2024年8月19日月曜日

パリと長崎

 

パリオリンピックが終わりました。やっとという感じですが、東京よりは少しだけテレビやネットで見ました。日本人選手の活躍やパリの町並みが見えることもあって、マラソンの中継には男女ともつきあいました。面白かったですが、男子の中継が民放で、CMにしょっちゅう中断されたこと。女子はNHKでしたが解説の増田明美がのべつまくなししゃべり続けて、音を消して見たことなど、不快に思うこともありました。それ以外の競技の大半は夜中でしたから、テレビで放送したのは大半が録画で、日本人選手が活躍したものばかりでした。ちら見が多かったですが、日本人選手が活躍したとは言え、改めてスケボーやブレークダンス、あるいはクライミングなどにはオリンピックの種目としてはどうかといった違和感を持ちました。

選手としてはほとんど見かけませんでしたが、開会式に船上から手を振るイスラエルとパレスチナの選手と国旗が気になりました。大会開催中もイスラエルのガザ爆撃は続いていて、数百人がなくなりました。イラン大統領の就任式典に出席を予定したパレスチナの最高幹部がテヘランで暗殺されて、イランがイスラエルに報復するというニュースも流れました。なぜIOCはイスラエルの参加を拒否しなかったのでしょうか。そもそもオリンピックは古代ギリシャで行われていたものを復活させてできた大会です。都市国家同士が戦争をしていても、その期間だけは休戦にして、競技で競い合う。それが都市国家間の軋轢を減らす役目も果たしたのです。

だとしたらIOCは参加を認める代わりに、開催中の停戦を条件にするぐらいの提案はできたはずです。それを受け入れないなら参加を認めない。それは参加を認めていないロシアと参加しているウクライナの双方にも出すべき条件だったでしょう。パラリンピックも合わせれば1ヶ月ほどの停戦期間ができたはずで、その間に戦いを終わらせる話し合いもできたかもしれないのです。露骨な商業主義に堕したオリンピックになお、開催する意味があるとすれば、今行われている戦争を中断し、それを機会に終わらせる役目以外には考えられないはずなのです。

八月になると毎年行われている広島と長崎の平和祈念式典ではイスラエルとパレスチナの出席をめぐって大きな違いが出ました。広島はイスラエルだけ、長崎はパレスチナだけの参加を認めたのです。この違いに対して、アメリカやイギリスなど日本を除く G7の駐日大使が長崎への参列を拒否したのです。理由はウクライナを侵略しているロシアとイスラエルを同列に扱うべきではないというものでした。しかし、これはおかしな話です。原爆を投下したアメリカのどこに、こんな横柄な態度を取る権利があるのでしょうか。それに、ハマスのイスラエル攻撃に対する報復だと言って、その何百倍もの死者を出してなお、一方的な攻撃を繰り返しているイスラエルを擁護する根拠がどこにあるのでしょうか。

長年にわたってユダヤ人を差別し、虐待してきたヨーロッパの国々にとっては、イスラエル擁護はその罪滅ぼしなのかも知れません。しかしイスラエルという国をパレスチナの地に勝手に作ったことを発端として、その後の紛争とパレスチナ人が味わってきた苦難の責任は先進欧米諸国にこそあるのです。この問題に対しては部外者である日本が、イスラエルに対して批判的な態度を取るのは、極めてまっとうなものなのです。その意味では、批判されるのは広島市の方であるはずです。

あるいは、ロシアも含めてどの国の参列も認めて、そこで戦争や紛争を中止する話し合いの場にするといった姿勢を取ってもよかったかも知れません。イスラエルやロシアがそれを拒否したら、それは拒否した国の都合になったはずなのです。オリンピックと平和記念式典の二つから感じたのは、本来的な意味からはどちらも遠くなってしまったということでした。

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