から若者層にかけては、現状維持派が大勢のようです。世の中がどうなろうと自分のことが一番。それは理解できる考えですが、日本の現状はすでに、維持することが難しいところに陥っているのです。もちろん危機的状況にあるのは環境問題などでも明らかなように地球規模のことでもあるのですが、この点についても日本の政府の態度に対する若い人たちの批判や反対の声はほとんど聞こえてこないのです。
・と書いていたら、福井の高校生が行った演劇について、原発などを話題にしたという理由で、テレビでの放送が中止されたというニュースが目につきました。「明日のハナコ」という題名の創作劇ですが、こんなふうにして表現の芽を摘むことが当たり前に行われているのですから、言いたいことがあっても言えないと思うのは、無理もないことだとも感じました。
・ちなみに、日本の学校教育が世界の中でかけ離れて、批判的思考を促す教育をしていないかについて、次のようなデータがありました。批判精神を育てる重要性を無視した教育をしているのが日本だけであることがよくわかる数字です。
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unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。