・ザ・バンドはボブ・ディランのバックとしてデビューした。ディランが生ギターからエレキギターに持ち替えた時期で、彼の信奉者たちのなかには拒絶反応を示す人たちが多かった。政治や社会を風刺したり批判したりするフォークソングはインテリの好む音楽で、ロックンロールは商業的なガキの音楽だと思われていた時代だった。
・ただし、この『ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった』を見ると、彼らはロニー・ホーキンスのバックとしてカナダで1950年代の終わりに結成され、その後ディランのバックになったとあった。有名なのは1965年のニュー・ポート・フォーク・フェスティバルや、翌年に行ったロンドンのロイヤル・アルバート・ホールを始めとしたヨーロッパ公演で、客との緊張関係が伝わってくるステージは、今では伝説化している。
・ディランが交通事故に遭ってウッドストックに隠遁すると、ザ・バンドのメンバーも移り住んで、レコード制作をした。ディランの「Basement
Tape」とザ・バンドの「Music from Big
Pink」で、ザ・バンドはこれを機に独立したバンドとして活躍した。ピーター・フォンダの『イージー・ライダー』に使われた「ザ・ウェイト」やディランの「アイ・シャル・ビー・リリースト」が大ヒットして70年代前半を代表するバンドになったが、1976年に最後のコンサートをしてバンドは解散した。そのライブは『ラスト・ワルツ』として映画にもCDにもなった。監督したのはマーティン・スコセッシだった。
・その後メンバーはそれぞれ独立して音楽活動を続けたり、再結成されたりしたが、目ぼしいヒットは生まれていない。だから今では忘れられたバンドになったと言えるかもしれない。メンバーのうち、ベース担当のリック・ダンコ、ドラムスとボーカルのリヴォン・ヘルム、そしてキー・ボードのリチャード・マニエルは死んで、存命なのはガース・ハドソンとロビー・ロバートソンの二人だけである。
・『ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった』はロビー・ロバートソンが制作し、彼自らがザ・バンドの歴史を振りかえって語るという構成になっている。その話を聞くと、知らなかったことがずいぶんあった。ロバートソン自身にはネイティブ・インディアンの血が流れていて、養子として育てられたことが明かされているし、少年時代からの仲間であったメンバーの結束の強さや、有名になった後の仲たがい、そしてドラッグやアルコールにおぼれたり、自殺をしたメンバーのことが語られている。ザ・バンドと一時期音楽活動を共にしたディランはもちろん、影響を受けたエリック・クラプトンやブルース・スプリングスティーンも登場して、70年代前半に輝いたザ・バンドのことが語られている。
・このビデオを僕はAmazonで見つけて見た。最近はめったに聴くこともなかったが、改めて何度も聴き直した。フォークソングとロックンロールの融合、ビートルズやローリングストーンズなどに代表されたブリティッシュ・ロックとの出会いなど、ポピュラー音楽がエネルギーに溢れた時代に、ザ・バンドという名のバンドがいたことを、改めて思い出した。
2022年7月11日月曜日
The Bandという名のバンド
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unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。