2005年6月28日火曜日

町田康『告白』(中央公論新社)

 

machida1.jpg・町田康の名前はずいぶん前から耳にしていた。ロック・ミュージシャンで作家、どちらも評判がいい。しかしなぜか、食指が動かなかった。たいした理由はない。たまたまの出会いをのぞけば、これは良さそうだ、おもしろそうだと感じられるまでは手を出さない。僕にはそんな傾向がある。それに、ここ数年、時間的・精神的な余裕がなくて、小説を読むことがほとんどなかった。学生の論文につきあうこと、ポピュラー文化の文献を網羅して、それに目を通すこと。特にこの2年ぐらいはそうだった。本が完成し、大学の仕事の負担も軽くなって、今まで読まなかった本に目を向け始めた。で、まず読みたいと思ったのが、町田康の『告白』だった。

・きっかけは、僕の恩師の一人である仲村祥一さんから、『告白』を読んでいるという便りが届いたことだった。感想は書かれていなかったが、仲村さんが町田康か、と思ったら、無性に読みたくなった。80歳になられたというのに、新しいものへの好奇心はまだまだ健在なんだ、とあらためて感心した。

・『告白』は大阪の河内が舞台になっている。時代は江戸から明治に変わる頃で、河内音頭の『河内十人斬り』が物語のモチーフのようだ。この話はまた、実際に起きた事件をもとにしている。河内の水分という村に生まれた熊太郎は成長しても百姓などやる気のない極道になる。親の嘆きや村の人びとの悪口や嘲笑も気にせず、好き勝手な生活をしている。そんな彼が、嫁をめとるが、遊び仲間に間男されてしまう。その兄には借金を踏み倒され、村の有力者でもある親父からはバカにされて相手にされない。そんな腹いせから、一家を赤ん坊にいたるまで惨殺する。そして、山中での逃亡生活と最後の自殺。ストーリーはおおよそこんなふうなものだが、700ページに近い大作で、なかなかに読み応えがあった。

・僕は河内音頭の『河内十人斬り』は聞いたことがない。というより、河内音頭にこんなトピカル・ソングがあったことも知らなかった。河内家菊水丸のCDも出ているようだ。これも3枚組で200分に及ぶ大作らしい。これはこれで、ちょっと聞いてみたい気がするが、『告白』を読んで興味を持ったのは、最後の一家惨殺や逃亡といった派手な場面ではない。むしろ、前半の生い立ちや成長の過程の話である。

・どういうわけか、熊太郎は物心ついた頃から思弁的な性格だった。何かしようとしても、人と話をしようとしても、同時に頭の中でいろいろと考えてしまう。だから、出てくることばも行動も、スムーズでないし、相手や周囲の人にすぐ理解されるものにならない。熊太郎はそれが、親にちやほや育てられてできた、現実との断層の自覚に原因があると、ぼんやり考えている。親は褒めても悪ガキ仲間はバカにする。ことばの真偽、ことの表と裏、外見と内面、表現したいことと、それを伝達することの間にあるズレ。熊太郎は、そんな疑問やささいなことにひっかかって、いつもまごまご、しどろもどろしてしまう。

・この小説のかなりの部分が、この熊太郎の錯綜する心の動きととまどいの描写で占められている。それは冗談ポク、まるで講談の講釈士がするように語られているから、けっして深刻な内面の苦悩といったふうには読み取れない。けれども、これは間違いなく、近代小説の大きなテーマだった、自己と世界の対立とそれがもたらす苦悩の物語で、きわめて深刻な話なのである。

・この小説のおもしろさは、こういった問題を大阪の河内の農村に置きかえたところだろう。しかも、時代は江戸から明治への変わり目である。「近代的自我」にとりつかれた子どもを日本に伝統的な村社会のなかにおいて。その成長過程を想像したらどうなるか。僕は読み始めてすぐにそんな興味を感じて、一気に読んでしまった。家の中の、村の中の異物の物語を、異物の内面の側から読みとっていく。それはまた、異物の抱えた苦悩と同時に、それを受けとめる家族や村の人びとの態度や行動の特異さを描きだしていく。異物の側から見れば、伝統的な村社会はまた、何とも奇妙にみえる世界なのである。

・しかし、読み進みながら、これは現在の日本に典型的な自己と他者、個人と世間の物語なのではないか、という気にもなってきた。外見的には近代化したかのような社会であっても、日本は精神的には、そして人間関係的には、相変わらず村社会のままである。そのことを自覚せずに子どもをちやほや育て、自分の思惑に当てはめようとするから、異物のような子どもや少年・少女が続出する。熊太郎は自分から進んで極道になったのではない。それは、親や世間のインチキさに嫌気がさし、世間の掟にしたがうことに消極的に反抗した結果なのである。

・読み終わって、再認識した。これは、ミニ極道が続出する現在の日本社会を描きだした物語なのだと。おもしろいキャラをした、並はずれた力量の作家が出てきたと思う。今度はCDを買ってミュージシャンとしての町田康を聴いてみよう。

2005年6月21日火曜日

宮入恭平ライブ

 

miyairi1.jpg・大学院の僕の演習にはミュージシャンがいる。ジャーナリストもいれば、元お笑いタレントもいる。みんなユニークで、毎週の長時間に及ぶゼミも飽きることがない。基本ができていない点がちょっとだけ悩みの種だが、その分きっちりしぼる。ついてこれなければ、「ハイ。さよなら!」と引導を渡すことにしているが、落ちこぼれは少ない。というより、おもしろがって修士ではすまずに博士まで進んでしまうから、僕としては、その先どうするんだろう、と心配するばかりだ。「研究者になろうたって、なかなか大変だよ」といったり、「なまじ理屈を身につけると、君たちのよさが消えるかもしれない」といったりするのだが、学生たちはさほど気にしていない。

miyairi2.jpg・そんな学生の一人がライブをやった。宮入恭平。CD も出しているプロのミュージシャンだ。ただ、修論を書いていたから、ライブは1年ぶりだという。たまたま大学に出校した日だったから、少し研究室に長居してつきあうことにした。もう30代の後半で、有能なパートナーに養ってもらっているようだ。ハウス・ハズバンドで学生でミュージシャンという、なんともうらやましいところにいる。
・彼の修論は『ライブハウスの社会史』。日本の音楽状況とライブハウスの関係を70年代からたどり、現在のライブハウスとそこで歌い、踊り、演奏するミュージシャンたちの現状をフィールドワークしたものだ。

miyairi4.jpgmiyairi5.jpg・なかなかの力作だったと思う。だから今は、それを本にして出版できるよう書き直している。学者になるよりは、きっちりした音楽評論や文化批評のできるミュージシャンになってほしいと期待しているが、もちろん、ことはそれほど簡単ではない。がんばってほしいが、また、本職がお留守になってもいけない。

 

miyairi6.jpg・で、ライブである。場所は東京の中央線国立駅の南口にある「地球屋」という店だった。一橋大学のすぐ近くにあって、大学通りに面している。院生たちと早めに待ち合わせて、モスバーガーで軽い夕食をとった。地下の店に入ると、ウクレレで歌う青年のパフォーマンスが始まっている。「雑草〜」の歌が妙に耳に残った。小さくて細長い場所だが、音は悪くない。

miyairi7.jpg・彼のステージはかっこうよかった。エレキギターのバック(カマチョ)もついて、とてもリズミカル。CDで聴いていたから曲に馴染みはあったが、ライブの方がずっと迫力がある。若くて小気味のよいステージ。彼の番になったら、時間があっという間に過ぎた感じだった。十分にお金が取れるパフォーマンスで、もっとお大勢の客に聴かせなければもったいない。
・しかし、注文もちょっとだけ。「僕は、孤独、アイソレーション」。「そんなことはないだろう?」などと思いながら聴いた。さわやかだが、歳にあった、もうちょっと陰影や汚れや色気がある歌があってもいいな、と思った。もちろん、枯れや渋さなどまでは望まないけれども……。

2005年6月14日火曜日

大いなる遺産

 

・BSで『大いなる遺産』(1998)を見た。チャールズ・ディケンズ原作の物語だが、現代のアメリカに話を置きかえてある。舞台はフロリダで、主人公の少年フィンがボートに乗っていて脱獄囚に出会い、彼の逃亡を助けるところから始まる。フィンは姉と、彼女の恋人と暮らしていて、近くの屋敷に住むディンズムア婦人から姪のエステラの遊び相手に頼まれる。婦人は結婚式の日にフィアンセが去って、その痛手から立ち直れないまま年老いた人だ。立派な屋敷は荒れ放題で、厚化粧の婦人の挙動は奇妙だが、フィンはそこに現れた美少女の虜になってしまう。毎週土曜日に出かけていって、踊りを踊ったり、絵を描いたりする。フィンは絵を描くことが好きだった。
・やがて成長して、エステラは大学に行くために家を出てしまう。そこで屋敷に出かけることはなくなるのだが、漁師をしているフィンのところに、弁護士が、画家になるための奨学金をもってくる。名は証さず、ある人からの提供だと言われる。フィンはニューヨークに行き、絵を描き始める。
・物語はエステラとの再会、画家としての成功というふうに進むが、彼が絵描きになる道を開いたのが婦人ではなく、脱獄囚であることが明らかにされる。脱獄囚はロバート・デニーロ、そして婦人はアン・バンクロフト。もっとも、婦人がアン・バンクロフトであることに気づいたのは、映画がかなり進んでからだった。理由は、僕の記憶にある彼女に比べて、かなり老けていたのと妖艶な感じがしたからだ。
・この映画を見て数日後に彼女の死が報じられた。アン・バンクロフトは僕にとって印象深い女優の一人だ。印象に残っているのは、まず『卒業』(1967)だろう。ダスティン・ホフマンが主演になった60年代後半のニュー・シネマの代表作で、教会で花嫁をさらって逃亡するシーンが有名である。彼女は娘のボーイフレンド(ベン)を不倫に誘い、娘に見つかってしまうが、その責をベンになすりつける。彼女の演技は何とも利己的でいやらしかったが、そんな思惑が娘の結婚式に現れたベンによって壊されるラスト・シーンでの憎悪をいっぱいにした演技はさらに強烈だった。何よりこの映画は60年代に顕著だった「世代」の断絶をテーマにしていて、アン・バンクロフト(ミセス・ロビンソン)はやっつける大人の標的そのものだったのである。
・頑固で保守的で怖い顔の女優というイメージは、『トーチソング・トリロジー』(1988)でも強烈で、絶縁状態のゲイの息子と言い争いをする母親の役もまた真に迫っていた。ゲイ・バーで歌い、踊る息子は心優しい青年でおだやかで知的だが、母はゲイであることで息子を人間扱いしない。オフ・オフ・ブロードウェイから始まってトニー賞をとったブロードウェイ・ミュージカルの傑作だが、映画はきわめてリアルなつくり方をしていて、世の中の偏見そのもののような彼女の存在が主人公以上に印象的だった。
・もっとも、彼女を初めて見たのはもっと古く、また印象も違う。ヘレン・ケラーを主人公にした『奇跡の人』(1961)で彼女の役は反抗的なヘレン・ケラーにことばを教えるサリヴァン先生だった。その映画は、死後に追悼としてオンエアしたNHKのBSで見たが、40年前の作品だから、当然若かい。しかし、このとき彼女はすでに30歳を過ぎていて、すでに若さを売り物にする女優ではなかった。そういえば、『愛と喝采の日々』(1978)も、ライバルのダンサーだったシャーリー・マクレーンと互いにすさまじい対抗心を燃やしあう中年の女という設定だった。そんなわけで、僕にとってアン・バンクロフトは保守的で利己的な強い中年女というイメージが強かったが、また、けっして嫌いではないという存在だった。時代を象徴する映画で象徴的な役割を演じたという意味で、アン・バンクロフトの残した遺産はまた、かなり大きなものだと思う。
・もっとも『大いなる遺産』は原題をGreat Expectationという。これは直訳すれば「大いなる期待」でけっして遺産ではない。実際、映画は青年の画家としての才能に期待してお金を提供したのがだれかという推理ドラマにもなっている。青年はずっとディンズムア婦人だと思っていたのだが、最後で、それが脱獄囚だったことがわかる。いずれにしても、死後に遺産として残したのではなく、才能が開花することを期待して投資をしたもので、ディケンズの原作も同じ趣旨だとすれば、これは「大いなる誤訳」と言わざるをえない。映画のタイトルにはこの手のものが多いが、古典文学にも結構あるものだと、改めて思った。

2005年6月7日火曜日

ちょっとのんびり

 

今年は週2回の出校だから、1日減っただけなのだが、それでも、家にいる時間は多くなった。完全休暇でないから、どこか中途半端だが、忙しくてできなかった乱読、あるいは落ち着いて大著を熟読、それとも原書に取り組んでみようか、という気にはなっている。
そのためというのではないのだが、ハンモックを買ってバルコニーに吊した。ホームセンターでわずか2980円。いささか頼りない感じがするが、寝心地は悪くない。で、晴れた日の午後は、本とたばこと珈琲をもってゆらゆらすることにした。しかし、やっぱりまだ寒い。20度を越える日は少ないから、1時間もいると体の芯まで冷たくなる。そうすると、やることはやっぱり、薪割りと焚き火、あるいは薫製ということになる。実際、本を読むよりずっと楽しいのである。

連休中に院生たちが、陶芸の体験教室に来た。誘ったわけではないが、来るならと、新入生の武田君の歓迎会、『<実践>ポピュラー文化を学ぶ人のために』の出版パーティもかねて、焚き火でバーベキューをした。薪割りにカヤックなども一通り体験してもらったが、朝起きてみると、一人ハンモックで寝ているのがいてビックリした。寝袋にくるまっていたとはいえ、明け方は4,5度になったから、かなり寒かっただろうと思う。だれかのイビキにうんざりして逃げたのかもしれない。たばこがなくなって、枯れ草を集めて吸った人がいるらしい。曖昧な言い方をするのは、僕はさっさと寝てしまったからだ。で、陶器のできあがりはというと、ご覧の通りである。→(作品)奇妙なもの、不格好なものを探せばすぐわかるはずだ。

家の周りはすっかり緑に模様がえして、蕗の最盛期を迎えた。時折、採ってよそに持って行く。あるいはよそから採りに来る。そうすると、しばらくすると、伽羅蕗になって帰ってくる。「薄味にしてね」などと注文がつけられるのも、豊富にあればこそで、スーパーに行くと、ほんの一握りの束で売っている。そのくらいの量なら、10分もあれば採れてしまう。ミョウガの芽がやっと出はじめたが、これが食べられるようになるのは8月。栗の木も花を咲かせている。もちろん、収穫はずっと先である。もうすぐなのは、桑の実とラズベリ、それに去年植えたブルベリ。サラダのなかに赤や黄、紫の実を入れて食べる。

農鳥は形を変えながら、ほとんど消えた。気にしてみていると、その姿がさまざまにみえてくるから不思議だ。鳳凰、白鳥、カモ、あるいはひよこ、ブーメランにみえる時もあった。今度は秋から冬にかけて、徐々に形を表してくる時期が楽しみだ。形に名を与えて創造する楽しみは、雲にもある。御坂山系からわき出してくる雲、富士山にかかる傘雲。瞬時に姿を変えていくから、一瞬感じられる形がおもしろい。いろいろな動物、人の顔と、ぼんやり見ていて飽きることがない。飽きないといえば、生き物の生の営み。雄は雌の争奪戦に必死だ。
 日時:2005年6月7日

 

2005年5月31日火曜日

北田暁大『「嗤う」日本のナショナリズム』(NHKブックス)

 

warau.jpg・2チャンネルの掲示板はどれも冷笑的で殺伐としている。そんな印象で、めったに見ることもなかったから、『電車男』のような純情物語が誕生したのは驚きだった。膨大なスレッドの大半は読むに耐えるものとはいえないが、匿名のやりとりに、いくつかのスタイルと可能性ができているのだろうか。
・北田暁大の『「嗤う」日本のナショナリズム』は、その『電車男』の話から始まっている。そこでは、2チャンネルが巨大な「内輪的なコミュニケーション」の場であり、そこでやりとりされるのが「嗤い」であることが指摘されている。匿名なのに内輪的で嗤(わら)いが中心だから、当然殺伐としている。しかしまた他方で、参加者たちは素朴な感動物語にも敏感に反応する。その二律背反(アンチノミー」が2ちゃんねるの大きな特徴なのだという。なるほどそうかと思う。
・もっとも、そのような態度はネットにかぎったことではない。テレビのバラエティ番組にも週刊誌にも、その種の二面性は強くあって、さまざまな事件はもちろん、芸能界でもスポーツでも、その手の話題に満ちあふれている。しかも、そんな傾向はますます露骨になってきている。だとしたら、ネットとの違いはどこにあるのだろうか。著者が指摘するのは第一に、その参加度のちがいである。


ストーリーへの感動ではなく、電車男の苦闘に2ちゃんねらーとして立ち会ったことへの感動、感動できる状況を、匿名の内輪の仲間たちと作り出したことに対する自己言及的な感動である。それは「感動は作られる」ことを知悉(ちしつ)しつつ感動してみせる、というどこか皮肉な振る舞いといえる。お仕着せの感動物語を嗤いつつも、感動を求めずにはいられない皮肉な人たちの逃げ場、それが『電車男』だったのではないか……。p.13

・このような態度は、時にマスコミを嗤い、こけにする。しかし、それはまたマスコミによって教えられ、マスコミとともに馴染み、マスコミを支えてきた態度にほかならない。嗤いつつ感動を探す。それをどこのだれか分からない、無数の人たちと共有する。その実感が世界のリアリティや自分を確認する第一の手段になっている。そういうことなのかなー、という感じで理解した。嗤う者と嗤われる者の相似性。というよりは、自分の顔を鏡で見て、時に不細工なと嗤い、また時にナルシスティックにうっとり見とれてしまう。そんな奇妙な一人世界を想像してしまった。
・この本では、そんな最近の若い世代の傾向を「アンチノミー(二律背反)」のほかに、「アイロニー」そして何より「反省」をキーワードに分析を試みている。話の出発点は全共闘運動で取りざたされた「自己否定」と、リンチ殺人で破綻した連合赤軍のメンバーたちが囚われた「総括」の地獄である。そこから、「反省」という態度が70年代、80年代、90年代、そして現在に至るまでに、どのように変容してきたかを軸にして、それぞれに特徴的な時代感覚(精神)を解釈している。
・一つの時代の読み方としておもしろいと思う。若い世代には共感されるかもしれない。しかし、それぞれの時代を経験した者としては、その短絡的で一面的な時代の把握に違和感を持ってしまう。多様な側面を捨象して一点に注目。この本をおもしろくもし、また、つまらなくもしているのは、まさにその点にある。
・学生運動で問われた「自己否定」や「反省」という態度はリンチ殺人や内ゲバに向かうという側面を持ったが、また、それは大学を出てさまざまな問題(公害、環境等々)や地域、あるいは日常生活に目を向けて、そこに自分が生きる場を求める動きにもつながった。それらがもった意味は、とても無視できるようなものではないはずである。
・同様に、「消費社会」が70年代になって突如登場したかのような記述、広告やテレビと、そこでもてはやされた時代の寵児を語れば、それぞれの時代を描写できるかのような論調も気になった。とはいえ、時代をふりかえり、問い直すことは、本来ならば、そこを生きた世代がやらなければいけない仕事である。今から過去を見つめる視点に対して、過去から現在にたどってくる方向を重ね合わせることの必要性……。
・この本で、気になったのはもう一点。それは土井隆義の分析を引用しながら指摘した、若い世代に見られる「人間関係」への無頓着さという傾向である。「自分らしさ」への執着と「親密な関係」の希求が一方にあり、他方にはマスコミが提供する世界への関心があって、その中間の人間や社会に対する関心がない。あるいはそれらに不信感を持ち、それらを嗤い、また避けようとする。それは「引きこもり」「ニート」「オタク」といったケースにかぎらない、もっと一般的な「共通感覚」になっているのだろうか。そういえば、この本にも、「オタク」と「マスコミ」の話があってその中間がない。大事なのは、その欠落している中間、つまり「社会」なのではないか、とつくづく感じた。

2005年5月24日火曜日

iPodを買った

 ・たいして欲しいと思わなかったがipodを買った。理由は写真を保存する機能がついたこと、ボイス・レコーダーをつければ録音機にもなることだった。今年は国内研究で出かけることも多くなる。デジタルカメラと録音機は携行したい。さあ、どこへ行って、誰に会い、何をしようか。そのためにはまず、1年間を有効に過ごすためのツールを揃えなければならない、というわけだった。


・とはいえ、大学を全休というわけではない。大学院に学生がいるから週に2日は大学に行く。ついでに学部のゼミもやるから、コマ数は二つ半の軽減でしかない。しかし、会議に出ないのは気楽だし、委員やその他の学務を免除されているから、気分はすごく楽になった。だからこの際、忙しくてできなかったビデオやCDの整理もすることにした。で、これも今まで興味がなかったDVDレコーダーを買った。蓄積したビデオは数百本ある。映画、音楽、そしてテレビのドキュメント、あるいはカメラで撮りだめたもの等々。それをDVDに移しかえはじめている。


・ipodはもちろん、音楽を大量に保存し、主としてイヤホンで聴く道具である。しかし、今のところ、イヤホンで聴く機会はあまりない。だから、研究室でラジカセにつないで流している。院や学部の演習をやるときのバック・ミュージックである。今年は講義はないが、「音楽文化論」でちょっと聞かせるのにも便利だろう。


・iipodは60Gですべて音楽で一杯にすると15000曲はいるという。試しに所有しているCDをはじから入れていった。結構時間がかかるし、Powerbookのハードディスクの残量が10Gを切ってしまったから、8000曲でいったん中止して、今度はいらない曲を消去することにした。しかし、これは聴いて確認しながらの作業だから、やたら手間暇がかかる。


・そうやって蓄積した曲を「シャッフル」(ipodの選曲任せ)で聴いていると、覚えのない曲がずいぶん聞こえてきて、新鮮な思いを何度も味わった。ジャンルの違う曲が脈絡なくかかるから、時折「ちょっと待ってくれ」と言ってパスすることもあるが、今のところは、埋もれていた曲を発見することの方が多い。だいたいもっているCDの大半は、もう何年も聴かなかったものがほとんどで、そんなことにも改めて気づく機会になった。


・ところが、ミュージシャンごとに入れていくと、もってないアルバムがあることにも気づいてしまった。なければ、当然ほしくなる。しかも、ないとはいってもCDの話で、レコードではもっていたりする。たとえば、ビートルズやボブ・ディラン、あるいは関西フォークといった60年代から70年代のもので、レコードからipodに入れられないかと考えたが、あきらめて買うことにした。先日亡くなった高田渡のアルバムも5枚ほど買ったし、ディランやビートルズも4,5枚ずつ。とんだ散在である。


・今、音楽はネットでダウンロードして購入するというスタイルに変わりつつある。Appleのサイトでは1曲が1ドル、アルバムなら10ドルで買える。各社が競争して値下げするようだから、CDより安い値段で手にはいることになるだろう。CD、ケース、ジャケット、歌詞カード等々が不要だというなら、音楽の購入形態はがらっと変わってしまうことになる。果たしてそうなるかどうか。


・LPレコードは60年代後半のロック音楽の台頭で普及した。1曲ではなくアルバムとして作品づくりをするようになったからだ。同時にジャケットにも工夫が凝らされるようになり、ポップ・アートの表現の場にもなった。CDに変わってつまらなくなったのは、そのジャケットが小さく貧弱になったことだったが、今はその小さなジャケットの消滅を嘆く人たちがいる。あるいはLP風の紙ジャケットが人気だともいう。そういえば、LPレコードもジャケットで根強い人気があるようだ。著作権と違法コピーやダウンロードの問題とあわせて、音楽の周辺は変化がめまぐるしい。


・もっとも、ipodで聴くようになった曲はもっぱらクラシックなロックやフォーク、あるいはカントリーで、あらためてそのよさを再確認したりしている。僕にとっては、ミュージシャンや曲は時代と切り離して聴くことはできないが、シャッフルが当たり前になると、若い人には聴く曲の時間差や時代背景は、ほとんど無意味なものになるのかもしれない。確実に、音楽の聴き方が変わるだろう。 

日時:2005年5月24日

2005年5月17日火曜日

「考えられないこと」という姿勢

 

・JR西日本の事故について、その後の対応、あるいは組織の体質などが厳しく問われている。問題にすること自体は当たり前だと思う。しかし、新聞やテレビでの論調には強い違和感をもつことが多い。とりわけ、記者会見の場での記者の態度が気になる。きわめて感情的で、ののしるような、罵声を浴びせるような発言が目につく。
・信じられないような事故だったから、当然、「なぜ」ということが知りたい。まず注目されたのは運転手。その個人的な資質が事故の原因としていろいろ取り上げられた。停車位置の行き過ぎとその過少申告。その遅れを取り戻すためのスピード超過。そういった状況説明がまるで運転手と車掌を犯罪者扱いのようにしてされたから、車掌は精神的にひどく参っているという。死んだ運転手の家族の気持ちを考えると、そんなに早く行動の善悪や白黒を決めつけ、人格非難に集中する報道自体に、大きな犯罪を感じ取ってしまった。
・事故はやがて、安全よりは利益優先のJR西日本の方針、事故に対する鈍感な反応の企業体質に及んだ。過密ダイヤと遅れの厳禁、と同時に遅れを取り戻すためのスピード超過の運転と急ブレーキの常習化。事故の起こった現場は運転手の間では危険な箇所として常識だったという。しかし、JR西日本はそんな運転手たちの声に耳を貸さなかったようだ。反面で、運転ミスや遅れに対しては厳しい罰則が科され、陰湿ないじめそのものの再教育が行われた。安全装置に対する予算の軽視、事故の電車に乗り合わせて、そのまま出社したJR社員、宴会やゴルフ、あるいはその他の会合をいつも通りやりつづけて中止しなかった職員たちの鈍感さ、そういった次々に出てくる事例から、JR西日本は命を預かる公共交通機関としての責任感のなさを厳しく批判されてきている。
・それらはどれもこれも、一つ一つ、徹底的に問題にすべきことだと思う。しかし、「考えられないこと、信じられないこと」という疑問が、事故そのものに向けられるのではなくて、JR西日本を悪玉に仕立てる姿勢になって、それが定着してしまっている。こういう流れに違和感をもつが、それは何度も繰り返されてきた報道姿勢でもある。トラックの欠陥が頻発した三菱自動車、飛行機では日本航空、あるいは競争が激しい運送業者と交通事故……。ちょっと前には日本ハムや雪印乳業などの食品産業もやり玉に挙げられた。こんな事例はここ数年だけでもかなりの数に上る。そしてそこにあったのは、利益優先と安全性の軽視、何かことが起きたときの隠蔽工作と自己保身、あるいは責任回避の行動など共通するものが多かったはずである。
・だとすれば、それは一部の企業にのみ当てはまることではなく、どこにでも見られることではないのか。そういう発想があって当然だと思うが、そんな意見は滅多に聞くことがない。これはどうしてなのだろうか。

・G.オーウェルが差別について書いた文章のなかに、「差別」について考えるためには「差別意識」を他人のこととして非難するのではなく、「私にはどうして、それがあるのだろうか」という疑問を出発点にすることだとした部分がある。その前提になっているのは、人は自分のなかにあって忌避したいものを他人に押しつけ、自分にはない憧れを自分の内に取り込もうとする傾向の指摘である。社会学では前者のような行動を「投影」、後者を「同一化」といい、自分が自分であることを自覚し、他人に認知されるために必要な基本的な行動と考えている。人は何者かとして生まれてくるだけではなく、自分の力によって何者かになる。その「アイデンティティ」の形成はまさに「投影」と「同一化」によっておこなわれると考えてもいい。
・自分のなかにあって改めたいもの、乗り越えたいものは、もちろん、そう簡単には克服できるものではない。しかし、それを他人に押しつければ、少なくとも自分のなかにはないというふりはできる。オーウェルは「差別意識」の根本をここに見ているわけだが、それは何か問題が生じたときに、その原因や責任を特定の人や組織に押しつける傾向にも共通している。逆に言えば、だからこそ、人から批判されたり後ろ指を指されないために、その原因になるものは他人には見せないように気をつけるし、出そうになったら真っ先に隠蔽工作に走りがちになるというわけだ。
・マスコミの報道姿勢はこの「投影」と「同一化」の行く過ぎたやりかたに他ならない。その影響力は大きいから、たちまち、「世論」として一人歩きを始めてしまう。しかも、その影響力を誇示することはあっても、自省することは少ないから、始末が悪い。第一、同じような体質は、マスコミという組織、その経営者、そこで働くジャーナリストにもあるはずだが、そんな発想は皆無だと言っていい。他人の批判は声高にやるが、自分のことになると知らん顔をしたり、嘘や隠蔽工作で逃げようとする。NHKはJR西日本を非難するのならば、それが自らの体質に共通するものだという自覚を持つべきで、それはフジテレビやNTVだって同じだし、新聞社だって例外ではないのである。

・廃刊になった『噂の眞相』の編集長だった岡留安則が出した『「噂の眞相」25年戦記』(集英社新書)を読むと、新聞、雑誌、テレビといったマスメディアの体質がいまさらながらによくわかる。『噂の眞相』は何よりマスコミが隠蔽したり無視したことのなかに重要性をかぎ取り、それをスキャンダラスに暴露した雑誌だが、さまざまな圧力がかかったり、いかがわしい雑誌というレッテルを貼られたにもかかわらず、25年もの間出し続けてきた。企業からの広告がほとんどない中で黒字経営を続けられたのは、そこに他のメディアには出てこない一つの世界が明示されたからである。
・編集長が振り返る事例はどれも具体的で生々しい。『噂の眞相』で批判された組織や個人には、それなりの反論もあるのだろうが、この雑誌が個人の力によって25年も出版されたことを考えると、ここで書かれていることには強い信憑性が感じられるし説得力がある。ここでは、本多勝一も筑紫哲也も田原総一郎も形なしだし、小林よしのりは子供扱いされている。警察や検察だろうがそのトップだろうが、有力政治家だろうが、批判お構いなし。その姿勢は今更ながら痛快でさえある。もっとも、そうやって批判し続けてきても、マスコミの体質やそこで発言する人たちの姿勢は変わらない。相変わらずの、「人の振り見て我が振り直せ」が全く通用しない世界なのだとつくづく思う。