2007年4月16日月曜日

梅田望夫『ウェブ進化論』ほか

 

web1.jpg・インターネットにおけるグーグルの力がよく取りざたされている。NHK でも特集を組んで、そのさまざまな分野への影響力が説明されていた。単なる検索サイトがなぜ、といった疑問を感じがちだが、実際、なにを調べるにも、まずグーグルからといった行動は、ぼく自身にとっても習慣的なものになっている。
・グーグルは世界中にあるあらゆるサイトをチェックしている。だから、なにを検索しても、数多くのサイトが出てくる。専門的で細かなことを知りたいときには、それらを丹念に確認することはある。けれども、そうでなければ、たいがい最初のページに載ったものだけですませてしまうことが多い。だから、なにを検索しても、その最初のページに載るようにすることが、ビジネスにとっては不可欠で、収益や社運を大きく左右しはじめているらしい。トップ5に入らなければ、存在しないも同然。NHKの特集では、そんな意識によって生まれるライバル社間、あるいはグーグルとの攻防が紹介されていた。これでは世界全体を市場にするようになったネットが、巨大資本の力で制圧されてしまう。そんな危惧を抱くが、ことは必ずしも、それほど単純には進んでいないようである。

・梅田望夫の『ウェブ進化論』には、インターネットが大きな地殻変動を起こして変容しはじめていることが力説されている。その第一はグーグルの台頭だ。高速のパソコンが安価で手にはいるようになって、ネットの利用者が激増している。この膨大な数の人びとをいかにして大量に効率よく引き寄せるか。その手段としての検索サイトの重要性が目立つのだが、他方で、検索サイトは、巨大な頭の部分だけでなく、長いしっぽのように後ろに続く部分にも可能性をもたせるのだという。

・グーグルは「世界中の情報を組織化し、それをあまねく誰からでもアクセスできるようにすること」を使命にして起業された。ここには世界中の情報をすべて集積させて管理しようとする野心がある。すべてというのは、情報の取捨選択をしないということであり、言語のちがいも関係なく集めるということである。そのためには巨大なサーバーが必要で、グーグルは世界中の誰にでも無償で、個人メールなどを蓄積させる場所を提供しているし、世界中の詳細な地図や衛星写真を提供してもいる。現実には実現不可能な「世界共和国」をヴァーチャルな世界で実現させようというわけだが、世界中を可視化させたり、私的なメールまで集めてしまうといった発想には、どうしても、オーウェル的な全体社会のイメージが重なりあってしまう。グーグルはビッグブラザーになりたがっている。こんな批判がおこるのも当然だが、世界中の情報を集めて評価し、利用するのはあくまで機械であって人間ではない。グーグルはそこに、ウェブ上での世界大の民主主義を構想するのである。サイト間のリンクの様子、アクセス数などをくまなく調べて全体を管理する。そこから、無数の小さなサイトやそこから発信される多様な情報が、埋もれることなく生かされる、多様な世界が実現することになるというのである。

・こういった発想には、たとえば書店のアマゾンの売り上げのかなりの部分が、ベストセラーでも新刊書でもない、半ば埋もれた書籍の販売によってしめられているといった現状が根拠になっている。巨大な頭ではなく長いしっぽが大事というわけである。あるいは、ネット上で役に立つシステムやソフトを閉じた形で商品化して儲けるといったやり方ではなく、そのソースを公開して、世界中の人の知恵と時間とエネルギーを参加させるといった姿勢も欠かせない。リナックスの成功で有名な点だが、パソコンの世界には、その初期からフリーやシェアといった発想が重要なものとしてあった。

・『ウェブ進化論』では、そのあたりの変容が、もっぱらビジネスを念頭にして語られている。けれども、今ビジネスとして成功したものや、これから成功をめざすもののなかに、パソコンやインターネットの黎明期にあった発想や思想が根強く生きている。たまたまハワード・ラインゴールドの『ヴァーチャル・コミュニティ』(三田出版会)やテッド・ネルソンの『リテラリー・マシン』(アスキー出版局)、あるいはフィリップ・ケオの『ヴァーチャルという思想』(NTT出版)を読んでいたから、特にそんなことが気になった。パソコンもインターネットもアメリカ発のもので、世界大のものになったとはいえ、相変わらず、新しい動きの大半はアメリカから起こっている。その最大の理由は、黎明期の発想や思想が忘れられることなく伝えられていることではないか。そんなことにあらためて気づかされた。

2007年4月9日月曜日

「お父さん」ってだれのこと?

 

・最近にはじまったことではないが、テレビを見ていて妙に気になることがある。レポーターが見知らぬ人に出会って話しかける第一声が「お父さん」や「お母さん」であることだ。最初だけならまだ気にならないが、話を通してそう呼びつづけて、名前を聞きもしない。呼ばれた方も返答しつづけているから、どちらも違和感をもっていないのかもしれない。けれども、ぼくには何とも奇妙に聞こえる。
・「お父さん」や「お母さん」は実の子どもが親に対してつかう呼称であって、見知らぬ人からかけられるものではない。それが、それらしい年代、たぶん40〜50代に対してつかわれている。60代以上なら「おじいちゃん」「おばあちゃん」なのだろうか。しかし、テレビではあたりまえだが、日常生活ではどうなのだろうか。

・昔、子どもが中学生の頃によく電話があって、出ると、「お父さんですか?」と言われたことがある。塾や家庭教師の勧誘だが、あまりに頻繁だから意地悪して、「だれの?」と応えたことが何度かある。そうすると、相手は思いもかけない返事にまごついて、しばし沈黙、なんてことになった。その意味では、見知らぬ人に「お父さん」「お母さん」と呼びかけるのは新しいことではないが、この場合には、勧誘したい子どもの父親であることを確認しようとしているのだから、「お父さん」には、それなりの必然性があった。けれども、見知らぬ相手からいきなり「お父さん」と呼びかけられるのは、すくなくともぼくにとっては、気分のいいものではない。といって、「おじさん」「おっちゃん」あるいは「おじいちゃん」などとも呼ばれたくはない。
・たとえば英会話の最初のレッスンは、「あなたの名前は?」「私の名前は〜」からはじまる。つまり、人の出会いは、英語の文化圏ではたがいに名を名乗ることからはじまるのだが、日本人のやり方はけっしてそうではない。仕事上の出会いなら、名乗らずに名刺の交換だし、偶然で一時的なら名乗ることもない。たがいに名前を知らなくても、日本人はあまり困らずに話をすることができる。だいたい、英文を訳すときに注意するのは、I やYouといった主語をいちいち訳さないことだから、日本語には、私やあなたやだれがといったことは必要なく会話ができてしまうという特徴があることになる。
・道ばたで見知らぬ人に声をかける必要があるときには、「すみません」とか「あのー」と言えば、相手との関係ははじめられる。それで、名前を名乗ったり聞いたりしなくても、用事は十分に済んでしまう。電話ではそういうわけにはいかないから、「〜と申しますが」といった後で、「〜さんですか」となるのだが、先に紹介したように、用件によっては「お父さん」といった呼びかけが出てくることになる。

・テレビでの呼びかけには、多分に、「親しさ」のメッセージがふくまれている。かしこまらずにくだけた調子で必要な話にはいることができる。だから、テレビでの出会いと会話のやりとりは、日常の場ではおこりえないほど、すぐに親しげな空気につつまれることになる。それはそれで楽しげだが、ぼくが気になるのは、テレビタレントやテレビ番組そのものが、見知らぬ人をまるで隣人や親戚であるかのようにみなしている姿勢にある。出演者も制作スタッフも、だれもが知っているはずのぼくや私、だれもが見ているはずのこの番組、という前提を信じて疑っていない。有名人やセレブと見れば、だれもが胸躍らせて近づいてくると思っている。
・ぼくは街中に出かけないからチャンスがないが、「お父さん」と呼ばれたら、「だれの?」とか「どなたですか?」とか応えてみたい誘惑に駆られる。それが生番組だっりしたら、ちょっと見もので、そういうことをやる人がいたらおもしろいのにと思ってしまう。関係やコミュニケーションは互いの自明性を前提にする。これはエスノメソドロジーの基本で、今は自明性をテレビがつくりだしているから、それに迎合しないで、崩してやればおもしろいのに、と思うことがすくなくない。テレビが演出する親密な世界につきあって、「お父さん」「お母さん」役など演じることはないのである。

2007年4月3日火曜日

久しぶりの京都

 

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・京都はちょうど2年ぶり。前回もパートナーの個展の時だったから、それ以外には来ていないことになる。学会など来てもいい機会は何度かあったのだが、面倒な気がしてご無沙汰してしまった。その分、今回は懐かしさも増して、空いている時間に、昔なじみの場所を歩いてみることにした。
・まずは、泊まったホテルのそばにある最初に非常勤講師をした平安女学院の教会、そこから御所にはいると、しだれ桜が八分咲きで、日曜日だから人出も多かった。御所を西から東に縦断して寺町通りに出ると、結婚式をした洛陽教会がある。しかし、もう30年以上前だから隣の新島会館共々改築されていて、昔の面影とはずいぶんちがっていた。
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・鴨川に出ると桜は二分か三分なのに、やっぱり観光客がたくさんいた。で、少し路地にはいると、折から市議や府議の選挙の時期で、何台もの宣伝カーと遭遇、そのたびに手を振られ、よろしくお願いしますと頼まれた。残念ながらぼくはもう京都市民ではないのに、と思っても、選挙の当事者には、一票をもつ人ともたない人との区別はつきにくい。そのポスター掲示板を見ると懐かしい顔。ぼくもその選挙を手伝ったこともあったが、左京区の市議として20 年の実績を強調している。そんなにたったかとあらためて時間の流れを実感させられた。彼、今回は厳しいのではといった声も聞こえてくる。
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・京大もずいぶん新しい建物ができたが西部講堂は健在。駸々堂に入ってコーヒーを一杯。百万遍の近くに昔風だが昔はなかった「カフェ」があった。出町ではよく買った和菓子屋に長蛇の列。お花見のシーズンで桜餅を買い求める人たちだ。おいしかったが決して有名ではなかったのに、今では京の和菓子の老舗として有名になってしまったのかも知れない。kyoto07-5.jpg
・今出川通りを西に進むと「ほんやら洞」。もう12時に近いのにあいていない。甲斐さん、ちゃんとやってるのか。久しぶりに顔を見たかったのに残念。店の外観も相当古びた感じになってきた。さらに進むと、同志社大学。日曜日でキャンパスに人通りはない。昔ながらの風景だが、学館のあったところには巨大な建物が建っていた。kyoto07-8.jpg


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・京都の町は、小路を歩くと、まだまだ懐かしい店や町家がある。「装束店」「法衣店」「建具屋」「味噌屋」、パートナーの個展会場は元「丹定」という名の米屋さんだった。そこを改造して、ギャラリーにしてあるのだが、現実には多くの町家が解体され、駐車場やビルに変わっている。ここもつい最近隣の建物が壊された。町家は隣と壁を共有しているから、一面青いシートで覆われている。無惨というほかない景色。壊すことは簡単で、残すことはむずかしい。

2007年3月26日月曜日

地図、ナビ、Google Earth

 

journal4-101-1.jpg・車用に取り外し可能なナビを買った。ふだんは走り慣れた道だから無用だが、たまに必要に感じることがあった。道路地図を持ち歩いていたのだが、老眼で見にくくなったし、地図では細部はわからない。ただし、車に備え付けるものは面倒だし、値段が高すぎる。音楽はipodで聴けるし、テレビやDVDを車でみることはない。そんな気があって以前から「Gorilla」に注目していたのだが、地図の更新をSDカードでするナビ専用のモデルを見つけて買うことにした。
・4.5インチでちょっと小さめだが、とくに見にくいという感じはない。電話番号や番地で目的地を詳細に検索することはできないが、その周辺までは確実に行けるから、後は地図を見ながらじぶんで微調整すれば問題ない。何よりいいのは、いつでも地図帳として使えることだ。
・ただし、車のなかはにぎやかになって出発までに時間がかかるようになった。まず、ipodを接続して、次にナビ、そしてETCカード。さらにはオービス探知のレーダーである。これだけにぎやかだと駐車していても目立つから、とめているときは当然、全部を取り外してダッシュボードにしまったり、持ち歩くということになる。ナビやipodほしさに窓ガラスをたたき割るなんて話がよくあるからだ。

journal4-101-2.jpg・ナビもオービス探知レーダーもGPSを利用している。だから、いま車がどこにいるかが感知されるわけだが、その精度はナビをつかって改めて驚くほど正確だった。これを記録すれば、ぼくの車での行動はすべてあきらかになる。と考えると気分のいいものではないが、足取りはETCでも記録されていて、高速道路での走行は、料金や所要時間などがネットで確認できるようになっている。まさに管理社会で、それを強制されるのではなく自らすすんで求めているということになる。
・去年の夏休みにGoogle Earthを使い始めて、パソコン上でも地図で遊ぶ機会が増えた。ぼくの住んでいるところは田舎だから、家までは確認できないが、都市部だと自分の家の屋根までわかってしまうし、駐車場に止めてある車まで確認できる。海外旅行をして出かけた都市の泊まったホテルや歩いた通りなどが立体でわかったりするし、著名な建物だと実物そっくりにできていたりするから、ついつい時間を忘れてヴァーチャルな散歩をしてしまうことになる。
・各国のスパイ衛星が地球上のあらゆる地点を監視していて、その精度はたばこ大のものまで見分けるほどだという話を聞いて驚き、ぞっとしたのは何年前だっただろうか。今は、それに近いものがネット上でだれにでも使えるようになった。ナスカの地上絵を確認したとか、アフリカのサバンナでゾウを見つけたといった楽しみ方がある一方で、悪用される危険性もまた大きいのではないかと心配してしまったりする。
・便利になること自体は悪くはないけれども、その分、かならず、プライバシーをあからさまにしたり、それが別の形で利用されたり、じぶんではよくわからないブラックボックスが増えていったりする。それを自覚せずに便利さに流れると、いざ問題が起きたときに、どうすることもできない状況においこまれたりする。ナビやETCやGoogle Earthをつかっていると、その便利さやおもしろさと同時に、それと同じだけか、それ以上の不安も感じてしまう。

・ぼくは電車にはめったに乗らないのでSuicaなどのカードは必要ない。最近、どの電車やバスでも共通して使えるPasmoができて、切符を買う面倒がなくなったようだ。銀行のキャッシュカードやクレジットカードもふくめて、カードを使った履歴はすべて記録されていて、常にその情報が流出したり悪用される危険性をもっている。携帯もそうだから、じぶんのする行動のほとんどはデーター化されて残されていることになる。icチップはこれからもいろいろに使われそうで、図書館の貸し出しカード、スーパーのポイントカードから、本などの商品にまでつけられる可能性があるようだ。
・そんなふうに見回すと、もうすでに、とんでもない管理社会が実現していることに気づかされる。街路や建物には無数の監視カメラがあり、家の中には大画面の液晶テレビ。オーウェルの「1984年」そのものだが、それは強制されたのではなく、自発的に、望んで招き入れたものである。便利さや安心や確実さを求めてできあがるシステムには、かならず、それに相応した不便さや不安や不確かさがつきまとう。その負の側面がほとんど自覚されていない。「自由は奴隷、奴隷は自由」の社会。ナビをつかっていて、ふとそんなことを考えてしまった。

2007年3月19日月曜日

K's工房の個展

 

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パートナーの個展が京都で開かれる。3/27(Tue)から4/01(Sun) で、場所は「アートステージ567」。烏丸夷川通り西入るにある元丹定米穀店の2階にある画廊だ。京都での個展は一年おきにやっているが前回までの画廊は、残念ながら店を閉めてしまった。京都から河口湖に引っ越して7年になる。最近では滅多に行くこともないから、ぼくも月末に出かけようと思っている。懐かしい顔に出会えるか、楽しみだ。

で、ここでは、予告をかねて最近の作品を紹介することにした。



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2007年3月12日月曜日

冬の肩すかし

 

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forest58-2.jpg・今年の冬はどこも暖かかったようだが、河口湖も例外ではない。例年だとやっとこの時期になって、気温が10度になるというのに、今年は1 月にも2月にも、10度を超える日が何日もあった。というより15度を超えて、もう初夏かと思わせる日も何日かあった。冬を通して地面が見えつづけた年は今年ではじめてで、何とも物足りない冬になった。もっとも植物の出だしは早くて、すでに大粒の蕗のとうが出はじめている。さっそく丸ごと天ぷらにしたが、久しぶりの苦さにやっと季節の変わり目を実感した気がした。

forest58-3.jpg・もっとも富士山の雪化粧は例年になくきれいだ。猛烈に寒かった去年は、降った雪がすぐに風で吹き飛ばされてしまって、1月に農鳥が出てしまったりしたが、今年はアイスバーンになって、厚く凍りついている。とはいえ、春が本格化してしまうと、富士山も雨ということになって、雪が消えるのは早いのかもしれない。季節はくりかえしても、一度としておなじではない。引っ越して7年目になるのに、毎年そんな感想を持ってしまう。「行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」ということなんだと、つくづく思う。

forest58-4.jpg・寒くないからぼちぼち、カヤックを持ち出して湖に漕ぎ出そうかという気にもなる。そんな話をしたら、パートナーが木くずを材料にした粘土でカヤックとぼくと、おまけに犬までつくってくれた。鉛筆会社が売っている粘土で、固めると水に浮かべることができる。さっそく風呂場で遊んだが、やっぱり本物の気分にはかなわない。もっとも、犬は当分飼えそうにないから、カヤック犬は、風呂場で我慢するしかない。さあ、明日にでも行こうか、と思ったときに、家の近くで伐採した木を見つけてしまった。

forest58-5.jpg・最初はちょっとだけだと思ったのだが、近づいてみると川の土手に切り倒した木がたくさんあった。半分は水につかっていて、なかにはキノコが生えているものもある。さっそく車で出かけ、チェーンソウで切り刻んで持ち帰ることにした。川から土手の上まで放りあげたり、かついで長い距離を運んだりして1時間ほどでへたばってしまったので、次の日もその次の日も出かけてかなりの量を確保することができた。今年の使いのこしとあわせれば、来年の冬はこれで大丈夫。やれやれ。

2007年3月5日月曜日

忌野清志郎,"King","God","夢助"

 

kiyosiro1.jpg・忌野清志郎は日本人でいいと思う数少ないミュージシャンの一人だ。癌で入院というニュースを耳にしたから、またか、と思ってしまった。高田渡が死んで、がっかりしてから1年ちょっとしかたっていない。病気の様子が気になったが、年末に近くなって、元気になったというニュースを見かけるようになった。癌は再発が怖いけれど、まあ一安心。
・彼のミュージシャンとしてのキャリアは長い。もう30年以上になるはずだ。しかも、精力的に新しいアルバムを出しつづけている。ぼくが彼の歌を好きな理由は第一に、同世代で、他の名前だけのミュージシャンのように懐メロシンガーになっていないことである。フォーク・シンガーなら自分や世界の今を歌わなければ死んだも同然なのに、なにを勘違いしているのか、巨匠気取りでいる人が結構いるし、それをまた支える、ノスタルジーだけで満足するファンが多すぎる。清志郎はそんな人たちと無関係なところにいる。

・だから、彼の歌にはどれにも、明確なテーマがあり、はっきりしたメッセージがある。しかも、聴いていて、はっきりことばが聞き取れる。そんなことあたりまえすぎることだが、なにを歌っているのか聞き取れないシンガーがものすごく多い。だいたいボーカルに比べてバックの音が大きすぎる。聞き取って受け止めるほどのメッセージをもっていないのだから、わからなくてもいい、と思っているのだろうか。
・実際、歌詞を読んでも、曖昧で意味不明な歌が多すぎるのだが、学生たちはそれを聴いて、癒されるとか励まされるとかいっているから、メッセージの伝え方や受け止め方がちがうのかと思ってしまう。「〜とか」「〜みたいな」「〜かも」なんていい方を乱発するのがはやりだから、はっきりしたくないという風潮があるのかもしれない。そのくせ、”寂しい”、”つらい”、”苦しい”、"悲しい”といった直接的なことばはやたら多い。これでは歌詞とはいえないんじゃないのといいたくなってしまう。で、ぼくはそんなことばづかいにうんざりしてしまう。

kiyosiro3.jpg ・清志郎の作る歌には、しゃれた歌詞の見本がいくつもある。たとえば、「HB・2B・2H」。ちょっとHなニュアンスもあるし、どんな目にあってもへこたれないという意思表示もある。小さな子どもにもわかるし、いろいろ考えさせる深みも広がりもある。


HB あいつはHB 鉛筆野郎さ HB
HなBだぜ HB
消しゴムがやってきて ぼくらを消そうとするけれど
ぼくらには芯がある 折れたって芯がある
消されたって消えない

・ストレートな反戦歌を歌う人は、今では彼一人だといってもいい。それがわざとらしくなく歌えるところが、彼の持ち味だろう。たとえば「God」。

ゲームを楽しんでるのか 好き放題思いのままに
あいつの気まぐれだけで 人びとの未来が消えていく
あいつの名前はGOD 人間どもをつくりあげた
戦争と平和のいたちごっこ ちんけなゲームをつづけている

kiyosiro2.jpg ・もちろん、ラブソングもひと味ちがう。それはけっして若いやつらの専売特許ではない。いろいろなことを経験して、はじめてわかることもたくさんある。しかも、わけしり顔にならず、新鮮な気持ちも持ちつづける。むずかしいけど必要なこと。たとえば「毎日がブランドニューディ」

君と真夜中に話した いろんな事
75%は忘れてしまった
君と長い間過ごしたこの人生
80%以上は 覚えていないかも
Hey Hey Hey でもいいのさ
Hey Hey Hey 問題ない
君がいつもそばにいるから
毎日が楽しい

・最近の3枚のアルバムには、このほかにも納得したり、感心したり、考えさせられたりする歌詞がいくつもある。どぎつい化粧やコスチュームが売り物だけれど、伝えたいことがしっかりあって、それを同世代から若い人にまで懸命に表現している。乗ってるだけに、体の回復には慎重にと思う。喉頭癌だから、喉の酷使は禁物だろう。絞り出すように歌う発声の仕方だから、なおさら気になってしまう。