・最近にはじまったことではないが、テレビを見ていて妙に気になることがある。レポーターが見知らぬ人に出会って話しかける第一声が「お父さん」や「お母さん」であることだ。最初だけならまだ気にならないが、話を通してそう呼びつづけて、名前を聞きもしない。呼ばれた方も返答しつづけているから、どちらも違和感をもっていないのかもしれない。けれども、ぼくには何とも奇妙に聞こえる。
・「お父さん」や「お母さん」は実の子どもが親に対してつかう呼称であって、見知らぬ人からかけられるものではない。それが、それらしい年代、たぶん40〜50代に対してつかわれている。60代以上なら「おじいちゃん」「おばあちゃん」なのだろうか。しかし、テレビではあたりまえだが、日常生活ではどうなのだろうか。
・昔、子どもが中学生の頃によく電話があって、出ると、「お父さんですか?」と言われたことがある。塾や家庭教師の勧誘だが、あまりに頻繁だから意地悪して、「だれの?」と応えたことが何度かある。そうすると、相手は思いもかけない返事にまごついて、しばし沈黙、なんてことになった。その意味では、見知らぬ人に「お父さん」「お母さん」と呼びかけるのは新しいことではないが、この場合には、勧誘したい子どもの父親であることを確認しようとしているのだから、「お父さん」には、それなりの必然性があった。けれども、見知らぬ相手からいきなり「お父さん」と呼びかけられるのは、すくなくともぼくにとっては、気分のいいものではない。といって、「おじさん」「おっちゃん」あるいは「おじいちゃん」などとも呼ばれたくはない。
・たとえば英会話の最初のレッスンは、「あなたの名前は?」「私の名前は〜」からはじまる。つまり、人の出会いは、英語の文化圏ではたがいに名を名乗ることからはじまるのだが、日本人のやり方はけっしてそうではない。仕事上の出会いなら、名乗らずに名刺の交換だし、偶然で一時的なら名乗ることもない。たがいに名前を知らなくても、日本人はあまり困らずに話をすることができる。だいたい、英文を訳すときに注意するのは、I
やYouといった主語をいちいち訳さないことだから、日本語には、私やあなたやだれがといったことは必要なく会話ができてしまうという特徴があることになる。
・道ばたで見知らぬ人に声をかける必要があるときには、「すみません」とか「あのー」と言えば、相手との関係ははじめられる。それで、名前を名乗ったり聞いたりしなくても、用事は十分に済んでしまう。電話ではそういうわけにはいかないから、「〜と申しますが」といった後で、「〜さんですか」となるのだが、先に紹介したように、用件によっては「お父さん」といった呼びかけが出てくることになる。
・テレビでの呼びかけには、多分に、「親しさ」のメッセージがふくまれている。かしこまらずにくだけた調子で必要な話にはいることができる。だから、テレビでの出会いと会話のやりとりは、日常の場ではおこりえないほど、すぐに親しげな空気につつまれることになる。それはそれで楽しげだが、ぼくが気になるのは、テレビタレントやテレビ番組そのものが、見知らぬ人をまるで隣人や親戚であるかのようにみなしている姿勢にある。出演者も制作スタッフも、だれもが知っているはずのぼくや私、だれもが見ているはずのこの番組、という前提を信じて疑っていない。有名人やセレブと見れば、だれもが胸躍らせて近づいてくると思っている。
・ぼくは街中に出かけないからチャンスがないが、「お父さん」と呼ばれたら、「だれの?」とか「どなたですか?」とか応えてみたい誘惑に駆られる。それが生番組だっりしたら、ちょっと見もので、そういうことをやる人がいたらおもしろいのにと思ってしまう。関係やコミュニケーションは互いの自明性を前提にする。これはエスノメソドロジーの基本で、今は自明性をテレビがつくりだしているから、それに迎合しないで、崩してやればおもしろいのに、と思うことがすくなくない。テレビが演出する親密な世界につきあって、「お父さん」「お母さん」役など演じることはないのである。