セオドア・ローザック『賢知の時代』(共同通信社),ローレンス・J.コトリフ、スコット・バーンズ『破産する未来』(日本経済新聞社),フランク・シルマッハー『老人が社会と戦争をはじめるとき』(SoftBank Creative),上野千鶴子『老いる準備』(学陽書房),赤川学『子どもが減って何が悪いか!』(ちくま新書)
・団塊世代がまもなく、60代になる。日本は世界一の長寿国で、女の平均寿命が85歳になろうとしている。一方で、子どもの出生数は減り続けているから、高齢化社会に向けてまっしぐらということになる。年金の破綻は目に見えているが、たいした改善策もなされぬままに秒読み段階に入っている。団塊本などには、すぐ下の世代から「年金泥棒」などという暴言が吐かれたりもしている。もらう前からこれだから、いざ年金生活者になったら何を言われるか、と思うとぞっとする。
・フランク・シルマッハーの『老人が社会と戦争をはじめるとき』はドイツでベストセラーになったという。その内容は近未来の恐怖を誇張したもので、題名通りに、世代間戦争を予告する脅し文句で一杯だ。老いてリタイアを望んでいながら、他方で若さや長生きに執着する老人たちと、それを支えるしんどさを拒否し、ばからしさに嫌悪する若者たち。何もしなければ、数十年、あるいは数年後に、そんな状況がやってくる。しかも、ヨーロッパやアメリカや日本でいっせいにというのである。
・一番の原因は、第二次大戦後に多くの子どもが生まれたことにある。そして、その後の近代化の成熟過程で、少ない子どもを大事に育てるとか、子どもをつくらない結婚(Dinks)とか、一人で暮らすといった多様なライフスタイルが現実化した。さらに加えて、飛躍的な寿命の延びである。豊かさがもたらした悲劇。
・年金がもらえなければ、この世代は数が多いのだし、反抗の世代とも呼ばれたから、デモでも実力行使でもやりかねない。しかし、もらえればそれでいいという問題でもない。若い世代が金や権力を持つ大人に異議を唱えるのとちがって、年金は若い世代に高い負担を強いることになるし、それでもとても追いつかないほどの財源が必要だからである。
・このような少子高齢化社会が招く問題については、どこの国にも明確な解決策は見あたらない。ローレンス・J.コトリフとスコット・バーンズの『破産する未来』は、アメリカの財政の現状と過去の政策、そして政府が持つ将来についてのビジョンをさまざまなデータをつかって経済学的に分析したものである。
・アメリカの人口構成は2000年で5歳以下が6.8%で65歳以上が12.4%。この数字は100年前とちょうど逆である。そして
2030年には65歳以上が20%近くになる。歴代大統領はこの問題を避けて通ってきた。ブッシュはそうはいかないはずなのだが、その危機意識はテロ問題には遠く及ばない。社会の高齢化はベビーブーマー世代に限った一時的な現象ではなく、これから恒常化するもので、著者が見通す未来予測はきわめて悲観的である。そして、政府の政策などあてにせずに自衛策を施せ!という以外に対処のしようはないというのが結論になっている。
・ただし、この本にアメリカとの比較で出てくる日本は、すでに人口構成比や年金の問題だけでなく、国の財政も破綻寸前にあって、状況はアメリカよりもはるかに悪い。平均寿命ののび(82)と出生率の減少(1.25)が同時進行の日本と比較して、アメリカの平均寿命は世界で25位(76)にあり、出生率も2.0前後を推移している。「破産する未来」という悪夢は、日本のほうがはるかに現実的なのである。
・日本では、それをどうしようとしているのか。政府主導の「少子化対策」に「男女共同参画社会を実現させれば少子化は止まる」というスローガンがある。仕事や子育てを男女が協力し合い、それを国や自治体や企業が支援すれば、もっと子どもを産む気になるというものだ。しかし、本当にそうなるのだろうか。赤川学の『子どもが減って何が悪いか!』はそのスローガンの根拠自体に疑問を呈している。つまり、モデルとなるのは北欧やオランダといった国だが、提示されている統計が都合よく歪曲されていて、男女共同参画が実現しても出生率が増えない国が除かれているというのである。あるいは社会福祉の理想国として取り上げられるスエーデンでも、効果は一時的で、出生数の回復が恒常化されているわけではないようだ。
・少子化の原因は、都市化と核家族化、それに女の就業志向の高まりにあるから、そこを変えないかぎりは出生率が飛躍的に高まることは望めない。第一、少子化の大きな原因は、共働きの既婚者以上に、結婚しないシングルの増加にあって、ライフスタイルの多様化は、すでに意図的に修正できないところまできている。「少子化対策」に集められた研究者たちは、それがわかっていながら、「男女共同参画」と「出生率」の関係を強調して御用学者に成り下がっている。読みながら、年がいもなくかわいこぶりっこする「コスプレ大臣」を思い浮かべてしまった。
・高齢化社会への対応は、高齢化する人たちがみずから解決すべきものである。赤川はそう主張する。もうすぐ老人の中に入るぼくも、そう思う。しかし何をしたらいいのか。上野千鶴子の『老いる準備』は介護保険を中心に、団塊世代以降の人たちが、自分の将来を見通す必要性を説いたものである。上野は「介護保険法」の制定を強く評価している。
介護保険は家族革命だった、とわたしは思っている。「革命」というのは非常に強い表現だが、天地がひっくり返るような変化のことをいう。なぜあえてそういう強い表現を使うかというと、介護保険で、家族観が変わったからである。「介護はもはや家族だけの責任ではない」という国民的合意ができたからこそ、介護保険は成り立った。これを介護の社会化という。(p.106)
・介護保険は40歳以上が強制的に加入することでまかなわれる。年金とはちがって後の世代にみてもらうのではなく、自分のために用意する保険である。できた経緯にはかなり不純な要素があり、また政治家にも革命的な制度だという認識が薄かったようだ。また現実的にもさまざまに試行錯誤が必要なようである。ぼくはそれほどの制度改革とは思わなかったから、この本には目から鱗の思いがした。
・セオドア・ローザックはベビーブーマーが起こした動きを分析した『対抗文化の思想』(ダイヤモンド社)で知られている。そのかれが老年期に入るベビーブーマーの問題を『賢知の時代』で考えている。若いころに社会を批判し、あたらしい世界を思い描いた世代なのだから、老人ばかりになる世界をどうつくりだしていくか、についても考えて実践すべきだし、そうするだろうという内容になっている。ローザックはベビーブーマーよりも一世代上で、大病も経験したようだ。だから、その気持ちのもちようには、すでに老人期に入って死も自覚した人のたしかな見識がうかがえる。
・年長者はこの社会の創造的な力であって、それまでと同じことをしていてはならないのである。創造的であることは生産的であることとはちがう。いつまでも競争をつづけることに疑いの目を向け、富と名声の追求から手を引くことだ。その態度はまったく新しく、勇気と想像力を必要とする。(p.151)
・ローザックがいう創造力は、知識や情報ではなく、「知恵」の復権である。広告や流行に惑わされない、シンプルな生活スタイル。金が必要な消費ではなく、じぶんで工夫する試み。それらは60年代にベビーブーマーたちが社会批判として実践し、ほどなく消費文化にとりこまれたものだが、当時とはちがって現在では、かれらには経験や技術に裏打ちされた知恵がある。まったくそのとおりだと思う。具体的に何をどうという話はほとんど書かれていないが、不安や憎悪や恐怖ではなく、具体的に何かできそうだという希望を抱かせる本である。