・2年生のゼミでは、毎年、ホームページをHTMLで作成させてきた。今年は大学のサーバーに
"Movabletype"がはいったので、とりあえず、HTMLの基本を練習した後で、ブログをつくらせることにした。手順は大学の指定の頁に書いてあって、それに沿ってやればいいのだが、早い学生もいれば遅い人もいて、なかなか次に進めず、公開するまでに何時間もかかってしまった。
・責任はもちろん僕にもある。去年の秋に、現4年生と一緒に、ブログの作成をはじめたのだが、それから半年たって、基本的な手続きを忘れてしまっていた。だから、手順をうっかり一つ飛ばして指示、なんてことがくりかえされた。ブログは既成のサイトを利用すれば簡単にはじめられるが、
"Movabletype"はむずかしい。それでもちろん、ブログの仕組みの一端が理解できたりもするのだが、頻繁にやる設定の変更箇所を除けば、たいがい一度かぎりだから、すぐに忘れてしまう。
・それはともかく、学生に自分のサイトを作らせると、それなりにおもしろがるし、興奮もする。HTMLで適切に指示すると、意図した通りの頁が表示される。背景の色、文字の大きさ、文章の位置、それに画像とやっていくと、はまってしまう学生も何人か出てくる。その様子とつきあって、もう10
年以上続けてきたが、ブログにすると、そこにコメントのやりとりという楽しさが加わって、ホームページ以上に、学生は興味をもったようだ。
・カウンターをつけて訪問者数がわかるようにしたから、それを励みにせっせと更新したり、他の人のブログにコメントを書きこんだりする学生がいて、一度つくったら大半がそのまま、という昨年までの学生のホームページとは、あきらかに違うことがわかった。学生たちにとって、ネットの魅力が表現よりはコミュニケーションにあることが、あらためて確認できた気がした。実は2年生のゼミは、もうひとつ、課題を出して文章を書かせ、それにコメントをつけて書き直しをさせるという作業もやっている。「その文章をブログで発表してもいいんだよ」と言ったのだが、公開しようという学生は出なかった。自信がない、あるいは単に恥ずかしい。理由はいろいろあるだろう。
・もちろん、学生たちは、文章力を身につけたいと思っている。見たこと聞いたこと、感じたこと、考えていることなどを、どうしたら的確に文章に表現することができるか。しかし、そもそも「なぜ」書きたいのか、「何」を書きたいのかという問いかけには、首をかしげて黙ってしまう学生が少なくない。特に主張したい、表現したいことや理由はないけれども、何かを書いてはみたい。そんな欲求は当然、表現よりはコミュニケーションの方に関心を向かわせることになる。だからブログなのか、と思うと、学生たちのやる気も合点がいく。
・たがいにコメントをつけあうと、それが励みになって、また更新する。だけどこういうパターンだと、自己主張の少ない、当たり障りのない話題だけがやりとりされがちになる。もっとも、ゼミで一緒になったばかりの学生たちは、おたがいに自発的に話しあうことがほとんどないから、ゼミ内での関係を促進する役割はあるだろう。
・一方、院生たちもブログをやり始めて、こちらはせっせと勉強の成果などを書くようになった。論文を書き、学会発表をする。本を書いたり、これから書こうと準備している人もいるから、表現活動は、いわば自分の存在証明や自己確認の行為で、僕も前からせっついてきたのだが、やっとやるのがあたりまえという状況になった。中には長文を毎日更新、なんていう学生もいて、しばらく見ないと読むのに一苦労なんてこともある。
・で、コメントは、と見ると、やっぱり仲間同士がほとんどだ。たがいに感想を書きあって、やる気を刺激しあう。そのことはもちろん悪くはない。しかしそれなら、顔をあわせてゼミや勉強会でやっていることと変わらない。直接ではなく、ブログという場では、ちょっと違うやりとりができるのだろうか。
・ブログとは不特定少数に向けた表現やコミュニケーションの呼びかけではなく、特定少数に向けたもの。学生たちのブログを見ていると、そんな特徴を強く感じてしまう。