・野茂英雄が現役を引退した。2005年に日米通算200勝をあげた後7月に解雇されて、これで引退かと思われたが、その後も復帰をめざしてがんばってきた。メジャーへの道を切り開いたパイオニアで、通算200勝もあげた選手なのに、現役続行をめざしてマイナーで投げ、春季のキャンプで生き残りをかけて戦い、今年はベネズエラのリーグにも挑戦した。「もういいじゃないか」という気持と、何とかまたメジャーのマウンドでの雄姿をという思いを抱きながら、彼のニュースを追いかけてきた。日本人メジャーリーガーが二桁の数に増え、イチローと福留がオールスターに出場したとは言え、彼のいないメジャー・リーグには、もうかつてほどの関心を持てなくなっている。どんな選手が出てきても、それほど興奮しないのは、彼の野球人生のなかに、もう敬服するとしか言いようのない生き様を見てきたからである。
→「ブログ・アーカイブ」『野茂と野球』
・ぼくはこのサイトを1996年の秋にはじめている。最初に野茂投手に触れたのは1997年の7月だった。ドジャース3年目で、13,16
勝と活躍したあと調子の上がらないシーズンになった年だった。その後も折に触れて、彼についてのコラムを書き続けてきた。改めてふり返ると次のようなものになった。並べてみると1998年だけがない。この年野茂はドジャースを解雇されてメッツに移籍している。ちなみに僕もこの年、大学を変わることが決まり、関西での最後の一年を過ごした。
1997年7月「ガンバレ野茂!!」(ドジャース)
1997年9月「ぼくの夏休み・その2」
1999年5月「 野茂の試合が見たい!!」<メッツ→カブス→ブリュワーズ)
1999年11月「 オフ・シーズンの野球とベースボール」
2000年8月「 オリンピックのTV観戦はどうしようかな?」(タイガース)
2000年10月「 オリンピック・野球・サッカー」
2001年4月「 Nomo No-No!!」(レッドソックス)
2001年7月「 MLBとNHK」
2002年9月「 やっぱり野茂が一番!」(ドジャース)
2003年3月「 やれやれ、今度は松井か………」
2003年10月「 野茂のMLB」
2004年7月「 Ah, Nomo !」
2004年8月「 何とも奇妙なプロ野球」
2005年5月「 野茂の夢、野球の夢」(デビルレイズ)
2006年4月「 野茂とイチロー」
2007年10月「 松坂と野茂」
→「ブログ・アーカイブ」『野茂と野球』
・野茂については、この他にも何本か書いた。その中でpdfでこのサイトで公開しているのは次のものだ。メジャーリーガとしての活躍よりは、彼の行動に対する日本のメディアの対応の仕方を批判したものである。そのことを自己反省的にふり返るメディアなどは、おそらく皆無だと思う。
1998年8月「野茂の衝撃『ホームエコノミカ』」
2000年6月「スポーツ・ジャーナリズムの不在と可能性『現代スポーツ評論2』」
・野茂がメジャーデビューした1995年は阪神大震災ではじまり、オームの地下鉄サリン事件があった年だ。しかも、彼のメジャー行きには近鉄球団や日本プロ野球機構はもちろん、メディアもこぞって批判的だったから、彼の活躍はことさら印象的だった。当のメジャー・リーグもまた、前年に選手のストライキでリーグが中途で終わり、観客離れが心配されていた。そこに日本から奇妙な投げ方で三振の山を築く投手が現れたから、それはメジャー・リーグにとっても救世主になった。・1995年はまた、日本におけるインターネット元年でもある。彼の投げた試合はもちろん、メジャー・リーグについてのニュースが、テレビや新聞以外から独自に入手できるようになった。そしてまた、日本の中はもちろん、世界に向けてでも自分が発信者になることが容易に現実化した。今現在のメジャー・リーグ、日本のプロ野球、そしてメディアやネットの状況を見回すと、野茂がメジャーに挑んだ13年間の変容に改めて驚かされる。野茂は、その激変を象徴する革命家のような存在だが、彼自身はまた、たんに野球が好きという無骨さを出しつづけてもいる。その変わらない一面がまた、たまらなく野茂を魅力的にもしている。
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unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。