2022年4月18日月曜日

見田宗介の仕事

 

見田宗介さんが亡くなった。一度もお会いすることはなかったが、若い頃から大きな影響を受けた人だった。だから当然、訃報に接して、彼の著書を読んだ時に驚いたり納得した様子がよみがえってきた。

僕が最初に読んだのは『価値意識の理論』(弘文堂、1966)だった。修士論文を書いていて、「価値」について整理された本はないかと思って見つけたものだった。何をどう引用したのかは覚えていないが、「まえがき」に、これが彼の修士論文だったと書いてあって、驚いたことを良く覚えている。社会学を勉強しはじめたばかりの僕にとって、社会科学や人文科学の理論や学説を網羅させて、うまく整理された精緻な文章を同年令の人が書いたというのは、とても信じられることではなかった。ちなみにこの本は400頁もある大著だった。

見田宗介には真木悠介という名で書いたものもある。そのことに気づいたのは『展望』(筑摩書房)という当時定期購読していた雑誌に載った「気流のなる音」という題名の連載だった。カルロス・カスタネダの『呪術/ドン・ファンの教え』(二見書房、1972)を取り上げてコミューン論を展開したものだが、たまたま僕も夢中になって読んでいた本だった。

内容はメキシコのヤキ族の呪術師ドン・ファンが弟子入りしたカルロス・カスタネダにさまざまな薬草を使いながら、ヤキ族の生き方や世界観を伝授するといったもので、四部作で構成されていた。僕は、特殊なキノコやサボテンがもたらす世界や、それによって起こる意識変革にばかり興味を持ったが、「気流のなる音」は山岸会や紫陽花村といった日本のコミューンの分析に当てはめていて、ここでも、その視点の見事さに圧倒されるばかりだった。

僕が大学院に行って勉強したいと思ったのは、フォークソングやロック音楽に興味を持っていて、将来的にはそれを研究テーマにしたいと思ったからだった。それをどうやって社会学の研究対象として分析するか。どうしたらいいかわからないまま放っておいて、本格的に始めたのは「カルチュラル・スタディーズ」に出会った1990年代の中頃のことだった。しかし、その前に『近代日本の心情の歴史――流行歌の社会心理史』( 講談社、1967)は読んでいて、その時にも同じような分析が日本の流行歌ではなく、ロックやフォークでもできるはずだと思わせてくれた。

他にも印象に残る彼の著作は少なくない。連続射殺犯として死刑に処された永山則男が獄中に書いた『無恥の涙』を元にした「まなざしの地獄」(展望、1973 後に『無恥の涙――尽きなく生きることの社会学』河出書房新社、2008)や『宮沢賢治-存在の祭りの中へ』( 岩波書店、1984)、あるいは『白いお城と花咲く野原 -現代日本の思想の全景』 (朝日新聞社、1987)や『自我の起原 ――愛とエゴイズムの動物社会学』 (岩波書店、1993)等がある。社会や世界、そして人間の現在や未来に対する観察や思考は最近まで続けられていて、このコラムでも『社会学入門――人間と社会の未来』(岩波新書、2006)や『現代社会はどこに向かうか――高原の見晴らしを切り開くこと』 (岩波新書、2018)を取り上げた。

このコラムを書くために、何冊かを改めて確認した。この際だから見田宗介(真木悠介)さんが残した著作をもう一度読み直してみようか。そう思ったのは、鶴見俊輔さんが亡くなった時以来のことだった。

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unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。