2007年4月9日月曜日

「お父さん」ってだれのこと?

 

・最近にはじまったことではないが、テレビを見ていて妙に気になることがある。レポーターが見知らぬ人に出会って話しかける第一声が「お父さん」や「お母さん」であることだ。最初だけならまだ気にならないが、話を通してそう呼びつづけて、名前を聞きもしない。呼ばれた方も返答しつづけているから、どちらも違和感をもっていないのかもしれない。けれども、ぼくには何とも奇妙に聞こえる。
・「お父さん」や「お母さん」は実の子どもが親に対してつかう呼称であって、見知らぬ人からかけられるものではない。それが、それらしい年代、たぶん40〜50代に対してつかわれている。60代以上なら「おじいちゃん」「おばあちゃん」なのだろうか。しかし、テレビではあたりまえだが、日常生活ではどうなのだろうか。

・昔、子どもが中学生の頃によく電話があって、出ると、「お父さんですか?」と言われたことがある。塾や家庭教師の勧誘だが、あまりに頻繁だから意地悪して、「だれの?」と応えたことが何度かある。そうすると、相手は思いもかけない返事にまごついて、しばし沈黙、なんてことになった。その意味では、見知らぬ人に「お父さん」「お母さん」と呼びかけるのは新しいことではないが、この場合には、勧誘したい子どもの父親であることを確認しようとしているのだから、「お父さん」には、それなりの必然性があった。けれども、見知らぬ相手からいきなり「お父さん」と呼びかけられるのは、すくなくともぼくにとっては、気分のいいものではない。といって、「おじさん」「おっちゃん」あるいは「おじいちゃん」などとも呼ばれたくはない。
・たとえば英会話の最初のレッスンは、「あなたの名前は?」「私の名前は〜」からはじまる。つまり、人の出会いは、英語の文化圏ではたがいに名を名乗ることからはじまるのだが、日本人のやり方はけっしてそうではない。仕事上の出会いなら、名乗らずに名刺の交換だし、偶然で一時的なら名乗ることもない。たがいに名前を知らなくても、日本人はあまり困らずに話をすることができる。だいたい、英文を訳すときに注意するのは、I やYouといった主語をいちいち訳さないことだから、日本語には、私やあなたやだれがといったことは必要なく会話ができてしまうという特徴があることになる。
・道ばたで見知らぬ人に声をかける必要があるときには、「すみません」とか「あのー」と言えば、相手との関係ははじめられる。それで、名前を名乗ったり聞いたりしなくても、用事は十分に済んでしまう。電話ではそういうわけにはいかないから、「〜と申しますが」といった後で、「〜さんですか」となるのだが、先に紹介したように、用件によっては「お父さん」といった呼びかけが出てくることになる。

・テレビでの呼びかけには、多分に、「親しさ」のメッセージがふくまれている。かしこまらずにくだけた調子で必要な話にはいることができる。だから、テレビでの出会いと会話のやりとりは、日常の場ではおこりえないほど、すぐに親しげな空気につつまれることになる。それはそれで楽しげだが、ぼくが気になるのは、テレビタレントやテレビ番組そのものが、見知らぬ人をまるで隣人や親戚であるかのようにみなしている姿勢にある。出演者も制作スタッフも、だれもが知っているはずのぼくや私、だれもが見ているはずのこの番組、という前提を信じて疑っていない。有名人やセレブと見れば、だれもが胸躍らせて近づいてくると思っている。
・ぼくは街中に出かけないからチャンスがないが、「お父さん」と呼ばれたら、「だれの?」とか「どなたですか?」とか応えてみたい誘惑に駆られる。それが生番組だっりしたら、ちょっと見もので、そういうことをやる人がいたらおもしろいのにと思ってしまう。関係やコミュニケーションは互いの自明性を前提にする。これはエスノメソドロジーの基本で、今は自明性をテレビがつくりだしているから、それに迎合しないで、崩してやればおもしろいのに、と思うことがすくなくない。テレビが演出する親密な世界につきあって、「お父さん」「お母さん」役など演じることはないのである。

2007年4月3日火曜日

久しぶりの京都

 

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・京都はちょうど2年ぶり。前回もパートナーの個展の時だったから、それ以外には来ていないことになる。学会など来てもいい機会は何度かあったのだが、面倒な気がしてご無沙汰してしまった。その分、今回は懐かしさも増して、空いている時間に、昔なじみの場所を歩いてみることにした。
・まずは、泊まったホテルのそばにある最初に非常勤講師をした平安女学院の教会、そこから御所にはいると、しだれ桜が八分咲きで、日曜日だから人出も多かった。御所を西から東に縦断して寺町通りに出ると、結婚式をした洛陽教会がある。しかし、もう30年以上前だから隣の新島会館共々改築されていて、昔の面影とはずいぶんちがっていた。
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・鴨川に出ると桜は二分か三分なのに、やっぱり観光客がたくさんいた。で、少し路地にはいると、折から市議や府議の選挙の時期で、何台もの宣伝カーと遭遇、そのたびに手を振られ、よろしくお願いしますと頼まれた。残念ながらぼくはもう京都市民ではないのに、と思っても、選挙の当事者には、一票をもつ人ともたない人との区別はつきにくい。そのポスター掲示板を見ると懐かしい顔。ぼくもその選挙を手伝ったこともあったが、左京区の市議として20 年の実績を強調している。そんなにたったかとあらためて時間の流れを実感させられた。彼、今回は厳しいのではといった声も聞こえてくる。
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・京大もずいぶん新しい建物ができたが西部講堂は健在。駸々堂に入ってコーヒーを一杯。百万遍の近くに昔風だが昔はなかった「カフェ」があった。出町ではよく買った和菓子屋に長蛇の列。お花見のシーズンで桜餅を買い求める人たちだ。おいしかったが決して有名ではなかったのに、今では京の和菓子の老舗として有名になってしまったのかも知れない。kyoto07-5.jpg
・今出川通りを西に進むと「ほんやら洞」。もう12時に近いのにあいていない。甲斐さん、ちゃんとやってるのか。久しぶりに顔を見たかったのに残念。店の外観も相当古びた感じになってきた。さらに進むと、同志社大学。日曜日でキャンパスに人通りはない。昔ながらの風景だが、学館のあったところには巨大な建物が建っていた。kyoto07-8.jpg


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・京都の町は、小路を歩くと、まだまだ懐かしい店や町家がある。「装束店」「法衣店」「建具屋」「味噌屋」、パートナーの個展会場は元「丹定」という名の米屋さんだった。そこを改造して、ギャラリーにしてあるのだが、現実には多くの町家が解体され、駐車場やビルに変わっている。ここもつい最近隣の建物が壊された。町家は隣と壁を共有しているから、一面青いシートで覆われている。無惨というほかない景色。壊すことは簡単で、残すことはむずかしい。

2007年3月26日月曜日

地図、ナビ、Google Earth

 

journal4-101-1.jpg・車用に取り外し可能なナビを買った。ふだんは走り慣れた道だから無用だが、たまに必要に感じることがあった。道路地図を持ち歩いていたのだが、老眼で見にくくなったし、地図では細部はわからない。ただし、車に備え付けるものは面倒だし、値段が高すぎる。音楽はipodで聴けるし、テレビやDVDを車でみることはない。そんな気があって以前から「Gorilla」に注目していたのだが、地図の更新をSDカードでするナビ専用のモデルを見つけて買うことにした。
・4.5インチでちょっと小さめだが、とくに見にくいという感じはない。電話番号や番地で目的地を詳細に検索することはできないが、その周辺までは確実に行けるから、後は地図を見ながらじぶんで微調整すれば問題ない。何よりいいのは、いつでも地図帳として使えることだ。
・ただし、車のなかはにぎやかになって出発までに時間がかかるようになった。まず、ipodを接続して、次にナビ、そしてETCカード。さらにはオービス探知のレーダーである。これだけにぎやかだと駐車していても目立つから、とめているときは当然、全部を取り外してダッシュボードにしまったり、持ち歩くということになる。ナビやipodほしさに窓ガラスをたたき割るなんて話がよくあるからだ。

journal4-101-2.jpg・ナビもオービス探知レーダーもGPSを利用している。だから、いま車がどこにいるかが感知されるわけだが、その精度はナビをつかって改めて驚くほど正確だった。これを記録すれば、ぼくの車での行動はすべてあきらかになる。と考えると気分のいいものではないが、足取りはETCでも記録されていて、高速道路での走行は、料金や所要時間などがネットで確認できるようになっている。まさに管理社会で、それを強制されるのではなく自らすすんで求めているということになる。
・去年の夏休みにGoogle Earthを使い始めて、パソコン上でも地図で遊ぶ機会が増えた。ぼくの住んでいるところは田舎だから、家までは確認できないが、都市部だと自分の家の屋根までわかってしまうし、駐車場に止めてある車まで確認できる。海外旅行をして出かけた都市の泊まったホテルや歩いた通りなどが立体でわかったりするし、著名な建物だと実物そっくりにできていたりするから、ついつい時間を忘れてヴァーチャルな散歩をしてしまうことになる。
・各国のスパイ衛星が地球上のあらゆる地点を監視していて、その精度はたばこ大のものまで見分けるほどだという話を聞いて驚き、ぞっとしたのは何年前だっただろうか。今は、それに近いものがネット上でだれにでも使えるようになった。ナスカの地上絵を確認したとか、アフリカのサバンナでゾウを見つけたといった楽しみ方がある一方で、悪用される危険性もまた大きいのではないかと心配してしまったりする。
・便利になること自体は悪くはないけれども、その分、かならず、プライバシーをあからさまにしたり、それが別の形で利用されたり、じぶんではよくわからないブラックボックスが増えていったりする。それを自覚せずに便利さに流れると、いざ問題が起きたときに、どうすることもできない状況においこまれたりする。ナビやETCやGoogle Earthをつかっていると、その便利さやおもしろさと同時に、それと同じだけか、それ以上の不安も感じてしまう。

・ぼくは電車にはめったに乗らないのでSuicaなどのカードは必要ない。最近、どの電車やバスでも共通して使えるPasmoができて、切符を買う面倒がなくなったようだ。銀行のキャッシュカードやクレジットカードもふくめて、カードを使った履歴はすべて記録されていて、常にその情報が流出したり悪用される危険性をもっている。携帯もそうだから、じぶんのする行動のほとんどはデーター化されて残されていることになる。icチップはこれからもいろいろに使われそうで、図書館の貸し出しカード、スーパーのポイントカードから、本などの商品にまでつけられる可能性があるようだ。
・そんなふうに見回すと、もうすでに、とんでもない管理社会が実現していることに気づかされる。街路や建物には無数の監視カメラがあり、家の中には大画面の液晶テレビ。オーウェルの「1984年」そのものだが、それは強制されたのではなく、自発的に、望んで招き入れたものである。便利さや安心や確実さを求めてできあがるシステムには、かならず、それに相応した不便さや不安や不確かさがつきまとう。その負の側面がほとんど自覚されていない。「自由は奴隷、奴隷は自由」の社会。ナビをつかっていて、ふとそんなことを考えてしまった。

2007年3月19日月曜日

K's工房の個展

 

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パートナーの個展が京都で開かれる。3/27(Tue)から4/01(Sun) で、場所は「アートステージ567」。烏丸夷川通り西入るにある元丹定米穀店の2階にある画廊だ。京都での個展は一年おきにやっているが前回までの画廊は、残念ながら店を閉めてしまった。京都から河口湖に引っ越して7年になる。最近では滅多に行くこともないから、ぼくも月末に出かけようと思っている。懐かしい顔に出会えるか、楽しみだ。

で、ここでは、予告をかねて最近の作品を紹介することにした。



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2007年3月12日月曜日

冬の肩すかし

 

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forest58-2.jpg・今年の冬はどこも暖かかったようだが、河口湖も例外ではない。例年だとやっとこの時期になって、気温が10度になるというのに、今年は1 月にも2月にも、10度を超える日が何日もあった。というより15度を超えて、もう初夏かと思わせる日も何日かあった。冬を通して地面が見えつづけた年は今年ではじめてで、何とも物足りない冬になった。もっとも植物の出だしは早くて、すでに大粒の蕗のとうが出はじめている。さっそく丸ごと天ぷらにしたが、久しぶりの苦さにやっと季節の変わり目を実感した気がした。

forest58-3.jpg・もっとも富士山の雪化粧は例年になくきれいだ。猛烈に寒かった去年は、降った雪がすぐに風で吹き飛ばされてしまって、1月に農鳥が出てしまったりしたが、今年はアイスバーンになって、厚く凍りついている。とはいえ、春が本格化してしまうと、富士山も雨ということになって、雪が消えるのは早いのかもしれない。季節はくりかえしても、一度としておなじではない。引っ越して7年目になるのに、毎年そんな感想を持ってしまう。「行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」ということなんだと、つくづく思う。

forest58-4.jpg・寒くないからぼちぼち、カヤックを持ち出して湖に漕ぎ出そうかという気にもなる。そんな話をしたら、パートナーが木くずを材料にした粘土でカヤックとぼくと、おまけに犬までつくってくれた。鉛筆会社が売っている粘土で、固めると水に浮かべることができる。さっそく風呂場で遊んだが、やっぱり本物の気分にはかなわない。もっとも、犬は当分飼えそうにないから、カヤック犬は、風呂場で我慢するしかない。さあ、明日にでも行こうか、と思ったときに、家の近くで伐採した木を見つけてしまった。

forest58-5.jpg・最初はちょっとだけだと思ったのだが、近づいてみると川の土手に切り倒した木がたくさんあった。半分は水につかっていて、なかにはキノコが生えているものもある。さっそく車で出かけ、チェーンソウで切り刻んで持ち帰ることにした。川から土手の上まで放りあげたり、かついで長い距離を運んだりして1時間ほどでへたばってしまったので、次の日もその次の日も出かけてかなりの量を確保することができた。今年の使いのこしとあわせれば、来年の冬はこれで大丈夫。やれやれ。

2007年3月5日月曜日

忌野清志郎,"King","God","夢助"

 

kiyosiro1.jpg・忌野清志郎は日本人でいいと思う数少ないミュージシャンの一人だ。癌で入院というニュースを耳にしたから、またか、と思ってしまった。高田渡が死んで、がっかりしてから1年ちょっとしかたっていない。病気の様子が気になったが、年末に近くなって、元気になったというニュースを見かけるようになった。癌は再発が怖いけれど、まあ一安心。
・彼のミュージシャンとしてのキャリアは長い。もう30年以上になるはずだ。しかも、精力的に新しいアルバムを出しつづけている。ぼくが彼の歌を好きな理由は第一に、同世代で、他の名前だけのミュージシャンのように懐メロシンガーになっていないことである。フォーク・シンガーなら自分や世界の今を歌わなければ死んだも同然なのに、なにを勘違いしているのか、巨匠気取りでいる人が結構いるし、それをまた支える、ノスタルジーだけで満足するファンが多すぎる。清志郎はそんな人たちと無関係なところにいる。

・だから、彼の歌にはどれにも、明確なテーマがあり、はっきりしたメッセージがある。しかも、聴いていて、はっきりことばが聞き取れる。そんなことあたりまえすぎることだが、なにを歌っているのか聞き取れないシンガーがものすごく多い。だいたいボーカルに比べてバックの音が大きすぎる。聞き取って受け止めるほどのメッセージをもっていないのだから、わからなくてもいい、と思っているのだろうか。
・実際、歌詞を読んでも、曖昧で意味不明な歌が多すぎるのだが、学生たちはそれを聴いて、癒されるとか励まされるとかいっているから、メッセージの伝え方や受け止め方がちがうのかと思ってしまう。「〜とか」「〜みたいな」「〜かも」なんていい方を乱発するのがはやりだから、はっきりしたくないという風潮があるのかもしれない。そのくせ、”寂しい”、”つらい”、”苦しい”、"悲しい”といった直接的なことばはやたら多い。これでは歌詞とはいえないんじゃないのといいたくなってしまう。で、ぼくはそんなことばづかいにうんざりしてしまう。

kiyosiro3.jpg ・清志郎の作る歌には、しゃれた歌詞の見本がいくつもある。たとえば、「HB・2B・2H」。ちょっとHなニュアンスもあるし、どんな目にあってもへこたれないという意思表示もある。小さな子どもにもわかるし、いろいろ考えさせる深みも広がりもある。


HB あいつはHB 鉛筆野郎さ HB
HなBだぜ HB
消しゴムがやってきて ぼくらを消そうとするけれど
ぼくらには芯がある 折れたって芯がある
消されたって消えない

・ストレートな反戦歌を歌う人は、今では彼一人だといってもいい。それがわざとらしくなく歌えるところが、彼の持ち味だろう。たとえば「God」。

ゲームを楽しんでるのか 好き放題思いのままに
あいつの気まぐれだけで 人びとの未来が消えていく
あいつの名前はGOD 人間どもをつくりあげた
戦争と平和のいたちごっこ ちんけなゲームをつづけている

kiyosiro2.jpg ・もちろん、ラブソングもひと味ちがう。それはけっして若いやつらの専売特許ではない。いろいろなことを経験して、はじめてわかることもたくさんある。しかも、わけしり顔にならず、新鮮な気持ちも持ちつづける。むずかしいけど必要なこと。たとえば「毎日がブランドニューディ」

君と真夜中に話した いろんな事
75%は忘れてしまった
君と長い間過ごしたこの人生
80%以上は 覚えていないかも
Hey Hey Hey でもいいのさ
Hey Hey Hey 問題ない
君がいつもそばにいるから
毎日が楽しい

・最近の3枚のアルバムには、このほかにも納得したり、感心したり、考えさせられたりする歌詞がいくつもある。どぎつい化粧やコスチュームが売り物だけれど、伝えたいことがしっかりあって、それを同世代から若い人にまで懸命に表現している。乗ってるだけに、体の回復には慎重にと思う。喉頭癌だから、喉の酷使は禁物だろう。絞り出すように歌う発声の仕方だから、なおさら気になってしまう。

2007年2月26日月曜日

レイチェル・カーソンの鳴らした警鐘

 

rachel2.jpg・レイチェル・カーソンはもう半世紀も前に、農薬などの化学薬品の害を告発した人として知られている。その『沈黙の春』で彼女が鳴らした警鐘は、いま読んでも思い当たることが多くて、空恐ろしい気がしてくる。しかし、同時に、慣れてしまってたぶん、大丈夫だろうと高をくくってしまう自分がいることにも気づかされる。
・たとえば、ホームセンターに行って、ペンキを買おうとすると、かならず、害に対する注意が書いてあって、使い方に気をつけるよう指示が載っている。しかし、どうせなら防かびや防虫の役割をしてほしいからと、多少の害は目をつむってと買ってしまった。案の定、家の外壁を何日もかけて塗った後は、家の中にいても涙が出たり、頭が痛くなったりした。こんな商品はホームセンターにはいっぱいあるから、家をつくったり、補修したりする際に使われるものには、人体の害になる物質がたくさんふくまれているはずである。実際、シックハウス症候群で苦しんでいる人の数は100万人を越え、潜在的には1000万人になるという。10人に一人で、その中にはたぶん、ぼくもしっかり入っているだろうと思う。
・ぼくの家の近くにはブルーベリーやサクランボやブドウが一面に植えられている。シーズンになれば、その新鮮な実を摘んで食べる人たちが大挙してバスでやってくる。毎年冬になると大量の堆肥が運ばれてきてあたリに強烈なにおいが漂う。牛糞と木のチップを混ぜたもので、しばらくするとキノコがにょきにょき生えてきたりする。有機肥料で安全な果実であることを売り物にすれば、それなりの努力や苦労がいることがよくわかる。しかし、春になって葉がつくようになれば、防虫の農薬はやっぱり撒かなければならないようだ。
・家の周囲には野菜畑もたくさんある。でやっぱり、有機肥料で低農薬だから、なるべく近くのJAで買うようにしている。しかし、スーパーで売っているものは、半数が中国などからの輸入物だし、国内とはいえ遠いところからのものが多い。季節を問わずどんな野菜もあって、形や色が統一されているから見栄えはいい。しかし、そういうふうにつくるためには、やっぱり、農薬や化学肥料が必要になるはずなのである。
・もちろん、こういうことに自覚的な人の数は、この半世紀で飛躍的に増えている。第一に、アレルギー、アトピー、花粉症といった、昔はあまり聞かなかった病状をかかえる人の数もものすごく多い。健康やエコロジーへの関心も強くなっているから、なにか問題が起これば、あるいは発覚すれば、たちまち大騒ぎにもなる。しかし、騒ぐのは一時的で、しばらくすれば忘れてしまうといったことがくりかえされている。


rachel1.jpg・『失われた森』はカーソンの遺稿集である。アメリカでは1998年に出版され、日本では2000年に翻訳されている。本には載らなかった文章や、本を書き上げる際の裏話などがあって、もう一度『沈黙の春』や『われらをめぐる海』を読みたい気にさせる記述が少なくない。


100年前、ナチュラリストで画家のオーデュポンは、ケンタッキーの故郷の村で、空がリョコウバトの群れで文字どおり埋めつくされるのを目にした。4昼夜の間に頭上を飛んだ鳥の数は、10億羽を超えるだろうと彼は記録している。ブナの実が熟すころ、鳩たちはそれをめあてに、一日200マイル以上もの距離を飛び、森林地帯では100平方マイル以上にわたって、樹上に休息する鳥がぎっしりと群がり、重みで木の枝が折れるほどだった。

・これは彼女が1937年に書いたものである。100年前と比較して野生の動物が激減したことにふれているのだが、それから70年たった今はどうなのだろうか。もし、上にあるような鳥の大群が出現したら、どんな田舎であっても、異常なこととしてニュースで取り上げられて大騒ぎになるにちがいない。絶滅危惧種のことがよく話題になるが、それほどでなくても、どんな動物も、その数はここ100年、あるいは200年のあいだに激減している。今年はブナの実が不作で、熊があちこちに出没して、銃殺されている。あまりに殺しすぎて絶滅のおそれがあるくらいだという。数が減っているのになお食べ物に不足して、人間の世界にあらわれて殺されたわけで、野生の生き物にとっては、その環境はもうとても生きられたものではないのかもしれない。
・『われらをめぐる海』は三部作で、海の生き物について書かれているが、それを単なる生物学の専門書としてではなく、多くの人に興味をもって読んでもらうために、生き物の視点に立って書いたようだ。遺稿集には、文学少女で作家になりたかったという思い出話もあって、彼女の文の魅力に納得がいく気もした。あるいは遺稿集の最後の文は、彼女が乳ガンで死ぬ半年前の1963年におこなわれた「環境の汚染」というタイトルの講演の記録である。話の中心は放射性廃棄物の海洋投棄について、その危険性を説明したものだ。これも半世紀たってもホットな問題で、今は地中深くに穴を掘って埋めようとしている。便利なものが増えればそれだけ、処理できない、しきれないゴミも増える。彼女の鳴らした警鐘がどこまで生きているのか、怪しい気になってくる。このまま行けば100年後にはどうなるのか。空恐ろしい世界は、SFではなく現実として間近に迫っているのではないだろうか。