2003年10月27日月曜日

ジョニー・デップの映画

 

・最初に見たジョニー・デップの映画は『デッド・マン』(1995年)だった。ジム・ジャームッシュが監督をして音楽はニール・ヤング。サントラ盤のCDは買って音楽だけは聞いていたからずっと興味があった。けれども、見たのは何年もたってからだった。白人の若者がインディアンの世界に入りこんでさまざまな体験をし、さまざまな人と出会う。「若者の旅、肉体的、精神的になじみのない世界に入り込む物語」。デップは無口でセリフらしいセリフはなく、しかも喋っても小声でわかりにくかった。セリフのわかりにくさはジム・ジャームッシュの映画の作り方でもあるが、ちょっと癖のある役者だと思った。もちろん、第一印象は悪くなかった。
・ぼくはその時、おもしろい俳優を見つけたと思ったが、この映画が彼のデビュー作というわけではない。あらためて調べてみると、これ以前にすでに『クライ・ベイビー』(1990年)で主演していて、『シザー・ハンド』(1990年)や『エド・ウッド』(1994年)でも主演だ。『プラトーン』(1986年)は記憶にのこる映画だが、そこにも出ていたというが、まったく印象がない。1963年生まれだから現在40歳。20代の後半から主演してたのだから、気づくのが遅かったというほかはない。
・『デッド・マン』の次に見て面白かったのは『スリーピーホロー』(1999年)。18世紀末のニューヨーク近郊の村で起こる「首なし連続殺人」の捜査にやってきたデップが見た犯人は「首なしの騎士」。合理的な思考ではとらえきれない世界と遭遇して、臆病さと使命感のあいだで揺れ動くデップの心と行動。デップはもちろんだが、この映画はなかなかよくできていると思った。
・ジョニー・デップにはインディアンの血が流れているが、『ブレイブ』(1997年)では居留地で暮らす、仕事も夢もない若者を演じている。妻と二人の子どもがいて、盗みなどで何度も投獄されるという現状だが、殺人を実写する映画への出演の話を持ちかけられてひきうける。もちろん大金とひきかえで、映画は処刑までに残された7日間を家族や居留地の仲間と過ごす彼を映し出す。絶望や怒りをしまいこんだ寡黙な表情。マーロン・ブランドが共演した以外には派手さのほとんどない映画だが、デップ自らの監督ということもあわせて、アメリカ・インディアンの現状が虚飾なく描きだされていると思った。
・『ギルバート・グレイプ』(1993年)はデカプリオとの共演。しかし、話はやっぱり地味で、知恵遅れの弟(デカプリオ)と過食症の母、それに2人の姉妹の面倒を見る青年の役で、舞台がアイオワの田舎町だったこともあって、家族を支えるために夢を持てない、もってもどうにもならないジレンマをうまく演じていた。アメリカ中のどこにでも転がっていそうで、映画にはなりそうもない話。
・ そのほかに見ているのは前回紹介したばかりの『耳に残るは君の歌声』2000 年と『ブロウ』2001年。『耳に残るは君の歌声』はパリに住むジプシーで、ユダヤ人のためにロシアから逃れてきた少女と出会い、彼女を助ける脇役だが、パリを馬に乗って駆け回る姿は格好良かった。また『ブロウ』でのマリファナで大もうけする麻薬ディーラー役も、晩年の落ちぶれていく様子や、刑務所で娘が面会に来ることだけを信じて生きる姿が、肥満した体型とあわせて情けなくてよかった。
・デップは『ショコラ』や『パイレ-ツ・オブ・ザ・カリビアン』などで、影のある寡黙な青年とはちがう役どころを演じている。新作の『Once Upon a Time in Mexico』も公開前から話題になっていて、ビッグ・スターになりつつあるといった感じだ。ジャック・ニコルソンやロバート・デ・ニーロがそうであったように、年齢とともに役の幅を広げていくのは悪いことではないと思う。けれども、それは映画を通して彼が表現したいことや主張したいことが曖昧になることとひきかえになる。彼の持ち味は、マイノリティや日陰の存在を淡々と演じて、その存在を強く印象づけるところにある。これからもそんな役どころを演じる映画ができるのだろうか。
・デップは最近「アメリカは愚かで攻撃的な子犬だ」という発言をして話題になっている。「アメリカは間抜けだ。攻撃的で、周囲に危害を与える大きな牙を持った愚かな子犬だ」ときわめて率直だが、その後ですぐ「わたしは国を愛し、国に大きな希望を持つアメリカ人。だからアメリカについて率直に語るし、時には批判的な意見も言う」と釈明もしている。
・アメリカ人だがインディアンの血を受け継いでいること。映画俳優としてハリウッドで育てられたが、アメリカ以外の国で多くのファンを獲得したこと。現在はフランスに住んでいること。大スターになりつつある現状と合わせて、デップという俳優がこれからどんなふうになっていくのか、楽しみでもあり、また心配でもある。

2003年10月20日月曜日

『ポピュラー文化論を学ぶ人のために』への反応

  

『ポピュラー文化論を学ぶ人のために』が出版されてから1カ月近くたちました。まだ書評などはでていませんが、メールやハガキでの反応は届いています。すべて献呈した方々からのもので、内容にふれたものはほとんどありません。またBBSにも何人かの方に書き込んでいただきました。
反応があるというのはうれしいものです。すぐに返事をくれる方には感謝!感謝ですが、実は、ぼくは本をもらっても返事を出さないことの方が多いのです。おもしろそうなものなら読んでから、ひょっとしたらレビューの材料になるかも、などと思いつつ時間がたって返事をしそこなう。申し訳ないと思いつつ、このパターンをくり返しています。ですから、献呈して返事が来ないからと言って、腹を立てたりもしません。こちらが勝手に送りつけたのですから、返事はないのが当たり前。ただ、じぶんが送り手になるたびに、たとえ読みそうにない本でも、すぐにお礼のハガキやメールを出さねばと戒めることにはしています。今回もそんな気持を新たにしました。

この頃の学生さんにうまく受け入れてもらえるかしら、と気になりますが、なにはともあれお仕事一段落されたことお目出とうございます。(S.N.)

ハードからポップまでの議論がバランスよく配置されつつ、深味もあって、読み応えがありそうです。学生さんへの紹介というよりは、まずは自分が読みたいという感じです。(M.F.)

理論的な入門書として、たいへん便利な本のように思われます。ありがとうございました。(S.I.)

なかなか出ないので、なにかあったのかと心配していました。最初と最後を読み、目次をながめ、索引や文献案内を見ながら、丁寧にお仕事をされたことを感じました。このようなテーマで卒論を考える学生さんはおおく、彼らにとってはとても役に立つ文献だと思います。(T.H.)

文化論の本は、ジャンル別概説、総論カットみたいな本が多く、この書物はそういう不足を補う本として、全国の大学で活用されることになると思います。私も来年文化社会学の講義を担当するのですが、そこで活用させていただくつもりです。(M.I.)

私のゼミには音楽をはじめとするポピュラー文化の研究で卒論を書きたいという学生が、毎年なぜか多いのです。いつも先生の著書を勧めているのですが、また一冊が加わり、助かります。というか、学生ではなく私も少しこの分野を勉強しないと、指導が苦しくなりつつあるのです、とほほ。(K.N.)

原書を読んだことがあったのですが、取り上げられた素材についての理解がなかなか難しく、面白かったのですが、少々難渋した覚えがあります。さっと拝見したところ、「なるほど、そうだったのか」と、感じたところがいくつかありました。これから、しっかりと拝読して、勉強させていただきます。(N.K.)

新刊案内で見かけ、購入しようと思っていただけに、非常にうれしく思っております。(M.M.)

メディア・スタディーズを学ぶうえで不可欠な1冊ですので、翻訳していただいたことを心から嬉しく思っております。多くの学生の人たちに読んでほしい本ですから。私のところでも、さっそく、院生の人たちとのゼミで一緒に読んでいくことに決めました。(M.S.)

早速後期の基礎ゼミ(1年向け)でテキストに指定しました。生協に注文してきました。今ぱらぱらとめくってみたのですが、1年生にはちょっと難しいかもしれません。 頑張って読ませます(笑)。(Y.N.)

渡辺さんって、カルスタだったんですね。(C.U)

ずいぶん分厚い本なんですね。翻訳もさぞかしご苦労なさったことと思います。授業の参考に使わせていただきます。(M.S.)
このほかに、BBSに直接書き込んでくれた方もありますし、学会その他で直接お会いしたときにお礼のことばをかけてくださった方もあります。個人的な文面だけの方もいましたが、今回は載せないことにしました。それから、僕はカルスタではありません。読めばわかりますが、著者のストリナチもカルスタにはちょっと距離をおいたところに自分を位置づけているようです。目新しい「知」を上っ面で囃し立ててすぐに使い捨ててしまうのが日本の特徴ですが、ポピュラー文化を考える上で必要な理論をきちっと整理したものが必要だと思いました。
なお、BBSでは、この本の製作過程を編集者の中川さんとのやりとりで紹介しています。関心のある方はぜひ、お訪ねください。

2003年10月13日月曜日

Neil Young "Are You Passionate?"

 

・ニール・ヤングが武道館でコンサートをやる。去年の「フジロック」に来ていたから1年ぶりだが、単独でのコンサートは久しぶりだろう。残念ながら、僕はこれまで一度も彼のコンサートには行っていない。だから、今度ばかりは無理をしてでも行こうかと思っているのだが、例によって、帰り道のことを考えると気が重くなってしまう。ルー・リードの時も直前まで、行こうかどうしようか迷っていて、結局くたびれるからやめようということになってしまった。あとでコンサート評などを読むと、かなりよかったようで、行けばよかったかな、と少し反省している。

・もっとも、コンサートに行くときにはだれであれ、予習をするのがこれまでの習慣になっていて、ルー・リードもこの間あらためてずいぶん聴いた。で今はニール・ヤングを聴き始めている。この習慣は、ディランが最初に日本に来たときからだと思う。一曲も聞き逃してはいけないと、歌詞やメロディを頭にたたき込むようにして聴いた。それでも、アレンジを気ままに変えるディランのコンサートでは、何の曲だかわからないものがいくつもあった。

・ニール・ヤングはいつでも同じように歌うから、知っている曲はわかるだろうと思う。ただし、バックのクレイジー・ホースとギンギンに乗ってしまうと何がなんだかわからなくなることもあるかもしれない。僕は彼の歌は断然、ソロで生ギターでやるのが好きだ。最近ではニューヨークの惨事のあとにしたテレビの特番で歌った「イマジン」が今でも忘れられないほど印象深く残っている。あとは『フィラデルフィア』のエンディング・テーマとか、MTVでやった「アンプラグド」のコンサート盤などは、部屋や車のなかで時折聴いている。だから、武道館という会場が「絶対行こう」と思えない大きな理由でもある。

young6.jpeg・来日が近いせいか、古いアルバムが何枚も新装されて発売されたり、予定されている。9月に2枚組の新作"Green Dale"も出たようだが、まだ買っていない。僕がもっているCDで一番新しいのは"Are You Passinate?"だ。彼の歌には二面性があって、高音で鳴くように歌う静かなものと、クレイジーホースをバックに絶叫するものがある。静かなものは「ロンリー」とか「ヘルプ」といったことばがよく出てきて、聴いていて情けない気になってしまうが、"Are You Passinate?"は全曲がそんな感じだ。

・曲名も「失望さん」「やめろ」「家に帰ろ」「旧友」「癒し人」といかにもで、彼の歌はデビューの頃から一貫して変わっていない。メロディにはどことなく演歌くさいものもあって、そこにテンガロン・ハットで泣くように歌う彼の姿をかぶせると、日本人に受ける理由がよくわかる気がする。頭ははげて、ずいぶん太ったから、けっして格好いいとは言えないが、雰囲気と声は若い頃のままで、それはディランとは対照的なところでもある。歌が変わらないからいいともいえるし、年相応という面がないから不満だとも言える。

young7.jpeg・以前にぼくのHPに興味をもった人が大学に会いに来て、その時に自分がプロデュースしたCDをもってきた。中身はニール・ヤングへのトリビュートで、ヤングの歌を何人かの人たちが集まって歌うというものだった。他にもあるのかもしれないが、ミュージシャンを志す人にとってニール・ヤングが根強い人気をもっていることを示すアルバムだと思った。ちなみにこのアルバムのタイトルは"Mirror Ball Songs"で、問い合わせ先はwww.elesal.com。

・このコラムで取り上げるミュージシャンはどうしても、ぼくと同世代かちょっと上の人たちが多くなってしまう。それは僕の好み、聞き慣れた音楽に対する愛着という点からも仕方がないのだと思う。けれども、ロックの第一世代のがんばりがずーっと目立ってきていることも確かだろう。この一年で僕がとりあげたもののなかにもスプリングスティーン、パティ・スミス、トム・ウェイツといった人たちばかりが目立つ。

dylan7.jpeg・ 前回紹介したルー・リードのアルバムは意欲的に新境地を開拓しようとしたものであることがわかるし、ディランはまた映画作りに参加して"Masked and Anonymous"というサントラ盤を出した。映画のできはひどく不評だが、アルバム自体は結構おもしろい。「ライク・ア・ローリング・ストーン」がスペイン語のラップに作り直されていたり、他のミュージシャンが歌う「セニョール」や「珈琲をもう一杯」などにはあっと驚くほどの新鮮みがある。他にもスティングのニュー・アルバムももうすぐ出るようだ。ロック音楽は完全に行くところまで行ってしまって、なかなか先に進む道が出てこない。新しい方向を探るのは若い世代の使命だと思うが、還暦を過ぎた、あるいはそれに近い人たちばかりが目立つのは、ちょっと見通しが暗いと言わざるをえない気がする。(2003.10.13)

2003年10月6日月曜日

野茂のMLB


・今年のMLBが終わった。プレイ・オフの最中で、ヤンキースの松井もがんばっている。僕ももちろん関心がないわけではない。けれども、野茂のゲームが終われば、そこでシーズンも終わる。これは彼が米国に行ったとき以来変わらない感覚だが、今年はその気持ちが一層強かった。ドジャースがプレイ・オフに出られなくて悔しかったし、チーム力のなさが歯がゆかった。そこで防御率2点台でずっとがんばった野茂のひたむきな投球には、毎年のことながら感心し、感激した。

・16勝(6位)13敗、防御率3.09(5位)、三振数177(9位)、投球回数218.1(6位)、被打率0.223(4位)。日米通算で3000個の三振を奪い、シーズンはじめに100勝をして通算では114勝、日本での勝利数と合わせると192勝で、来年には200勝を越える。野球は記録のスポーツで、記録は積み重ねのうえに成り立つが、野茂の残した数字がいよいよすごいものになってきた。名実ともに、日本はもちろん、メジャー・リーグを代表する投手である。

・野茂は今年13敗したが、そこでドジャースがあげた点は13点。ちょうど一試合に1点で、これでは勝てるわけがない。ドジャースのピッチング・コーチはチームがもっと援護をしていれば20勝以上をあげてサイ・ヤング賞の候補になったはずといったが、たら、れば、はいくら言っても仕方がない。しかし、見ていてじりじりする試合の何と多かったことか。相手に先に1点とられたら負け。そんなプレッシャーのなかで、よくもまあ、我慢して投げたものだと、今さらながらに思う。

・野茂は今年35才になった。もう若くはない。というよりは、あと何年できるだろうかという年齢になってきた。速球派で熱投型だから、力が衰えたらもたないだろうと思ってきたが、今年は投球術の巧みさに驚いたシーズンでもあった。コントロールがよくなった。ストレートも速さを微妙に変え、フォークでストライクがとれるようになった。球速は並みだが打者は振り遅れたり当たり損ないだったりと、見ていて不思議な感じがした。もう完全に技巧派で、彼は不器用だとばっかり思っていた僕には、ちょっとした驚きだった。で、これなら40才までいけるだろうと確信もした。

2003年9月29日月曜日

おかしな天気


forest28-1.jpeg・後期は18日からはじまったが、13-15日の3日間院の集中講義があって、僕の夏休みは1週間短かった。12名ほどの学生が集まり、「感情とコミュニケーション」をテーマに話をした。課題図書を決めて報告してもらったのだが、社会人が多いせいで、自分の問題に引きよせて発表をする学生が多かった。おもしろかったが、現役の学生との格差が年々広がっていて、これは何とかしなければいけない状況になったと強く感じた。目的意識の有無はもちろんだが、基礎的な文献についての知識も現役の学生は全然かなわない。
・ところで、集中をやった3日間、東京の気温は連日33-34度。この夏にもなかった暑さで、僕は東京に泊まらずに涼を求めて河口湖に毎日帰った。おかげで、寝不足と前回書いた頭痛に悩まされたが、集中講義は楽しい時間だった。学生にとってもたぶん有意義だったろうと思う。
・ところが、大学がはじまるとすぐに、気温が一気に10度以上も下がった。東京でも20度以下の日があったし、河口湖では最低気温が6度にまで下がるようになった。夜はもちろん、昼間も灯油ストーブをつけはじめている。先週まで汗をかいていたのに今度は震えている。今年の季節は本当におかしい。めちゃくちゃだ。
・そのせいか、植えた朝顔がまだ花を咲かせている。コスモスはあちこちで咲いているし、ススキの穂もいっぱいで、栗の木も実をつけはじめている。植物の季節はおおむね秋なのだが、夏の名残も消えていない。外に出しておいた観葉植物を慌てて家の中に入れた。こんな気温だとぼちぼち紅葉もはじまるかもしれない。もっとも、また突然暑くなったりするかもしれないから、先のことはわからない。

forest28-2.jpeg・生ゴミを埋めるために、朝寒いのに薄着で庭に出た。で、スコップで土をすくおうした瞬間にぎっくり腰になった。暑い、寒いの急変に耐えられなかったのか、急に忙しくなったせいか、またやってしまった。ちょうど半年ぶりで、歩くのや坐るのはもちろん、寝ているのもままならない。とにかくじっとして3日間辛抱すること。何度もやって身につけた教訓である。
・ちょうど、たまった仕事がたくさんある。学会の査読が3本。10月はじめには結果を出さなければならない。分厚い本の書評の依頼も来た。「肉体論」の原稿も最後にもうちょっと書き加えなければならない。日本社会学会(10月12- 13日:中央大学)の部会の司会も頼まれたから、送られてきた発表の要旨を読んでおかなければならない。何しろ発表者は7名で司会はひとりなのだ。報告者が激増しているせいだと思うが、こんな過重な労働を強いたのではだれも引き受けうけなくなってしまう。僕ももう次回からは絶対、断ることにする。というより、今回も断ればよかったと大反省しているところだ。何年か前にも苦労してこりごりしていたのだが、ぜひ引き受けてほしいという文面に迷いが出てしまった。

・本当は、学部のゼミの学生の卒論や大学院の修士に博士論文が手もとにたくさんあるはずだった。それがまだほとんど来ていない。やる気がないのか、力がないのか、それとも指導が悪いのか。これから年末に近づくにつれて、イライラのつのる日々が続きそうで、そのためにも、腰はしっかりなおしておかなければと思っている。
・日が早く暮れるようになってわが家のムササビの出勤時間も早くなった。夜7時頃になると、屋根をコトコト走り回る。で朝の6時頃にまたコトコトさせて帰宅。そのほかに、去年何度かみかけたヒメネズミが今年は頻繁に家の中を走るようになった。どこからかやってきて、リビングの隅を駆け抜けて一目散に台所にむかう。これも夜の9時前後で、こちらはどこかの宿からわが家への出勤だ。乾物類はきちっとしまってあるから食べるものはないはずなのだが、何か目当てのものがあるのだろうか。灰色で小さくてかわいいのだが、見つけるとやっぱり、追いかけて、バタバタ音をさせたり猫の鳴き声をしたりして脅したくなってしまう。リスが来たなら餌を用意してあげるはずで、それほど変わらないのにネズミは敵視してしまう。考えればおかしな話だ。

2003年9月22日月曜日

オリヴァー・サックス『サックス博士の片頭痛大全』(ハヤカワ文庫)

ここ数年、頭痛に悩まされている。といっても「頭痛の種」といった比喩の話ではない。正真正銘の頭痛だ。原因の一つは車による通勤。家のある河口湖は海抜800mで大学はたぶん数十メートル。この高低差にいつまでたっても順応できなくて困っている。耳がつまり、頭が重くなる。仕事をしているあいだはあまり気にならないが、家に帰ると目の奥やこめかみが痛い。もちろん、大学でくたびれることも、往復3時間のドライブで目が疲れることも原因だろう。


とは言え、ぐっすり眠れば翌朝にはすっきりしてしまうから、別に薬も飲まないし、病院にも行っていない。子どもの頃は車酔いをよくしていたし、今でも飛行機に乗ればかならず耳が痛くなる。老眼がはじまって読書がつらくなったし、酒を飲んでも頭が痛くなるから、これはもう年齢や体質だとあきらめるしかないのだが、それでも何とか対処法を見つけたい。そんなふうに思っていたら、気になる本があった。
オリヴァー・サックスの書いた『サックス博士の片頭痛大全』。彼は『妻を帽子と間違えた男』や『レナードの朝』などの著書がある脳神経科医だ。『レナードの朝』は映画になっていてロバート・デニーロがレナードになり、医者はロビン・ウィリアムズだった。ドラマチックに描いた映画とは違って、原作は症例の詳細な報告で、これはこれでなかなかおもしろい。


『偏頭痛大全』も多数のさまざまな症例が登場する。それを読むと僕の頭痛などは大したことのないかわいいものだと思えるほどだ。しかしもっと驚くのは、頭痛はずっと病気としてあつかわれてこなかったという文章でこの本がはじまっていることだ。「一般的には、片頭痛は傷害を引きおこさない頭痛の一形態であり、忙しい医師の手を他の疾患よりもよけいに煩わせるものとみなされている。」片頭痛の記述は2000年前から存在するにもかかわらず、ロンドンの病院で片頭痛の治療がはじまったのは1970年になってからだそうで、この悩ましい頭痛に医学はほとんど注意を払ってこなかったというのだ。

片頭痛性の頭痛が起こる場所は特にこめかみ、眼窩の上部、前頭部、眼球の後部、頭頂部、耳介の後部、そして後頭部である。
確かにそうだ。こめかみ、目の奥、頭頂部、そして後頭部。僕は胃や十二指腸にも持病をかかえていて、時折、きりきり痛むことがある。頭痛との関連はないと思っているのだが、本には「胃痛型片頭痛」といった症状も紹介されているから、ひょっとしたら関係しているのかもしれない。病気についての本というのは、読めば読むほど気になるものだが、次のような文章にはかなり納得した。
とくに負けん気が強くてしつこい性格の患者は、片頭痛に譲歩しない。したがって普通の患者は、重い通常型片頭痛を起こすと気力を失い、休息をとりたがるのであるが、こうした患者は無理に仕事や生活を普段どおり続けることになる。
頭が痛くなったら、何も考えず、仕事もせず、眠るにかぎるということだ。たとえばぼくは原稿の締切に追われてイライラするという状況にはとても耐えられない。胃がきりきり痛んでくるし、頭も痛くなる。若い頃に何度も懲りているから、仕事は早め、早めに片づける習慣が身についている。しかし、イライラする原因はもちろん、自分のことばかりでなく他人にも関係する。こちらが期待するとおりに仕事をしない、勉強をしない、気が利かない。そういう人に対するイライラは、直接怒ったからといっておさまるものではない。だからどうしても、人にはたよらず、できることは自分でやってしまうことになる。自分で肩代わりできないものについては、自分のことではないと突き放すしかないのだが、そういう輩にかぎって、たよってくるから始末がわるい。


『偏頭痛大全』の最後には片頭痛の治療や薬についての記述もある。疲れたら眠ること、イライラしないこととあたりまえだが、薬のなかにカフェインがあって、珈琲や紅茶を多めに飲みなさいと書いてあった。もう全部やってることで、病院に行って医師の判断を仰ぐ気もないし、市販の薬など飲みたくないから、さほど役にはたたなかったが、世の中にはさまざまな頭痛の症状があるものだと今さらながらに感心してしまった。

2003年9月15日月曜日

ナチとユダヤの物語

 

・時折、地元に一軒だけある映画館に出かけるが、そこで「戦場のピアニスト」と「めぐりあう時間たち」を見た。どちらもよかったからレビューを書こうと思ったのだが、その機会を逸してそのままにしてしまっていた。
・映画はBSで毎日のように見ているが、映画館で見るとやはり、ちょっと印象が違う。画面も音も大きいし、途中で席を外すこともない。何よりお金を払ってみようと思ったものだから、期待度も大きい。当然、その善し悪しについて考えたくなる。「めぐりあう時間たち」は特に書こうと思ったのだが、その前に原作を読んでからと考えて、時間が過ぎてしまった。もちろん原作もまだ読み終えてはいない。
・「戦場のピアニスト」はロマン・ポランスキーが監督している。好きな監督の一人だから期待して見た。素直な話で彼らしくないなと思ったが、悪くはない。そんな感じだった。ワルシャワの街が占領されると、突然バリケードができて、ユダヤ人が集められる。その街の様子がもつすごさは大きな画面ならばこそだし、連合軍との戦いで廃墟になった街の光景もすごかった。そこで生き延びた一人のピアニスト。それにしてもナチとユダヤをテーマにした物語は尽きることがない。
・夏休みに入ってBSで音楽とナチとユダヤをテーマにした映画を見た。「暗い日曜日」。シャンソンとして有名な曲の題名でもある。映画はその曲の誕生と作者やその友人たちとの数奇な運命を描きだしていた。舞台はハンガリーのブタペストで、登場人物はレストラン「サボー」を経営するユダヤ人のラズロとその恋人兼共同経営者のイロナ、その店に雇われるピアニストのアンドラーシュ、それに常連客のドイツ人のハンスだ。
・レストランはピアノが人気を呼んで繁盛する。ラズロは喜ぶがイロナとアンドラーシュの仲が気にもなる。奇妙な三角関係がはじまる。アンドラーシュがイロナに曲をプレゼントする。それが「暗い日曜日」。店で演奏されるこの曲がさらに評判になって、店はますます繁盛する。ラズロは三人の関係を受けいれることにする。男同士の嫉妬と友情。しかしイロナは二人を同時に愛せると思う。ここに常連客のハンスが加わって、イロナに求愛するが彼女ははっきりと拒絶する。断られたハンスは自殺を図って川に飛びこむが、ラズロに助けられる。
・「暗い日曜日」は曲の良さというだけでなく、聞いた人が死に誘われるといおうことでさらに評判になる。ハンスが川に飛びこんだのも、店でこの曲を聴いた直後だった。曲がレコードになってヨーロッパに広がると、自殺者の数も増えて、それが大きなニュースになって報じられるようになる。店はますます有名になって繁盛する。しかし、ドイツ軍のハンガリー侵攻とユダヤ人狩りもはじまる。ドイツ軍の司令官としてハンスが戻ってくる。彼はイロナへの思いを断ち切れないままで、ラズロとアンドラーシュの抹殺を画策する。ラズロは強制収容所送り、アンドラーシュは自殺………。
・この映画にリアリティをもたせているのは第一に、ユダヤとナチの物語だが、イロナを演じたエリカ・マロジャーンの魅力も大きい。彼女はハンガリーの女優でほとんど知られていないが、マドンナにちょっと感じが似ていて、妖艶さと心の強さをもっている。彼女に夢中になる三人の男たちが、そのたがいの関係のなかでくり広げる心理劇が真に迫っているのは、イロナの魅力があればこそだと思った。
・映画を見てすぐに「暗い日曜日」のサントラ盤を注文した。同時に「暗い日曜日」が入ったCDの検索もしたら、以前に見た「耳に残るは君の歌声」も見つけた。ジョニー・デップがパリに住むロマの集団のリーダーで登場する映画で、やはりナチの侵略とユダヤやロマの弾圧が絡んでいる。ナチはロマ(→)をユダヤ以上に嫌ったのだが、それはユダヤ人の優秀さに対する恐れとは違って、漂泊の民族を軽蔑し忌み嫌ったからだ。
・しかし、この映画に登場するロマは、パリの街を馬に乗って走り去るジョニー・デップに象徴されるように気高くて格好いい。彼はアメリカ・インディアンの血を受け継いでいるが、ロマの役もいい。デップの映画をはじめて見たのはジム・ジャームッシュの「Dead Man」で、その無口で無表情のところが妙に気に入ったのだが、最近は売れすぎて、ちょっと食傷気味だ。