2004年6月15日火曜日

ハリー、見知らぬ友人

 

・「ハリー、見知らぬ友人」は奇妙な映画だ。主人公のミシェルは、ある日突然、見知らぬ男から、高校時代の友人だと言われる。家族で別荘に行く途中で寄った高速道路のトイレ。見覚えがないから、簡単に挨拶だけして別れようと思うのだが、その友人ハリーはしつこくつきまとってくる。で結局、友人とそのガール・フレンドは、家に泊まりこんでしまうことになる。
・ミシェルにはハリーについての確かな記憶がない。しかしハリーの方は、主人公について恐ろしく詳しい。ミシェルが高校時代に書いた詩を今でも覚えていて、暗唱してしまう。ハリーはミシェルが小説を書いた話もして、君には才能があるのになぜ作家にならなかったのかと問いつめる。ミシェルは、あれは少年時代の気まぐれに過ぎないと言って取り合わない。
・ハリーは親の財産を受け継いで悠々自適の暮らしのようだ。ミシェルには家族がいて、仕事も忙しい。やっと買った別荘は古くて手直しが必要で、別荘に来たらほとんど大工や庭仕事に時間を費やさなければならない。それはそれで楽しいのだが、ハリーは、そんなことに時間とエネルギーを使わずに、小説を書けと言う。別荘の修理代は出してやると言うし、クーラーのないオンボロ自動車が故障すると、三菱パジェロを買ってきてしまう。
・ミシェルには過干渉の両親がいる。父は歯医者で、家を訪ねると頼みもしないのに歯の治療を強制する。ミシェルは断るが固辞はしない。別荘に二人を連れてくると、その世話焼きぶりにハリーが腹を立てる。君の才能が発揮できないのは親のせいだとミシェルに話し、親との距離をもっと作れと進言する。確かにうるさいが、いい親だと、ミシェルは、これも取り合わない。ハリーの顔に恐ろしい影が現れはじめる。
・ハリーはミシェルの両親を殺す。高校時代に書いた詩をけなしたミシェルの弟も殺す。そしてセクシーだがバカだとミシェルにけなされたガール・フレンドも殺す。ミシェルは周辺で起こる事故や殺人がすべてハリーのせいだとも気づきはじめるのだが、いつのまにかトイレで小説の構想を考えてもいる。ハリーは創作活動をし始めたミシェルに満足し、君の才能をのばすためには妻も子どもも邪魔だといいはじめる。
・話はミシェルが家族を守ってハリーを殺すところで終わる。両親は交通事故死で処理され、ハリーとそのガール・フレンドはミシェルとその家族だけに存在した人間だから、殺されても事件にはならない。そして、ミシェルの中から一つの小説が生まれる。作家として生まれ変わったミシェルの新しい生活………。奇妙な映画としてヨーロッパでは話題になったようだ。
・見終わってあれこれ考えているうちに、ぼくは、フロイトをあてはめるとよくわかる映画だと気づいた。ミシェルには自分の夢、希望、欲望があったのだが、それは干渉過剰な両親に抑えつけられてしまう。仕事、結婚、そして子どものいる家庭生活。ミシェルの夢は心の奥深くに潜在意識として沈潜する。ところがその潜在意識がハリーという人格を持ってミシェルに取り憑きはじめる。自分の欲望(リビドー)を実現するためには父親(超自我)の存在が邪魔で、それを取り除かねばならないことに気づく。「エディップス・コンプレクス」という「父殺し」神話である。
・仕事につき家族を得て、それなりに落ち着いた生活を手にした者も、時にふと、自分にはもっと違う人生があったのではと思ったりする。誰にでも起こる心の動きだろう。そして今とは違う自分を空想する。空想は夢と同じで、束の間あらわれては消える。それを自分の意識のうちではなく関係とし、現実の場に置きかえて実現に向かう話に仕立てたら、どんな物語と配役が必要か。ドミニク・モルの発想はそんなところにあったのではないだろうか。そう考えると、この映画は奇妙ではないし、きわめてわかりやすい。とはいえ、自分のリビドーが他人の顔をして自分に近づいてくるなんてことは、やっぱり薄気味悪いし、恐ろしい。

2004年6月8日火曜日

知人から届いた2冊の本

 

喜多村百合『インドの発展とジェンダー』(新曜社)
インスー・キム・バーグ他『子ども虐待の解決』(金剛出版)

 

喜多村百合『インドの発展とジェンダー』(新曜社)

・喜多村百合さんは僕のパートナーの友人で、九州の大学で「文化人類学」を教えている。知りあったのは、もう25年ほど前のことで、数年、親しくつきあったが、人工心臓を研究する彼女のパートナーが九州の大学に就職して、引っ越していった。彼女が大学院で勉強しはじめたと聞いたのは、それから何年も経ってからのことだ。
・そんな彼女から一冊の本が届いた。『インドの発展とジェンダー』という題名で、博士論文を書き直したものだ。彼女が歩いてきた道のりを考えると、インドという遠い地をテーマにしていることもあわせて、感慨深い印象を受ける。自分の人生を変えるのはいくつになっても遅すぎることはない。そんな見本のような人である。
・この本は、インドの人びとの状況を、女性の仕事や家庭生活に焦点をあてて分析している。博士論文だから前半は難しくて硬い文体の理論的考察だが、後半は自営で働く女性たちの組織(SEWA)に所属する人たちのフィールドワークで、なかなかおもしろい。インドの現状がよくわかる話を聞き書きして、うまく整理している。 ・たとえば、インドの都市は「その日暮らし」の雑業層で溢れているという。朝金貸しから小金を借りて商品を仕入れる。それを一日かけて売り、元金と金利を返して残るわずかの金を糧にする露天商。安い手間賃で働く家内職、あるいは日雇いの土木作業員。彼や彼女たちの多くは現在でも、読み書きができず、みずからを「労働者」として自覚することもない。
・「SEWA」はそんな人たちを組織化し、政府を相手に不正業者や警官の賄賂の要求などを取り締まる活動をしている。あるいは加入者から金を預かり構成員に融資する銀行の働きもしている。この組織には、リーダー的なインテリ層もいるが、組織の活動を支えるのは、教育を受けた経験がない、読み書きのできない女たちである。「SEWA」からお金を借りることをきっかけにして、今では貯蓄・融資部門の仕事をする人、そもそも貯蓄・融資部門のアイデアを考え出した人、組織の活動をビデオ撮影するスタッフ………。この本にも登場する古着を扱う女性のライフストーリーを記録した映画は、カンヌの「労働者のための映画祭」でグランプリを受賞したそうだ。 ・「SEWA」はもちろん、農村部にも進出している。「ミルク協同組合」を組織化し現金収入をえる道を開いたが、酪農の仕事をする女たちの話も興味深い。彼女たちにとって組合への参加は、収入の増加だけでなく、村の女たちと親しく接触する機会も増やした。学歴やカーストや宗教の違いをこえて、悩みや問題を話しあう。組合が生活の改善ばかりでなく、自己発見や自己実現の場にもなっているのである。
・このようにして女たちが生活や仕事や家庭、あるいは近隣の関係の改善に目覚めていくと、当然、男たちと衝突する。それで離婚した人もいるが、インビューに応えた女たちの話の中に共通するのは、子どもたちの強力な支援である。
・インドでは子どもたちもまた、その多くが学校に行かずに、家族を養うために路上で働いている。そんな現状を考えると、自分たちの将来はもちろん、国の未来像についても、それを決めるのは、こういう人たちなのだと、つくづく思う。

インスー・キム・バーグ他『子ども虐待の解決』(金剛出版)
・もう一冊は桐田弘江さんから送られたものだ。彼女は3年前に急死した友人の桐田克利さんのパートナーだった。あまりに突然の死で、しばらくは途方に暮れる毎日だったようだが、自分の仕事の世界でしっかり立ち直っている。そんな安心をもたらす一冊である。
・弘江さんは以前から香川県でカウンセラーの仕事をしてきた。僕は四国を車で旅行したときに桐田夫妻を訪ねたが、若いのにずいぶんしっかりしていて、彼女よりは彼の方がずっと子どものように感じてしまった。
・そんな彼女から届いた本は『子ども虐待の解決』で、彼女と数人の仲間で翻訳したものである。家庭内暴力、とりわけ子どもへの親の虐待が、毎日のように新聞やテレビのニュースを賑わしている。ずいぶんひどい仕打ちをするケースが多く、最近の親子関係はどうなってしまったのか、と暗澹たる思いにさせられることが少なくない。だから、そのようなケースに関わって仕事をするカウンセラーは大変だし、いったいどんなノウハウをもって関わるのだろうか、という疑問も感じていた。 ・『子ども虐待の解決』の著者はアメリカの「子ども保護機関」(CPS)に関わって実際に問題解決に当たるセラピストや児童福祉施設で働く人たちである。で、この本は、実際にカウンセリングやセラピーをする人、福祉の仕事をする人が、現実に問題の当事者に関わるときに役立てるための、詳細なアドバイスで構成されている。しかし、読んでみると、そういった特殊なケースばかりでなく、人間関係をスムーズに、信頼しながらするコミュニケーションの方法を書いた本であることがわかる。
・問題の家庭を訪問した時にどんな質問の仕方をすべきか。アドバイスはしごくあたりまえだが、また自覚して配慮することは難しい。「お子さんの頭を叩いたのですか?」ではなく、「お子さんのことでいらいらさせられることがあると思います。そんな時、どのように対処するのですか?」と聞くこと。何をどんなふうに話題にするか。その仕方が、親と相談員の関係を形成するのだから、自分を非難しに、あるいは裁きに来た人だと思われてはダメというわけだ。まさに「印象操作」の技法である。 ・問題の家庭はしばしば危険で汚い地区にある。相談員はそこに出かけた後で、いつもより長い時間シャワーを使い、汚れた感じを洗い流そうとする。しかも、そうすることにある種の罪悪感ももってしまう。さらにこういう自覚は隠されるから、問題として表面に出ることもない。相手を理解しに来たと言いつつ、感情は相手を拒絶してしまう。これは、人間関係を妨げる一番の心の姿勢である。
・相手の話を聞くこと、指示や指導ではなく、問題解決のための協力に来たこと、質問は「なぜ」ではなく「どうやって」を使ってすること、「はい」「いいえ」で応えられる質問は避けること………。なるほど、と思うことばかりである。そんな意味で、この本はまさに、人間関係におけるレトリックの事例集だと言える。ささいな諍いはちょっとした工夫でほとんど回避できるのである。

2004年6月2日水曜日

八杉佳穂『チョコレートの文化誌』世界思想社

 

chocola.jpeg・チョコレートはお菓子の代表だが、日本での消費量は世界第十八位にすぎない。バレンタインデーが普及してチョコレートをもらう男たちが増えたとはいえ、まだまだ、食べているのは子どもと若い女性たちにかぎられているのかもしれない。
・そのチョコレートはいったいどこからやってきて、現在のような味になったのか。『チョコレートの文化誌』はそれを中米の歴史文献から掘りおこしている。著者の八杉佳穂はマヤ文明やマヤ文字の研究者だ。
・チョコレートの原料はカカオで、アマゾンを原産にして中米に広まった植物だ。貴重な豆で、長い期間、貨幣の役割も果たしてきた。カカオの豆粒十個で兎一匹、奴隷なら百粒、売春婦を買うなら八から十粒といった具合だったらしい。カカオの学名はテオプロマで、ギリシャ語で「神の植物」という意味である。
・その神の植物は貨幣の他に薬として用いられ、また飲み物として愛好されてきた。利尿作用があり、筋肉を弛緩させ、疲労の回復や精力の増強にも効き目があるとされてきた。高貴な人や豊かな人だけに使用が許された食物だが、その食し方は現在とはずいぶん異なっていた。
・乾燥した豆は炒って粉にされる。それをトウモロコシの粉と一緒に水に溶いて飲む。中米を侵略したスペイン人たちにはまずくて飲めない代物だったが、マヤでは儀式や儀礼の際には欠かせない飲み物でもあった。子供の誕生、洗礼、結婚、そして葬式。カカオ豆を大量に詰めた実は心臓の形に似ている。水に溶いたカカオは食紅で赤く色づけされたから、血を飲む代わりだったのではないか、と著者は言う。生け贄の儀式に心臓を取り出して神に捧げる。その代用としてのカカオというわけだ。
・中米を征服したスペインはカカオをカリブ海諸島、フィリピン、そしてアフリカのガーナで栽培するようになる。砂糖や香辛料で味つけされ、熱い湯で飲む食し方が、ヨーロッパで大きな需要を生んだからだ。カカオの苗木が金のなる木になった。
・映画の「ショコラ」は諍いの絶えない村を訪れた母娘がチョコレート菓子の店を開き、村人の間にあるわだかまりを解消させる話である。抑圧から解放、禁欲から快楽、諍いから融和。チョコレートはヨーロッパで大きく姿を変えてもてはやされるようになったが、不思議な力を感じさせる要素はずっと残されていたのかもしれない。『チョコレートの文化誌』を読みながら、あらためてそんなことを考えた。
・カカオにかぎらず、中南米原産の食物で、現在では世界中に広まっているものは少なくない。トウモロコシ、ジャガイモ、さまざまな香辛料………。コロンブスが大西洋に船出したのも、もともとはインドの香辛料を求めたためだった。そういう意味で言えば、ヨーロッパの近代とそれにつづく現代の社会の豊かさは、中南米からもたらされたものだということができるかもしれない。
・その象徴としての「チョコレート」。通説とは違って、成分は肥満やコレステロールの原因にはならないというから、カカオの長い歴史と世界に及ぼした影響に思いをはせながら、一粒口にして、この本を読むことをお勧めしたい。

(この書評は『賃金実務』5月号に掲載したものです)

2004年5月25日火曜日

Lou Reed"Animal Serenade",Patti Smith"trampin'"

 

・ ルー・リードの"Animal Serenade"は久しぶりのライブ盤だ。2003年6月で、場所はロサンジェルス。しかし、歌われている曲はほとんどニューヨークに関連している。静かに、じっくりと歌われていて、明るく陽気なロスの聴衆には受けない気がするが、リードと客とのやりとりもおもしろくて、彼の充実した気持ちが伝わってくる。2枚組みでたっぷり2時間のライブ盤だが、僕はくりかえし何度も聴いている。

・アンディ・ウォホルのことを歌った"Small Town"から始まって、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド時代の曲、ビートニクの詩人ウィリアム・バロウズにまつわる歌、ニューヨークの風景や人の様子を描いたもの、そしてエドガー・アラン・ポーをテーマにした 前作の"The Raven"。まるで、自分の足取りや心の軌跡を辿るように構成されたステージで、彼のアルバムを全部聴きなおしてみたい気になってしまった。

・"Small Town"はアンディ・ウォホルの故郷であるピッツバーグを歌っている。ピカソともミケランジェロとも無関係な町。そんな町とそこに住む自分から逃れたくても逃れられなくて神経衰弱になってしまったウォホルの歌だが、リードは歌いながら客席に「ここはスモール・タウンか?」とくりかえし聞いている。聴衆の反応は圧倒的に「ノー」。何しろロサンジェルスなのだからあたりまえだが、その後で、彼は「この町を離れなきゃって思うだろう」とくりかえし、「離れろ!」とくりかえす。続けて歌った曲と合わせて、若い聴衆に対して皮肉な目と叱咤激励したい気がないまぜになっているようで、笑ってしまった。
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金持ちの息子は父親が死ぬことを待ち望んでいる
貧しい奴はただ飲んで泣くだけ
で、おれはというとまったく無関心
運のいい男は得てして何もしないが
恵まれないヤツがしばしば、何事かをし始めるものだ
"Men of Good Fortune"

・ニューヨークの風景や人模様を歌う曲を聞いていると、知らない場所や知らない人なのに、その景色や有様がまるで一枚の絵を見るように浮かんでくる。豊かさと貧しさ、虚飾とゴミ、若さと老い、喧噪と沈黙………。特に"Dirty BLVD"はいい。あるいは、そこにリード自身が登場する歌。

夜のハドソン川の畔に立っている
向こう岸に見えるのはジャージー
ネオンライトがコーラの名前を綴っている
タイムズスクエアのどんな広告塔よりも大きく
君の名前が光り輝いて踊ってもいいはずじゃないか
(Tell It to Your Heart")

・ 歌う詩人といえばもう一人。パティ・スミスの"trampin'"は久しぶりに出たニュー・アルバムだ。前作の"LAND"はベスト・アルバムで、デビュー以来の総括といった内容だったから、今度のアルバムは2000年に出た"Gan Ho"以来ということになる。静かな歌と激しい歌、自分を見つめる詩と政治に向けたメッセージが混在していて、パティの世界は健在だ。
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太陽に向かって散歩をしても、けっしてたどりつけない
円を描くような夢を追いかけても、けっしてつかまえられない
左に左に左に踏み出し、右に右に右に踏み出す
心の心の一歩のために、手がかりを探し続ける
(Stride of the Mind)

チグリスとユーフラテス川の土手
メソポタミアには深い無関心が漂っている
足下の大地に穴をあけて地球の血を絞り出す
小さな宝石のブレスレットのために石油を一滴
涙を流しながらルビーを差し出す
まさにアラビアの悪夢 (Radio Baghdad)

2004年5月18日火曜日

風景が緑に変わった

 

・去年と違って今年は春が早かったが、5月になると、まるで夏のような陽気になった。だから森の植物の活動は早く、勢いも去年とはまったく違っている。近くを散歩して見つけるのは、もうおなじみの花や木ばかりだが、去年の印象が薄かっただけに、今年はまたあらためて新鮮に感じられる。


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 ↑左から、富士紅空木(うつぎ)、山ツツジ、サルスベリ
 ↓上段左から、藤、都忘れ、すずらん、下段左たらの芽、右タンポポ


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・この時期にはまた、薪にする木を探さなければならないのだが、3月に西湖の湖岸で見つけた後、連休前に河口湖でも見つけた。西湖は道路工事、河口湖は造成による伐採だ。これで、次の冬の分は確保できた。
・連休後に、二カ所から家の木を切ったので持って帰ってくれないかという連絡がはいった。二件とも東京の三多摩で、大学の帰りに車に積んで運んだ。東京から木を運ぶのはおかしなものだが、どちらも落ち葉が近所迷惑になるからという理由だった。落ち葉や虫を嫌ったのでは、東京からはますます緑がなくなってしまう。ガーデニング・ブームで気に入った木を植える家が増えているとはいえ、狭い庭では大木になったら手入れもままならなくなってしまう。引き受けた木は、それなりに存在感があったのかもしれないが、わが家に運んで材木置き場に積んだら、ほんのわずか。燃やしたら一週間がやっとといった程度のものだった。


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himenezumi1.jpeg・屋根裏のムササビは健在だが、別荘の住人が犬や猫を連れてくると、落ち着かなくなる。夜な夜な台所にやってくるヒメネズミは最近見かけない。森の食べ物が豊富になったのかもしれない。もっとも、昼日中に庭で見かけた。日なたのせいか灰色が濃い。目がカワイイのだが、残念ながら後ろ姿だけ。

・暖かくなって、日中は外に出てベランダで過ごしはじめた。野鳥の鳴き声がにぎやかなのだが、シャッター・チャンスをつかまえるのは難しい。

2004年5月11日火曜日

月尾嘉男がカヤックでホーン岬に行った


月尾嘉男はテレビにも良く出るコンピュータ研究家だが、NHKのハイビジョンで、カヤックを使ってホーン岬に挑戦した記録を見た。ホーン岬は南米の最南端にあって、海の難所として知られている。陸路でいけるところまで行って、あとはカヤックというわけだが、その距離は尋常ではない。島から島、海峡から海峡へというルートだから潮の流れも早いし、天候が急変する。


彼は東大を定年前にやめて、独自の活動をしている。その一つにカヌーやカヤックを使って、日本の河川や海岸の環境破壊や汚染の状況を観察するという試みがある。今回の冒険はいわばその延長にあるわけだが、とても一人で冒険できるようなコースではない。番組ではプロのカヌーイストが3人つき、ドキュメントを制作するスタッフが乗る船が伴走した。一ヶ月以上の時間、何人ものスタッフ、それ相当の資材や食糧。カヤックでホーン岬にたどりつく行程はもちろんおもしろかったが、見ていて感じたのは、一人の冒険とそれを記録することに費やされる時間や労力や費用の大きさの方だった。


これはたぶん、意地悪な見方だと思う。60歳を過ぎた人が冒険に挑戦する。それがコンピュータや環境問題を研究する学者であれば、興味深い試みであることは間違いない。何しろ彼は、日頃から日本の海岸や河川をカヤックを使って観察しているのだから。コンピュータ化と自然破壊、人口の増加と食糧危機、豊かさや便利さの追求と地球の破滅。月尾嘉男は今、そのことについて最も精力的に活動し発言する人でもある。


しかし、僕が意地悪な見方をしてしまった理由もたぶん、そこにあったのだと思う。彼が『縮小文明の展望』(東京大学出版会)で提唱するのは「生活水準の向上→経済活動の拡大→資源消費の増大→環境問題の拡大」という現在の図式を「生活水準の向上→経済活動の拡大→資源消費の減少→環境問題の緩和」という図式に変えることである。ここには具体的には、コンピュータなどの最新技術はどのようにしたら、資源の浪費ではなく、節約に使えるのか、食べずに捨てられる食糧を減らすためにすべきことは何か、また、エネルギーの効率の悪い使われ方はどのようにしたら是正できるか、といった無数の課題がある。


さまざまなデータを駆使して彼が描きだす現代文明の異常さには説得力がある。地球の誕生から現在までを1年間(地球時計)に換算すると、最初の人類が登場するのは大晦日の12月31日で、現在の人間の直系の祖先が現れるのは23時58分頃になるそうである。その1年間の最後の2分間に起きたこと自体が地球にとっては異常なことだが、産業革命以後に人類がしてきたことはさらに異常で、地球時計ではわずか数秒の

時間だという。人口の爆発、資源の枯渇、環境の破壊、多くの動植物種の死滅………。
もちろん、その数秒間で、人間はかつてないほどの豊かさや便利さを手にし、知識や芸術や娯楽を享受してきた。しかし、その破綻が目の前にやってきていることは明らかで、大きな転換をはからなければ、地球に未来はない。このような指摘なのだが、いったいどうしたら、そのような危機は回避できるのか。それは数値的に見れば、途方もないものである。たとえば温暖化を食い止めるために炭酸ガスの総排出量を減らすためには、一人当たりの量を1900年頃の水準に戻す必要があるという。


生活水準を変えず、しかも経済活動を拡大させながら、エネルギーの消費や環境の破壊を100年前の数値に低下させる。こんなことは絶対不可能なことだと思う。月尾嘉男が鳴らす警鐘はきわめて深刻なものだが、それに対する対応策はまた、何とも些細な例の連続で、また抽象的でありすぎたり、技術の進歩に頼りすぎていたりもする。


大がかりな冒険をテレビ番組の制作として行う。それがオールで漕ぐ一人乗りのカヤックでというのは、何ともエネルギーの無駄づかいではないのか。マゼラン海峡の雄大さや厳しさを映し出し、波や潮の流れと格闘するさまを見ていて、僕はそんなことばかりを考えてしまったのだが、それはまた『縮小文明の展望』を読みながら感じたちぐはぐさと同じものでもある。

2004年5月4日火曜日

布施克彦『24時間戦いました』ちくま新書

 

・日本は世界のなかでもとびきり豊かな国で、平均寿命もダントツだ。しかし、老後の生活の見通しはというと、はなはだ心許ない。定年まで働けるのか、年金はもらえるのか。とりわけ不安に感じるのは、その数が多い団塊の世代だろう。
・日本が経済的に頂点に達したのは八十年代で、団塊の世代はその屋台骨を支える役割を果たしてきた。ところがバブル期後の不況の時代になると、真っ先にリストラの対象になり、定年が間近に迫った今、年金問題に遭遇している。戦後の食糧難の時代に生まれ、受験戦争と大学紛争をくぐり抜けた世代はまた、その老後の生活においても生存競争を強いられるのだろうか。
・本書は、団塊の世代に属する著者が提案する退職後の人生設計である。著者は鉄鋼貿易を担当する商社マンとしてアジア、アフリカ、そしてヨーロッパで働き続けてきた。で、五十代半ばに退職。現在はNPOのスタッフとして活動し、文筆や大学での講師として働いている。
・団塊の世代は戦後の象徴的な存在として、これまでにもさまざまに取りざたされてきた。話題には事欠かない世代だが、その分、批判されることも多い。自己主張が強い、過度の思い入れや感情移入、数にものをいわせて存在を誇示しすぎる、自分の生き様の自慢話………。だから、上の世代からは厄介者扱いされ、下からは煙たがられてきた。
・この本は、そんな団塊の世代の特徴を良くも悪くも丸出しにしている。24時間働きづめの人生であったことを感慨深くふりかえり、にもかかわらず将来の生活が不安であることを嘆く。危機意識をつのらせているが、その批判の矛先は上の世代の失政に向き、下の世代のやる気のなさや遊び指向に向く。
・著者が力説するのは、ただ一点。どうせ頼りにならないのだから、あてにするな、である。定年が迫っている今から、老後の人生設計を真剣に考えること。必要なのはお金、時間の使い道、そして人間関係。生活苦に喘いだり、生きる目的をなくしたり、引き籠もってしまわないためにはどうするか。著者の結論はやっぱり、そのためには戦いしかないというものだ。
・確かにそういう面はあるのだと思う。年金はあてにならないし、子どもに負担もかけられない。企業戦士が鎧(背広)を脱いだら、いったい何が残るのか。定年退職の時期が迫っているだけに、問題は切実だろう。この本で提案されていることは、いかにも団塊の世代が言いそうな夢にあふれているけれども、それだけに、実現は難しい。いわく、田舎に行って農業をやろう、海外に出てボランティア活動をしようなどである。
・24時間働きづめだった人に見えなかった世界は、何より自分の足もとだったはずである。家庭生活を奥さんや子どもたちとどれだけシェアできたのか。自分の姿が彼女や彼たちにはどう映っていたのか。残念ながらこの本には、そんな話題はまったく出てこない。だからこそ、団塊の世代の将来は大変なのだと思うのだが………。

(この書評は『賃金実務』4月号に掲載したものです)