・ビーチボーイズのアルバムは、レコードもCDも1枚ももっていない。興味がないというより嫌いだった。大学紛争やヒッピー・ムーブメントが真っ盛りの時代に、サーフィン音楽なんかやっている意識の低いバンド。50年代から60年代前半の能天気なポップ音楽にロックを加味したようなサウンド、という印象だった。村上春樹の小説にはこの時代の音楽がよく登場して面白かったが、ビーチ・ボーイズだけは納得できなかった。だから、ずっと毛嫌いしてきたと言っていい。
・ただし、1曲だけ「グッド・ヴァイブレーション」は気になった。1966年に発表されたもので、この年にはビートルズが『リボルバー』、ボブ・ディランが『ブロンド・オン・ブロンド』を出している。フォーク・ソングとロックンロールの融合、もっと大きく言えば、政治と文化の融合、といったことが語られていた時代である。だから、気にはなったが、とてもレコードを買う気にはならなかった。他にほしいものがいっぱい出た年だったのである。
・NHKがBSで放送した「スマイル〜ビーチ・ボーイズ幻のアルバム完成」を見た。特に気になっていたわけでもない、たまたまである。しかし、画面に登場したブライアン・ウィルソンの表情が気になって、チャンネルを変えることができなくなった。「スマイル」とは無縁な、無表情。典型的な鬱病の顔。
・『スマイル』は2004年に発売されたアルバムだが、それは実際には1967年に出るはずだった。だから37年ぶりの完成ということになる。遅れた原因は、ブライアン・ウィルソンの心の病である。
・ブライアン・ウィルソンはすでに1964年頃から幻聴などに悩まされることがあり、ツアー活動をやめて曲作りに専念するようになっていた。しかし「グッド・ヴァイブレーション」が入った『ペット・サウンド』が大ヒットして、次の『スマイル』の製作には相当のストレスを感じたようだ。鬱病の進行とアルバムのお蔵入り。病気にはドラッグの飲用が大きく影響したともいわれている。
・ブライアン・ウィルソンが再起するのは80年代の末である。病気の克服には主治医だった精神科医の力が大きかったようだ。ところが、その医者との間に金銭的なトラブルが生じてしまう。ブライアンの心の病には、幼い頃の虐待や厳しいしつけなど、父親や母親との関係が指摘されていた。しかし、ステージ・パパだった父親との間には、発病以後にも、感情的な軋轢はもちろん、金銭的な問題があったようだ。
・「スマイル」のドキュメントは、散逸し、記憶の隅にしまい込まれてしまった曲やイメージなどを思い出し、再構成する過程、コンサートを目ざして集められたメンバーとのリハーサルを追いかける。ブライアンはスタジオの片隅で居心地悪そうにし、「楽しい?」などと聞かれて「楽しいよ」などと答えているが、心ここにあらずという感じで、表情にはまるで感情が映し出されていない。それが少しずつうち解けてきて、表情に笑みが浮かび始める。
・ドキュメントの最後はロンドンでのコンサートで、ポール・マッカートニーが楽屋に訪れる。ブライアンは「ぼくは君のためにやるんだ」という。66年から67年にかけてもっとも意識したライバル、ビートルズに聴かせたいという気持ちがありありとうかがえた。それだけに、楽屋ではいっそうの緊張と孤独感を漂わせる。その堅い表情はステージが始まってもほぐれないが、しだいに、無表情の中に時折、笑顔が出はじめる。そして、手拍子をうちながらのフィナーレ。ぼくは番組を見終わるとすぐに、アマゾンに『スマイル』と90年代に発表した数枚のアルバムを注文した。
・残念ながら、『スマイル』はいいとは思わなかった。途中に挟まれた「グッド・ヴァイブレーション」とその前後がまったく調和していない。むしろ、一緒に買った『イマジネーション』と『オレンジ・クレート・アート』の方が、ビーチボーイズの面影も残しながら、新しい面も出ていてずっとよかった。
君はぼくの心にふれ/魂にさわる
君の泣き声がぼくの心を傷つけ、二つに砕いた
君を一人にしておけない
"CRY"