1997年5月7日水曜日
連休中に見た映画
1997年4月30日水曜日
Tom Waits "Big Time""Bone Machine""Nighthawks at the Dinner"
今、ライブで一番聴いてみたいのはトム・ウェイツ。しかし、そう思いはじめたのは最近のことだ。昔から嫌いではなかったが、CDを買い揃えるほどではなかった。というよりは、『Down
by
Law』や『黄昏に燃えて』など映画の印象の方が強かった。それが、ポール・オースターの『Smoke』を見てサントラ盤のCDを買ってから夢中になった。
風貌はゴリラのようで、声はガラガラの低音。がさつで愚鈍な印象を受けるが、歌はナイーブで優しい。それに、街や人々の情景描写がなかなかいい。場末の酒場で飲んだくれている用心棒やヒモといったイメージが強いが、この人は間違いなく詩人なのだと思う。
世界中、どこへ行っても見知らぬ者同士はお天気の話だけをする。
どこへ行っても、同じ、同じ、同じ。
それがはじまりで
それが終わり
見知らぬ者たちが離れると
そこに霧が立ちこめた(Strange Weather)
この歌はマリアンヌ・フェイスフルのために作ったものだ。ぼくは彼女の歌うものの中では一番好きだが、トムが歌うのもいい。二人とも中毒になるほどのアルコール好きだが、マリアンヌの歌はけだるくて、トムのはうら寂しい。
親父とお袋が喧嘩している
大人にはなりたくない
あいつらはいつも出かけていって
夜通し飲んでくる
大人にはなりたくない
外に出たって悲しいことや憂鬱なことばかり
だからこの部屋にいる
大人になんてなりたくない( I don't wanna Grow up)
"Nighthawks at the Dinner"の中でトムの笑い声が聞こえる。「エヘヘヘ.........」。あまりに無邪気な感じで、ぼくは何度聴いても一緒に笑ってしまう。彼はステージでは饒舌で、このコンサート盤では客たちの笑い声や拍手、嬌声が絶えない。
トムとディックにハリー、みんな結婚しちまった
一人になれずに苦労するがいい
ここにいるのは独身に飲んだくれ
みんなカミさんなんかいないほうがいいって思っているヤツばかりだ
昼過ぎまで眠り、真夜中に月に向かって吠えたりする
出かけるのも帰るのも俺の勝手
魚釣りに行くからって、いちいち断ることもない
カギの心配だってする必要もない"Better Off without Wife"
トム・ウェイツが本当に独身なのかどうか知らない。けれども、結婚して子供のいる男なら、そして女でも、こんな気持ちはもちろん願望だけど、しょっちゅう感じるはずだ。つまり「エヘヘヘ.........」は「みんなそう思うだろ?」という問いかけなのだ。
ぼくが「エヘヘヘ.........」と応えると、一緒に聴いているカミさんも「エヘヘヘ.........」と言う。で、二人でうなずいた。勝手気ままにやりたい二人が、なぜ一緒にいるんだろう?トムの言うとおりで、考えてみれば不思議な話だ。
1997年4月25日金曜日
村上春樹『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』(岩波書店)『アンダーグラウンド』(講談社)
・ 村上春樹が創る世界の魅力は現実感のなさにあった。「鼠」にしても「羊」にしても、あるいは「ハードボイルド・ワンダーランド」にしても、それは主人公の内的世界に登場する人物や舞台だった。もちろん主人公にも現実感はない。彼にはいつでも家族と呼べるものはなく、仕事もないか、あってもほとんど描写されなかった。
・村上の描く世界に変化が見えはじめたのは『ノルウェーの森』からだ。ここではじめて主人公が恋愛をした。次の『国境の南 太陽の西』では主人公はジャズ喫茶のマスターとして登場する。そして結婚していて、不倫をした。『ねじまき鳥クロニクル』ではまた主人公は失業していたが、結婚はしていた。そして奥さんが失踪する。しかし、この本を読んで一番違和感を感じたのは、井戸を降りて、そこから壁を通り抜けて行った先が満州のノモンハンだったことだ。しかも、そこでは時間も第二次大戦時になっていた。村上春樹の世界が少しずつ「現実感」を出しはじめてきた。そこに良い悪いの判断をする気は起こらなかったが、どうしてかな?という疑問は残った。
『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』のなかで村上春樹は、そのことを「コミットメント」と「デタッチメント」の二つの違いとして話している。
・「考えてみると、68〜69年の学生紛争、あの頃から僕にとっては個人的に何にコミットするかということは大きな問題だったんです。.................ところがそれがたたきつぶされるべくしてたたきつぶされて、それから一瞬のうちにデタッチメントに行ってしまうのですね。...........」
・
村上春樹は1979年に『風の歌を聴け』で小説家としてデビューした。彼の描く物語はまさしく「デタッチメント」の世界だった。しかしそれは単に人びとや社会、あるいは現実との間に生じる「コミュニケーションの不在」を描き出しただけではない。それは同時に、それまで自分に付着し、あるいはつきまとっていた自分以外のものを取り払っていった後に残る個人的なものの確認の作業でもあった。けれども、他者や現実からデタッチすれば、それだけ自己の存在も希薄化する。自己は何より他人を通してこそ確認できる存在だからである。
・村上春樹はつい最近まで8年ほど外国(ヨーロッパとアメリカ)で暮らしてきた。彼はそこで、「もう個人として逃げ出す必要がない」ことに気づいた。つまり、日本の外に出ることによって、個人として何か<誰か>にコミットする道に気づいたというのである。日本の中では「コミットメント」は同時に個人が集団に帰属することを意味する。そして個にこだわろうとすれば「デタッチメント」する他はない。外国にいると、個人として何かにコミットできるのでは、あるいはしなければと思うのだが、日本に帰ると何にどのようにコミットしたらいいのかわからなくなる。このような主旨で話す村上の感覚は、ぼくにも良くわかる。しかし、このような状況も、日本でもぼちぼち変わりはじめている。村上春樹はそんな気持ちで「地下鉄サリン事件」の被害者の言葉を聞き集める作業を思いたった。
・『アンダーグラウンド』を読みながら気づいたのは、一つはスタッズ・ターケルの本に良く似ていることだった。ターケルの本はどれもが 100人を越える人たちが語ることで作り上げた世界である。「仕事」や「戦争」、「大恐慌」や「アメリカン・ドリーム」、そして「人種問題」。それらはどれも、多様な人たちのさまざまな経験や考え、思いが交錯する、分厚い短編小説集のような仕上がりになっている。しかし、700ページを越える『アンダー・グラウンド』はきわめて単調で退屈である。同じ日の同じ時間に同じ地下鉄に乗り合わせた60数人の経験は、それが都心の職場に通う人たちばかりのせいか、どれも似通っている。だから、100ページも読み進むと、後はまたかといった思いがだんだん強くなってくる。要するに村上春樹の小説のようなおもしろさを期待すれば、たちまち放り出したくなってしまうものでしかない。
・村上春樹はこの本の最後の章で、この仕事を考えた動機を「そのときに地下鉄の列車の中に居合わせた人々は、そこで何を見て、どのような行動をとり、何を感じ、考えたのか?」と書いている。実はこの点については、ぼくも読みながら興味を感じた。それは偶発的で異常な出来事に対して人々がとった行動と状況についての解釈、つまり「コミットメント」と「デタッチメント」の仕方といったことである。この本を資料にすれば、そのようなテーマで論文が一本書けるかもしれない。そんな感想を持った。しかし、それはまた『アンダーグラウンド』に登場する人々に「コミット」だけではなく「デタッチ」の姿勢も示さなければできない仕事のように思えた。
1997年3月30日日曜日
「容さんを偲ぶ会」(東京吉祥寺クークーにて)
・吉祥寺の街を歩くのは久しぶりだ。駅の北口から東急デパートのあたりは昔と違って人通りが多く、そこからさらに西に路地を入ると、TOWER
RECORDやブティック、レストラン、あるいは小物の店などが立ち並んで、まるで大阪のアメリカ村のようだった。ライブハウスの「ぐぁらん堂」はもうない。
・30年前、僕は予備校の授業をさぼって南口にあった「青い麦」でフォークソングのレコードを聴いて過ごし、井の頭公園でギターの練習をした。そこで高田渡と何度か会った。彼をはじめて知ったのは四谷の野中ビルで開かれた「窓から這いだせ」という名のコンサートだった。その後、東中野や阿佐ヶ谷、あるいは豊田など中央沿線で小さな会場を借りたコンサートが行われ、僕も何度か歌った。会を設定し、若い歌い手を集め、歌の批評やアドバイスをし、相談に乗ったのが中山容だった。
・その容さんが死んで、高田渡と中山ラビが偲ぶ会を開いた。集まった中には僕にとっては30年ぶりという人たちもいた。ディランに姿も声もそっくりで「Boro
Dylan」と呼ばれた真崎義博はC.カスタネダの翻訳者になった。メロンこと玉置倶子。音楽評論家の三橋一夫、田川律。みんなそれなりに歳をとっているが、変わった顔の中に昔の面影がすぐに浮かんできた。もちろんフォークシンガーとして一人立ちし、今でも歌い続けている人もいる。集まった人たちがそれぞれ容さんを思い出しながら話した後は、会場はフォーク・コンサートに一変した。
・高田渡が飄々と歌い、遠藤賢司がエネルギッシュにギターを掻き鳴らす。大塚まさじは情感をこめ、中川五郎は恥ずかしそうに、そして、10年ぶりにギターを持った中山ラビはちょっと居直ったよう。中川イサトのギターが控えめに鳴る。それに、サービス精神たっぷりの泉谷しげる。みんな相変わらず、というよりは、すっかり昔に戻って楽しそうだった。
・集まった人は30余名。義理でなどという人はもちろん一人もいない。で、湿っぽい雰囲気などとは無縁な楽しい時間があっという間にすぎた。どうしてかな、と考えると中川五郎が歌った「自由ってやつは、失うものが、何もないことさ」というフレーズが浮かんできた。確かに、容さんと出会った頃は、誰にも失うものなど何もなくて自由だった。容さんは、そんな何もないくせに生意気な連中と本当に楽しそうにつきあった。彼の知恵袋からはいろんな話が飛び出して、僕らはそれに聞き入ったが、彼は決して偉ぶることはしなかった。
・実は僕は容さんには長いこと感じていた不満があった。彼はなぜあんなにアイデア豊かな話しをしてくれるのに、それを文章にしないんだろうか?あんなにたくさん翻訳をしているのに、自分の本を作ろうとしないのだろうか?病院にお見舞いに行ったときも、闘病日記でもつけたらいいのにということばが、何度も口から出そうになった。でも、それはきっと、彼が一番自覚していたことだったはずだ。それに、書く人ではなく話す人だったから、みんながこんなに慕って集まり、楽しく昔を再現できたのかもしれない。そんなふうに考えると、たまらなく、もう一回、容さんと話がしたくなった。
Bruce Springsteen "the ghost of tom joad",U2 "Pop"
・東京であったスプリングスティーンのコンサートがすごくよかった、という話を、何人もの人から聴いた。生ギターだけのパフォーマンス。それで、"the ghost of tom joad"を買う気になった。トム・ジョードというのはスタインベックの『怒りの葡萄』に登場する主人公の名前である。ジョン・フォードの映画ではヘンリー・フォンダが演じていた。オクラホマで農場を営んでいたが、砂嵐の被害を受けて、カリフォルニアに一家で移住する。そして働いていた葡萄園の待遇改善を求めて集団を組織してリーダーになる。1930年代のアメリカの話である。
・ボブ・ディランを好きになって、彼がガスリーズ・チルドレンと呼ばれるフォーク・シンガーの一人であることを知った。ウッディ・ガスリー、彼はちょうどそのトム・ジョードと同じ時代に生きて、農園労働者の集会などに現れてはメッセージ性の強いフォークソングを歌うシンガーだった。
・スプリングスティーンは"Born in the USA"の大ヒット以来、この10年ほど、ろくなアルバムを作ってこなかった。ニュージャージーの白人労働者の家庭に育った彼は、夢と現実との間にある大きな裂け目をテーマにした歌を歌った。ベトナム戦争、失業、町の荒廃と若者たちのすさんだ心。しかし、皮肉なことに、そんな歌を歌う彼には名声と富が転がり込んだ。そして、同時に歌うテーマをなくしてしまった。
・"the ghost of tom joad"はハイウエイを背景にして、そこを行き交う人びとを歌っている。失業、犯罪、ホームレス、飢える子供、不法移民........。彼がこのアルバムにこめるのは、現在のアメリカの陰になった日常であり、同時に、ガスリーに始まるアメリカの歌の原点である。
・スプリングスティーンの"Born in the USA"とほぼ同時期に、U2は"The Joshua Tree"を出してグループとしての一つの完成領域に達した。アイリッシュであることをアイデンティティの核にしたメッセージと文学性の高い歌詞、ボノのセクシーな歌声、そしてエネルギッシュでなおかつ洗練されたサウンド。それが、次の"Rattle and Hum"から変わり始めた。デジタルなサウンドの導入と照明や映像を取り入れた大がかりなコンサート、それに女装。そして"Pop"ではディスコ・サウンドである。
・スプリングスティーンとU2はたぶん、この10年、同じ壁にぶつかったのだと思う。自己の変化と歌ってきたことの間に生まれたズレ、ファンの期待と自分たちの気持ちの間に生じた違和感。それが一方では、原点帰りという形に、他方では徹底的に時流に乗るという戦略になった。そしてどちらも、アルバムとしてはいいできに仕上がっている。彼らにとってロックは自己表現のメディアだが、同時にそれはビジネスである。今の気持ち、考え、感覚を表現することは大事だが、それは何よりよく売れる商品として作り上げられなければならない。この二律背反の要請とどう折り合いをつけるか。僕はこの二枚のアルバムと、彼らが取る姿勢、作品やパフォーマンスとそれに対して持つ距離感などに興味を覚えた。
1997年3月15日土曜日
『ファイル・アンダーポピュラー』クリス・トラー(水声社)ほか
『ファイル・アンダー・ポピュラー』クリス・カトラー(水声社)ほか
『ラスタファリアンズ』レナード・E・バレット Sr.(平凡社)
『ヒップ・ホップ・ビーツ』S.H.フェルナンドJr.(ブルース・インター・アクションズ)
・最近アメリカとイギリスを中心にして、ロックをテーマとした文化研究が盛んに行われている。特に顕著なのは「カルチュラル・スタディーズ」と呼ばれる動きだが、クリス・カトラーは学者ではなく、ミュージシャンである。
・読んで第一に感じた印象はというと、共感と違和感が半々といったものだ。この本が書かれたのは1985年である。僕が感じた印象の原因はなにより翻訳されるまでに11年という時間が経過していることにあるようだ。つまりこの間のポピュラー音楽やメディアの状況、あるいはそれを受けとめる人々の感性や態度の変化が大きかったということである。
・この本の作者は、かなりラディカルな音楽観を持ったミュージシャンである。「ロック」という音楽を何より表現手段、とりわけ政治的主張や前衛的な芸術を創る場と考えている。サイモン・フリスが指摘するように、このような考え方は70年代までは、多くの人に支持されるものだった。「ロック」が音楽産業はもちろん、ミュージシャンにとっても金のなる木として認識されたのは、60年代の後半だった。それが70年代になるとますます顕著になり、80年代になると評価の対象がそこだけのようになった。
・カトラーはこの本のなかで、そこに抵抗するためにはどうするかを真剣に考えているが、その態度は一言でいえば、「オーセンティック」な音楽を追求するということになる。しかし、そのような動きが大きな影響力を持つことは、現実にはなかった。とはいえ、ロックが商品価値以外の何も持たないしろものに変質してしまったかといえば、またそうではない。
・ロックの新しい流れは70年代後半からレゲエやラップ、あるいはヒップ・ホップのように第3世界やアメリカのマイノリティの中から生まれはじめた。カトラーはコンピュータ技術の音楽への導入についても否定的だったが、ラップやヒップ・ホップはデジタル技術なしには考えられないスタイルである。
・『ラスタファリアンズ』はレゲエという音楽が生まれてくるジャマイカの現実を教えてくれるし、『ヒップ・ホップ・ビーツ』はアメリカ社会におけるマイノリティの日常を垣間見させてくれる。もちろん、音楽産業は、そのような新しい流れをあっという間に商品として取り込んで、うまい商売をしてしまうし、白人ミュージシャンもそのエネルギーに触発されて、息を吹き返す。
・カトラーは題名でもわかるように、キイ・タームを「ポピュラー」に求めている。芸術や文化を「ハイ」や「ロウ」、あるいは「フォーク」や「マス」ではなく、「ポピュラー」としてとらえる視点、それは簡潔にいえば、従来の基準を取り払ってすべてをいっしょくたにしてしまうものであり、また、希望と絶望の両方を同時に感じさせるような特徴を持っている。そこに重要性を感じながら、また彼はそこに苛立つ。もしもう10年早く僕がこの本を読んでいたら、たぶん彼の姿勢にはるかに強い共感を感じただろうと思う。
1997年3月10日月曜日
ミネソタから舞い込んだメール
-
12月 26日: Sinéad O'Connor "How about I be Me (And You be You)" 19日: 矢崎泰久・和田誠『夢の砦』 12日: いつもながらの冬の始まり 5日: 円安とインバウンド ...
-
・ インターネットが始まった時に、欲しいと思ったのが翻訳ソフトだった。海外のサイトにアクセスして、面白そうな記事に接する楽しさを味わうのに、辞書片手に訳したのではまだるっこしいと感じたからだった。そこで、学科の予算で高額の翻訳ソフトを購入したのだが、ほとんど使い物にならずにが...
-
・ 今年のエンジェルスは出だしから快調だった。昨年ほどというわけには行かないが、大谷もそれなりに投げ、また打った。それが5月の後半からおかしくなり14連敗ということになった。それまで機能していた勝ちパターンが崩れ、勝っていても逆転される、点を取ればそれ以上に取られる、投手が...