2000年11月27日月曜日
BBはまだ当分だめのようだ
2000年11月20日月曜日
やれやれ、で秋も終わり
・大学の教師は怠け者でも勤まる。仕事に出るのは1年間に100日足らずで、後は休みなのだから。これは相撲取りとほぼ同じで、プロ野球の選手よりははるかに少ない。もっとも先発ピッチャーならば中4日とか5日の登板で、メジャーでも30試合で200イニング投げれば、一流の証明というからうらやましい気がするが、結果がすぐ出るから、そのしんどさは登板数ではかれるものではない。今年の野茂は、好投しても点がもらえず、かわいそうだった。しかもタイガースは来シーズンの契約をしないという。佐々木に沸き、またイチロー話題が集中して、今は野茂のことなどどこも報じないが、ぼくは今年も一番力を発揮したのは彼だったし、来年もそうなるだろうと思う。なぜ日本人選手がこれほど注目されて、大金が払われるようになったか。もっともっと野茂のすごさに敬意を払うべきだろう。
・横道にそれたが、今回は大学の教師という仕事の話である。大学にはおよそ2カ月間の夏休みと、春休みがあり、その他に今一番待ち遠しい3週間ほどの冬休みがある。それに、授業のある期間といっても出校しなければならないのは原則的には週3日。企業に勤めるサラリーマンにはうらやましい勤務に見えることだろうと思う。人からそう言われることはしょっちゅうあるし、身近にいる学生からもうらやましがられる。正直言って、申し訳ない気がしないでもない。しかし、気持ちとしては忙しい。特に今年の秋はそうだった。
・まず、「日本マス・コミュニケーション学会」の大会の開催校になって、その準備の責任を任されたこと。経験者からは体をこわすとか、神経が参るとか脅されたが、無事に終えることができた。
・次は春からまとめ始めた『アイデンティティの音楽』の校正作業。図版や年表、それに詳しい文献一覧などを入れたから、通常の校正作業とは比べものにならないほど手間暇かかってしまった。編集者にも校正者にも細かな作業で迷惑をかけたが、おかげで、年内の出版ができそうである。学会の開催はもうこれっきりにしてほしいが、本はこれからも作っていきたい。第一、何もなくてやれやれと、仕事が形になってほっとするのでは、満足感が違う。後は、本の売れ行きがいいことを願うばかりである。
・この二つは、いうまでもなく、大学の本業とは関係ない。しかし、大学の教師には、実際こういった仕事が結構あって、それがかなりの手間と暇を必要とする。どちらもやりたくなければやらなくてもいいものだが、なかなかそういうわけにもいかない。
・けれども、これで、暇、というわけではない。師走とはよく言ったもので、これから12月の中頃までは、4年生の卒論作成を助けなければならない。すでに、先週から、何本かの論文を読み始めている。おもしろいもの、つまらないもの、かんばったもの、手抜きのものなどいろいろだ。
・東経大で卒論の指導をするのははじめてだが、ぼくは前にいた追手門学院大学では、ハードルがきつくて学生泣かせの教師だった。理由は卒論集を出していたことと、学生に全力を出させる経験をという親心。その『林檎白書』は編集から印刷、そして製本まで100%手作りのもので、ずいぶん大変だったが、今年の3月で9号まで発行した。
・その卒論集はもうやめと思ったのだが、今年はゼミの活動費として印刷費がもらえることになった。で、生協で作ってもらうことにした。手間はかからないが、やっぱり公になるから、学生にはおもしろいものを書いてほしいと思う。
・そんなわけで、なかなかのんびりできないが、薪割りや、森の散策はもちろん、天気や景色に誘われて、山歩きやドライブには出かけている。ここに載せた画像は上から、落ち葉で埋まった我が家の庭。次の2枚が三つ峠とそこから見た御坂山系。4枚目からは紅葉真っ盛りでパトカーも出動するにぎわいの河口湖と、雪をかぶった富士山。朝の気温も0度になって、ぼちぼち冬いう感じでがしてきた。ストーブの薪の消費量も増えて、山のように積んだ薪が数日でなくなってしまう。庭の木を伐採したおかげで幸いたくさんあるが、早く割って乾かさないと燃やせなくなってしまう。
・なお『アイデンティティの音楽』の表紙を公開しましたので、ぜひご覧下さい。ぼくはもちろん気に入っています。それでは。
2000年11月13日月曜日
村上春樹・柴田元幸『翻訳夜話』( 文春新書 )
・ぼくはこれまで5冊の翻訳をした。こつこつと根気のいる作業だが、けっして嫌いではない。何より、自分で書く文章と違って、時間を見つけて少しずつやれるのがいい。翻訳はいってみれば夜なべ仕事である。とは言え、その報酬は内職仕事ほどにもならないから、収入のことを考えたらやってられない仕事であることもまちがいない。
・それではなぜ、そんな面倒な上に儲からない仕事をやるのか。ことばによって作り上げられた一つの世界を、別のことばで作り直すおもしろさといったらいいだろうか。そこには、推理もあれば、賭もある。創作はできないが、想像力を働かせる場面にも事欠かない。ただ読むよりは数段楽しめる気がする。もっともそう思えるのは、ぼくが翻訳家ではなく、余技としてやっているからなのかもしれない
・村上春樹と柴田元幸が出した『翻訳夜話』には、そんな翻訳に対する姿勢や意識に共感できる部分があっておもしろかった。
・小説を書くのはもちろん本職であるわけで、これがぼくにとっては生命線なわけです。それだけに「好き」とかそういう言葉では簡単に表現できない部分があるし、またいつでもどこでもすらすら書けるというものでもない。それなりの覚悟を決めて、正しいときを選んで、「さあやらねば」という勢いと集中がないとできません。でも翻訳というのは、違うんです。放っておいても、ちょっとでも暇があったら机に向かって、好きですらすらやっちゃうようなところがあるんです。(村上、p.30)
・翻訳はことばを置き換える作業だから、当然、原文に忠実であることが大事だ。けれども、一字一句正直に置き換えていったのでは、日本語にならないし、なっても、とても読みにくいものになってしまう。「忠実に、しかし、スムーズな日本語に」。翻訳の極意は簡単にいえばここにある。しかしまた、それが難しい。難しいからやってみたくなる。
・『翻訳夜話』を読んでいて、うらやましいな、と思ったところが一つある。それはふたりが訳しているのが小説だというところだ。ぼくが訳すのはいつも学術書だから、作品の奥にある作家のイメージとか文体の特徴とかを意識することは少ない。注意するのはただ一点、論理的な正しさの追求である。それはそれでおもしろいが、学者ももっと文体に工夫してくれたら、訳しがいがあるのにと文句を言いたくなることが少なくない。
・ふたりが披露する翻訳の極意でおもしろいのは「リズム」である。つまり「リズム」のある文章で訳す工夫ということだ。これにもぼくは共感するが、翻訳をしていていつも迷ってしまう点でもある。学術書は正確さを大事にするから、どうしても文章が長くなったり、くりかえしが多くなったりする。だからリズム良く訳そうと思ったら、長い文章はいくつかに分け、くりかえしは省略したり、回りくどい表現は率直に言い換えたりしたくなる。けれども、学術書は読みやすさとか訳者のセンスを発揮させるよりは、正確に訳すことが大事だと言われたりしかねないから、ついつい、リズムに合わせて踊り始めた頭や指先にブレーキをかけることになる。翻訳者のジレンマである。
・「正確」であることと「リズム」のある文章であること。翻訳は両方の使命の達成を理想とすべきだが、これははっきり言って不可能である。学術書の翻訳は引用されて、あたかも原文そのままであるかのように扱われる。だから正確にという意見を良く耳にする。もっともらしいが、ぼくは引用するなら原文にあたれと言いたくなってしまう。研究者なら、翻訳をあてにしたり鵜呑みにするような姿勢をもつべきではない。
・ぼくは今、6冊目の翻訳を始めている。ポピュラー文化論の入門書で、諸理論の解説が内容だから、当然正確さを期さねばならないが、入門書だから、わかりやすく、読みやすいものにしなければならない。しばらくはまた翻訳者のジレンマに悩まされそうだが、そこがまた、おもしろがれるところでもある。
日時: 2000年11月13日
2000年11月6日月曜日
M.Knopfler, The Wall Flowers
・マーク・ノップラーの新しいアルバムがでた。ぼくは最近、彼の前作やそれ以前の映画のサウンドトラックをしょっちゅう聴いているから、 amazon.comで見つけてすぐに注文した。一緒に購入したのはウォールフラワーズ、ラジオヘッド、トレーシー・チャップマン、それにU2のニュー・アルバム。U2はまだ届いていないが、聴いた中ではノップラーが断然いい。中でもジェームズ・テーラーと一緒に歌っていて、アルバム・タイトルになっている"sailing to philadelphia"、それにヴァン・モリソンとのデュエット"the last laugh"。写真で見るノップラーは太って、しっかり、おじさんしているが、歌やギターは相変わらずのノップラー節だ。ヴァン・モリソンとのデュエットは本当に渋くて、聴くたびにしんみりしてしまう。
最後の笑い声の音は好きじゃないのか、友人
泥だらけの老兵と溝に倒れ
酔っぱらった船乗りとは甲板の排水溝にはまった
だが、最後の笑いは君のだ。その音が好きじゃないのか?
奴らが泣かそうとしても、君は笑っていたし、
這いつくばらせようとしても、飛ぼうとしていた
だから、最後の笑いは君のなのに、その音が好きじゃないのか?
"the last laugh" with Van Morrison
・ノップラーはダイアーストレイツのリーダーだ。ぼくは彼らのデビュー以来のファンだが、最初に惹きつけられたのは、ノップラーの声がボブ・ディランにそっくりということだった。歌い方も明らかに意識していたから、一歩間違えば、そっくりさんで終わっていたところかもしれないが、ノップラーにはもう一つ、独特の音色のギターがあった。その透明で糸を引くようなサウンドはアイルランドを連想させたが、彼の作るサウンドには、次第にアイリッシュが色濃くでるようになった。聴き始めるとアルバムを次々かけたくなる。で、一日中ノップラー、なんてことが良くある。乾いたしっとり感、あるいは冷たい優しさ。彼のつくる歌にはルー・リードのような都市の風景ではなく、田舎の情景を感じる。
・ディランにそっくりといえばもう一つ。ザ・ウォールフラワーズのボーカルはジェイコブ・ディラン。3枚目のアルバムだが、こちらもなかなかいい。もう親の七光りなどと陰口をいわれないだけの力をつけたと思う。ぼくは聴きながら、どうしても若い頃の父親を連想してしまうが、ジェイコブのほうが良くも悪くも屈託がない。
ママ、今月は愛を送ってこないで、心が疲れ果ててるから
ママ、家に帰りたい、戻りたい
だから朝の雨に飛び出した、で、悲しみの列車に乗っている
スーツケースをおろして、靴を茶色に磨いている
誰もぼくの名前を知らない、今はもう、誰もぼくの名前を知らない
"Mourning Train"
・ママなどということばを聞くと、今度はサラを思い浮かべてしまう。サラは離婚した後ジェイコブと暮らしていたんだ、などと想像力は勝手に歩き始める。そういえば、ぼくの息子は「米、送ってくれ」なんていうメールをよこしていた。「中古の250ccのバイクを20万円で買うからよろしくだって」。それがどうした。そうそう甘い顔ができるものか。などと、連想ゲームは公私混同もはなはだしくなってくる。ジェイコブの詩は"morning
rain"と"mourning
train"で韻を踏んでいたりして親父の影響が感じられるが、内容はまだまだだ。とは言えぼくの息子よりはずっとましかな………。
・ウォールフラワーズを聴いていると、どうしても自分のことに気持ちが移ってしまう。
2000年10月30日月曜日
H.D.ソロー『ウォルデン』その2;「生きること」について
・栗の実がなってちょっと楽しい思いをしたら、今度はキノコ。ぼくはキノコに詳しくないから近づかないようにしていたのだが、同居人が隣人に教えてもらったといって数種類を摘んできた。それを野菜炒めやみそ汁の具にしてこわごわ食すと、まあまあいける。何より腹が痛くならなかったのがいい。で、今度はキノコ図鑑での学習。春先の野草やバード・ウォッチングから始まって、森の生活は本当に変化に富んでいる。秋になって、周囲にやってくる人びとの数はめっきり減ったが、寂しい思いをすることがない。
・学会の準備でそんな森の生活も上の空だったが、無事に終わって数日間、久しぶりにのんびりする時間をもてた。工房の建築を依頼したログ・ビルダー「Be-Born」の宮下さん宅におじゃましたときに玄関先で見つけた手作りの表札が気に入って、自分でも作ってみたいと思っていたが、ストーブにあたりながら1日半、ナイフと糸鋸と錐を使って作り上げた。材料は白樺で幅は8cm長さは40cmほどある。字と字をどこでどうつなげるか、中はどんなふうにくりぬくか、削っては考えの危なっかしい作業だったが、思った以上のできで、至極満悦!! 充実感いっぱいの一日!!!
・ぼくが森に行ったのは、慎重に生きたかったからだ。生活の本質的な事実だけに向きあって、生活が教えてくれることを学びとれないかどうかを突きとめたかったからだ。それにいよいよ死ぬときになって、自分が結局生きてはいなかったなどと思い知らされるのもご免だ。ぼくは生活でないものは生きたくなかった。生きるとはそれほどに貴いことだ。(137ページ)
・『ウォルデン』を読みながら毎日の生活を見回すと、現代人の生活の危うさを思い知らされてしまう。生きていることの実感がますます見つけにくい反面で、今ほど自分の存在証明をほしがる時代はない。家の周りの動物や植物は刻一刻と表情を変え、雨粒の感触も風の音も変わっていく。すべてが生きていることを精一杯表現していて、それに反応するだけで、自分も生きていることを確認できる気がする。
・どうして僕らはこんなに慌ただしく、こんなにいのちをむだ使いしていきねばならないのか。飢えもせぬうちから餓死すると決めこんでいる。今日の一針は明日の十針などと世間では言うが、その流儀で明日の十針を節約するために今日は千針も縫ってしまう。仕事はと言うと、これと言うものは一つもない。(140ページ)
・もちろんぼくは、ソローが体験したような自給自足の暮らしを始めたわけではない。収入を得る場と生活の場を分けただけの話で、ずるいと言われればその通りと答えるしかない。けれども問題は経済的・社会的な立場と言ったものよりは発想の転換なのだとも思う。自分にとって居心地のいい空間と時間を確保することを第一の価値にする。それがはっきりすれば、そのための方策は後から見えてくるはずだ。「静かなところでいい仕事ができますね。」と言われることが多い。そうありたいという気持ちは確かにある。しかし、森の生活で味わう充実感はそれとは違う形でやってくる。
・一日はぼくの何かの仕事を先導する明かりのように進んでいった。朝だとばかり思っていたのに、それがもうあっというまに夕暮れだ。しかも記憶に価することは何一つ成し遂げていない。鳥のように囀る代わりに、ぼくは途切れることのないぼくの幸運が嬉しくて、黙ったままで微笑していた。(171ページ)
・楽しみを外に求め、社交や芝居見物に余念のない人びとに対して、ぼくの生き方には少なくとも一つ長所があった。ぼくには生きること自体が楽しみとなっていて、ついぞ鮮度の落ちたことがない。ぼくの生活は見せ場がいくつもある終わりのないドラマだった。(172ページ)
・薪を割って乾かす。それをストーブで燃やして夜の暖をとる。木のとげは刺さるし、やけどもする。朝にはたまった灰や煤の掃除。ついでに、庭の落ち葉を掃いて、たまにはベッドを日に干したり、部屋の片づけをしたり。そうするうちにまた、薪割り。こんなふうにして過ごす一日は、けっして単調ではないから、飽きてしまうこともない。何も生み出さないのに無意味な感じもしない。そんな感覚を新鮮に思う自分を再発見。
2000年10月23日月曜日
釣りとコスモス
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2000年10月16日月曜日
オリンピック・野球・サッカー
仲良しモードというのは危険だ。甘えというのは「ある集団における一体感を楽しむ」ということだ。簡単には勝てない戦いが続く現場では、集団における一体感を楽しむのは罪悪となる。それは客観的な批評を排除し、敵との距離や戦略を曖昧にする。(32p.)
日本人初の快挙という言い方に代表される閉鎖性を嫌う若いスポーツ選手は増えていくだろうと思う。それは実によいことだ。実はスポーツに限らず、そういう、閉鎖性を実感として嫌う意識を持てなければ、この国に第二の復興の可能性はない。(79p.)
中田と現地ペルージャの日本マスコミとの対立は象徴的だ。中田は日本の文脈から個人として飛び出してしまった人間であり、現地マスコミは(メディアという言い方よりマスコミのほうが彼らをより表していると思う)日本的な集団の価値観の中にとどまっている。だから必ず衝突する。(218p.)
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12月 26日: Sinéad O'Connor "How about I be Me (And You be You)" 19日: 矢崎泰久・和田誠『夢の砦』 12日: いつもながらの冬の始まり 5日: 円安とインバウンド ...
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・ インターネットが始まった時に、欲しいと思ったのが翻訳ソフトだった。海外のサイトにアクセスして、面白そうな記事に接する楽しさを味わうのに、辞書片手に訳したのではまだるっこしいと感じたからだった。そこで、学科の予算で高額の翻訳ソフトを購入したのだが、ほとんど使い物にならずにが...
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・ 今年のエンジェルスは出だしから快調だった。昨年ほどというわけには行かないが、大谷もそれなりに投げ、また打った。それが5月の後半からおかしくなり14連敗ということになった。それまで機能していた勝ちパターンが崩れ、勝っていても逆転される、点を取ればそれ以上に取られる、投手が...