粟谷佳司『音楽空間の社会学』青弓社
宮入恭平『ライブハウス文化論』青弓社
瀬沼文彰『キャラ論』STUDIO CELLO
・しばらく音信不通だった粟谷佳司君から本が送られてきた。彼は僕にとって最初の院生で、ほとんどマンツーマンで英語の文献を読む訓練をした。もう十数年前の、前任校での話だ。ちょうど僕も『アイデンティティの音楽』(世界思想社)を準備中の頃で、一緒にポピュラー音楽やカルチュラルスタディーズの文献を読んだ。僕が大阪から東京に転勤して、一緒に勉強することはなくなったが、がんばっていることは時折耳にした。
・『音楽空間の社会学』はカルスタ論が土台になっている。博士課程のある別の大学に移って書いた修士論文や、それ以降の理論研究が載っていて懐かしい気がした。歌が歌われ、音楽が演奏される空間や場、そこに集まる人びとの関係やパフォーマンスを理論的に整理して、それを留学中に体験したカナダの移民社会や、阪神大震災とそれ以降に生まれた、音楽その他のパフォーマンスという場に応用している。理論の部分が多くて、多少頭でっかちの感じを受けるが、フィールド研究として、これから発展させる可能性を感じさせる内容だ。
・実は同じ出版社から数ヶ月前に、やっぱり院生の本が出版された。その『ライブハウス文化論』を書いた宮入恭平君は現役のミュージシャン(粟谷君も最初はそうだった)で、東京のライブハウスを中心に活動している。だからこの本は、自らがパフォーマンスする空間を、研究者の視点にたって見つめなおして分析したものだと言える。音楽空間をテーマにした点で2冊は共通しているが、理論中心の前者に比べて、後者はフィールドワークと歴史が主な内容になっている。
・この本が強調するのは、日本の「ライブハウス」の特異さで、特に最近では、歌い演奏する者とそれを聴く者が、ほとんど仲間内の排他的な関係になっていることだ。つまり、「ライブハウス」という空間は、誰というわけではなく、ライブ演奏を楽しむために出かける場になっていないという指摘である。だから、ここには、そこを基盤にしてミュージシャンとして生計を立てるといった可能性はほとんどない。彼のフィールドワークから見えてくるのは、一部の有名なミュージシャンには多数のファンがつき、巨額のお金が動くが、それを除けば、音楽環境はきわめて貧弱だという現状だ。
・もう一冊、『キャラ論』を書いた瀬沼文彰君は、吉本興業所属の元お笑い芸人だ。大学生の頃から芸人活動をしていたから、当然、あまり勉強していなかった。変わり種でおもしろそうだが、勉強のきつさに音を上げて逃げ出すだろうと思ったのに、「キャラ」という現象に目をつけて書いた修士論文が、ほとんどそのまま本になった。培った話芸が生きたのか、街中で若者たちにインタビューをして、おもしろい材料をたくさん見つけてきた。
・「キャラ」はテレビ・タレントが自分の特徴をはっきりさせるために使いはじめたものだが、最近の若者、というより、少年少女たちは、互いに仲間であることを確認し、関係をうまく持続させるために「キャラ」を使うという。この本によれば、それは身体的特徴であったり、性格に注目したものだったりするが、自分で表明するものではなく、仲間によって命名される。そんな「キャラ」を介した関係が、コミュニケーションに気をつかう最近の若者の傾向を如実に映しだす。自己主張ではなく、他人が受ける印象に気をつかうこと、たがいの距離感を自覚すること、マジより冗談、真顔よりは笑いが大事なこと………。
・僕の研究室には、毛色の変わったユニークな学生が他にもいる。そんな人たちと勉強するのは、いろいろ刺激になって楽しい。歳のせいか、大学生が幼稚に感じられてつきあうことにくたびれているから、院の授業が「リフレッシュ」(癒しではなく)の役割を果たしている。で、そこからそれぞれの勉強や研究の成果が形になってあらわれれば、教師冥利に尽きるといものである。一方で、研究職に就くのは容易ではないという現実もあるが、こんなふうにおもしろいテーマをうまくまとめれば、無名でも本を出せるといった状況もある。
・院生の一人、佐藤生実さんと共訳した本が、秋には出版される。クリス・ロジェックの『カルチュラルスタディーズを学ぶ人のために』(世界思想社)で、イギリスのものだから、日本文化との関連をいくつかの項目を立てて、コラム形式で追加した。前期の院のゼミに出席した学生に分担して、報告と議論を重ねながら書いたものである。分量は少ないが、それぞれ、勉強してもらうことは多かった。ささやかな業績だけど役にたつこと、である。