2005年8月2日火曜日

スマイル〜ビーチ・ボーイズ 幻のアルバム完成

 

・ビーチボーイズのアルバムは、レコードもCDも1枚ももっていない。興味がないというより嫌いだった。大学紛争やヒッピー・ムーブメントが真っ盛りの時代に、サーフィン音楽なんかやっている意識の低いバンド。50年代から60年代前半の能天気なポップ音楽にロックを加味したようなサウンド、という印象だった。村上春樹の小説にはこの時代の音楽がよく登場して面白かったが、ビーチ・ボーイズだけは納得できなかった。だから、ずっと毛嫌いしてきたと言っていい。
・ただし、1曲だけ「グッド・ヴァイブレーション」は気になった。1966年に発表されたもので、この年にはビートルズが『リボルバー』、ボブ・ディランが『ブロンド・オン・ブロンド』を出している。フォーク・ソングとロックンロールの融合、もっと大きく言えば、政治と文化の融合、といったことが語られていた時代である。だから、気にはなったが、とてもレコードを買う気にはならなかった。他にほしいものがいっぱい出た年だったのである。
・NHKがBSで放送した「スマイル〜ビーチ・ボーイズ幻のアルバム完成」を見た。特に気になっていたわけでもない、たまたまである。しかし、画面に登場したブライアン・ウィルソンの表情が気になって、チャンネルを変えることができなくなった。「スマイル」とは無縁な、無表情。典型的な鬱病の顔。
・『スマイル』は2004年に発売されたアルバムだが、それは実際には1967年に出るはずだった。だから37年ぶりの完成ということになる。遅れた原因は、ブライアン・ウィルソンの心の病である。
・ブライアン・ウィルソンはすでに1964年頃から幻聴などに悩まされることがあり、ツアー活動をやめて曲作りに専念するようになっていた。しかし「グッド・ヴァイブレーション」が入った『ペット・サウンド』が大ヒットして、次の『スマイル』の製作には相当のストレスを感じたようだ。鬱病の進行とアルバムのお蔵入り。病気にはドラッグの飲用が大きく影響したともいわれている。
・ブライアン・ウィルソンが再起するのは80年代の末である。病気の克服には主治医だった精神科医の力が大きかったようだ。ところが、その医者との間に金銭的なトラブルが生じてしまう。ブライアンの心の病には、幼い頃の虐待や厳しいしつけなど、父親や母親との関係が指摘されていた。しかし、ステージ・パパだった父親との間には、発病以後にも、感情的な軋轢はもちろん、金銭的な問題があったようだ。
・「スマイル」のドキュメントは、散逸し、記憶の隅にしまい込まれてしまった曲やイメージなどを思い出し、再構成する過程、コンサートを目ざして集められたメンバーとのリハーサルを追いかける。ブライアンはスタジオの片隅で居心地悪そうにし、「楽しい?」などと聞かれて「楽しいよ」などと答えているが、心ここにあらずという感じで、表情にはまるで感情が映し出されていない。それが少しずつうち解けてきて、表情に笑みが浮かび始める。
・ドキュメントの最後はロンドンでのコンサートで、ポール・マッカートニーが楽屋に訪れる。ブライアンは「ぼくは君のためにやるんだ」という。66年から67年にかけてもっとも意識したライバル、ビートルズに聴かせたいという気持ちがありありとうかがえた。それだけに、楽屋ではいっそうの緊張と孤独感を漂わせる。その堅い表情はステージが始まってもほぐれないが、しだいに、無表情の中に時折、笑顔が出はじめる。そして、手拍子をうちながらのフィナーレ。ぼくは番組を見終わるとすぐに、アマゾンに『スマイル』と90年代に発表した数枚のアルバムを注文した。
・残念ながら、『スマイル』はいいとは思わなかった。途中に挟まれた「グッド・ヴァイブレーション」とその前後がまったく調和していない。むしろ、一緒に買った『イマジネーション』と『オレンジ・クレート・アート』の方が、ビーチボーイズの面影も残しながら、新しい面も出ていてずっとよかった。

君はぼくの心にふれ/魂にさわる
君の泣き声がぼくの心を傷つけ、二つに砕いた
君を一人にしておけない
"CRY"

2005年7月25日月曜日

伊藤守『記憶・暴力・システム』(法政大学出版局)


itoh1.jpg・最近のテレビには気になるところがずいぶんある。たとえば、事件が起きたときにくりかえされる、きわめて感情的な報道、バラエティ番組の多さ、というよりは何でもバラエティ形式にしてしまう安直で画一的な作り方、特定の話題、人物への極端に偏った注目等々、あげたらきりがない。

・テレビは一見、新しいモノゴトをいち早く伝えるメディアのように思われるけれども、そこにはきまって、古いおきまりの味つけがされている。常識はずれをやっているように見えても、またきわめて常識的な枠取りがされている。だから、わかりにくさは排除されるし、多様性は無視される。その意味で、テレビは保守的なメディアだが、このような傾向が、ますます顕著になっている気がする。テレビなんてしょせん、そんなしょうもないメディアだ!と言ってしまえばそれまでだが、一方でその影響力はものすごく大きい。

・伊藤守の『記憶・暴力・システム』は、そんなテレビの力を、それをささえる社会やテクノロジーのシステム、介入する政治的・経済的権力、そこで使われる「言説」の特徴や作り出される「テレビ的リアリティ」の分析をテーマにしている。テレビについて批判理論を展開させようとする意欲作だと言える。この本が最初に問題提起しているのは、おおよそ次のようなことだ。

・だれかが何か発言しようと思う。あるいは発言せざるを得ないと感じたとする。それはおそらく、大多数が共有する価値や見解とは相容れないか、あるいははずれたものだ。そうすると、どういうことが起こるか。メディア、とりわけテレビはまず、それを無視しようとする。無視できないものであれば、大多数が共有するはずの「常識」を盾にして、あるいは矛にして批判し、押しつぶしにかかる。あるいは論旨のすりかえといったこともあるだろう。その意味で、テレビに自由で気ままが許されるのは、あくまで「常識」の範囲内のことにかぎられる。

・大多数が共有する価値や見解を「常識」として押し付ける強力な圧力を形成するメディア、日々の経験を自明なものに編制し、しかもその自明性を、変化をともないながら組み替える強力なパワーをもったメディアに焦点をおきながら、メディア文化の生産と消費をふくむコミュニケーション構造全体の問題と、それを消費するオーディエンスの行為を考えることが本書に収録した文章の狙いだった。(p.vii)

・政治的な対立点が曖昧になり、ことの善悪も真偽もわかりにくい世界になっている。そんな中でテレビは、一方でなかば無意識のうちにおこる感情や欲望に訴えかけ、他方でまたきわめてわかりやすい常識や慣行を持ち出してくる。みずから火をつけ、事を荒立てておきながら、またあたかも裁判官のような態度をしめして、それを沈静化させようとする。テレビは曖昧な世界をますます増幅させるが、そうであればこそなおさら、それをわかりやすくすることにも懸命になる。まさに「マッチ・ポンプ」の世界である。

・もちろん、視聴者である私たちは、そのような意図にまったく無自覚だというわけではない。むしろ、そんなテレビをけなし、冷ややかに嗤うことを視聴態度の一つにさえしている。けれども、できるのは、その程度のことでしかない。テレビに映ったものへの関心度に比べて、映らないものへのそれが、ほとんどゼロに近いとすれば、どんなに批判的な態度をとったとしても、テレビに囲い込まれていることに違いはないのである。

・天皇の戦争責任を追及して開かれた「女性国際戦犯法廷」をNHKがドキュメントして放送した。2001年の話だが、この番組は、「法廷」の内容を改竄したと主催者に訴えられた一方で、今年になって、番組を制作したNHKのディレクターによって、自民党の政治家から、内容変更についての強い圧力があったというリークもされている。この問題を大きく取りあげた朝日新聞とNHKとの間、さらにはそこに安部、中川の自民党議員が加わった議論があって、しばらく音沙汰なかったが、7月25日の朝日新聞で、リーク記事以降の経過がまとめられた。

・記事によれば、自民党議員、とくに中川昭一ははっきりと、変更した番組の放送中止を求めているし、NHKの予算をとおすべきではないと言っている。偏向しているから放送をしてはいけないというのは、一見もっともらしいが、偏向であるかないかの規準がどこにあるのかははっきりしないし、それ以上に、多様な考えや主張を偏向という名で閉め出したのでは、結局、常識という名の体制的な考えで一色に染まってしまうことになる。権力の側にたつ者が判断した「偏向」のレッテル張りは明らかに、逆サイドへの偏向である。NHKはもちろん、反論したが、夜の7時のニュースでは、トップではなくスポーツに移る前だった。

・『記憶・暴力・システム』には、「法廷」とそのドキュメントとの間にあるずれをテーマにした章がある。2003年に発表されたものだが、そこで問われているのは、テレビ的リアリティが歪曲する「記憶」の問題である。


・この改竄問題から、私たちはなにを読みとるべきなのだろうか。それは、「天皇の戦争責任」、そして日本軍「慰安婦」といった事柄を、私たちが想起すべき過去の記憶、公共の記憶としてはふさわしくないものとして構造的に排除するコミュニケーション構造の暴力性である。(p.95)

・天皇を戦犯にしたくない、してはいけないとする考え方が、公共の記憶を、天皇の戦争責任を問わない方向で作り上げてきた。あるいは外国人に強制した従軍慰安婦などはなかったことにとしたいという気持ちが、その事実を公共の記憶から消し去ってきた。「女性国際戦犯法廷」はそこを断罪し、NHKのなかにも、それを放送する必要性を自覚する人がいたわけだが、またそれは、公共の記憶を否定する告発であったために、政治権力の介入を招くことにもなった。

・私たちは、こういった問題にどうしようもなく鈍感になっている。あるいは、自覚し、共感していても、それを話題にすることにわずらわしさを感じるようになっている。それはテレビが提供する常識的でわかりやすいリアリティに安住しているほうが圧倒的に楽だからだ。「テレビ的リアリティ」は「あまりに日常の一部となっているために真剣に意識されて行われているわけではないテレビを見るという行為と、公平と客観性のスローガンの下に本質的な対立点や論争点を曖昧化するテレビジョン特有のテクスト構成、という二つの相補的な関係性から成立する。」(p.98)

・著者は、それが分厚い皮膜のようになってテレビとその視聴者を覆っているという。テレビ的リアリティこそが唯一の現実ということになったら、それこそオーウェルが描いた逆ユートピアそのものだが、皮肉なことに、テレビがもたらすリアリティは、そこに安住していればそれなりに自由で幸福な生活を実感させてくれたりもする。皮膜の分厚さをいまさらながらに思い知らされる気がするが、それが見えないものではなく、目に見える形で露骨になっている。 (2005.07.25)

2005年7月19日火曜日

ネット予約の便利さと不安

 ネットでの買い物が当たり前になって、クレジット・カードの情報を提供することに抵抗感がなくなってきた。と思っていたら、アメリカでカード情報が盗まれる事件が起きた。VISAやMASTERは世界共通だから、当然、日本にも害は及ぶ。特に海外旅行をして買い物をした人は気をつけるようにと言われて、とたんに不安になった。3月にハワイに行っているし、海外のサイトで買い物もしている。さっそく連絡して、カード番号を変更してもらうことにした。


今のところ、送られてくる支払いの明細書に不審なところはないから、たぶん大丈夫だと思うが、しかし、不安が完全に消えたわけではない。高額な商品の購入はもちろんだが、外での食事やスーパー、あるいはガソリン・スタンドまで、僕はほとんどカードで払うことにしている。そうすると、店によってサインを求められたり、求められなかったりする。最初のうちは「サインはいいの?」と尋ねることもあったが、最近は慣れて、聞くこともなくなった。しかし、どこかでちょっと、不安に感じてもいた。


アメリカから知人の家族が訪ねてきて、カードが話題になった。そこで指摘されたのは、カード社会になってからの日米の時間差だった。アメリカではカードの不正な利用、悪用は日常茶飯事だから、覚えのない支払いにはクレームをつければ、全額保証される。きちんとチェックをして、不審な点があれば問い合わせをし、おかしければそのように主張する。それができれば、何も不安に感じることはない。そんなふうにきっぱり言われてしまった。確かにそのとおりなのだが、どこかにやっぱり不安感が残るのは、使い慣れていないせいなのだろうか。
夏にイギリス旅行を考えていて、大半は旅行社で手配してもらったのだが、一部に予約のできないものがある。小さな町のホテルやローカルの飛行機などである。バックパックで旅行した20代や30代の頃には、宿の予約などは一切せずに出かけたのだが、最近は、出かける前に旅程を組んで、予約できるものはすべてすませておくことにしている。パック旅行をする気はないが、体力にも気力にも自信がなくなっているから、やっぱり安全志向ということになる。


で、まず、ネットでイギリスからアイルランドに飛ぶ飛行機の予約をすることにした。そうしたら、最終の確認を電話でやれという。僕は自信がないからパートナーに頼んだのだが、出てきたオペレーターが地名を知らないと言う。スペルを言え、と言ってきたりもしたようだ。「アイルランドのコーク、Cork!」「何でこんな事わからないの?」といったやりとりをしていたが、どうも、地元とは関係ないところでやっているようだ、ということがわかってきた。何より、発音にくせがあって聞き取りにくいという。ひょっとしたらインドあたりに予約センターがあるのかもしれない。そう考えはじめたら、信用しかねる気がして、結局、予約はやめることにした。ネットの時代だから、どこにつながり、誰と交渉しているのか、場所はまったくわからない。ニセのサイトでペテンにかけることを「フィッシング」というが、これでは、よほど慎重にやらないと、どこで引っかかるかわかったものではない。そんな状況を実感した体験だった。


次にしたのは、目的地のホテルを探し、値段や空き室状況や評判をチェックしてメールを出すことだった。しかし、なかなか返事がこない。来ても、すでに満杯だというのやら、連休中だから3泊以上でないとだめといったものばかり。それでもあきらめずにいくつか出しているうちに、やっとOKの返事が来た。しかし、確定させるためにはクレジット・カードの番号を知らせろという。支払いを請求するのは宿泊したあとで、今はただ予約が本当であることを確認したいのだという。あちらにすればもっともな話で、勝手にキャンセルなどされたらたまらないだろう。不安な気持ちを感じながら書き込んでメールで送ることにした。


イギリスと日本は夏の間は時差が8時間ある。だから昼間メールを出すと、翌日の朝には返事が届くことになる。予約確認のメールが届いたのだが、念のためにとやっぱり電話をすることにした。ひとつはセント・アイブスというブリテン島の南西の端、半島の突端にあるリゾート地だ。日本の民芸運動の影響を受けたバーナード・リーチやルーシー・リーが陶芸をする場所として選んだ土地である。もうひとつはコッツウォルズのバイブリー。ウィリアム・モリスゆかりの地で、古いイギリスが残された場所だ。ここのお城のようなマナ・ハウスに予約した。


と言うわけで、目下、旅の準備を楽しんでいる。ネットは、あれこれ面倒なことや不安はあるが、必要な情報があっという間に見つけられるし、コンタクトもとれる。旅の経験者のページなどもかなりあって、探し始めると時間のたつのを忘れてしまう。旅程をあれこれ考えて、もうすでに何回も模擬旅行をしてしまった。旅のおもしろさは、まず、プランを立てて、あれこれ思いをめぐらすことにある。ネットはその楽しさを何倍にも増幅させてくれるから、ついつい夢中になるが、こんな調子でやっていると、出発前にくたびれてしまうことになりかねない。 

日時:2005年7月19日

2005年7月12日火曜日

夏休み!

  ・半休状態ではあっても、やっぱり授業が終わるとほっとする。例年なら、試験期間で監督業務があるから、半月早く解放される。授業だけで、その他の業務がないのは非常勤暮らしをしていた頃以来だから、何年ぶりだろうか。今年は十分に長い夏休みが過ごせる、と考えると、それだけで、気分がいい。
・とは言え、休暇は研究のためにもらったものだから、長い休みはそれなりに使わなければならない。さて、どうしようか。と言うので、ぼちぼち準備を始めている。テーマはライフスタイル論だ。


・せっかく森の生活を始めたのだから、その経験をもとにライフスタイルについて考えよ。こんな宿題を、もう5年も前に世界思想社の中川さんからいただいているのだが、そのとっかかりや、切り口が見つけられないできた。もちろん、新しい生活のおもしろさや発見、あるいは都会との比較は日々感じていることで、このコラムでも定期的に書いているのだが、雑感だけでは、本にはならない。第一、田舎暮らしや自然とのつきあいといった話は、本や雑誌やテレビ番組にもありふれている。


・ヒントはいくつかある。その一つは昔から好きで読んでいたH.D.ソローとW.モリスを読み直して、そこから、考え始めることだ。ソローについてはこのコラムの最初の方で取りあげたから、ここではモリスについてちょっと書いてみることにしよう。
・モリスの『ユートピアだより』(晶文社)は19世紀の末に書かれている。ロンドンとテムズ川を舞台にした22世紀の話である。モリスは、産業革命による自然の破壊や階級制度の確立による貧富の差の拡大を批判し、改革を唱えた人だが、この物語は、いわば、彼がその時描きだした理想の世界だと言える。


・モリスが描くユートピアには政府も裁判所もない。ほしいものはただで手にはいるからお金もない。だから、人びとの諍いもないし、生きるために働く必要もない。あるいは、鉄道などの交通手段も新聞も廃止されているし、大量生産の機械もない。19世紀末の世界から迷い込んだ主人公は、そのあまりの違いに驚いてしまう。人が欲を出さず、競争をせず、自分なりの楽しみと生き甲斐を見つけ出せば、文明の利器は何も必要がないというわけである。
・22世紀になっても、そんな世界はやってこないと言えるかもしれない。少なくとも21世紀になった現在の世界は、テクノロジーとメディアなしにはすまないし、何よりお金がものを言う仕組みができあがっている。政府も裁判所も必要不可欠のものであるし、國や民族の間での対立も激しい。そういう意味で言えば、モリスのユートピアは、全くの絵空事のように思える。


・けれども、現在の日本はまた、飢えや貧困に苦しみ、生きることに精一杯という社会でもない。年金制度は心許ないが、定年後の生活は悠々自適が可能ということになっているし、ニートの問題に見られるように、働く意味を見つけにくい若い人たちも増えている。自分なりの生き甲斐を見つけることが今ほど難しい時代もないだろう。そういう意味で言えば、趣味をもつ、手作りを基本にする、あるいはエコツーリズムやボランティア活動に積極的になるといった生活スタイルは、モリスが描いた世界とかなりの点で重なってくる。


・そんなことを考えていたら、「ビオトープ」ということばを見つけた。水越伸の『メディア・ビオトープ』(紀伊國屋書店)である。「ビオトープ」とは「生物の棲息に適した小さな場所」という意味で、生物学や環境論のなかで使われている用語のようだ。水越伸はそれをメディアの現状に援用して、マスメディアが支配する社会のなかに、小さなメディアやそれを使った人びとの関係の必要性と可能性を見ようとしている。考え方としてはミニコミの時代からあるものでそれほど目新しくはないのだが、「ビオトープ」の発想には惹かれるものがある。


・杉ばかりで植林された山や、雑草がまるでない庭園だけでなく、多様な木が茂る山を作ったり、雑草や昆虫が生きられる場と環境をいかに残し、また新たに作り出していくか。それは環境問題そのものが直面する難題だが、同時にメディアの現状にも当てはまるし、日常の生活のすべて、人間関係や人と他の生き物とのかかわり方にも共通する。


・『ユートピアだより』はテムズ川をロンドンからコッツウォルドまで手漕ぎボートでさかのぼりながら、22世紀の世界を描きだしていく。その19世紀末に特徴的だった偉容さや華麗さが醜さや荒廃と対照をなすという風景は、22世紀には、限りなく自然に近い状態にもどされている。果たして21世紀初頭のイギリスはどうなのだろうか。夏休みに出かけてみようと思っている。

日時:2005年7月12日

2005年7月5日火曜日

Warren ZevonとPete Yorn

 

zevon2.jpg・ウォーレン・ジヴォンは70年代後半にデビューしたミュージシャンだが、僕は全然知らなかった。ジャクソン・ブラウンと同世代のようだ。そのジヴォンが2003年に肺ガンで死んで、翌年にその追悼盤が作られた。享年56歳、また僕と同じ年齢だ。僕はたまたまディランのCDを検索していて、これを見つけた。"Enjoy Every Sandwich"。参加しているのはディランの他にスプリングスティーン、ジャクソン・ブラウン、ドン・ヘンリー、スティーブ・アール、ライ・クーダー、ボニー・レイト、ザ・ウォールフラワーズなどそうそうたる人たちで、僕はジヴォンが誰かわからぬままに買った。
・スプリングスティーンが歌う前にジボンのことを話しているが、そこでグレイトということばを3回もくりかえして、ソング・ライターとしての実力を讃えている。彼の歌った"My rides here"は聞き覚えがあると思ったら、9.11の追悼番組でも歌われたものだった。これだけのメンバーが集まったこととあわせて、確かにすごい人なんだろうということはわかった。それぞれが歌っている曲はジボンのものだが、なるほどいいものがある。特に、ディランの歌った"Mutineer"(反逆者)はじっくり聞き惚れてしまう感じだった。息子のジェイコブ(ザ・ウォールフラワーズ)も歌っているから、ジヴォンとディランは家族ぐるみのつきあいだったのかもしれない。そんなことを勝手に想像しながら聴いた。

zevon1.jpg・ジヴォンは余命が3ヶ月だと宣告されてから、最後のアルバム"The Wind"を作っている。グラミー賞のフォーク部門で最優秀アルバムに選ばれているが、これにも大勢の人の協力があったようだ。ディランの「天国の扉」がおさめられ、"Disiorder in the house"ではスプリングスティーンが加わっている。笑い声もして楽しげだが、それだけにいっそう、最後の命をふりしぼって作ったことがわかる。そう思って聴くせいもあるけれども、じーんとしてしまう。

影が落ちて 僕は息が絶える
ほんの少しだけでいいから、君の心にぼくを残しておいて
僕がいなくなっても、君を愛さなくなったなんてわけじゃない
ほんの少しだけでいいから、君の心にぼくを残しておいて
"Keep me in your heart"

yorn1.jpg・追悼盤で初めて聴いたピート・ヨーンが気になった。amazonで調べたら、有望な若手と書いてあった。で、さっそく2枚、デビュー・アルバムの"musicforthemorningafter"とDay I forget"購入した。ピートとジヴォンはずいぶん違う。ジヴォンはしわがれ声でいかにもアメリカ人らしい歌い方をする、オーソドックスなフォーク・シンガーだが、ピートにはイギリスの香りがする。最近のCold PlayやTravis、あるいはRadio Headに共通するサウンドや歌い方を感じる。ライナーノートを読むとモリッシーに影響されたようだ。
yorn2.jpg・最近のアメリカの音楽事情は、ラップ以外はほとんど話題にもならないが、フォークのジャンルにも若い世代が育っている。新しい傾向を吸収しながら、上の世代とのつながりもある。そんなことを改めて感じさせるミュージシャンだ。


時間はあったのに 彼女は彼に会わなかった
で、間違いは 彼女が彼を必要としていたことだ
他に救いの手はなかったから 彼と彼女は連絡を取り合った
「君の息子のことはわかった」と彼は言った
子どもの話を聞いて 急に歳とったように感じた
やることがいっぱい でも、時間はある
"So much work"

springsteen.jpg・ついでに、というわけではないが、ブルース・スプリングスティーンの新しいアルバムも出た。"Devil & Dust"。ソロで生ギターだから"the ghost of tom joad"以来の静かでじっくり聴かせるものになっている。DVDが付録していて、CDと裏表で一枚。初めて見た形だが、ケースの形もおもしろい。貧しい者、敗れた者へのシンパシー。アメリカにロック・ミュージシャン出身の大統領が生まれるとすれば、間違いなくスプリングスティーンがその第一候補だろう。聴きながらふと、そんなことを思った。
 

2005年6月28日火曜日

町田康『告白』(中央公論新社)

 

machida1.jpg・町田康の名前はずいぶん前から耳にしていた。ロック・ミュージシャンで作家、どちらも評判がいい。しかしなぜか、食指が動かなかった。たいした理由はない。たまたまの出会いをのぞけば、これは良さそうだ、おもしろそうだと感じられるまでは手を出さない。僕にはそんな傾向がある。それに、ここ数年、時間的・精神的な余裕がなくて、小説を読むことがほとんどなかった。学生の論文につきあうこと、ポピュラー文化の文献を網羅して、それに目を通すこと。特にこの2年ぐらいはそうだった。本が完成し、大学の仕事の負担も軽くなって、今まで読まなかった本に目を向け始めた。で、まず読みたいと思ったのが、町田康の『告白』だった。

・きっかけは、僕の恩師の一人である仲村祥一さんから、『告白』を読んでいるという便りが届いたことだった。感想は書かれていなかったが、仲村さんが町田康か、と思ったら、無性に読みたくなった。80歳になられたというのに、新しいものへの好奇心はまだまだ健在なんだ、とあらためて感心した。

・『告白』は大阪の河内が舞台になっている。時代は江戸から明治に変わる頃で、河内音頭の『河内十人斬り』が物語のモチーフのようだ。この話はまた、実際に起きた事件をもとにしている。河内の水分という村に生まれた熊太郎は成長しても百姓などやる気のない極道になる。親の嘆きや村の人びとの悪口や嘲笑も気にせず、好き勝手な生活をしている。そんな彼が、嫁をめとるが、遊び仲間に間男されてしまう。その兄には借金を踏み倒され、村の有力者でもある親父からはバカにされて相手にされない。そんな腹いせから、一家を赤ん坊にいたるまで惨殺する。そして、山中での逃亡生活と最後の自殺。ストーリーはおおよそこんなふうなものだが、700ページに近い大作で、なかなかに読み応えがあった。

・僕は河内音頭の『河内十人斬り』は聞いたことがない。というより、河内音頭にこんなトピカル・ソングがあったことも知らなかった。河内家菊水丸のCDも出ているようだ。これも3枚組で200分に及ぶ大作らしい。これはこれで、ちょっと聞いてみたい気がするが、『告白』を読んで興味を持ったのは、最後の一家惨殺や逃亡といった派手な場面ではない。むしろ、前半の生い立ちや成長の過程の話である。

・どういうわけか、熊太郎は物心ついた頃から思弁的な性格だった。何かしようとしても、人と話をしようとしても、同時に頭の中でいろいろと考えてしまう。だから、出てくることばも行動も、スムーズでないし、相手や周囲の人にすぐ理解されるものにならない。熊太郎はそれが、親にちやほや育てられてできた、現実との断層の自覚に原因があると、ぼんやり考えている。親は褒めても悪ガキ仲間はバカにする。ことばの真偽、ことの表と裏、外見と内面、表現したいことと、それを伝達することの間にあるズレ。熊太郎は、そんな疑問やささいなことにひっかかって、いつもまごまご、しどろもどろしてしまう。

・この小説のかなりの部分が、この熊太郎の錯綜する心の動きととまどいの描写で占められている。それは冗談ポク、まるで講談の講釈士がするように語られているから、けっして深刻な内面の苦悩といったふうには読み取れない。けれども、これは間違いなく、近代小説の大きなテーマだった、自己と世界の対立とそれがもたらす苦悩の物語で、きわめて深刻な話なのである。

・この小説のおもしろさは、こういった問題を大阪の河内の農村に置きかえたところだろう。しかも、時代は江戸から明治への変わり目である。「近代的自我」にとりつかれた子どもを日本に伝統的な村社会のなかにおいて。その成長過程を想像したらどうなるか。僕は読み始めてすぐにそんな興味を感じて、一気に読んでしまった。家の中の、村の中の異物の物語を、異物の内面の側から読みとっていく。それはまた、異物の抱えた苦悩と同時に、それを受けとめる家族や村の人びとの態度や行動の特異さを描きだしていく。異物の側から見れば、伝統的な村社会はまた、何とも奇妙にみえる世界なのである。

・しかし、読み進みながら、これは現在の日本に典型的な自己と他者、個人と世間の物語なのではないか、という気にもなってきた。外見的には近代化したかのような社会であっても、日本は精神的には、そして人間関係的には、相変わらず村社会のままである。そのことを自覚せずに子どもをちやほや育て、自分の思惑に当てはめようとするから、異物のような子どもや少年・少女が続出する。熊太郎は自分から進んで極道になったのではない。それは、親や世間のインチキさに嫌気がさし、世間の掟にしたがうことに消極的に反抗した結果なのである。

・読み終わって、再認識した。これは、ミニ極道が続出する現在の日本社会を描きだした物語なのだと。おもしろいキャラをした、並はずれた力量の作家が出てきたと思う。今度はCDを買ってミュージシャンとしての町田康を聴いてみよう。

2005年6月21日火曜日

宮入恭平ライブ

 

miyairi1.jpg・大学院の僕の演習にはミュージシャンがいる。ジャーナリストもいれば、元お笑いタレントもいる。みんなユニークで、毎週の長時間に及ぶゼミも飽きることがない。基本ができていない点がちょっとだけ悩みの種だが、その分きっちりしぼる。ついてこれなければ、「ハイ。さよなら!」と引導を渡すことにしているが、落ちこぼれは少ない。というより、おもしろがって修士ではすまずに博士まで進んでしまうから、僕としては、その先どうするんだろう、と心配するばかりだ。「研究者になろうたって、なかなか大変だよ」といったり、「なまじ理屈を身につけると、君たちのよさが消えるかもしれない」といったりするのだが、学生たちはさほど気にしていない。

miyairi2.jpg・そんな学生の一人がライブをやった。宮入恭平。CD も出しているプロのミュージシャンだ。ただ、修論を書いていたから、ライブは1年ぶりだという。たまたま大学に出校した日だったから、少し研究室に長居してつきあうことにした。もう30代の後半で、有能なパートナーに養ってもらっているようだ。ハウス・ハズバンドで学生でミュージシャンという、なんともうらやましいところにいる。
・彼の修論は『ライブハウスの社会史』。日本の音楽状況とライブハウスの関係を70年代からたどり、現在のライブハウスとそこで歌い、踊り、演奏するミュージシャンたちの現状をフィールドワークしたものだ。

miyairi4.jpgmiyairi5.jpg・なかなかの力作だったと思う。だから今は、それを本にして出版できるよう書き直している。学者になるよりは、きっちりした音楽評論や文化批評のできるミュージシャンになってほしいと期待しているが、もちろん、ことはそれほど簡単ではない。がんばってほしいが、また、本職がお留守になってもいけない。

 

miyairi6.jpg・で、ライブである。場所は東京の中央線国立駅の南口にある「地球屋」という店だった。一橋大学のすぐ近くにあって、大学通りに面している。院生たちと早めに待ち合わせて、モスバーガーで軽い夕食をとった。地下の店に入ると、ウクレレで歌う青年のパフォーマンスが始まっている。「雑草〜」の歌が妙に耳に残った。小さくて細長い場所だが、音は悪くない。

miyairi7.jpg・彼のステージはかっこうよかった。エレキギターのバック(カマチョ)もついて、とてもリズミカル。CDで聴いていたから曲に馴染みはあったが、ライブの方がずっと迫力がある。若くて小気味のよいステージ。彼の番になったら、時間があっという間に過ぎた感じだった。十分にお金が取れるパフォーマンスで、もっとお大勢の客に聴かせなければもったいない。
・しかし、注文もちょっとだけ。「僕は、孤独、アイソレーション」。「そんなことはないだろう?」などと思いながら聴いた。さわやかだが、歳にあった、もうちょっと陰影や汚れや色気がある歌があってもいいな、と思った。もちろん、枯れや渋さなどまでは望まないけれども……。