1998年5月14日木曜日

Van Morrison "New York Session '67"


・ヴァン・モリソンは1963年に結成された『ゼム』のボーカルとしてデビューした。1945年生まれだから18歳の時で、『ビートルズ』や『ローリング・ストーンズ』とはほぼ同年代である。アイルランドのベルファストに生まれ、12歳の頃からバンド活動を始めている。アメリカの黒人ブルースに夢中になって、『ビートルズ』と同じようにドイツで腕を磨いた。ドイツには第二次大戦後、アメリカ軍が進駐していて、彼らはブルースを喜んで聴いてくれた。その意味では、60年代のイギリスのポピュラー音楽は、ドイツという場と黒人のアメリカ兵なしには考えられなかったということができるだろう。
・『ゼム』は『ビートルズ』や『ローリング・ストーンズ』に引けを取らないほどの人気と評価を受けかけたが、わずか3年ほどで解散してしまう。ジョニー・ローガンの『ヴァン・モリソン 魂の道のり』(大栄出版)によれば、その原因は、ヴァンがポップではなくブルースにこだわったこと、アイドルになるには顔立ちもスタイルもよくなかったこと、そして何よりヴァン自身が人気者になるよりはブルース・ミュージシャンであることにこだわったことなどにあったようだ。

・しかし、ヴァン・モリソンに人気や名声、あるいは富を得たいという欲がなかったわけではない。彼は自分の曲がヒットすることを願った。けれどもまた、彼は大勢の聴衆の集まるコンサートを嫌い、ライブハウスやクラブでのパフォーマンスを好んだ。ファンの期待に応えてヒット曲を歌うことを嫌がり、汗だくでブルースを演奏したがった。自分の音楽とは関係ないことをしゃべらされるインタビューを何度もすっぽかし、レコード会社の営業責任者やれコーディング・ディレクターとけんかをした。そして「マスコミ嫌い」「コンサート嫌い」あるいは変人・奇人といったレッテルがはられることになる。


・彼は、『ゼム』解散後の自分の方向を模索してニューヨーク行きの誘いを受け入れる。アメリカは大きなマーケットだし、何より、自分のやりたい音楽をいちばん理解してくれる人たちがいる国だった。「New York Session '67」には、そんな音楽的なアイデンティティについて迷っていたモリソンがよく感じられるし、また、その後の独自な世界のひな型が垣間見えもする。 CD2枚組だが、2枚目は彼がニューヨークのプロデューサーに送ったデモテープで、ギターの弦もろくに合わせていないラフなものだ。
・人気も名声も富も得たい。しかし自分の音楽にはこだわりたい。このような姿勢はボブ・ディランはもちろん後期の『ビートルズ』にも『ドアーズ』にも見られる。ほかのミュージシャン達にくらべると、ヴァンのジレンマは自分で自分の道をふさぐ形で作用したが、それが逆に新しい世界を見つけるきっかけにもなった。音楽を通じたアメリカへのあこがれと「アイリッシュ」であることの自覚。彼の作り出す歌はそれ以降一貫してそんなよじれた世界を歌い続けることになる。

・ヴァン・モリソンが同時代、あるいは後の世代のミュージシャンに与えた影響の大きさは、さまざまな人によって語られている。そのことは「New York Session '67」を聞いていても、ミック・ジャガーを、また時にはディランを連想させるサウンドに気づくことで容易に理解できる。あるいはアイルランドへのこだわりは70年代の後半に登場するU2にしっかり受け継がれている。ロックの歴史を考えたときには見逃してはいけない隠れた巨人。その出発点がこのアルバムには感じられる。

1998年5月13日水曜日

ゼミから生まれた二つの成果


「メディア文化研究報告書」 中京大学加藤ゼミ
『大学生の見たメディアのアントレプレナ』 東京経済大学田村ゼミ(NTT出版)


ぼくはゼミの学生の卒論を毎年、文集にしている。おもしろい年もあれば、面倒なときもある。学生たちも、楽しがる学生のいる年もあれば、渋々という感じの学生ばかりの時もある。つづけるのは簡単ではないが、学生たちのしたことが形になって残るのは、意味のあることだと思ってやめないでいる。


もちろん、形にして残すのは卒論集に限らない。ゼミで共同研究などをして、その結果を印刷物にしたりすることもできるだろう。けれども、興味関心がバラバラな学生たちに共通のテーマを与えることは難しい。で、ぼくは今まで、共通のテーマで何か持続して調べたり考えたりしたということはなかった。

 最近、つづけてゼミの研究成果をいただいた。一つは中京大学社会学部の加藤ゼミナールが発行した「メディア文化研究報告書」。もう一つは東京経済大学の田村ゼミが出した『大学生の見たメディアのアントレプレナ』。後者はNTT出版で発行され市販されている。どちらも、そのできの良さに感心してしまった。

 「メディア文化研究報告書」は電話をテーマにしている。「若者はなぜ電話をするのか」という副題のとおり、内容は電話好きの若者という最近の傾向について、あるいは、電話が作り出す独特の世界について、イタズラ電話や、テレクラについて、さらにはポケベルなど、さまざまな面を分担して調査し、また分析している。詳細についてはぜひ直接問い合わせてほしいが、一つのゼミがこれだけの成果を上げられるというのは、正直驚きである。電話研究は最近過剰なほどに出回っているが、ぼくは、そのような専門家たちの研究に少しも引けを取っていないと思った。


『大学生の見たメディアのアントレプレナ』は主に東京周辺で発行されている『タウン誌』の発行人を直接訪ねてインタビューをしたものである。これはゼミの先生である田村紀雄さんの得意の分野であり、また得意の取材方法だが、学生たちはそのノウハウを実際の体験をもとにしっかり習得してしまっている。


最近の学生は本を読まない、勉強しない、まとまりがないとよく批判される。実際ぼくもつくづくそう思うことが多い。けれども、このような成果を手にすると、やり方次第、動機づけの仕方によって学生たちは意外な力を発揮するものだとつくづく感じさせられてしまう。

1998年5月3日日曜日

常照皇寺

 

  • 京都北山の奥にある常照皇寺はしだれ桜と紅葉で有名です。交通の便がありませんから、ふだんはほとんど訪れる人もありませんが、桜と紅葉の季節だけは、観光バスが押し掛けます。もちろんどちらも見事なものですが、庭や付近の林を歩き回ると、苔や樹木の不思議な姿に魅了されてしまいます。



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    1998年4月29日水曜日

    インターネットで本を買ったら........

  • ぼくのホームページのリンク欄にはアメリカのシアトルにあるインターネット・ブック・ストアである Amazon / comを載せてている。実際、ぼくはすでに何度もメールで注文して、何冊もの本を手にしている。おもしろいことに税金がかからないから、必要なのは本の値段と郵送代だけである。もちろん支払いはカードで行う。メールでの注文とカードでの支払いは、最初は不安だったが、慣れればどうということはない。今までお世話になった本屋さんには申し訳ないが、今では、ほとんどの本をこの方法で手に入れるようになった。
  • 本は急ぐ場合には航空便で送ってもらう。その費用は一冊につき12.95$。ちょっと高いが早ければ注文してから一週間ほどで手元に届く。しかし、急がなければ船便にする。費用は一冊につき5.95$。これでも早ければ、一ヶ月ほどでやってくるから、本屋さんに注文するより早い。郵送にはもう一つ、その中間のものがある。レートは決済する時点のもので、何もマージンは取られない。これは洋書の取次店にとってはかなり脅威になる販売方法だと思う。実際 Amazon.com は成長率がけた外れで、インターネット・ビジネスでも代表的な成功例のようだ。
  • ところが、最近トラブルを経験した。去年の10月に注文した本が年末になっても届かない。ぼくは正月を過ぎた頃に、「本が届かない」とメールを送った。そうすると、「通常では4〜8週間だが、時には12週間かかる場合があるから、もう少し待ってくれ」という返事が来た。ところが、本は2月の末になってもやっては来ない。3月はじめに「すでに16週間経ったがまだ届かない。紛失してしまったのではないか」と再度メールを出した。すると、「同じ本を別便(航空)で送る」と言ってきた。やれやれと思ったが、それで解決ではなかった。
  • 何とその後十日程の間に、書籍小包が続けて二つ着いてしまったのだ。送り返すのは面倒だと思って知人にあたると、買ってもいいという人が現れた。で、こちらで処分するから、カードで二度目の分も引き落としてくれと書くと、「了解」の返事が来た。注文してから半年近くがすぎて、やっと片が付いた。
  • と書くと、何かものすごくスムーズに事が処理されたように思えるかもしれない。しかし、英語でメールを書くのは面倒だし、第一どんな書き方をしたら、納得しやすいのか、あるいは問題をややこしくしないで済むのか、はじめからわかっていたわけではない。日本人同士ならば、まず丁重なことばを並べ、それとなく曖昧に、といった書き方をしがちだが、相手がアメリカ人の場合なら、よけいなことは言わずに事実やこちらの意思をできるだけ具体的に書いたらいい。そんな忠告を友人からもらったが、やっぱり簡単ではなかった。
  • とは言え、この文章は、けっしてこんな買い方はやめましょうと忠告するために書いたのではない。インターネットは相手の顔が見えない。どこの誰だか、本当のところはよくわからない。だからこそ不安になるのだが、まただからこそ、お互いの誠実さが大事になるとも言える。
  • Amazon.com の対応はその点きわめて良心的で、誠意に満ちていた。ぼくは、生きた英語に接するいい機会だから、ぜひあなたも一冊買ってみてはどうですか、と勧めたくなった。本だけでなく、CDも売っているから、ぼくは、今度はCDも買ってみようかと思っている。日本で買うよりはるかに安いことは言うまでもないのだから。
  • 1998年4月22日水曜日

    『シャイン』(1995 オーストラリア)

  • 少年の頃から天才といわれたピアニストがいる。その才能は父親ひとりによって引き出された。その父親が子供にくり返しいうセリフがある。
      子供の頃にきれいなヴァイオリンを買った。それを、父親がたたき壊したんだ。そんなものやる必要はないって叱られた。おまえは自由に思う存分ピアノが弾ける。恵まれている。だからがんばって練習するんだ。
  • 少年は素直に父親の話を聞き、その才能を開花させる。無償で教えようと申し出る者。アメリカへの留学の誘い。著名な女性作家の援助。そしてイギリスへの留学の話。父親は少年がコンクールで優勝することを生きがいにしてきた。ところが、同時に、子供が自分の手の中、世界からはみ出し、抜け出していってしまうことを恐れた。だから、また、父親は少年にくり返し、次のようにも話す。
    家族は大事だ。絶対離ればなれになってはいけない。いつも一緒だ。
  • ユダヤ人で強制収容所体験のある父にはまた家族の絆の大切さについて疑いのない信念がある。しかし、アメリカ行きはあきらめた少年も、イギリスへの留学は、父の反対を押し切って決行することになる。イギリスでもその才能はひときわ目立ち、ラフマニノフをマスターして演奏会で熱演するところまでいくが、そこで発狂する。
  • このピアニストが陥った状況はG・ベイトソンがいう「ダブル・バインド」に他ならない。人は互いに矛盾し合う二つの命令を受け、しかもどちらにも背けない状況に追い込まれると、どうにも動きが取れなくなる。子供の時代に親との関係の中にそれを持ち込まれた子供には、正常と呼ばれる精神状態に成長することがきわめて困難になってしまう。
  • ピアニストはオーストラリアに戻るが、ピアノは一切弾かなくなる。あらぬ事を口走る放浪者。それがいくつかのきっかけから、街の酒場でピアノを弾きはじめる。支えとなる女性の存在。彼のピアノは評判になり、かつての天才少年の復活として話題になる。そして母や姉妹も聴く大ホールでのコンサート。しかし、父親はすでに死んでいる。
  • 『シャイン』は、そんな親子の関係と、それを克服していく主人公を丁寧に描き出している。父親がなぜ、息子の才能の芽を摘み取ってまで、家庭を守りつづけようとするのか、といったことについて、その理由が、今一つ説得的に描き出されていない気がするが、なかなかの秀作だと思った。主演のジェフリー・ラッシュはこの役でアカデミーの主演男優賞を取った。どこやらウッディ・アレンに似た風貌と雰囲気が、なかなかいい。
  • 1998年4月18日土曜日

    R.ブラックのWebデザインブック(Mdn) 他

     

    ・ホームページを作りはじめてもうすぐ1年半になる。まったく新しいメディアということも言えるが、同時に、これはあくまで雑誌や新聞の延長上にあるものだとも強く感じている。一枚の紙に記事や写真をどう配置するか、文字の大きさや種類はといった工夫は、まさに本や雑誌のレイアウトやデザインの問題だ。もちろん本に比べれば、ホームページはずっとビジュアルなものだし、動画や音も使える。ホームページは、その意味では、映画やテレビ、あるいはレコードの延長上にあるとも言える。

    ・けれども、やっぱり、ホームページは基本的には印刷メディアの系譜に属している。少なくとも現在までのところは、それで間違いはない。自分で作りながら、そんなことを実感していたが、やっぱりそうかと確認させてくれる本があった。『ロジャー・ブラックのWebデザインブック』である。

    ・ロジャー・ブラックは雑誌『ローリングストーン』の表紙デザインで有名な人である。彼がその雑誌で最初にデザインしたのは右のディランの表紙だった。ロジャー・ブラックは雑誌のデザインから入って、いち早く、ホームページのデザインのおもしろさに気づいた。

    ・彼が力説するのは、印刷物の伝統に載ることだが、その第一は視覚的な重要性である。例えば、色合いは赤と黒と白の組み合わせに勝るものはないが、それは、グーテンベルグが印刷したバイブルから気づかれていたものだという。ちなみに『ロジャー・ブラックのWebデザインブック』は全頁がその3色で作られている。

    ・伝統の第二は字体である。インターネットが放送よりも印刷物に近い存在であるからには、無意味な画像や、画像の使いすぎは失望感を与えるだけである。大事なのは、むしろ適切な書体の使い方にある。ロジャーはここでも、デザイナーの伝統的なアプローチを学び、その巨人の肩に乗れという。ウィリアム・モリス、グスタブ・スティックリー、フレデリック・グーディ.........。

    ・本はもともと読まれるものである以上に見られるものとして作られた。その意味では、ホームページは、文字に書かれた内容だけが重視されるようになった印刷物の歴史にもう一度、デザインの重要さを認識させるものになった。読ませるためには注意を惹きつけなければならないし、次の頁、そのまた次の頁と読みすすめさせるためには、かなりの工夫が必要になる。

    ・表紙はポスターでなければならないし、どの頁にも、それなりの内容が盛り込まれなければならない。しかし、大文字の多用や文字間のあけすぎ、小さすぎる文字、スクロールが必要な頁、遅くなるだけの大きな画像、多すぎる色数などは避けること。この本に書かれた指摘はしごくごもっともなことだが、実際に作っているとまた、それがきわめて難しいルールであることも実感してしまう。

    ・もう一冊リンダ・ワイマンの『Webワークショップ』は色合いと見やすさ、引き立ち安さを丁寧に解説した本である。こんな本を読んでいると、ホームページを作りながら、気分はすっかり1世紀以上前のウィリアム・モリスの時代の本作りのおもしろさにはまりこんでいってしまう自分を自覚せざるを得ない。

    1998年4月15日水曜日

    社会学科のスタッフが作った本です

    『社会意識論を学ぶ人のために』池井望・仲村祥一編(世界思想社)

    社会意識という概念は便利なものですが、考えてみるとよくわからないものでもあります。大学の講義にもあって、さまざまな人が講義を持っているようですが、専門分野に共通性があるわけではありません。テキストにふさわしい本もほとんどないのが現状です。そんな理由で、この本が企画されました。
    編者の池井さんには現在追手門学院大学の非常勤講師として「社会意識論」を担当していただいています。また、仲村さんは数年前まで専任のスタッフとして在籍しておられました。この本は二人の長老を中心に中嶋さんや原田さんが積極的に参加して企画されたものです。
    ぼくはメディアと社会意識の章を担当しました。活字に始まって映画、ラジオ、レコード、テレビ、そしてコンピュータと続くメディアの革新と社会意識の関係について考えました。
    これ以上の詳細については『学びの人間学』とともに社会学科のホームページをご覧ください。

    『学びの人間学』中嶋・矢谷・吉田編(幸洋出版)

    この本は社会学科のスタッフが中心になって行ってきた「学びの研究会」の成果を形にしたものです。追手門学院大学からは研究会と出版に対してそれぞれ助成金をいただきました。やらされる勉強ではなくて、知りたい、やってみたいという気持ちから出発する「学び」社会学科のスタッフにはガリ勉君よりは、好きなことが高じて研究者になったといった経歴の人が少なくありません。
    今大学は、半ば義務教育化して、誰もが行くもの、行かされるものといった感じになってきています。大学生も勉強はやらされるものと思っている人たちが少なくありません。 

    そんな発想を何とか変えてやりたい。これは、私たちが日頃学生に対して一番感じている思いですが、そんなことを本にして伝えようというのが、この研究会の出発点の一つになりました。もう一つは生涯学習といったことばで語られる、中高年者の向学心の高まりです。

    学ぶことのおもしろさの発見!!