・大学で勉強する時間とエネルギーの半分以上は、自分で本を読むことに割くべきである。新学期の開始時に必ず話してきたことだが、伝わらないな、という印象を年々、強く感じるようになっている。疑問を感じたこと、興味をもったことについて、自分が選んだ学部、ということは専門領域に目をむけて、そこから参考になりそうな本を見つけだす。そんなことをする学生は、少なくとも学部レベルでは、僕が知る限りもうほとんどいないと言っていい。
・もちろんゼミでは、卒論を書き上げるために、自分が選んだテーマに関連して、何冊も読むことになるのだが、放っておくと、ネットで簡単にすまして読まずじまいといった例も目立ってきた。しかも、そこに横着をしているといった自覚がほとんどないのも最近の特徴で、ネット(ケータイ)とコンビニで育った世代の典型的な傾向だな、とつくづく感じてしまっている。
・こういった、何でも手軽にすまそうとする意識を何とか変えてやろうと思うのだが、歳とって、気力も体力も衰えて来たことを実感する身としては、もう面倒だと諦めの気持ちにもなってしまう。けれども、大学で教員の仕事を続ける限りは、できる限りのことはやらなければ、と思い直すこともある。その一つは、授業に準拠して使いやすいテキストを自前で作ることだ。
・もうすぐ新年度がはじまるが、去年から担当している「コミュニケーション論」を多数の学生が受けている。大勢の学生に興味をもって聞いてもらえる講義をするのは大変だが、そのために、内容をまとめた資料を毎回準備して配布するのもひと仕事で、いっそ、教科書を作ってしまうかと考えた。で、今準備中で、来年度に間に合うようにと進めている。
・そんな折に早稲田の伊藤守さんから『よくわかるメディア・スタディーズ』(ミネルヴァ書房)をいただいた。みんな同じようなことを考えているのだ、と改めて認識したが、その題名はもちろん、中身のレイアウトの仕方を見ながら、それが予備校のテキストや受験参考書と同じ形式であることに気づかされた。これまでのものは教科書とはいっても、複数の執筆者に一つの章(20〜30頁)を分担させて一冊にまとめた論文集がほとんどで、授業で使うというよりは、予習・復習として学生が自分で読むことを前提にしたものだった。しかし、それでは学生には使いこなせない。「今日は〜の章で、〜頁から」と指示し、さらにここは大事とか、自分でさらに調べろとか念を押して、宿題や授業中の小レポートなどもやる必要がある。テキストは、それをスムーズにできるものでなければならないのだが、『メディア・スタディーズ』は、そのことを十分に考えた編集をしている。
・ただし、ざっと見ながら疑問に感じた点も多い。その一つは、盛りだくさんすぎて、入門書としては手に余るほどだし、専門書としては一つ一つの内容に物足りなさを感じてしまうことだ。入門、概論、原論のどれにでも使えるし、検索項目も丁寧に作ってあるから、辞書的にも使えるといったメリットもある。しかし、いざこれに準拠して講義をと思うと、なかなかむずかしい。一年の授業回数ではとてもカバーできないし、取捨選択をして部分的にということになると、やっぱり補充の資料が必要になってくる。
・大学の講義は、高校までと違って、標準的な教科書があるわけではないし、各科目に、共通して盛りこまなければならないテーマがあるわけでもない。要するに、担当者が独自にシナリオを作り、それをもとに独演するのが一般的である。だからこそ、教科書選定は難しいわけで、自分の担当する講義に使うテキストはじぶんで作るしかないということになる。さて、コミュニケーション論についてどんな教科書を作るか。この春休みは、そのことのために多くの時間を費やしている。