2022年4月4日月曜日

円の凋落に思う

・円のドルレートが125円になった。それ自体は6年ぶりのことのようだが、1月に「実質実効為替レート」が1972年以来の低水準になったと発表されたのにはちょっと驚いた。つまり円安にあわせて、物価の低迷や賃金の停滞、さらには原油などの国際商品価格の高騰が重なった結果として、円の価値は実質的には半世紀前に戻ったというのである。ここにはさらに、ロシアのウクライナ侵攻による影響もつけ加えなければならない。これまでは国際的な緊張が起こった時には円高が当たり前だったのに、侵攻以降に円は急落したのである。日本の経済的凋落がいよいよ顕著になったわけだが、70年以上生きてきた者としては、円の価値の推移を見直しながら、自分の歴史を振りかえりたくなった。

 ・第二次大戦後に1ドル360円と固定された円が変動相場制に移行したのは1973年だった。戦後の50年代はアメリカが好景気に沸いた時代で、テレビで見るアメリカの生活は、日本人にとってまさに憧れになった。それが60年代になると、「三種の神器」と呼ばれたテレビと洗濯機、冷蔵庫が普及し、やがてカラーテレビとクーラー、そしてカーが「3C」とか「新三種の神器」と呼ばれて人びとの手に入るようになった。

 ・僕はその一つ一つを思い出すことができる。テレビが初めてわが家にきた時のこと、洗濯機や掃除機の形、あるいは家具調のカラーテレビや中古だった日産のサニーで初めて運転をしたこと等々である。それはもちろん家を離れて自立した後も続いていて、テレビを録画するソニーのBETAやビデオカメラ、最初のワープロ、パソコン、そしてバイクやスバルのクルマなど、あげたらきりがないほどである。当然だが、そのほとんどが日本製で、日本人の生活を大きく変えたと同時に、輸出品として、日本の経済成長に貢献した。

 ・対照的にアメリカは60年代になるとヴェトナム戦争や貿易収支の影響で経済が悪化し、70年代になるとドルの価値が下がりはじめた。いわゆる「ニクソン・ショック」で、変動相場制に移行すると円は300円から200円台に急上昇した。オイルショックなどで70年代から80年代にかけて200円台で推移した円は、85年の「プラザ合意」をきっかけにして円高に転じ100円台の前半になった。バブル景気に沸き立った時期はもちろん、それ以降も円高は続き、1995年には79円にまで上がった。それが輸出を鈍らせ、企業の海外生産を加速化させたのだが、円は100円前後で推移し続けた。

 ・民主党政権の時代に79円になった円が100円になり110円になったのは安倍政権の円安誘導政策によると言われている。「アベノミクス」で日本の経済力を回復させると豪語した政策だが、その間に日本人の賃金は停滞し、金利が0になって貯蓄しても利子がつかなくなった。輸出の目玉だった家電メーカーが次々傾きはじめたのもここ10年のことである。現在輸出を支えているのは自動車だが、EVの開発が遅れていて、数年後には家電メーカーと同じ道を歩むことになると危惧されている。

 ・日本はすでに輸入超過国になっている。だから半世紀前に戻ったと言っても、日の出の勢いだった70年代前半と現在では、その置かれた立場はずいぶん違う。それはまさに日没の状態で、もうすぐ夜になってしまうのではといった不安も感じてしまう。こんなふうに見ていると、戦後の日本の盛衰は、まさに自分の人生そのものと一緒だったと気づかされる。退職してコロナ禍もあって、毎日静かに暮らしているが、日本自体も無駄遣いなどせず、地道に生きる道を探るべきなのではと改めて思った。

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