2012年4月23日月曜日

インターネットでテレビを見る

 ・地デジをBSで見ることができなくなって、ますますテレビを見る時間が減った。4月の番組改編でNHKのBSもおもしろくなくなったから、テレビをほとんどつけない日もあるようになった。それで少しも困らないのは、興味を持てそうな番組(主に報道やドキュメント)は数日遅れでネットで見ることができるからだ。それで、ほとんど定期的に見るようになった番組には、次のようなものがある。15分の細切れになるYoutubeよりはDailymotionのほうが掲載されるのも早くて種類も多い。ちなみに、見たいものの検索は番組名よりは放映日の年月日(たとえば20120423)でやるのが確実のようだ。

・『玉川徹の「そもそも総研」』(テレビ朝日モーニングバード)
・『報道特集』TBS
・『報道ステーションsunday』
・『愛川欽也パックインジャーナル』

・「朝日ニュースター」がテレビ朝日に統合されて『愛川欽也パックインジャーナル』が終了した。愛川欽也は出演者や視聴者の強い要望に応えてkinkin.tvを4月に開局して、「愛川欽也パックインニュース」と名を変えて途切れなく番組を続けている。放映時間が決まっていて、しかも初期トラブルもあるから全部を見ることができていないが、がんばっているから、見続けようと思っている。ちなみに視聴料は月額1050円でDVDでの配布は月額2100円だ。愛川欽也はインターネットもパソコンもやらないようだが、ネットTVという新しい試みに挑戦する姿勢には感服するばかりである。

・「朝日ニュースター」ではほかに「ニュースの深層」という番組があって、4月以降もTV朝日のCS放送番組として継続しているのだが、キャスターは全員入れ替わっている。一方で「ニュース解説 眼」は廃止された。原発事故について厳しい指摘をし続けてきたフリーのジャーナリストたちの発言の場がなくなったのは全く残念だ。地上波のだめさ加減をかろうじてBSやCSが補ってきたという感があったのだが、政治や経済あるいは社会や文化に対する批判の眼が、テレビ全体から排除されつつあるように思われる。

・ネットで見つけたおもしろい番組はテレビよりはむしろラジオにある。MBSの「種まきジャーナル」は原発事故直後から小出裕章さんの出るものだけは欠かさず聞き続けているし、吉田照美が毎朝文化放送でやっている「吉田照美のソコダイジナトコ」は木曜日に出るおすぎやアーサー・ビーナードの発言ややりとりがおもしろくて、これもアップされれば必ず聴くようにしている。そんなふうにして検索していると、興味を持って聞きたくなるものは結構ある。ぼーっとテレビなど見ているよりはずっとおもしろいのである。

・インターFMで毎日(月〜金)の朝放送していたピーター・バラカンの「バラカン・モーニング」が3月で終わった。本人は否定しているが、原発批判などの発言が影響したのでないかといった声が、ネット上ではよく発せられている。忌野清志郎の反原発ソングを放送しようとして止められたりしたこともあって、ラジオとてそれほど自由でないことは今に始まったことではないが、それだけに、ネットをもっとうまく使う可能性を探るのは大事なことだろう。

2012年4月16日月曜日

続・台湾旅行

 

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taiwan6.jpg・台湾旅行の後半は東海岸を台東と花蓮に宿泊して北上するコースをたどった。東側は大都市が並ぶ西側と違って開発が遅れている。山脈が迫って平地が少ないせいだろうが、そのために原住民(台湾ではこれが正式な呼称)が多く住んでいる。その代表が台東市だった。今は廃線になった旧台東駅には木彫りのアミ族の像があって、ここから新台東駅まで線路が長い遊歩道として作られている。暑かったが、そこを途中まで歩いてみた。


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difang1.jpg・アミ族はDifangの歌で知られている。アトランタ・オリンピックのプロモーション・ソングとして無断借用されたことがきっかけになって世に紹介され、CDも何枚か作られた。どことなく沖縄の音楽にも似た独特の世界を持った歌だ。彼は既に死んでしまったが、台東を目指したのにはアミ族の歌が生で聴けるかもとという期待があった。それはかなわなかったが、旧駅舎では若者たち数人が伝統的な音楽に合わせて踊りの練習をしているところを見かけたし、夜にはロックやラップの野外コンサートもあった。後にも先にも台湾で音楽を聴いたのはこの時だけだった。

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・東部を訪れたもう一つの目的は大理石の太魯閣(タロコ)峡谷を歩くことだった。タクシーを一日チャーターしての贅沢な行程だったが、その景観は今まで見たこともないすごさ、美しさだった。もともと海でできた珊瑚礁が厚い石灰岩の層を作り、それが大理石に変成し、台湾島が大陸のプレートに衝突した時に隆起したもので、氷河ではなく雨によって削られて深い峡谷になったもののようだ。何千万年という時間が作り出した絶景だが、地殻変動のすごさを実感させる景観で、これに比べたら、大震災で数メートルずれたなどというのがいかに小さなものであるかがわかる。

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2012年4月9日月曜日

台湾旅行

 


taiwan1.jpg・昨年夏の韓国に続き、今度は台湾を訪れた。いずれもはじめてで、韓国ではハングル文字と食事の辛さや味の濃さにめげたが、台湾は漢字の国だから、空港に降りたときから、第一印象は韓国とはずいぶん違った。最初の日に食べた餃子は種類も多くておいしかったうえに値段も安い。日本語が通じることも多いから、異国にいることをほとんど意識しなかったりもした。
・道路を走る自動車の多くは日本車で、まるで軍団のようにして走っているバイクもほとんどはホンダやヤマハのカブやスクーターだ。セブンイレブンやファミリーマートがやけに多いし、デパートは三越やSOGOだから、日本資本や商品に占拠されているかのようだが、台湾の家電や電子機器メーカーは、今や日本の大手を脅かす存在になってもいる。

taiwan2.jpg・台湾は韓国とは対照的に親日的だと言われている。たしかにその通りで、道できょろきょろしていたり、駅で切符の買い方を迷っていたりすると、すぐに日本語で助けてくれる人がいる。もっとも親切なのは韓国でも一緒だった。どちらも儒教の国だから白髪頭の老人には親切なのである。
・ただ明らかに違うのは、占領時代に作られた建物や鉄道が今でも大事に使われていて、占領時代の産物であることが善悪抜きに紹介されていることだ。台北の国立博物館では鉄道展をやっていて、新橋横浜間を走った蒸気機関車が展示されていた。また、今は事故があって一部しか運転していない阿里山森林鉄道は、占領時代に赤檜を切り出して日本に運ぶために作られたものだが、観光客で満員の盛況だった。

taiwan3.jpg・歩いた場所にもよるのだろうが、いわゆるレストランや料理屋と言った店が少なく、屋台のような店が軒を連ねる食堂街が多いのが気になった。テイクアウトする人もいるし、簡易テーブルで食べていく人もいる。焼売、餃子、肉まん、麺やスープなど中華料理がほとんどで、ハンバーグやイタリアンの店はほとんどない。道行く人も買う人も、その多くは若者たちだから、食べ物については保守的なのかもしれないと思ったりした。
・それは韓国でも感じたことだったが、大きな違いは何を食べても薄味だった点だ。携行している『地球の歩き方』には、薄味が日本の占領時代からの影響であると書かれていた。そういえば、焼き餃子は大陸にはない日本独特のものらしいし、セブンイレブンには「関東煮」と名がついたおでんが、日本の店と同じようにして売られていた。そんなわけで、食べ物についても何の違和感もなかったのだが、3日も経つと中華料理に飽きが来てしまった。

taiwan4.jpg・今回の旅程は台北を起点にして左回りで一回りするというもので、訪れたのは、台北→鶯歌→阿里山→高雄で、この文章は高雄から乗って台東まで行く特急「自強号」で書いている。高雄では超高層ビルの展望台に上がって高雄の街を見下ろした。港町で再開発が盛んに行われている。老街と高層ビルが混在していて何ともちぐはぐで、新幹線が届いていない高雄駅はノスタルジックだったが、数年のうちには新幹線の開通に伴って大改装されるようだ。ちなみに中国語ではホームのことを月台という。注意は細心ではなく小心、徐行は慢、弁当は便當と漢字の意味が異なるのも戸惑いというよりはおもしろい発見だった。
・といわけで、旅も前半が終了した。これから東海岸を北上して台北に戻る予定だ。雨続きだったが今日は晴れ。これからもずっとそうあって欲しい。<続く>

2012年4月2日月曜日

Eddie Vedder


"Into the Wild" "Ukulele Songs"

vedder1.jpg・たまたまBSで見た『イントゥ・ザ・ワイルド』という映画でまず気になったのは挿入される歌だった。pearl jamのようなと思ってiPadでAmazonで検索すると、確かにメンバーの一人エディー・ヴェダーで、その歌声に惹かれて映画そのものにも深く吸い込まれた。

・あらすじは大学を卒業した主人公が就職も進学もせず、アラスカを目指して旅に出るというものだ。ただしまっすぐ向かうのではなく、あちこちに行き、場所が気に入ればしばらくとどまり、資金稼ぎのバイトをしたりする。そこで出会った人たちとの関係の持ち方ややりとりが、いろいろ考えさせるものになっている。

・同じ年頃の息子が行方知らずになっている女性は主人公に母親の視線を向け、あれこれと忠告をする。家族を亡くして一人暮らしている老人は、若者に心を開いたばかりに、彼との別れがたまらなくつらいものになる。で、若者はそんないくつもできた関係をあっさり断ち切って、アラスカに向かう。何もない原野で動物を捕まえ、植物を採取して100日間暮らすという目標を立てるが、思うように食べ物は手に入らず、けがもして動けなくなり、廃車になって放置されたバスで飢え死にする。

・青年の無謀な冒険話と言えばそれまでだが、物語に挿入されているヴェダーの歌には、旅に出ざるを得なかった若者の思いが代弁されている。


社会は本当に狂っている
僕がいなくたって寂しがらないように

社会は、やれやれだ
僕が同意しないからと言って怒らないでほしい
"Society"


intothewild.jpg ・青年をアラスカに駆り立てたのは、一つは親の期待に対する拒絶の意思表示だ。しかし、そこには彼が憧れた生き方、マーク・トウェイン、ヘンリー・デヴィッド・ソロー、そしてジャック・ロンドンなどが描き出した世界もある。この物語は実話に基づくもので、映画の原作(ジョン・クラカウワー『荒野へ』集英社文庫)を読むと、この主人公がなぜ、自分の人生を社会から離脱することに求めたかがよくわかる。

・よりよき人生は、信頼できる親密な人間関係と物質的な豊かさを基盤にしてこそ可能になる。これこそアメリカン・ライフの基本だが、しかしまたアメリカには、建国時以来ずっと、それとは正反対の生き方も存在し続けてきた。つまり、孤独と自然への憧れだ。若者の遺品にあったソローの本には「愛よりも、金銭よりも、名声よりも、むしろ真理を与えてほしい」という一節に、「真理」ということばが書き加えられていたとある。

vedder2.jpg・エディー・ヴェダーのCDをアマゾンで探したら、彼がウクレレだけを伴奏にして作ったアルバムも見つけた。その "Ukulele Songs" もまたなかなかいい。どの曲も静かで単調で時間も短いが、それだけに一言一言に耳を傾けたくなって、繰り返して聴きたくなってくる。


僕は愛と災難の両方を信じている
それらは時に、全く同じものだ
"Sleeping by Myself"

2012年3月26日月曜日

卒業式を壇上から

・勤務する大学で2年ぶりの卒業式がおこなわれました。あいにくの雨でしたが会場の体育館には2000人ほどの卒業生、教職員、父母、そして卒業後50年、40年、30年の人たちが大勢参列しました。僕は今年度1年間学部長を務めましたから、その式に壇上に並んで、ということになりました。

・実は、大学の卒業式に出るのは自分自身の時も含めて初めてのことです。式後に学部ごとに分かれて学生に卒業証書を渡すお勤めには何度か出席したことがありましたが、式そのものは初めての体験で、校歌を歌ったのはもちろん、聞いたのもほとんど初めてのことでした。歌詞を書いた紙を渡され、起立してほとんど口パク状態で戸惑いましたが、国旗も君が代もない卒業式は、それだけで居心地の悪さを減じてくれた気がします。

・式では「君たちには無限の未来がある」という決まり文句が、何度か聞かれました。以前からこのことばには違和感を持っていましたが、今回ほど、そのことが強く感じられたことはありませんでした。「無限の未来」ということばに込められている意味は「可能性」だけを指しますが、大地震と原発事故の後では、むしろ「危険性」にどう対処するかといったといった自覚の方がずっと現実的で重い意味を持つようになったと感じているからです。

・これからの時代には、個人的なことから社会的なこと、そしてグローバルなことまで通して、「無限」ではなく「有限」こそがキーワードになりますし、未来の「可能性」と「危険性」についても、他人事や政治家任せではなく、自分の問題として考え、行動していく必要があります。式がおこなわれた1時間ほどのあいだ、僕は壇上で、そんなことばかりを考えていました。

・学部長の仕事も卒業式でお役ご免です。大震災と原発事故で入学式が中止になり、授業開始が1ヶ月近く遅れ、東電の無計画停電への対応などで頻繁に会議が開かれるという大変な1年でした。おまけに今年度は7年ごとに文科省に提出する「自己点検・評価報告書」について、学部のことを書かなければなりませんでした。その意味では、今までいかに大学のことに無関心でいたかということを思い知らされた1年でもありました。

・大学は今、大きな曲がり角にさしかかっています。受験生は何より就職を考えて進路を決める傾向が強くなりましたから、キャリア教育や資格の取得を目指したカリキュラムの充実が求められています。教員も自分の関心に従ってではなく、学生にとって必要なことを考えた講義を工夫しなければならなくなりました。わかりやすく役に立つ授業を品揃えして懇切丁寧に指導する。そんな必要性が大学の就職予備校化とコンビニ化を促進していくように思えます。

・そうしなければ生き残れないのが大学の置かれた現状ですが、それはまた大学が大学でなくなることを意味します。大学の教員はまた、研究者であるという側面を持っています。大学はこの面についても成果を上げ、広く公開することを求められていますから、教員は否応なしに、研究と教育に求められる要求のあいだで「ダブルバインド」の状況に置かれざるを得なくなっています。

・そんなことを強く思い知らされ、対応を考えさせられた1年でしたし、在学する学生たちに、どんなことを自覚させ、考えてほしいかを悩んだ1年でもありました。卒業式がすみ、学部長の職務もほぼ終わって、やれやれと思う気持ちがありますが、まだもう少し大学で働く限りは、可能性と危険性を背中合わせに持った大学の現状と未来について、考えていかなければとあらためて思いました。

2012年3月19日月曜日

森の恵み、木の力

 

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・春めいて雪ではなく雨が降る日が多くなった。まだまだ寒いから、あと1ヶ月以上は薪ストーブで暖をとる必要がある。一年乾かした薪も残りが少なくなって、次の冬のために薪作りに精出している。少し大きい新しいストーブにしたので、今年は9立米の原木を購入して、一月ほどをかけて切って割って積んで乾かしてきた。楢(なら)の木で固くて重いから割るのも積むのも大変だが、燃やした時の火持ちと暖かさは、他の木では得られない心地よさを与えてくれる。


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・薪は森の恵みだ。ミズナラ、コナラ、クヌギなどは里山に目立つ木で、薪や炭、そしてもちろん木材としても使われてきた。ドングリがなるから、山の生き物たちの食料としても、欠かせない役割を果たしてきた。そんな雑木の森が杉や檜の森に変えられたのは、材木としての利用を考えたからだが、安価な外材の輸入が増加すると、採算が合わなくなって伐採されずに放置されることになった。山歩きをしていても、杉や檜の荒れた薄暗い森を抜けて、広葉樹の森に入るとほっとすることがある。山の森をその土地にあった木々で再生することの重要性は、山歩きをするたびに感じることである。

・震災で残ったがれきの始末について、その焼却処分を日本全国で分担しようという動きが始まっている。放射能を排気しない処置や灰の処分地をどこにするかなど、しっかり定めないと放射能の拡散を引き起こしてしまうとして反対運動も強いようだ。しかし、がれきの処分は燃やすだけではない。海岸線にコンクリートの大堤防を作るのではなく、穴を掘ってがれきを埋め、小高い丘のようにして、そこにその土地にあった雑木を植えていくことを提言する人がいる。ここでも、放射能の問題をきちんと考慮する必要があるが、環境的にも景観的にも無機質なコンクリートよりはずっといいプランだと思った。提案するのは、これまでに日本はもとより世界中で植林を続けてきている宮脇 昭さんだ。その主張や実績を教えてくれる動画が、YouTubeにはいくつもある。

東東日本大震災 現地調査(宮脇 昭 緊急提言)

いのちを守る森づくり 〜東日本大震災復興〜

森の再生の第一人者=宮脇昭1/2

・森の恵みや木の力を実感し、それに日々感謝する生活をしているから、この提言と実践には諸手を挙げて賛成し、僕も参加してみたいと思った。

2012年3月12日月曜日

もう1年、まだ1年

・東日本大震災と福島原発事故から1年が過ぎた。もう1年かと思うし、まだ1年かとも思う。いずれにしても、小出裕章さんが言うように3.11以後世界は変わったのだという思いに違いがあるわけではない。

・原発事故で放出されたセシウムは4京ベクレルとも言われている。京は兆の上の単位で0が16個つく数字だ。そのうちの7割が海、3割が陸に撒かれたのだが、セシウム137の半減期は30年で土壌粒子と結合しやすいものだから、簡単に取り除けたりするものではないようだ。

・3.11以降に日本周辺で起きたマグニチュード5以上の地震は600回を超えている。3.11の時ほどではないにしても、その大きさにびっくりしたことが何度もあった。住んでいる近くが震源地になったこともあるし、東海、千葉沖、東京湾、そして富士山の噴火と注意を促す報告も多いから、意識の中にはたえずそのことがある。

・この一年であからさまになったこともたくさんあった。国策としての原子力発電を支えてきた国(経済産業省)と独占事業としての電力10社、学者とメディアが「電力村」を形成して、安全で安価でエコロジカルな電気という「安全神話」を作り出してきたこと。電気の値段が電力会社の言い値で決められてきたこと。再生可能エネルギーによる発電開発が、「電力村」によって抑えられてきたこと。等々、あげたらきりがないほどである。

・地震と原発事故後の政府や東電の対応に対して、それを検証する報告書が出始めている。「想定外」ということばが言い訳として使われたが、巨大な災害や事故に対処する心構えが皆無だったことはもちろん、マニュアルもなかったことが露呈された。都合の悪い、採算の合わない危険を無視してきた姿勢とあわせて考えれば、的確な事故対応などできるはずもなかったのである。

・政府は昨年暮れに「冷温停止状態」になったと宣言をした。「想定外」「直ちに身体に影響はない」と同様、曖昧でいい加減なことばで、メルトダウンをして燃料が容器の外に漏れだした状態を「冷温停止」などとは言わないのが常識のようだ。また「除染」もよく使われるが、それは汚染した土壌を取り除いてよそに移すことであって、セシウム自体をなくすことではないから、正確には「移染」に過ぎないのだという。

・事故は何となく終息に近づいていて、除染が進めば避難している人たちが家に戻れるような状態がもうすぐやってくるかのように取りざたされている。停止している原発を再稼働させようとする動きも目立ってきてもいる。東電も事故の責任には沈黙したままで、使用する燃料の増加や高騰を理由に電気代を上げようとしている。ここには3.11以降世界が変わったのだという認識はほとんどない。

・この1年で読んだ本は、今までとはずいぶん違うテーマのものだった。レビューで取り上げたものにも原発関連のものが多かった。その中でもう一度、紹介したいのはレベッカ.ソルニットの『災害ユートピア』だ。政府は原発事故についての情報を隠し続けた。その理由として繰り返されるのは国民がパニックになることだが、ソルニットは明らかにしているのは、これまで起きた大惨事の中で人びとがとった行動がパニックよりは相互扶助の気持ちと行動だったことである。この1年の経過を見れば、パニックを起こしたのが政府や東電のだったことは明らかである。

・もう一冊、ビル・マッキベンの『ディープ・エコノミー』は経済成長の神話への警鐘で、経済成長が一部の富裕層をさらに富ませる政策でしかないことと、生活の豊かさを量や便利さではなく、質とやりがいに求める必要性の強調である。R.ボッツマン&R.ロジャースの『シェア』とあわせて考えれば、豊かさの実感を個人的な所有ではなく共用、使い捨てではなく交換、あるいは贈与によって実現させていくという方向性への転換だろう。

・最後にもう一つ。この1年ではっきりしたのは、マスメディアに対する幻滅とインターネットへの信頼だ。僕はそのことを「地デジ化」の中で自ら経験したことを根拠にして、「電波村」と「ガラデジ」と表現した。限られたマスメディアとそれによる情報の管理という体制を維持しようとする力にかかわらず、情報の流れは多様化し、国境を越えて行き来する。原発から放出された放射能の流れを計測するSPEEDIの結果がいち早くアメリカやドイツから発信されたことは、その象徴だった。あるいは、数万人も参加した反原発デモがネットで生中継されていて、ニュースでほとんど報道されないというおかしさもあった。