2015年7月20日月曜日

新刊案内!『レジャー・スタディーズ』

 

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・今、「レジャー」について考える理由は、経済的にこれほど豊かな国になったのに、日本人の「レジャー」はなぜ貧困のままなのか、という疑問でした。ところがここ数年の状況は、雇用形態の変化や「残業代0法案」に顕著なように、その豊かさが怪しくなっている点にあると思います。ですから、ひょっとすると、この本を見かけた人は、こんな大変な時代になぜ「レジャー」なのだと思うかもしれません。しかし、こんな時代や状況だからこそ、「レジャー」について、自分の生き方や「ライフスタイル」と関連させて考えることが必要だと強く言いたくなります。是非中味を読んで、そのことを認識して欲しいと思います。

目次

序章 レジャー・スタディースの必要性と可能性(渡辺潤)

Part1 余暇学からレジャー・スタディーズへ
 1.余暇 (薗田碩哉)
 2.遊び (井上俊)
 3.ライフスタイル(渡辺潤)
 4.仕事(三浦倫正)
 5.カルチュラルスタディーズ(小澤考人)

Part2 レジャーの歴史と現在
 6.教養と娯楽(加藤裕康)
 7.ツーリズム(増淵敏之)
 8.音楽(宮入恭平)
 9.ショッピング(佐藤生実)
 10.スポーツ(浜田幸恵)

Part3 レジャーの諸相
 11.ライフサイクル(盛田茂)
 12.食(山中雅大)
 13.映画とテレビ (盛田茂+加藤裕康)
 14.ミュージアム(光岡寿郎)
 15. ギャンブルとセックス(岸善樹)

索引
あとがき

オビ

{余った暇」つぶしから
豊かなレジャーの世界へ!

自由とは何か、豊かさとは何か、私はなぜ働くのか、
レジャーからライフスタイルを見つめよう。
旅行、音楽、スポーツからテレビやギャンブルまで、
多様なレジャーの過去と現在を学ぶ入門書の決定版。
現代文化を学びたい人にも最適。

2015年7月13日月曜日

梅雨がうらめしい

 

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forest126-2.jpg7月に入って、毎日のように雨が降り続いている。その雨の合間に真っ赤な夕焼けの日があった。うわーきれい、と見とれたが、ほんの少しで闇に消えた。梅雨入り前に御坂山塊に登った。ただし歩いてではなく、車でだ。いつ来てもここからの景色は素晴らしい。しばらくぶりでちょっとだけ、パートナーと尾根歩きをした。リハビリを頑張って、500m、1km、2kmと散歩の距離を少しずつ伸ばしている。果たして山歩きができるまで回復するのだろうか。ここはじっくりリハビリに励んでもらうしかない。

toilet.jpgそんなふうに思っていたら、保険の適用は6ヶ月までだと言われた。あとは実費で続けなければならない。治っても治らなくても半年限り。保険制度の財政が厳しいとはいえ、切り捨てがここまで露骨だと腹が立つ。

一方で、新国立競技場に象徴されるように、どんぶり勘定でやる無駄遣いがあとを絶たない。ラグビーのW杯もオリンピックも、やりたければ横浜や埼玉、そして味スタを使えばいい。権力者の思いが弱者を切り捨てにする。そんな好例を目の前に突きつけられた思いがした。その新国立競技場はまるでトイレだという記事を見た。こんなものは絶対作らせてはいけないのだ。

forest126-3.jpg山歩きができないから自転車で。新しい自転車に乗って6月は12回走った。河口湖一周、西湖一周、そして西湖と河口湖。スピードが出るからついついがんばって新記録を狙ってしまう。で、河口湖一周は45分、西湖は58分、西湖+河口湖は1時間22分。こうなるとだんだん冒険もしたくなる。富士山一周はいつかやりたいと思っていたが、まずは精進湖まで、そして本栖湖まで、あるいは山中湖一周をしてからと思っている。自転車は何と言っても登りがきつい。その登りだけのヒルクライムにも挑戦してみようか。だったら富士山五合目まで、などと考えている。年寄りの冷や水と言う声が聞こえてきそうだ。

forest126-5.jpgところが7月に入って自転車に乗れない日が続いている。この週末やっと晴れたと思ったら、数日前から体調がすぐれない。梅雨時には時々出る症状で、原因は不明だが、とにかく寝れば直る。で、日曜日に8日ぶりで河口湖を一周した。
雨の影響は薪にも出始めている。カビが生えてきているのだ。雨のかからない軒下にできるだけ移動しなければならない。自転車よりも優先してと、これは土曜日にやった。カビだけでなく、虫の巣になっていたりナメクジがついていたりと大変だった。他方で茗荷は例年になく大きく育っている。収穫は今月末からか、あるいは8月になってからだろうか。

forest126-4.jpg雨は降っても気温は暑からず寒からず。僕にとってはちょうどいいのだが、パートナーには寒いようだ。麻痺した部分の血流が悪いせいだろう。とにかく家の中は暖かく。そのために床下の断熱工事をした。建築時に貼った繊維質の断熱材が剥がれ落ちていたから、以前からなおさなければと思っていたのだが、薪の原木を購入しているところで相談をすると、うちでもやってますと言われた。今は発泡性のウレタンを吹き付けるやり方になっているという。床全面に吹き付けたが、さて今度の冬はどうだろうか。床下に入ってみると、ちょうど薪ストーブがあるところに、大きな蜂の巣があった。もちろん、もう何年も経ったものだが、ここで越冬したのだろうか。きっと暖かだっただろうと思う。

2015年7月6日月曜日

がんばれ!"SEALDs"

 


SEALDs.png ・大学生が政治問題に目覚めてやっと動き始めた。毎週金曜日の夜に国会議事堂前で、土曜日に渋谷で集会やデモをやっている。その動きは京都や札幌、そして沖縄などに広がって、数百、数千人の若者達が集まっているようだ。思い思いのプラカードを掲げ、マイクを握って発言し、ラップなどでメッセージを伝えてもいる。僕は出かけていないが、Youtubeではその模様をいくつも見ることができる。

・集会やデモをリードしているのは"Students Emergency Action for Liberal Democracys"(自由と民主主義のための学生緊急行動)という名の組織だ。略して"SEALDs"と言う。

・若者達の意識が変わりはじめた。そう思うと、どうしようもない政治状況に暗くなっていた気持ちの中に、ひとつの明かりがさしてきた気がした。参加したフォーク歌手の中川五郎はツイッターで「なんと美しき光景かな。未来を生み出す若い人々とこの時代を生きていることを心の底からうれしいと思う。未来は彼らと共にある。」と興奮気味に書いている。

・そんな気分になるのは僕にもよくわかる。大学生が抗議行動に率先して立ち上がったのは半世紀ぶりで、僕らの世代が高校生や大学生だった時以来だからだ。"SEALDs"のFacebookには岡林信康の「友よ」がリンクされたりもしているから、余計に懐かしさを感じたりもしてしまった。

・とは言え、そんな興奮をゼミの学生に話しても、彼や彼女の反応はいまひとつだ。僕の勤める大学のキャンパスにも、そんな動きはまだ見えない。渋谷に2000人といっても、まだまだごく一部の学生なのだと思う。内向きで政治には無関心の学生の意識を変えるのは大変だが、ほかの誰より自分たちに一番関わる問題であることに早く気づいて欲しいと思っている。

・だからこそ、この動きは大切にして、芽を摘みとるようなことが起こらないようにとも思う。たとえば"SEALDs"のサイトには「私たちは、戦後70年でつくりあげられてきた、この国の自由と民主主義の伝統を尊重します。」といった声明がある。そしてこれに対して、自由で民主的な日本がどこにあるのか、それを作ろうといったい誰が努力してきたのかといった批判をして、その認識の甘さを突く声もある。

・戦後に作り上げられてきた民主主義を守るのではなく、むしろその民主主義なるものの欺瞞を撃つことから始めなければという批判は、至極まっとうなものである。けれどもそんな批判を頭ごなしにしても、それはやっと芽生えた動きの芽を摘みとる働きしかしないだろう。身近にいる大学生達とつきあっていて肝に銘じているのは、叱るよりはまず褒めることであるからだ。とにかく行動し、その後で、自分で考えながら気づいていく。教師としてはどうしても、そんなふうに考えてしまう。

・学生達は何より空気を気にするから、この流れが身近な人間関係に及ぶことが必要だ。その意味で不思議に思ったのは、"SEALDs"のサイトのSNSにFacebookやTwitter、それにYouTubeがあるのにLineがないことだ。僕のゼミの学生達の多くはLineしかやってない。たぶん多くの大学生も同じなのだろうと思う。

2015年6月29日月曜日

文系学部の存在価値

・文科省が国立大学に通達した「文系学部・大学院の廃止、定員削減」は、2013年に出された「国立大学改革プラン」に基づくものです。私立大学には直接言及していないので、国の予算を多く使う国立大学は理系に重点を置いて、文系は私立大学に任せればいいということかもしれません。しかし、この改革が、安倍首相の「学術研究よりは社会のニーズにあった実践的な職業教育」をという指示に基づくものであることを考えれば、大学そのものの危機であることは疑いないでしょう。何しろ大学は研究の場である必要はないと言っているのですから、大学の教員は研究者である以上に実践的な職業教育をする教育者であるべきだということになるのです。

・実際、このような圧力は安倍政権以前から、私立大学にも文科省の指示としてさまざまにおこなわれてきました。たとえば大学の授業は年30週を基本にしています。しかし、大学の行事もあれば祝日もあって、それより少ない数でずっとおこなわれてきました。ところが今では、この30という数字は絶対こなさなければならない数になって、祝日でも授業をやったり、夏休みが8月にずれ込んだりしているのです。授業計画であるシラバスについても事細かな指示があって、それが大学院の博士課程にまで及んでいるのが現状です。これはもう、「学術研究」つぶしを大学院にまで及ぼそうとする策略だと言うほかはないでしょう。

・他方で学部では、進学を希望する学生自身のニーズが、圧倒的に就職に役立つ技術や資格を身につけることにあるのも事実です。役に立つ授業と勉強をどう提供するか。大学は今どこも、その生存競争に勝つために、学部やカリキュラムの改革に血眼になっているのです。その主な柱は仕事に役立つキャリアと語学です。しかし多くの教員は、この要請にうまく対応できないし、対応したくもないのです。教員は同時に研究者でもありますから、講義やゼミは、今自分が関心を持って研究していることを学生に開陳する場でもありました。だから同じ名前の講義名でも担当者によって中味はまるで違うことが当たり前のことでした。ところが、そんなやり方が、学生のニーズとしてだけでなく、大学の方針、さらには文科省の要請として、できにくくなっているのです。

・大学生を取りまく状況は確かに厳しいものがあります。就職に役に立たないことに時間もお金もエネルギーも注ぎたくないと考えるのも無理はないのかもしれません。しかし、最近の学生と接していて何より気がかりなのは、無知を恥じないというよりは知らなくてもいいといった態度であったり、自分の考えを公言することをためらったり、そもそももたないで平気でいる姿勢です。だから、ゼミがゼミとして機能しなくなってもいるのですが、ここには中高で、その準備になる教育をほとんど受けていないという問題が大きいように思います。

・選挙での投票権が18歳まで引き下げられました。文科省はさっそく、高校の授業で政治的な問題を扱わないようにといった通達を出しました。考える機会を作らなければ、政治についての関心を持つことは難しいのですが、現政権にとってはそれこそが狙いなのでしょう。そして文系学部、とりわけ文学、哲学、そして社会学といった分野は、批判勢力を育てるだけの邪魔なものだと思っているのかもしれません。だからそれは学生だけでなく、そのような分野とそこで研究する教員の減少と無力化にもつながるものなのです。

・政治には無関心で、メディアの情報操作に流されやすく、企業の命令に従って従順に働く人材。国歌・国旗によって愛国心を自覚し、必要なら戦争にも行かなければと納得する国民。文系学部不要論は、何よりこのような人間を望む勢力が、権力を乱用して実現させようと画策することにほかならないのです。文学や哲学、そして社会学に無知な政治家が、今日本の社会をどれほどダメなもの、おかしなものにしようとしているか。そのことこそが文系学部の必要性を証明していると言えるでしょう。

2015年6月22日月曜日

今「Timers」を聴く!

 

"The Timers"

"復活!! The Timers"

timers1.jpg・パートナーの入院見舞いとして"The Timers"という名のCDをいただいた。何だろうと思って聴いてみると忌野清志郎だった。清志郎の作品には単独のほかにRCサクセションなどもある。しかし、"The Timers"というバンドを作っていたのは知らなかった。アルバムの中には知っている曲もあったが、知らないものが多かった。それを聴いていて、今という時代、この状況に対する批判のメッセージとして、これほど適格で痛烈なものはないと感じた。

・"The Timers"は1989年に出されている。メンバー不詳の覆面バンドということになっているが、結成のきっかけになったのはRCサクセションが作った"Covers"について東芝EMIが発売を中止したことだった。東芝が問題にしたのは、収録された「ラブ・ミー・テンダー」「サマータイム・ブルース」「マネー」「シークレット・エージェントマン」の歌詞にあった。"Covers"は別のレコード会社から発売され、話題になったが、清志郎は"The Timers"という名のバンドを作り、大学祭などに多数出演してゲリラ的に活動をした。アルバムはそのライブを録音したものである。そして"復活!! The Timers"は1995年に発売されている。

timers2.jpg・この2枚のアルバムに収録されている曲は、「偽善者」「争いの河」「総理大臣」「税」「企業で作業」「国民改正論」「宗教ロック」「ロックン仁義」「覚醒剤音頭」「プロパガンダ」「まわりはワナ(マリワナ)」「いも(陰毛)」「タイマーズのテーマ(大麻)」といった放送禁止歌ばかりである。YouTubeで探すとアルバムには入っていない曲として「Summer Time Blues(原発はもういらない)」や「原発音頭」「メルトダウン」などもある。この時期から原発批判をしていたことは今さら指摘するまでもないが、今国会で問題になっていることについての痛烈な批判だと言える曲もたくさんある。


総理大臣、へらへら作り笑いで国を動かす
誰かの言いなりのタレントみたい
アメリカに行っても恥ずかしくないように、鍛えてあげるぜ(「総理大臣」)

今日も企業で作業、それが私の家業、夜は企業で残業、それが男の事業
今も軍事産業、農業より工業、息子学校で授業、やがて企業で営業(「企業で作業」)


・今こんなことを歌うミュージシャンは日本では皆無である。しかし、それは20年前だって一緒だった。だから"The Timers"は次のようにも歌っている。ただし、今のほうがずっとひどいことは言うまでもない。

どうせロックはありゃしねえ、演歌やポップスばかりじゃないか
俺はしがないロックンローラー、義理も未練もありゃしねえ
気がつきゃ軽いサウンドばっかりじゃござんせんか
何を歌ってんだかよくわからねえ、耳障りのいい、差し障りのねえ歌ばっかりで
それでロックと言えるのか(「ロックン仁義」)

・当時の"The Times"の活動についてネットで探してみると、テレビにもに出演していたことがわかった。たとえばフジテレビの「ヒットスタジオ」に出て、放送禁止にしたM東京を痛烈に批判して歌ったり、NHKのBS!で生中継された88年の「広島平和コンサート」」でも「タイマーズのテーマ(大麻)」や「偽善者」を歌っている。「ヒットスタジオ」の司会者は「報道ステーション」で古賀茂明の突然の発言に慌てた古館一郎だが、リハとは違う曲をやられたのに、その反応は呆れるほどに違う。

・今や安倍の宣伝道具に堕したNHKも、25年前にはこんなライブを中断もしないで放送したんだと思うと、隔世の感がしないでもない。だから「FM東京」を「NHKテレビ」に代えればそのまま通用するから、誰か替え歌で歌うミュージシャンがいてもいいのにと思った。しかしそれは、無い物ねだりだろう。

2015年6月15日月曜日

機能性表示食品にご注意!

 

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・テレビを見るとすればほとんどBSだが、その内容のおもしろさを台無しにするのがCMだ。どの番組を見てもCMの多くは健康食品で、しかも同じものが数分おきに何度も繰り返される。だからそのたびにチャンネルを変えると、そこでもまた似たようなCMが流されている。そんなものはまったくいらない、とずっと思ってきたが、ここ数年気になるようにもなってきた。だから余計に腹が立つ。

・健康食品にはまず、厚生労働省が認定した「特定保健用食品」がある。安全性や効能を実験データで証明したもので、厚労省のサイトには、発酵乳(ヨーグルト)、乳酸菌飲料、お茶、清涼飲料、豆乳、青汁、納豆、菓子(ビスケット、ガムなど)といったおよそ900種が掲示されている。このような食品には、血圧を下げる、体脂肪がつきにくい、虫歯になりにくい、消化を促進するといった効能がある、オリゴ糖、食物繊維、大豆タンパク、キシリトール、ビフィズス菌等々が含まれているとされている。

・もうひとつ、食生活で不足しがちな栄養素であるビタミン類やミネラル類(カルシウム、マグネシウム、鉄、亜鉛)を含むものは、「栄養機能食品」として、「食品衛生法」に基づいて、商品に表示が許可されているものがある。ただし表示には「多量摂取により疾病が治癒したり、より健康が増進するものではありません。」という文言が小さく付記されてもいる。

・BSでは毎日、朝から晩までこの手の食品やサプリメントのCMが流れている。健康のほかに美容、ダイエット、若返りなどの効能を謳うCMもあって、その占有率は驚くほどである。地デジに比べたらCM料は桁違いに安いのだろうと思う。しかしテレビ局にとっても、地デジに比べれば視聴者の数は桁違いに少ないのだから、この種のスポンサーは大歓迎だろう。そして、CMでも商品の効能を大げさに紹介しながら、最後に小さな文字で、効かない場合もあることが書かれていたりする。

・このような食品はある程度の効能があることを厚労省が認めたものだが、新たに「機能性食品」というジャンルが作られ、その商品が販売されはじめるようだ。これは事業者の責任においてその機能性を表示し消費者庁に届け出るもので、その効能はどこもチェックをしないものである。おそらく、BSにはこの新種の商品のCMがいっぱい出てくるのだろうと思う。しかしチェックがないのだから、効き目や害は客観的にはわからない。ここには品種改良された野菜や果物そのものも含まれている。

・この怪しいジャンルの追加は「アベノミクス」によるものである。そしてメディアはその怪しさについて、ほとんど口を閉ざしている。規制緩和によって詐欺まがいの商品でも合法化してしまおうというひどい政策だが、メディアにとっても広告収入の増加に繋がるのだから、あえて横やりを入れることはない。そんな態度が見え見えである。

・自分では若い、健康だと思っていても、年齢はごまかせない。そんな症状がいろいろ自覚されるようになってきた。だから、血圧や体脂肪、目や耳の衰え、あるいは頻尿の傾向が気になることもある。体力の衰えや肌の劣化など、気にし始めたらきりがないほどだが、その一つ一つに、これを飲めば、食べれば、使えば飛躍的に改善されるなどといった勧誘が繰り返される。もうはっきり言ってこれは詐欺社会そのものである。 こんなCMに出ているタレントや有名人には、そんな自覚がどれほどあるのだろうか。

2015年6月8日月曜日

130年余前の日本

 

イザベラ・バード『日本奥地紀行』平凡社ライブラリー

isabella.jpg・もうすぐ刊行される『レジャー・スタディーズ』(世界思想社)の索引作りをしていて、何冊か気になった本があった。その一冊、イザベラ・バードの『日本奥地紀行』を読んで、日本人やその生活の、現在との余りの違いに驚かされた。

・イザベラ・バードはスコットランド出身で、生涯の大半を旅に過ごし、何冊もの旅行記を書いた人である。アメリカ、カナダ、ハワイ、オーストラリア、中国、朝鮮、チベット、マレーと、その行き先は世界中に及ぶが、日本には明治11年に訪れ、東北から北海道まで出かけている。新橋と横浜間に鉄道が敷かれたばかりの時代だから、東北や北海道への交通手段はほとんどない。徒歩と馬によったのだが、道自体も未整備なところが多く、梅雨時だったせいもあって、難行苦行の旅だった。

・読んでまず驚くのは、農村に住む人たちの暮らしぶりについての描写である。男はふんどし、女は腰巻きぐらいしか身につけず、小柄で痩せていて、皮膚病などに冒されている。衣食住の貧しさはごく一部の地方都市を除いて当たり前のことで、それは彼女が宿泊した旅館で出される食事の貧しさ、部屋のお粗末さ、そして蚤や蚊に悩まされる描写にも表されている。

・悩まされるのはそれだけでない。ヨーロッパ人の感覚では当たり前のプライバシーがまったく保たれず、同宿者から部屋を覗かれるし、部屋まで入ってこられたりする。そもそも宿の部屋は襖や障子でしきられているだけで、しかも穴だらけなのである。覗かれるのはそれだけではない。外国人がやってきたことが伝わると、村や町中の人がやってきて、一目見ようと塀越しに鈴なりになる。これが毎晩のように繰り返されるのである。

・彼女は簡易のベッドや蚊帳を持ち歩き、また携帯食や薬も携行した。それがまた、人々には珍しく、ひどい皮膚病の人に薬をつけて治したりしたから、すぐに噂になって、多くの人が雲霞のごとく寄ってくる理由にもなった。このような描写を読んでいると、時代劇などからおおよそ連想していた江戸時代や明治時代の日本の状況とはまるで違うことに、目から鱗という思いになった。

・もっとも、彼女が感心することもいくつもあった。親だけでなく大人達が子どもをかわいがっていること、その子どもたちが大人に対して従順であること、何か助けてもらうことがあって御礼をしても、受け取らない謙虚な人が多いこと、荷物の運搬を手伝った報酬についても、多すぎると言って返す人がいたたこと等である。欺されたり、追いはぎに遭ったりすることもなく、数ヶ月かけて東北から北海道まで旅できたことは、彼女にとっては奇跡にも近いことのように感じられたのである。

・北海道で彼女が特に興味を持って滞在したのはアイヌの部落だった。そして、その身体的な違いについて、頑健さや顔の彫りの深さ、目の大きさ、毛深さなどを日本人と比較して美しいと表現している。彼女は日本人よりも興味を持ったようだが、しかしそのアイヌ人は、明治以降の国策で人口を急激に減らされてしまった。

・バードはこの旅行の後もたびたび日本を訪れている。その20年ほどの間に、日本は近代国家として大変貌を遂げた。しかし、その間も東北などの農村の状況にほとんど変化はなかったようだ。と言うよりも、農村部が豊かになるのは第二次大戦後の経済成長によるのだから、都市と農村の貧富の差はますます大きなものになっていったのである。

・この本を読んで、日本と日本人がわずかの間に大きく変貌したことを、今さらながらに実感した。そして、近代化によってもほとんど変わらない、日本人の気質についても改めて、確認した。