2008年9月7日日曜日

再録「キャンパスブログ」(朝日新聞多摩版)1〜3

 

その1・河口湖から

・ 東京経済大学は国分寺市にある。キャンパスには緑が多く、多摩川の河岸段丘の傾斜地に建つ研究室の窓からは、雑木林ごしに府中の街並みが見える。天気がよければ多摩丘陵から丹沢山地、それに富士山まで見渡すことができる、極めて眺めのいい部屋である。

・ぼくはこの大学のコミュニケーション学部に所属して、「現代文化論」や「音楽文化論」を教えている。コミュニケーションと名のつく学部は日本で初めてのもので、IT技術の普及や文化研究の高まりを見越して、1995年に開設された。また、学部が卒業生を送り出した99年には大学院が新設され、ぼくはそのスタッフとして赴任した。コミュニケーション研究科もすでに9年がすぎて、何人もの博士を生みだしている。

・ 東経大に来るまでは、ぼくは京都に住んで、大阪の大学に勤めていた。で今は、河口湖に住んで、車で通勤している。長年の夢だった田舎暮らしを実現させたのだが、高速道路のおかげで片道1時間半ほどの行程ですんでいる。ただし、高低差が800メートルで、気温が時に10度も違うから、疲れがたまると体が悲鳴をあげることもある。だから、東京で道草などせず、用が済んだらすぐ帰還を心がけている。とは言え、ぼくは子どもから青年の時代にかけて府中で過ごして、両親が今でも健在だから、大学周辺にはなじみの場所も友人も少なくない。

・ JR中央線国分寺駅の南口から大学に向かって坂を下ると「ほんやら洞」という喫茶店がある。店主の中山ラビさんは、シンガー・ソングライターのさきがけだった人で、今でも熱心なファンがいて、時折、ライブ活動などもしている。ぼくは彼女と高校が一緒で、また京都でも、長い友達づきあいをしてきた。だからたまには店によって珈琲(コーヒー)を一杯といきたいのだが、それがなかなかままならない。昼休みではちょっと慌ただしいし、仕事帰りだと車を駐車場にとめなければならない。当然、珍しく顔をあわせると、「ご無沙汰(ぶさた)ね」と言われてしまうことになる。

・ この喫茶店、通学路にあるのに東経大の学生はめったに入らない。理由はと聞くと、こだわりやいわくがありそうで敷居が高いのと、学部の先生たちが入り口近くのカウンターにたむろしているからだという。だったらと、ゼミコンパをやって、雰囲気を味わってもらったりもした。60年代末の、ぼくやラビさんが学生だった頃の「風に吹かれて」、彼や彼女たちは、いったい何を感じるのだろうか。(2008年03月17日掲載)

 

その2・学生と個性

・ コミュニケーション学部は通称「コミ部」という。学生だけでなく、教授会でも通用しているが、ぼくはあまり好きではない。一度ゼミの学生から「なぜ?」と質問されたことがある。「『混(こ)み部』のようだし『ゴミ部』とも聞こえるから」と答えると、「でも、みんなふつうに言ってますよ」と返ってきた。そう、最近の学生たちは「みんな」「ふつう」が好きなのだ。みんなと一緒だと、何となく安心して落ち着ける。だから空気を読むことが大事なんだとつくづく感じさせられてしまう。

・ 学部のゼミは決して「混み部」ではない。10人前後が平均で、多い時でも15名ほどだから、少人数でじっくり勉強できる環境にある。ところが、みんながふつうを心がけるから、考えや感覚が違っても、それを巡って活発な議論が展開されたりはしない。一方では、彼や彼女たちは外見的な個性にはひどく気をつかう。髪の毛から履いている靴まで、そのこだわりは一目でわかる。そんな個性的であることへの関心が、なぜか、内面では抑えられてしまう。
・ 一番の理由は、対話や議論は訓練が必要なコミュニケーションの技術なのに、小学校から高校まで、ほとんど何もしてこなかったことにある。だから、じぶんらしい発言をしたいけど、意見の違いが人間関係を壊してしまうのではと感じてしまうのである。もう一つは、やっぱり「みんなふつう」からはずれることへの恐怖感。ゼミ生からこの垣根を取り去るのは簡単なことではない。

・ぼくは、「個性的な文章を書こうよ」で説得を始めることにしている。独りよがりじゃなく、人におもしろいとか、なるほどと評価される文章は、学生の多くも書きたいと思っている。そして学生たちは、この点でも、大学に来るまで十分な訓練を受けていない。ぼくがゼミ生に何度も出すのは、文章でスケッチするという課題だ。絵を描く人には常識だし、楽器を弾くためにだって、基本練習は欠かせない。じぶんの目でよく観察し、耳で、あるいは皮膚でよく感じとる。そしてじぶんの頭で考え、わからないことがあれば調べる。そうすれば、おのずとじぶんらしい個性的な文章が書けるようになる。

・「みんなふつう」のつまらなさは、学生たちも十分に自覚している。とは言えやっぱり、ふだんの人間関係では、個性的であることを抑えなければならない場合がかなりある。 「先生の個性は、社会に出たら通用しませんよ」。学生からのなかなか鋭い指摘である。(2008年03月24日掲載)

 

その3・消費する文化

・ 東京経済大学はその名の通り、経済学部だけの単科大学から始まった。開学は1949年だが、もともとは、1900(明治33)年に「大倉商業学校」として開校されている。コミュニケーション学部は、短大や夜間部の廃止に伴って開設された。「メディア社会」「企業コミュニケーション」「ネットワークコミュニケーション」、そして「人間・文化」の四つの専攻があり、ぼくは「人間・文化」に所属している。

・現代文化の最大の特徴は、それが商品として消費されるものだという点にある。衣食住のすべてにわたって、一からじぶんで作るのではなく、お金で品物として購入する。そんな生活スタイルは、20世紀後半から始まったものだから、その年月を生きてきた人ならば誰でも、次々と変容する有り様を具体的に記憶しているはずである。当然、ぼくにも、そのような記憶があって、何でも買って済ますことに違和感をもつことが少なくない。ところが学生たちは、消費という生活スタイルに、全く抵抗感がない。だから講義は、現在の文化の形態が、わずか半世紀ほどの間にもたらされた新しいものであることから始めることになる。

・「消費」という生活スタイルは簡便さや即時性を追求する。コンビニやファストフードはその象徴だが、どちらも学生たちにとっては不可欠の場に感じられている。欲しいモノがいつでも、どこでも手にはいる。このような感覚は、もちろん、話したい時にはいつでも、どこでも、誰とでもとなるし、聴きたい音楽や、見たいテレビも、いつでも、どこでも、何でもということになる。それは一面では、豊かさを実感させる根拠になる。けれども、その弊害もまた少なくないはずである。買わずにじぶんで作ってみる。やってみる。そんな発想が失われたところでは、結局、消費は浪費に行き着くしかなくなってしまう。そんな傾向を憂慮して「待てない子ども」「学ばない生徒」「働かない若者」といった問題を指摘する人もいる。確かに、そうかもしれないと思う。

・ けれども、ぼくが学生たちに対してもっとも憂慮するのは、時間と空間を超えてやってくる豊富なモノや情報が、逆に歴史や地理に対する感覚を失わせているという点だ。今、聴いている音楽は、いつ誰によって、どんな影響を受け、どんな思いをこめて作られ、歌われたのか。それをじぶんで調べて知ったなら、次々と聴き捨てることなどできなくなる。講義でくりかえし力説していることである。(2008年03月31日掲載)

 

2008年8月31日日曜日

学生が出した本

 

粟谷佳司『音楽空間の社会学』青弓社
宮入恭平『ライブハウス文化論』青弓社
瀬沼文彰『キャラ論』STUDIO CELLO

awatani1.jpg ・しばらく音信不通だった粟谷佳司君から本が送られてきた。彼は僕にとって最初の院生で、ほとんどマンツーマンで英語の文献を読む訓練をした。もう十数年前の、前任校での話だ。ちょうど僕も『アイデンティティの音楽』(世界思想社)を準備中の頃で、一緒にポピュラー音楽やカルチュラルスタディーズの文献を読んだ。僕が大阪から東京に転勤して、一緒に勉強することはなくなったが、がんばっていることは時折耳にした。
・『音楽空間の社会学』はカルスタ論が土台になっている。博士課程のある別の大学に移って書いた修士論文や、それ以降の理論研究が載っていて懐かしい気がした。歌が歌われ、音楽が演奏される空間や場、そこに集まる人びとの関係やパフォーマンスを理論的に整理して、それを留学中に体験したカナダの移民社会や、阪神大震災とそれ以降に生まれた、音楽その他のパフォーマンスという場に応用している。理論の部分が多くて、多少頭でっかちの感じを受けるが、フィールド研究として、これから発展させる可能性を感じさせる内容だ。

miyairi3.jpg ・実は同じ出版社から数ヶ月前に、やっぱり院生の本が出版された。その『ライブハウス文化論』を書いた宮入恭平君は現役のミュージシャン(粟谷君も最初はそうだった)で、東京のライブハウスを中心に活動している。だからこの本は、自らがパフォーマンスする空間を、研究者の視点にたって見つめなおして分析したものだと言える。音楽空間をテーマにした点で2冊は共通しているが、理論中心の前者に比べて、後者はフィールドワークと歴史が主な内容になっている。
・この本が強調するのは、日本の「ライブハウス」の特異さで、特に最近では、歌い演奏する者とそれを聴く者が、ほとんど仲間内の排他的な関係になっていることだ。つまり、「ライブハウス」という空間は、誰というわけではなく、ライブ演奏を楽しむために出かける場になっていないという指摘である。だから、ここには、そこを基盤にしてミュージシャンとして生計を立てるといった可能性はほとんどない。彼のフィールドワークから見えてくるのは、一部の有名なミュージシャンには多数のファンがつき、巨額のお金が動くが、それを除けば、音楽環境はきわめて貧弱だという現状だ。

senuma1.jpg ・もう一冊、『キャラ論』を書いた瀬沼文彰君は、吉本興業所属の元お笑い芸人だ。大学生の頃から芸人活動をしていたから、当然、あまり勉強していなかった。変わり種でおもしろそうだが、勉強のきつさに音を上げて逃げ出すだろうと思ったのに、「キャラ」という現象に目をつけて書いた修士論文が、ほとんどそのまま本になった。培った話芸が生きたのか、街中で若者たちにインタビューをして、おもしろい材料をたくさん見つけてきた。
・「キャラ」はテレビ・タレントが自分の特徴をはっきりさせるために使いはじめたものだが、最近の若者、というより、少年少女たちは、互いに仲間であることを確認し、関係をうまく持続させるために「キャラ」を使うという。この本によれば、それは身体的特徴であったり、性格に注目したものだったりするが、自分で表明するものではなく、仲間によって命名される。そんな「キャラ」を介した関係が、コミュニケーションに気をつかう最近の若者の傾向を如実に映しだす。自己主張ではなく、他人が受ける印象に気をつかうこと、たがいの距離感を自覚すること、マジより冗談、真顔よりは笑いが大事なこと………。

・僕の研究室には、毛色の変わったユニークな学生が他にもいる。そんな人たちと勉強するのは、いろいろ刺激になって楽しい。歳のせいか、大学生が幼稚に感じられてつきあうことにくたびれているから、院の授業が「リフレッシュ」(癒しではなく)の役割を果たしている。で、そこからそれぞれの勉強や研究の成果が形になってあらわれれば、教師冥利に尽きるといものである。一方で、研究職に就くのは容易ではないという現実もあるが、こんなふうにおもしろいテーマをうまくまとめれば、無名でも本を出せるといった状況もある。
・院生の一人、佐藤生実さんと共訳した本が、秋には出版される。クリス・ロジェックの『カルチュラルスタディーズを学ぶ人のために』(世界思想社)で、イギリスのものだから、日本文化との関連をいくつかの項目を立てて、コラム形式で追加した。前期の院のゼミに出席した学生に分担して、報告と議論を重ねながら書いたものである。分量は少ないが、それぞれ、勉強してもらうことは多かった。ささやかな業績だけど役にたつこと、である。

2008年8月24日日曜日

フリーターは自由ではない

 

赤木智弘『若者を見殺しにする国』双風社
雨宮処凜『生きさせろ!』太田出版
本田由紀ほか『「ニート」って言うな!』光文社新書

amemiya.gif・「フリーター」ということばが登場したのは1980年代後半のバブル絶頂期で、夢を実現させるために、自分の意思でフルタイムの仕事に就かない人たちを指したものだった。しかし、その数が顕著になったのは、バブル後の就職氷河期で、パートやアルバイトの仕事にしか就けなかった人たちが急増してからである。実際、大学のゼミ生でも、ほんの数年前まで、就職先を見つけるのに苦労していたから、「フリーター」ということばが実態とは違って使われていることは気になっていた。

・雨宮処凜(かりん)の『生きさせろ!』によれば、現在、フリーターと呼ばれる人の数は200万人をこえ、その若年層の平均年収は106万円だという。これではアパートを借りることもむずかしい。自宅で暮らせなければ、ネットカフェをねぐらにする人がいても無理はないというわけだ。この本には著者自身の体験もふくめて、非正規雇用のひどい実態が書かれている。企業に、経営者に、いいようにこき使われ、使い捨てられる人たちがこれほど大量にいるのに、社会はそれを自己責任だといって突きはなす。そして「フリーター」と呼ばれる人たちは、じぶんの現在の境遇が社会によってもたらされたと強く言えないし、同じような状況にいる者たちが連帯して声を上げるといった行動にも、なかなか出られなかった。彼女はいわば、そんな従順で孤立した若者たちの代弁者として、この本を書いている。

akagi.jpg ・赤木智弘の『若者を見殺しにする国』は、同様の状況を、もっと扇動的に攻撃する。バブルとその崩壊という、自分たちにはまったく関係ない経済問題が原因で、自分たちのひどい現実がある。だったらこの現実を一度ぶちこわしてゼロにもどしたらいい。だから戦争賛成だという議論をする。戦後の政治学を代表する丸山真男が軍隊でひっぱたかれた経験をしたように、戦争になれば誰もが徴兵されて、今エリートでいい思いをしている者も一兵卒になって、虫けらのように扱われる。そんな状況をつくり出したいというのである。
・この本には、そんな主張を真に受けて本気で反論した人たちを批判する部分もある。戦争の悲惨さを知らない者の無責任な発言とか、現在の生きにくさを一番感じているのは若者以上に中高年の世代だといった意見に対してである。実際僕も読みながら、そんなことをついつい口走りたい衝動に駆られた。けれども、よく読めば、著者が言いたいことはもっと別のところにあることがわかってくる。
・この本にくりかえし出てくるのは、景気が回復した現在でも、フリーターを正社員として雇用する気のある企業は、わずか1.6%しかないという現状だ。つまり、正社員の採用は高校や大学の新卒者が基本であって、そこからはずれた者は雇わないとする慣行が厳然と立ちはだかっている現実である。やり直しを許さない社会なら、社会自体をぶちこわした方がいい。そのことを「戦争」でというから刺激的で、多くの反論が浴びせられたのだが、この本には、そうでも書かなければ誰も注目しないだろうという必死さや、それを計算したしたたかさも感じられる。

honda.jpg ・働きたくても働けない状況を作っておきながら、働く気がないダメなやつとして扱われる。「ニート」はそんな若者たちにつけられた差別的なレッテルだ。「学生でもなく働いてもいない若者」をさすこのことばは、もともとイギリスで生まれたが年齢層等できわめて限定されて使われていたものが、日本ではひとり歩きをして拡大解釈されてしまっている。本田由紀ほかの『「ニート」って言うな!』には、働いていない人たちの増加の大半が求職者層であって、働きたくない人の数は、90年代の初めからほとんど変わっていないことがデータで示されている。つまり、低収入で不安定な仕事をしている「フリーター」の増加という問題が、「ニート」に置きかえられ、社会の問題が個人の問題にすり替えられているというのである。

・言われてみればまったくその通りと思わざるをえない。しかし、このような現状を突きつけられると、なぜここまで、放置されたままできたのだろうか、という疑問も湧いてくる。言いたいことを社会に向かって言えない若者たちの従順さや、互いに孤立して、一緒になって悩みを共有したり、問題をさがしたりすることができないこと。職がない、収入がないとは言っても、親に依存し、寄生(パラサイト)していれば何となく生活できてしまうこと。価格破壊で驚くほどの安い値段でいろいろな物が売られていて、生活に苦しむ人がいることに現実感がもてなくなってしまったこと。もちろん、定職をもち、それなりの収入を確保できている人にも、そんな状況がいつ破綻するかわからないといった不安感も小さくない。そんな中でがんばっていると感じている人には、職がない人は努力をしない人だと判断されがちだろう。

・けれども一番の問題は、政治的、経済的、社会的強者が生き残るために弱者を犠牲にしてきたということだし、その事実を、弱者の責任に転嫁してきたことにあるのは間違いない。そのおかげで業績を回復させた大企業や、公的資金によって再生できた銀行、そして何よりピンハネをビジネスにする人材派遣会社の急成長と、それを野放しにしてきた政治の責任をもっと追及すべきだが、若い人たちは、そのことで連帯して声を上げ、行動できるのだろうか。あるいは、パンクやヒップホップがそうであったように、自らの境遇から、新しい文化を創り出すことができるのだろうか。

2008年8月17日日曜日

国家とメディアと企業の五輪

 

・オリンピックを特に楽しみにしていたわけではないが、それでも、夏休みだから、午前中からテレビを見ることがある。で、まず気になったのは、水泳などの決勝が午前中に行われたことだ。北京との時差は1時間だから、それは現地でも同じだ。予選が夜で、準決勝が翌日の午後、そして決勝がその翌日の午前という何ともおかしな日程だから、選手たちも体調の管理に苦労しているようだ。なぜ、そうなるのか?理由はテレビ中継にある。

・今度のオリンピックの放映権は総額で2000億円にもなる。日本はその1割を負担しているが、半分はアメリカが支払い、EUは2.5割ほどで、オリンピックが先進国向けのメディア・イベントであることがよくわかる。中でもアメリカ優先で、アメリカ人が活躍する種目は、アメリカのゴールデン・タイムに生中継ということになるわけだ。当然、EU諸国からは批判があったのだが、金の力で押し切られたようだ。アメリカのエゴがあまりに露骨で、こういうことの積み重ねが、アメリカに対する不信や嫌悪感を増すことになる。もっとも野球では、日本がいつも夜のゲームで視聴率を稼いでいる。1割負担の力という他はない日程だろう。

・オリンピックがテレビの放映権を財源にするようになったのは1984年のロサンゼルスからだ。それまでの開催国の負担という形から、一つのビジネスとして開催する方式への変更で、これ以降、オリンピックは開催ごとに大規模で派手なものになった。ちなみに、ロス五輪の放映権は300億円ほどだったから、北京では7倍にも膨れあがったことになる。この傾向はますます激化して、次回のロンドン五輪では、冬のバンクーバー(2010年)とあわせて、4000億円をこえるといわれている。まさにオリンピックはテレビのためのものなのである。

・その北京五輪の開会式を世界中で30億人の人が見たそうだ。お金がかかっていることはつぶさに見て取れた。遠くで打ち上げられた足形の花火が一歩ずつ競技場に近づいて、それが空撮される。それは競技場にいる人には直接は見えない、まさにテレビ用のパフォーマンスだが、実際に打ち上げられたものではなく、CGで作られ合成されたものだった。開会式でのイベントには、他にも、CGとの合成だと思われるものがたくさんあった。もちろん、そのすごさには驚いた。けれども、200をこえる国の入場行進をだらだら見せられて、途中で見るのをやめてしまった。ずっと待たされた選手たちはくたびれたろうし、トイレはどうしたんだろう。

・オリンピックに必要な金は大企業からも調達されている。公式スポンサーはパソコンや時計から飲料水まで多岐にわたるし、スポーツ用具のメーカーは、有力選手の囲い込みに懸命だ。競泳の水着問題があったように、選手の多くは特定メーカーと契約をしていて、そこの製品を使うことになっている。金をとった北島選手はミズノと契約しているが、やっぱりスピード社の水着を着用した。彼はアテネ以降コカコーラから毎年1億円のスポンサー料をもらっているという。強化合宿をしたり、専属のトレーナーをつければ、当然、有力選手が使う費用には年間で億単位の金がかかる。

・それは投資だから、有力選手はそれをプレッシャーに感じることになる。国のため、国民のためだけでなく、スポンサー企業のためにも、必ずいい結果をのこさなければならない。マラソンの野口選手の故障は、そんなプレッシャーが原因だったのかもしれない。単純に、日本がんばれとは言いにくいのだが、テレビはお構いなしに、選手にメダルを要求する。レースや試合を終わった直後にインタビューをうける選手を見ていると、結果が残せなくて落ちこんでいる人を晒し者にしているようで、たまらなく気分が悪い。他方で、北島選手の活躍で、彼がこの後稼ぐだろうCMの出演料が60億円になるといった記事もあって、これはこれでまた、うんざりするような話である。

・オリンピックは何より、国家とメディアと企業のもの。そんな印象をいつにも増して強く持った大会で、次々回が東京にだけはならないようにと願うばかりだ。

2008年8月11日月曜日

「自然」を心地よく味わうために

 

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・7月になったら、急にBSの映りが悪くなった。特にNHKがちらちらするし、声もとぎれがちだ。天気が悪いときに出る症状だが、雲一つない日でもそうなる。原因は衛星に向けたアンテナを邪魔するように茂った栗の木だ。森の木は毎年成長する。冬は明るい家の中が、今の季節になると薄暗いというより、真っ暗になる。森の外はまぶしいほどだから、その対照が余計に目立つのだ。枝打ちをした方がいいのだが、大木になった枝は、2階の屋根よりもはるかに高いところにある。梯子を使ってもとても届く高さではない。

・地デジも受信できないから、やっぱり、ケーブル・テレビにしなけれなばならないのか、と諦めかけたが、ものは試しと、木にへばりついているツタを切ってみた。上の写真のように、この森ではどの木にもツタが幹一杯にからみついている。それが森をいっそう緑にし、また薄暗くしているのだが、ひょっとしたら電波も妨害しているのではないか。そんなことをふと思いついた。

・ツタは切ったからといってすぐに枯れるわけではない。しかし葉が枯れて、風や雨で落ち始めると、テレビの映りがよくなった。葉の生い茂った枝にわずかの隙間ができて、そこを電波が通りぬけるようになったのである。もちろん、ちょっとした天気の変化で映りは悪くなるし、風が吹けば画面も揺れる。

・これでしばらくはテレビも見られそうだが、応急処置であることに代わりはない。庭にもう少し光を入れるためにも、伐採を頼もうかと思っている。ソーラーの庭園灯がバッテリー不足でつかないし、朝顔の生育も悪い。第一に、家の中がいつもよりも増してじめじめするようになった。とは言え、森の中はやっぱり涼しい。森の外は30度でも、中に入れば、冷気が心地いい。その環境を壊さずにおくためには、かなり微妙で頻繁な手入れが必要だということになる。自然を心地よく味わうためには自然のままにしておいてはだめなのである。

forest69-2.jpg・「自然」といえばもうひとつ。去年あたりから猿軍団が頻繁に現れるようになった。今年は、サクランボや桑の実が食べ頃の時に来て、枝を揺らし、糞をして帰って行った。近くの畑では、キュウリもトウモロコシもブルーベリーも大きな被害を受けている。毎朝散歩をするパートナーは、その様子を何度も見かけたようだ。もちろん、猿たちは彼女が近づいたからといって逃げるわけではない。あるいは、畑で作業をしている人がいても、お構いなしのようだ。山に近い畑は、もうどうしようもない状態らしい。

・周囲の山には数グループの猿がいて、町ではその動向を把握しているようだ。観光客が来るあたりには餌をやらないようにと書いた看板がいくつもある。猿を見つけて、「かわいい!」なんて嬌声を上げて、袋菓子を与える。野性の生き物を知らないのだから、仕方がないといえばそれまでだが、襲われてから、「ウソー?!」では遅いのである。こんな状態が続けば、必ず猿の駆除という話になる。実際、この数年で、熊はずいぶん撃ち殺された。山に野生の生き物がいなくなれば、自然は自然でなくなってしまう。うまく棲み分けをして、自然らしさを壊さないようにする。それもやっぱり、ものすごく難しいことなのだと、つくづく思う。


2008年8月3日日曜日

伊豆で素潜り体験

 

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photo47-2.jpg・去年の立山やその前続けた東北旅行と違って、今年の夏は近場にした。沖縄が好きな息子の話を聞いて、海で素潜りをしてみたいと思ったからだ。あてがあったわけではないが、伊豆の南端をめざすことにした。しかし、パートナーの地質上の興味で、まずは三浦半島へ。三崎港の魚屋さんでおまかせの刺身定食と煮魚を食べた。イワシの刺身がマグロより、ハマチよりおいしかった。その後、城ヶ島へ行き、葉山で泳いで宿泊。海草が一杯で濁っていたからシュノーケルなど無用だった。それにしても、久しぶりの下界のせいか暑い。葉山ビールがおいしかった。

photo47-3.jpg・当たり前だが、湘南海岸はどこも人で一杯で、道路は渋滞ばかり。ほとんど道草もせずに下田まで走ったのだが、5時間もかかってしまった。で、ホテルの着くとすぐに海岸に直行。しかし、ここの海岸も海草が浮かび、水は白く濁っている。岩場のところでちょっと泳いだが、50cm先も見えなかった。連泊するから、もう一日チャンスがあるが、魚を追いかけたり、ウミウシと遊んだりなんていうのはまず無理だ、とほとんど諦めた。椰子や棕櫚(シュロ)が林立し、山にはいかにも南国風の照葉樹が密生している。三浦半島よりはずっと涼しくす過ごしやすい。ハワイの気分をちょっと味わって帰るのか、という二日目だった。

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photo47-6.jpg・三日目は石廊崎まで行って灯台を見物して、黒潮が打ち寄せる海岸を断崖の上から眺めた。エメラルドグリーンのきれいな海だ。よく澄んで岩の様子がよく見える。しかしここではとても泳げない。駐車場に戻ると岬めぐりの遊覧船が出発だという。さっき上から見た海に行けるのだからと、急いで乗り込んだ。今日の海は静かだというが、それでも結構波だって、船は揺れる。海から見ると岩の侵食がすごい。折り返しの大根島には台湾猿がいて、船が近づくと寄ってきた。観光目的で放し飼いにされ、そのまま放置されたようだ。島の向かいの海岸に、いくつもテントが張ってあり、大勢の人がシュノーケルをつけて遊んでいる。あそこはどこ?船を下りて、行ってみることにした。

photo47-7.jpg・場所の名前はヒリゾ浜、近くの中木という漁港から船で行く。断崖絶壁に囲まれた浜だから、陸伝いには行けない。浅瀬の多い磯で、顔をつけただけで青や緑や黄色の小さな魚がいる。フグもいるし、大きな魚もいた。サンゴも見えて、今回の目的をやっと実現することができた。海草が邪魔して深いところは見にくかったし、歳を考え2時間ほどで引き上げたが、見所はまだまだたくさんあったようだ。水中カメラもないから感激した景色は写せなかったが、後で調べると、いくつもサイトがあった。たとえばNakagiへ行こうよを見ると、ミドリイシというサンゴの群落もある。

2008年7月27日日曜日

新譜あれこれ

 

coldplay2.jpg・コールドプレイの新譜が出るというメールがアマゾンから来たから、さっそく注文をした。で、忘れた頃にやってきた。"Viva La Vida"。なじみの声とサウンドという感じもするが、何か今一つ訴えてくるものがない。アルバムづくりにはブライアン・イーノも参加しているという。相変わらず引っ張りだこなのだ。しかし、その影響が顕著というわけでもない。大体なぜタイトルがスペイン語なのだろうか。「人生万歳」とはどういう意味なのか。それを日本版は「美しい生命」なんて訳している。そしてなぜジャケットがジャンヌダルクなのだろう。歌詞を見るとイエルサレムだの王だのローマ軍だのが出てくる。「日本の恋人」なんて題名の歌もあるが、それらしいのは「今夜走るだろう、大阪の太陽を思いながら」という一節のみだ。まったく訳のわからないアルバムだが、ご丁寧に発売直後にはテレビCMもやっていた。コールドプレイもこれでおしまいか。そんな気になった一枚だ。

stereophonics2.jpg ・対照的にちょっと前に出たステレオフォニックスの"Pull the Pin"はいい。僕は基本的にうるさいのは好きではないが、彼らだけはそんなに気にならない。スティーブ・ジョーンズのハスキーな声と3人だけのシンプルなサウンド、それに何気ない日常や些細な事件を話題にした歌詞。そういったスタンスはこのアルバムでも変わらない。「いつも起こしてくれるガールフレンドはピンクが好き。それは日没前の空の色。そんな彼女と夜にはとりとめもなく長話をする。彼女は僕の輝く赤い星。」あるいは、ケータイを盗まれて殺された 15歳の少年の話もある。ちなみに僕が最初に気に入ったのは、鉄道に飛び込んで自殺した少年を歌った"Local boy in the photograph"だった。

stereophonics3.jpg ・ステレオフォニックスは2006年にライブ版を出している。"Live from Dacota"。それに気づいてチェックをすると、その"Local boy in the photograph"があったので、これも買った。2枚組みで20曲が入っている。"Pull The Pin"とあわせて通勤時に何度も聴きかえした。当然だが、コールドプレイはめったにかけない。
・ところで、バンド名のステレオフォニックスというのが前から気になっていた。バンドのイメージに合わない名前だと思ったからだ。ネットで調べるとスティーブのおじさんが経営していた店の名前だという。サウンドにも風貌にも、そして歌詞にも似つかわしくない名前だが、彼にはそれなりの思い入れがあるのかもしれない。

alanis1.jpg ・もう一枚は久しぶりのアラニス・モリセットだ。"Flavors of Entanglement"。偶然だが、シェリル・クロウのアルバムとほとんど同時に聴いた。このコラムでは10年前にも二人を一緒にとりあげている。冷たさと暖かさが同居するアラニスと、乾いて強いシェリル。それはカナダのオンタリオとアメリカのカリフォルニアの風土の違いそのものだ。読み返すとそんなことが書いてある。ここ数年の二人について調べると、どちらも精神的につらい時期を過ごしたようだ。そして二人ともよく恋をして、そして失恋する。
・アルバムのタイトルは「障害物の気配」といった意味だろうか。曲名には「未完成」とか「モラトリアム」といったことばが並んでいる。「いつかは自由に話せるかも、怖がらずに、私の詩や歌詞や芸術とは離れて、自分を評価できるかも」素直なつぶやきのような歌だ。