2010年3月1日月曜日

ロマとユダヤ

 

関口義人『ジプシー・ミュージックの真実』『オリエンタル・ジプシー』青土社
内田樹『私家版ユダヤ文化論』文芸新書

・「ロマ」の存在に興味を持ったのは、NHKが放送した「はるかなる音楽の道」がきっかけだった。2002年だったから、もう8年も前のことだ。その番組で教えられたのは、ロマがかつてはジプシーと呼ばれていたこと、もともとはインドにいた民族で、長い時間をかけてヨーロッパにやってきたこと、定住よりは移動を生活の基本にして、音楽や踊りに秀でた特徴を持っていること、ユダヤ人同様に、強い迫害を受け、ナチによって大虐殺をされたが、ユダヤと違ってほとんど問題にされてこなかったことなどだった。

・4年前に旅行したスペインで、そのロマと呼ばれる人たちにはじめて遭遇した。バルセロナのサグラダ・ファミリアの入り口で物乞いにつきまとわれたのだが、同様の経験は有名な観光地で何度か繰りかえされた。不愉快な思いを感じたが、またセビリアではフラメンコの歌と踊りを楽しんだ。嫌われ、無視されてきた存在でありながら、同時に、住み着いた土地を代表する音楽や踊りの形成に大きく関わってきた人たち。そんな不調和な存在であることを、短期間の旅行でも垣間見た思いがした。

roma1.jpg・関口義人の2冊の本は、そんなロマの置かれた現状を、ヨーロッパ各国はもちろん、アラブの世界にまで踏み込んでフィールド・ワークをしたレポートだ。「ジプシー・ミュージック」とは言え、そこに固有の音楽があるわけではない。それは個々の土地の音楽と楽器に順応し、歌われ演奏される場や機会も、それぞれの需要や許容のされ方に適応されている。たとえば、トルコのベリーダンスとその伴奏、ルーマニアやブルガリアでの管楽器をつかった楽団、ハンガリーやオーストリアでのバイオリン、そしてスペインでのギターとフラメンコなどである。
・他方で、定住よりは移動を常態とする生活スタイルは、どの国においても頑なに守られている場合が多い。もちろん、それぞれの国の法律や政策で、定住化が進められ、規則化されている例も多い。しかし、彼や彼女たちの多くは、定職を持たず、学校にも行かないから、文盲率も極めて高いままのようである。

roma2.jpg ・1000年もの長い年月をかけて移動をして、ヨーロッパやアラブ諸国に散在しているにもかかわらず、使うことばや集団規範、そして生活スタイルには多くの共通性がある。そんな特徴がロマと呼ばれる民族を生きながらえさせてきたが、それ故にまた、どこにおいても迫害を受け、その存在を無視されてきた。しかしまた、彼や彼女たちの存在は、音楽を通して表現され、それぞれの土地を代表するものにさえなっている。2冊の本を読むと、そんな奇妙な存在としてのロマが、それぞれの地方における違いや共通性として浮き彫りにされてくる。
・もちろん、ロマといっても、そこにはさまざまな人たちがいて、相互の関係はまたさまざまだ。同じ土地に近接して住んでいても、いつ、どこからやってきたかでお互いの間に格差をつけたりもする。ロマ同士の間に繋がりをつけるといった試みは、つい最近始まったものが多く、必ずしもうまくいっているわけではないようだ。

・同じ流浪の民であり、迫害され続けてきた点でロマはユダヤ人と多くの共通性をもっている。けれども、両者の間にある違いは、またきわめて大きなものである。ロマと同様ユダヤ人もまた、自らの民族性や宗教を守り続け、どこの土地でもコミュニティを作って生き続けてきた。しかし、ロマと違ってユダヤ人は教育に熱心で、文学や哲学はもちろん、自然科学や社会科学の分野でも多くの天才や秀才を生み出している。あるいは、経済的な側面でも有能で、金融業や貴金属の世界に大きな勢力をもってもいる。
・内田樹の『私家版ユダヤ文化論』には、ヨーロッパでユダヤ人が嫌われ、排斥された理由として、彼らが近代化にいち早く適応し、その進展に大きく寄与したことがあげられている。近代化によって、慣れ親しんだ社会の仕組みや生活の仕方を壊した張本人にされたというわけである。であれば、ロマは逆に、自分たちの慣れ親しんだ世界の中に侵入した前近代的な遺物(異物)だということになるのだろうか。さげすまされ、迫害を受け、そのことを歌にして嘆くように歌う。そんな音楽が人びとの心に訴えかけるが、そのことで、異物が異物でなくなるわけではない。また、自分たちもけっして同化を望まない。ロマの音楽を通して感じられる世界はきわめて不思議で複雑で、もっともっと知りたいという気になっている。

2010年2月22日月曜日

パイプの煙


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・二年ほど前からパイプでタバコを吸っている。以前に吸っていたことがあるのだが、後に必ずパイプの掃除をするのが面倒で、すぐにやめてしまった。再開したのは、紙巻きたばこをやめようか、と思ったからだった。

・と言って、健康を気にしての禁煙というわけではない。吸う場所が限られてきたし、周囲の冷たい目や忠告も気になっていた。吸いたいと思うときや、吸っておいしいと感じるとき、何となく落ち着いた気分になるときはもちろんある。けれども、多くは習慣的な行為で、時間が来れば吸いたい気がして、慌ただしくスパスパやることも多かった。

・ニコチン依存のせいだろうと考えていたのだが、海外旅行で飛行機に乗って長時間吸わない経験をしたときに、そうではないことに気がついた。吸えないと思えば我慢がきくことがわかったし、それで禁断症状をおこすということもなかったからだ。だったら、いっそやめてしまおうかとも思ったのだが、しかし、吸っておいしいと思うことはあるし、吸いたい気分になることもある。パイプに興味がいったのは、そんな理由からだった。

・パイプはたばこを詰めて吸い始めたら1時間以上はもつ。だから、紙巻きと同じつもりでは吸えないし、途中でやめて、しばらく経ってまた火をつけると、甘さよりは苦みや辛みが気になってしまう。それにせわしなくスパスパやれば、パイプは手で持てないほどに熱くなる。火が消えない程度に時間をおいて、パイプが熱くならないように静かに吸う。それができる時間は、一日のうちでせいぜい2度か3度に限られる。

・タバコはコロンブスがアメリカ大陸からヨーロッパに持ち帰って広まったと言われている。それはインディアンと呼ばれたアメリカ先住民たちに古くから使用されてきたもので、もともとは主に宗教儀式の場でパイプで吸われていたものだった。パイプの煙が空に立ち上って、天上の精霊たちと交信する。落ち着いて煙をくゆらせていると、そんな気分の一端に触れたような気がしないでもない。

・パイプはヨーロッパで「プライヤ」と呼ばれるツツジ科の木の根っこを使って作られている。堅くて耐火性があるからだが、それは最初、葉巻や紙巻きタバコが高価で買えなかった労働者階級に広まった。しかし、20世紀以降になると、芸術家や文学者、哲学者、そして政治家が咥える道具としてイメージ化されるようになる。だから人前で咥えたりすれば「何を格好つけて」と言われかねないが、公共の場での喫煙が禁止されたり、はばかられたりする現在では、見かけることはほとんどないと言っていいだろう。

・暇人の嗜好品と言えばそれまでだが、パイプを使い始めてから、そのアクセサリーや小道具のいくつかを自分で作ってみたくなった。灰皿、パイプレスト、タンバー、ナイフ、そして小さなスプーンなどを作ったのだが、木は薪用に干していた桜や山椒、アカガシ、白樺そして楠などである。白樺や楠は柔らかくて削りやすいが、細くすると折れやすくなってしまう。桜やアカガシは堅くて細くしても丈夫だが、その分、削るのに力がいる。そして楠と山椒は削るたびに独特の臭いがする。

・また、楠とアカガシを削った木屑は、ストーブの上の鍋で煮ると、真っ赤な色が出て、それでTシャツの草木染めをしたら淡いピンクになった。燃やしてしまえば一瞬で灰になるほどの大きさの木だが、道具になれば、壊れるまで何年も手もとで使われることになる。薪ストーブの前でパイプをくゆらせながら、ナイフで木片を削っていると、目の前で灰になっていく木と、形をなしてくる木の運命の違いを考えたりもする。

2010年2月15日月曜日

悪者を探せ

・ここのところのニュースは、政治も経済もスポーツも芸能も悪者をよってたかってつるし上げることを繰りかえしている。もううんざりでいい加減にしろよといいたくなるが、その矛先は「悪者」にではなく、批判する側や、メディアに向かうことのほうが多い。

・鳩山首相が母親から多額のお金を贈与されていて税金を払っていなかったという。額も驚きだが、それを知らなかったというのも普通の感覚をはるかに超えていると思った。しかし、親からもらったお金は政治のために使ったわけで、私財を政治活動に注ぎ込んでいるのだから、職務を利用して賄賂を取って私腹を肥やすケースとはまるで違うんじゃないか、とも思う。それに、たくさんいる2世や3世の議員たちだって、地盤や、看板はもちろん、鞄(資金)だって受け継いでいるのだろうに、それがどう処理されているのか調べるメディアがないのはどうしてなのだろうか。

・小沢一郎のケースだって、何が問題なのか、今ひとつわかりにくい。ダム工事の受注に絡んで賄賂を取ったのかどうかという疑惑が、陸山会の土地購入にからむ資金の問題とどう関連しているのか、さっぱりわからない。僕は小沢一郎という政治家は好きではない。哲学がないし演説もへたくそで、力に頼るところばかりが目立つ政治家だと思うからだ。けれども、だからといって、これを機会に引きずり下ろしてしまおうとする動きには首をかしげてしまう。

・説明責任を強く言う政治家は多い。しかし、今まで何かがあったときに、説明責任を果たした政治家が、これまで何人いただろうかと思う。自分にできもしないことを他人に要求するのは、空虚なパフォーマンス以外の何ものでもない。一連の問題で民主党の支持率は急降下しているが、だからといって自民党の支持率が上がっているわけではない。他党の批判よりは自らを省みてどう立て直していくかの方がはるかに大事で、それができなければ、支持者が戻るはずはないのに、自民党からは、そこがまったく見えてこない。

・自己反省をしない点では、メディアも同様だ。新聞の購読者が減り、テレビの視聴率が下がっていることをどう受け止め、その対応をどうしようと考えているのだろうか。「悪者」らしきものを次々血祭りに上げるような紙面や番組ばかりを作って、それがまるで正義であり、世論を代弁しているかのように振る舞うのは、自滅行為以外の何ものでもないはずなのである。

・「足利事件」で17年も投獄された管家さんに検察が無罪を求刑し、はじめて謝罪をしそうだ。しかし、頭は下げたけれども、どうして間違ったのかについての説明は1分足らずの短いものだったようだ。「説明責任を果たして欲しい」ということばは、管家さんの口からこそ出るべきものだろう。そして、彼が逮捕されたときに、新聞やテレビはそれをどう報道したのか、メディアはそのことを振り返って検証すべきなのに、それをやったところは今のところほとんどない。冤罪を生むのは検察の愚行だが、それを増幅させ、定着させるのはメディアの仕業なのである。

・トヨタがアクセルやブレーキの欠陥問題で窮地に立たされている。しかし、この問題にも何か割り切れないものを感じてしまう。複雑な電子制御装置のためにプリウスのブレーキのききが一瞬遅れるのだそうだ。トヨタは最初、感覚の問題だといって欠陥を認めなかったが、メディアの攻撃にあって、リコールを発表した。しかし、それは本当に欠陥なのだろうかと思う。車の特徴はメーカーや車種によって千差万別だ。自分が買って乗る車の特徴や癖について熟知し、それに対応できる運転を心がけるのは、車に乗る者にとってわきまえなければいけない最低限の心構えだろう。

・トヨタも最初はそう考えていたようだ。しかし、世論は納得しなかった。それは最近の車が、運転者に特別な知識や技能やメインテナンスを要求しないことを前提に作られ、売られているからだ。車の癖がわかれば個々に対応できる程度のものだという言い訳は、ドライバーにとっては上から目線で下手くそ呼ばわりされたように感じられてしまったのかもしれない。その意味では、世界で一番車を売っている会社が言うべき台詞ではなかったとも思う。

・こう書いてくると、同じような話が次々思い出されて終わらなくなってしまう。朝青龍に押尾学、酒井法子、そしてつい最近では国母和宏‥‥‥。どれにしたってたいしたことではないのに大騒ぎして悪者扱いにしてしまう。それが強い者、人気のある者であればなおさら、メディアは血眼になる。品格を疑いたいのは、不祥事を起こした者や疑惑を持たれた者以上に、それを糾弾する側にこそなのである。

2010年2月8日月曜日

次の冬に備えて

 

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・去年と同じように、今年も雪のない冬かと思っていたら、1月の末になって15cmほど積もって、あたりが真っ白になった。こうなると、しばらくは外での作業がしにくくなる。そう思って、昨年の暮れからせっせと薪割りをしてきたのだ。ここ数年は、造園の仕事をする知人が切って、割ってくれた薪を東京から運んでいたが、今回は、山中湖の薪ストーブの店「ファイヤーライフ山梨」から原木を買うことにした。実は、木を買うのはこれがはじめてのことだ。

forest81-2.jpg・原木は、木の体積で買う。1立米で15000円で、2トン車一回に2立米だと運搬費をふくめて35000円になる。すでに2回運んでもらったが、一冬分としてはこれでも足らないから、春になったらもう一回運んでもらわなければならない。そうすると、我が家で一冬に燃やす木は6立米だということになる。およそ10万円というのは、最近の灯油の値段にすれば1500リットル程度になる。どちらを中心に暖房するかは、その時の値段次第だが、一冬を暖かく過ごすためには、それなりのお金が必要だと改めて実感した。

forest81-4.jpg・薪を積んだトラックは、我が家の隣の森にバックで入ってくる。それをおろしてもらうのだが、森の地盤は軟らかいから、トラックが傾かないように気をつけなければならない。
・やるべき仕事はまず、2mほどの原木を40cmほどの長さにチェーンソーで切ることだ。1回目は比較的細い木だったから、それほど苦にならなかったが、2回目に持ってきた木は直径が30~40cmもあって、途中でチェーンソーが何度も悲鳴を上げるほどだった。

forest81-5.jpg・もちろん、チェーンソーでの裁断にはかなりの力がいるし、時間もかかる。一日にできるのはせいぜい2時間だから、全部(2立米)を切るのに3日がかりだった。途中で何度もガソリンとチェーン・オイルを補給して、切れ味が悪くなれば、刃の目立てをした。切ったら次々積んでいくのだが、これが半端な重さではない。薪に適したナラやクヌギはずっしりと重い。だから、気温は零度に近くても、すぐに汗びっしょりになる。いい運動だが歳を考えてほどほどに。そう思って、余力があるところでやめることにしている。

forest81-6.jpg ・切った木は、今度は斧で割らなければならない。太くても素直であれば、何度か振り下ろせば真っ二つに割れてくれる。けれども、枝別れのある部分だと、それほど太くなくても、くさびを打って無理矢理割らなければならない。この作業が一苦労で、また汗が滴り落ちることになる。
・割った木は家の南側に運んで積んでいく。風通しをよくしながら、なおかつ効率よく積まなくてはならないから、ただ積めばいいというわけにはいかない。だからここでもまた、一汗かくことになる。

forest81-7.jpg・薪になった木は、陽に当てて乾燥させるのに、最低8ヶ月はかかる。しかし、日当たりの悪い森の中だから、すべての薪を乾燥させるためには、まず南面に積み、少し乾いたら東、そして西面に移動させて、新しく割った薪のために南面をあける必要がある。
・冬の寒い日に薪ストーブが与えてくれる心地よい暖かさは、灯油の比ではない。それを実現するためには、お金も時間も労力もかかる。原木から薪にする作業にしんどさを感じても、薪ストーブの火をぼんやり見つめれば、これはやめられないという気になってくる。



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2010年2月1日月曜日

DVDとYouTube


・今年の冬から春にかけては、なじみのミュージシャンがずいぶんやってきてコンサートをやるようだ。ボブ・ディランのほかに、ジャクソン・ブラウンとシェリル・クロウ、キャロル・キングとジェームズ・テイラーはジョイントでやる。どれにも出かけたいのだが、夜遅くなって家まで帰ることを考えると、やっぱり躊躇してしまう。第一に、会場近くに車を停めることができるかどうかも不確かだ。いつでも、「行きたいな」と思い、「どうしようか」と悩み、「やっぱり、やめとこう」となる。この繰りかえしで、もう何年も東京でのコンサートに出かけていない。けれどもやっぱり、ライブの魅力は捨てがたい。

・僻地に住んでいてネットは未だにISDNだから、YouTubeもほとんど見ることはなかったのだが、講義で使いたい材料を探しながら、好きなミュージシャンのライブ映像が結構あることを、今さらながらに発見した。ダウンロードはもっぱら大学の研究室だが、今年度の授業が終わり、成績もつけたから、これから、しばらくはじっくり検索できる時間がとれそうだ。もっとも、探したいのは、なじみのミュージシャンばかりではない。狙いをつけているのはロックンロールが登場する以前に活躍した伝説的なブルース・シンガー、中南米のフォルクローレ、ヨーロッパのシャンソンやフラメンコ、そしてアフリカの音楽だ。ここにはもちろん、現在のものだけでなく、歴史的なものが含まれる。

・来年度に新しくはじめる講義で数回、「ロマ」の音楽をインドからヨーロッパまで辿って、その民族の歴史的変遷と現状を話そうと思っている。集めたCDと画像を使ってと考えていたが、動画が見つかれば、もっといい。あるいは、ポピュラー音楽が現在のようなサウンドや楽器編成になったプロセスには、数十年、数百年の時間の経過があり、世界中を移動する空間的な経過もある。音楽のグローバル化は今に始まったことではないのである。

liveaid.jpg ・ハイチの地震で大きな被害が出ている。世界でもっとも貧しい国の一つで、ストリート・チルドレンが多数いる街が一瞬にして瓦礫の山と化した。その惨状にアメリカのミュージシャンたちが立ち上がっている。アフリカの飢饉に援助の手をと呼びかけられた「Live Aid」の再現だと言われている。「Live Aid」は、アメリカのフィラデルフィアとイギリスのロンドンを拠点にして、1985年に世界中で同時に開かれたライブだが、その記録は数年前にDVDで発売された。僕はテレビの生中継を見て、ビデオにも録画して、授業で何度か学生に見せてきた。DVDになったライブは他にもたくさんあって、 YouTubeとあわせて、ずいぶん便利になったものだと、つくづく感じてしまう。

 

madonna1.jpg・マドンナのライブ"I'm Going To Tell You A Secret 'を買った。CDとDVDのセットで、ついでに彼女のビデオクリップを集めたDVDも購入した。ライブもビデオクリップもよくできていると再認識した。マイケル・ジャクソンとほぼ同時期に大ブレイクして、どちらも音楽とダンスの関係を決定的にした。マイケル・ジャクソンが死んで、今は彼のCDやDVDが売れているが、この四半世紀、とりわけ21世紀になってからの仕事としては、マドンナのほうが圧倒的に勝っている。
・マドンナのビデオクリップを見ていてあらためて、ダンスはセックスなのだと再認識した。彼女の踊りはセクシーだが、同時にマッチョでもある。見ながら、虚と実、静と動、中心と周縁、露骨さと洗練さといったことばが浮かんできた。

・とは言え、基本的に音楽は耳だけでいい。そういう思いは変わらない。だから、DVDやYouTubeで探すのは、主に記録として価値のあるものになる。音楽を楽しむのは、圧倒的に何かをしながらの聴取で、映像もという時には、集中的な視聴が必要になる。だから録画したビデオや購入した DVDは、そのほとんどが一回限りの視聴で、後はほこりをかぶっている。DVDを買う気にならない理由の一つである。

2010年1月25日月曜日

今年の卒論(2009年度)

 

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・今年のゼミ生は昨年同様15名、しかし男子学生が6名いましたから、雰囲気はだいぶ違いました。突然訪れた就職氷河期に悪戦苦闘した学生も多かったようです。ほぼ就職が決まって一安心でしたが、その分、卒論の進み具合の遅れが気になりました。何せ今年の学生は「ゆとり世代」の第一期なのです。

・で、今年の卒論集の題名は「卒論氷河期」。命名者は櫻井美央さんです。あまりに進まないのに腹を立てて、「卒論集は今年でやめる!」とおどしたせいかもしれません。ただ、その甲斐あってか、力作が何本か出ましたし、どうしようもないのもなかったと言えます。何しろ叱られることになれていない学生ばかりですから、だいぶ堪えた学生が多かったようです。ですから最後に一度だけ、ご苦労さんとほめてあげたいと思います。なお、この号の表紙は尾川君が書いたものです。パイプを加えた僕は、実物よりだいぶ格好良くて、気をつかわせてしまった気がします。


1. 音楽と模倣‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥村尾 慎太郎
2. 読書推進運動の光と影‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥高橋 沙織
3. 宮崎駿の理想と現代の子供たち‥‥‥‥‥‥‥‥‥飯村 理代
4. 高校野球の応援史‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥櫻井 美央
5. 保育の現場から‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥田中 成美
6. メ論‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥尾川 貴幸
7. 女性とシンデレラストーリー‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥倉田 萌未
8. 「がんばる」ということ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥松本 彩乃
9. 腐女子について‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥鈴木 梓
10.ふたご論‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥張ヶ谷 里美
11.四国・九州アイランドリーグから見えた地域メディアの存在‥‥‥‥秋元 俊哉
12.日本のクラブ・カルチャーと風営法‥‥‥‥‥‥溝呂木 和彦
13.現代ボランティア‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥石川 佳奈
14.現代家族の形態‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥小野寺 啓太
15.週刊少年誌の可能性‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥池田 慎矢

『ウッドストックがやってくる』

 

エリオット・タイバー他『ウッドストックがやってくる』河出書房新社

woodstock1.jpg・「ウッドストック」と言えば、伝説のロック・コンサートで、その記録は映画や本になって語りつがれている。だから今さらと思うような題名の本なのだが、読みはじめたらやめられなくなるほどおもしろかった。著者はこのコンサートの会場を斡旋し、地元との軋轢に対処して奮闘したエリオット・タイバーで、当地(エル・モナコ)で、ひどい設備で客から金をぼったくるモーテルを両親と共に営んでいた。

・「ウッドストック・ロック・フェスティバル」はウッドストックで開かれたのではない。このロック・コンサートを企画したマイク・ラングは、その場所を当時、ボブ・ディランやその他のミュージシャンが住んでいたウッドストックに決めた。しかし、反対にあって会場が見つからず、二転三転したところで、エリオット・タイバーがマイクに話を持ちかけたのである。もうすでに開催予定日は一ヶ月後に迫っていたから、準備はすぐに始まった。

・もっとも、この本でそのことが語られるのは120頁を過ぎたところからだ。そこまでは、ロシアから苦労して移住してきた気丈で強欲だが商売の下手な母の話、タールで屋根を葺く仕事を黙々とこなす父の話、ユダヤ人であることで受けた差別、そして、そんな家族の中で成長していく自分の話などで占められている。観光客のこない観光地であるエル・モナコでの家族の生活ぶりも破天荒だが、何と言っても驚くのは、著者が大学生になってニューヨークで暮らしはじめた後の生活だ。美術を学んだ彼が出会うのはポップ・アート、ロック音楽、ドラッグ、そしてゲイ。それはまさに、60年代後半のニューヨークの対抗文化そのものである。

・ロック・コンサートの会場が決まると、すぐに若者たちがやってきて、牧場にテントを張って生活をし始める。汚いモーテルもすぐに満員になるし、スタッフの事務所や宿泊施設として使われるようになる。空き地を駐車場にして、モーテルには考えられないほどのお金が毎日入ってくるようになった。父と母は嬉々として働くが、街の住人の多くは、長髪でドラッグをやり、どこでもセックスをはじめる若者たちを忌避し、その大群に恐怖を募らせるようになる。

・そんな若者たちの生態や保守的な住人とのやりとりは、まさしく60年代のにぎやかで混乱した状況そのもので、僕は読みながら、ジョンアーヴィングの『ホテル・ニューハンプシャー』やW.P. キンセラの『フィールド・オブ・ドリームス』を読んだ時の興奮を思い出した。ウッドストックの祭典は3日間だが、その前夜祭が一ヶ月前から始まっていて、何百が何千、そして何万人にもなっていく。最終的には40万とも50万人とも言われるが、実際には、ニューヨークからの道路が車で埋まって、辿りつけなかった人が大勢いて、その数を合わせると百万人にもなったようだ。

・この巨大イヴェンとをきっかけに、ロック・コンサートが何十万人も集めることは珍しくなくなった。ロックもきわめて当たり前の日常的に聴かれる音楽になったし、人びとが思い思いのファッションや髪型にすることも普通になった。それは日本でも同じだ。ただしそれだけに、なぜそれを好むのか、なぜそうするのかといったことに、自分なりの主張を自覚することもなくなった。ドラッグやセックスはその好例だろう。そういう時の流れと共に消え失せた意識を改めて思ったが、反対に、しっかりと根づいた意識もある。ゲイやレズといった同性愛者の社会的な位置の確立だ。欧米では、これこそが60年代の対抗文化が残した、大きな足跡だと言っていい。もっとも、ゲイは、日本では目立った社会運動になりそこなったままである。