2008年9月28日日曜日

紙ジャケの誘惑

 

・レコードからCDに変わって、ジャケットに対する興味が消え、iPodとiTunesを使うようになって、CDそのものがじゃまくさくなった。僕が持っているCDのほとんどはつかっている4台のパソコンのiTunesにはいり、iPodで持ち歩けるようになった。だからわざわざCDで聴くことが面倒になった。
・とは言え、アルバムの曲だけをダウンロードして買う気にもならない。やはりアルバムには、一つの形ある存在を期待しているのだ。なのに、買って手もとに来ればパソコンに落として、後はしまっておくだけ。用はないけど、ないと寂しい。アルバム・ジェケットは、そんな何となくアンビバレントなところにいる。

radiohead4.jpg ・ただし、紙ジャケットにはレコードの面影がして、これだけは別に置いておきたい気にもなる。そう思う人が多いのか、最近紙ジャケでリリースされるアルバムが増えた。たとえば、Radioheadの "In Rainbows" や Coldplayの "Viva la vida" 、REMの "Accelerate"、それにシェリル・クロウの "De tour" など、売れ筋のものも多い。あるいはジャクソン・ブラウンの "solo accoustic vol.1-2" やブルース・スプリングスティーンの "We shall overcome" 、Grayson Cappas "if you knew my mind" "songbones"、そしてニール・ヤングの "Massey Hall 1971" などのフォーク系も多い。そういえば、最近のトム・ウェイツやルー・リードのアルバムはすべて紙ジャケだった。つまり、ぼくがほとんどのアルバムを持っているミュージシャンばかりで、だからいっそう気になるのかもしれない。しかも頻繁に、アマゾンからお知らせのメールが届く。


morrison7.jpg ・ここのところ目立つのは、ヴァン・モリソンの古いアルバムだ。もちろん、すでに持っているものばかりだから、新たに買いたいとは思わない。第一、ジャケットが違っても、中身に代わりはないのに、また買おうという人がどれだけいるのだろうか。実はちょっと前に、彼のベルファストでのライブ版を見つけて買ったところだった。1984年の録音でCDでは1994年に発売されている。値段は1742円。ところが買っててしばらくして、その紙ジャケ版が発売されるというメールが入った。値段は2800円と高額だ。僕が買ったアルバムもまだ同じ値段で売っているから、1000円の違いは紙ジャケの付加価値ということになる。
・ところでこのアルバム自体だが、もちろん悪くはない。ただ場所がベルファストだから、アイリッシュを期待したのに、全然なかったのがちょっと残念な気がした。もっとも84年で、彼がチーフタンズと"Irish Heart Beat"を出したのは88年だから、「アイリッシュなんかやらん」と公言していた時期である。それ以降のアルバムでもアイリッシュの曲はほとんどないから、やるはずはないのだが、どうしても期待してしまうのは、僕の身勝手なのかもしれない。

bebo&cigala.jpg ・最近買った紙ジャケアルバムで気に入っているのは、bebo&cigalaの"La`grimas Negras"で、フラメンコとアフリカ系キューバ音楽のコラボレーションだ。勧めてくれたのはカナダ人の友人で、ものすごくいいと言われて期待した。 Cigalaのフラメンコはあくまで泥臭いが、beboのピアノはかなり洗練されていて、モダンジャズの感じもある。だから合わない印象を受けるのだが、聴いているうちにそのミスマッチが逆におもしろくなった。
・フラメンコとキューバ音楽というのは、考えてみれば、ものすごい関係だ。フラメンコはロマの音楽と踊りだが、ロマはもともとアフガニスタンあたりにいて、西に追われて、長い時間をかけてスペインまで来た。そのスペインから船出したコロンブスが発見したのがキューバだった。そのキューバにアフリカ系の音楽が生まれたのは、アメリカに奴隷を移送する中継基地だったからだ。音楽の伝播は戦争、侵略、交易、移民、そして奴隷などいろいろ理由がある。フラメンコとキューバ音楽の出会いから、そんなことを考えた。

2008年9月22日月曜日

箱根を歩いた

 

photo48-1.jpgphoto48-2.jpgphoto48-3.jpg


photo48-5.jpg・箱根は、今度ゆっくり来よう、と思いつつ、いつも通りすぎてしまう場所だった。気になるけれども、目的地にしてはちょっと中途半端。少し天気も安定して、ちょっと歩きたい気分だったから、今度こそ、と箱根に出かけることにした。
 




photo48-4.jpg・コースは大涌谷から駒ヶ岳で、できれば別ルートで周回する、ということにした。大涌谷は蒸気があちこちから吹き出して、強烈な硫黄の匂いがする。有名な場所だから当然、観光客ばかりだ。ところが、登山コースに入ると、もう誰もいない。空は青く、はるかに富士も見える。
 



photo48-6.jpg
・最初は一直線の急坂でちょっとへこたれたが、その後は平坦なコースで、広葉樹の森や檜の森、そして熊笹の道などあっておもしろかった。しかし、ハイカーが少ないせいか、かなり荒れていて、檜は倒木が目立ち、熊笹は道をふさぐほどだった。





photo48-9.jpg・コース案内では2時間だったが、30分ほど余計にかかった。その間、出会ったのは3人だけ、挨拶をするのにくたびれるのも面倒だが、こう少ないと、また何となく寂しい。駒ヶ岳にはロープウエイで上がってきた人がたくさんいた。それにつられたわけではないが、往復は諦めてロープウエイで降りることにした。夏の間、自転車に乗っていたのに、わずか2時間半でギブ・アップとは、何とも情けないが、無理をする歳でもないと自己納得。


photo48-8.jpgphoto48-7.jpg



forest48-10.jpg・ 駒ヶ岳からの眺めはパノラマで、北に神山、東に小田原から相模湾が眺望できた。南には伊豆半島、そして西には眼下に芦ノ湖だ。いい眺めだが、東の空だけが灰色の膜に覆われたように澱んで汚いのがよくわかった。




photo48-11.jpgphoto48-12.jpgphoto48-13.jpg

2008年9月15日月曜日

自転車に乗って

 

forest70-3.jpg・去年買った折り畳みの自転車に乗って、この夏は河口湖を10周以上した。1周は20kmほどだが、我が家からだと25kmほどある。最初は、1時間20分ほどかかり、汗だくでバテバテだったのだが、毎回数分ずつ短縮して5回目ぐらいに1時間を切った。
・湖の周回道路はほとんどフラットだが、その日の風向きによって、しんどさはずいぶん違う。けれども、回を重ねるごとに脚力が増してくるのは自覚できた。そうなると、時にのんびり、などという気はなくなってくる。ところが1時間を切ったところで、飽きが来た。で、西湖まで行こうという気になった。

forest70-4.jpg・河口湖と西湖は標高差が100m近くあって、ふたつをつなぐ道は一気に上がる急坂になっている。それを途中までがんばって漕ぎ、急カーブするあたりからは引いて登ったのだが、西湖に行き着く前にくたびれてしまって引き返した。
・で、次の日に、西湖まで車で行って1周することにした。西湖の面積は河口湖の半分以下だから、1周しても30分とかからない。ところが、のんびり走っていると、ものすごいスピードで疾走する自転車の選手たちに追い越されてしまった。しばらく、懸命になって追いかけたが、車と変わらないスピードで走るから、とてもかなわない。おかげで、あっという間の1周だったが、へとへとだった。

forest70-2.jpg ・河口湖は涼しいから夏バテはない。だから、食欲も落ちない。体を動かす必要があるのだが、薪割りは済んでいるし、今のところ家の修理もこれといって必要ない。汗をかいた後はビールもうまいから、できれば毎日でも自転車に乗ろうと思ったのだが、今年の天気は気まぐれで、午後になると雲が出て、雷が鳴ることが多かった。すぐに土砂降りになることもあったから、出かけられない日のほうが多かった。特に、お盆過ぎは毎日雨で、8月の後半はほとんどダメ。
・9月になって再開すると、風景に変化が見られた。湖畔にコスモスが茂るようになり、花も咲き始めた。そこをかき分けるように進むと、季節の変わり目がよくわかる気がした。

forest70-1.jpg・田んぼの稲穂もたれて、少し黄色くなっている。ススキの原も鬱蒼としてきた。収穫をやめたのか、夏野菜のトマトやキュウリが畑に散乱している。トウモロコシも収穫が終わり、こんにゃくの葉っぱも黄づいている。農家の人たちも、これから忙しくなる。
・僕も9月になってちょくちょく学校に行く用事が出はじめた。そうなると、どうしても、自転車で出かけるのが億劫になる。10周以上したとはいえ、腹のまわりはちっともすっきりしていない、というより、夏前よりかえって大きくなった感じもする。健康診断で「メタボ」などといわれるのはしゃくに障るから、天気がよければ、これからもせいぜいペダルをこごうと思っている。

2008年9月10日水曜日

再録「キャンパスブログ」(朝日新聞多摩版)4〜5

その4・大学院生

・  大学院には多様な学生がやってくる。学部からまっすぐ上がってくるだけでなく、途中で寄り道して戻ってきたり、仕事と掛け持ちしたり。最近では定年後にもう一度勉強を、という人も少なくない。もちろん、アジア各地からの留学生もかなりいる。ぼくのところにいる学生たちも、そろって個性的だ。現役のミュージシャンがいるし、元お笑い芸人もいる。新聞記者もいたし、高校や看護学校の先生もいた。このコラムのイラストを描いている佐藤さんは、デパートのファッション部門で働いている。それに加えて、韓国や中国からの留学生と、現役の学生たち。

・ それぞれの経歴はもちろんさまざまだし、関心も、大学院に来た目的も同じではない。専門はもちろん、教養的な知識もでこぼこだし、語学力もまちまちだ。それに留学生には日本語習得という課題もある。一律に講義などという授業はとてもできないのが現状だ。だから、授業はすべてゼミ形式でやり、時間も延長して、それぞれの関心事を順に報告する形でやってきた。自由にやりたいようにやる。それが方針だが、それだけに、テーマを分析する方法や読むべき参考文献なども、各自にあわせて適切にアドバイスしなければならない。これがなかなか大変な作業なのである。

・ 大学院には2年間の修士課程があり、その後に3年間の博士課程がある。勉強や研究の成果は論文としてまとめられるが、ぼくは学術的なスタイルを強く要求しないことにしている。誰もが研究者になりたいわけではないし、なりたくても、その道は極めて狭く、競争が厳しいからだ。 「学術的であるより、読み物としておもしろいものを書け」。これが学生たちにくりかえし言うアドバイスだ。その甲斐(かい)があってか、お笑い芸人出身の瀬沼文彰君は修士論文をもとに『キャラ論』(スタジオセロ)を出版したし、ミュージシャンの宮入恭平君は『ライブハウス文化論』(青弓社)を書いた。

・ もっとも、修士論文を書いた大半の学生は、博士課程に進んで、勉学や研究を続けたがる。ぼくは極力反対するが、それで諦(あきら)めた学生はほとんどいない。将来のことを考えたら、気安く受けいれられることではないが、それを承知で続けたいというのだから、もう、反対する余地はない。新聞記者をやめて博士課程に進んだ加藤裕康君は、去年「ゲームセンターにおけるコミュニケーション空間の形成〜」で博士号を取得した。で、今は大学の非常勤講師として、東京と神戸の往復だ。大変な日々を向学心が支えている。(2008年04月07日掲載)


その5・対抗文化

・ ぼくの関心や発想の基本には60年代の対抗文化がある。そこで出会った音楽やアート、そしてライフスタイルにずっと愛着を持ちつづけてきた。その多くはもちろん、すでに対抗的なものではなく、社会に取りこまれ、消費文化として不可欠の存在になっているものが少なくない。たとえば、それはロックに代表されるポピュラー音楽であり、ポップアートであり、またジーンズやTシャツに代表されるファッションである。今では仕事や生活の必需品になっているパソコンやインターネットも、その発想の段階や開発当初には、社会に対して強い批判をもっている人たちが大勢集まって、あるべき世界を夢見るような時期があった。

・ 最近出版した『ライフスタイルとアイデンティティ』(世界思想社)は、そんな一つの文化の、誕生から現在の状況に至るまでのプロセスを、批判的にふりかえったものである。東経大に移る決心をした理由には、もちろん、コミュニケーションを主題にした学部に対する魅力があった。けれどもまた、個人的な問題として、都会生活から脱出して、長年憧(あこがれ)れてきた田舎生活をしてみたいという希望もあった。ちょうど子どもたちも大学生になって、一人暮らしができる年齢になってもいた。夫婦2人で、新しい生活をやり直す。『ライフスタイルとアイデンティティ』には、そんな生活ぶりを書いた章もある。

・ じぶんのこれまでのライフサイクルは、大きく三つに分けられる。親に扶養されていた時、仕事をして結婚し、子どもと暮らした時、それに現在である。この第3ステージをどう過ごすか。それはまさに、ライフスタイルとアイデンティティの問題である。パートナーは40歳を過ぎてから陶芸を始め、今では工房を持ってせっせと制作にいそしんでいる。土と戯れる楽しさは、端で見ていてもよく分かる。さて、ぼくは何をしようか。仕事はもう少し続けなければならないから、今は何でも、興味をもったらやってみることを心がけている。

・ 60年代に生まれたさまざまな文化は、どれも、既成の商品化したモノや暮らしや遊び方に飽き足らない気持ちから生みだされた。それが半世紀近く経(た)って、消費文化の主流になっているのは、何とも皮肉だが、それにまた退屈しているじぶんが確かにいる。大学で学生とつきあう限りは、うるさいと思われようと、そのつまらなさの理由を指摘して、もっとおもしろいことができるはず、という可能性を問いかけ続けようと考えている。(2008年04月21日掲載)

2008年9月7日日曜日

再録「キャンパスブログ」(朝日新聞多摩版)1〜3

 

その1・河口湖から

・ 東京経済大学は国分寺市にある。キャンパスには緑が多く、多摩川の河岸段丘の傾斜地に建つ研究室の窓からは、雑木林ごしに府中の街並みが見える。天気がよければ多摩丘陵から丹沢山地、それに富士山まで見渡すことができる、極めて眺めのいい部屋である。

・ぼくはこの大学のコミュニケーション学部に所属して、「現代文化論」や「音楽文化論」を教えている。コミュニケーションと名のつく学部は日本で初めてのもので、IT技術の普及や文化研究の高まりを見越して、1995年に開設された。また、学部が卒業生を送り出した99年には大学院が新設され、ぼくはそのスタッフとして赴任した。コミュニケーション研究科もすでに9年がすぎて、何人もの博士を生みだしている。

・ 東経大に来るまでは、ぼくは京都に住んで、大阪の大学に勤めていた。で今は、河口湖に住んで、車で通勤している。長年の夢だった田舎暮らしを実現させたのだが、高速道路のおかげで片道1時間半ほどの行程ですんでいる。ただし、高低差が800メートルで、気温が時に10度も違うから、疲れがたまると体が悲鳴をあげることもある。だから、東京で道草などせず、用が済んだらすぐ帰還を心がけている。とは言え、ぼくは子どもから青年の時代にかけて府中で過ごして、両親が今でも健在だから、大学周辺にはなじみの場所も友人も少なくない。

・ JR中央線国分寺駅の南口から大学に向かって坂を下ると「ほんやら洞」という喫茶店がある。店主の中山ラビさんは、シンガー・ソングライターのさきがけだった人で、今でも熱心なファンがいて、時折、ライブ活動などもしている。ぼくは彼女と高校が一緒で、また京都でも、長い友達づきあいをしてきた。だからたまには店によって珈琲(コーヒー)を一杯といきたいのだが、それがなかなかままならない。昼休みではちょっと慌ただしいし、仕事帰りだと車を駐車場にとめなければならない。当然、珍しく顔をあわせると、「ご無沙汰(ぶさた)ね」と言われてしまうことになる。

・ この喫茶店、通学路にあるのに東経大の学生はめったに入らない。理由はと聞くと、こだわりやいわくがありそうで敷居が高いのと、学部の先生たちが入り口近くのカウンターにたむろしているからだという。だったらと、ゼミコンパをやって、雰囲気を味わってもらったりもした。60年代末の、ぼくやラビさんが学生だった頃の「風に吹かれて」、彼や彼女たちは、いったい何を感じるのだろうか。(2008年03月17日掲載)

 

その2・学生と個性

・ コミュニケーション学部は通称「コミ部」という。学生だけでなく、教授会でも通用しているが、ぼくはあまり好きではない。一度ゼミの学生から「なぜ?」と質問されたことがある。「『混(こ)み部』のようだし『ゴミ部』とも聞こえるから」と答えると、「でも、みんなふつうに言ってますよ」と返ってきた。そう、最近の学生たちは「みんな」「ふつう」が好きなのだ。みんなと一緒だと、何となく安心して落ち着ける。だから空気を読むことが大事なんだとつくづく感じさせられてしまう。

・ 学部のゼミは決して「混み部」ではない。10人前後が平均で、多い時でも15名ほどだから、少人数でじっくり勉強できる環境にある。ところが、みんながふつうを心がけるから、考えや感覚が違っても、それを巡って活発な議論が展開されたりはしない。一方では、彼や彼女たちは外見的な個性にはひどく気をつかう。髪の毛から履いている靴まで、そのこだわりは一目でわかる。そんな個性的であることへの関心が、なぜか、内面では抑えられてしまう。
・ 一番の理由は、対話や議論は訓練が必要なコミュニケーションの技術なのに、小学校から高校まで、ほとんど何もしてこなかったことにある。だから、じぶんらしい発言をしたいけど、意見の違いが人間関係を壊してしまうのではと感じてしまうのである。もう一つは、やっぱり「みんなふつう」からはずれることへの恐怖感。ゼミ生からこの垣根を取り去るのは簡単なことではない。

・ぼくは、「個性的な文章を書こうよ」で説得を始めることにしている。独りよがりじゃなく、人におもしろいとか、なるほどと評価される文章は、学生の多くも書きたいと思っている。そして学生たちは、この点でも、大学に来るまで十分な訓練を受けていない。ぼくがゼミ生に何度も出すのは、文章でスケッチするという課題だ。絵を描く人には常識だし、楽器を弾くためにだって、基本練習は欠かせない。じぶんの目でよく観察し、耳で、あるいは皮膚でよく感じとる。そしてじぶんの頭で考え、わからないことがあれば調べる。そうすれば、おのずとじぶんらしい個性的な文章が書けるようになる。

・「みんなふつう」のつまらなさは、学生たちも十分に自覚している。とは言えやっぱり、ふだんの人間関係では、個性的であることを抑えなければならない場合がかなりある。 「先生の個性は、社会に出たら通用しませんよ」。学生からのなかなか鋭い指摘である。(2008年03月24日掲載)

 

その3・消費する文化

・ 東京経済大学はその名の通り、経済学部だけの単科大学から始まった。開学は1949年だが、もともとは、1900(明治33)年に「大倉商業学校」として開校されている。コミュニケーション学部は、短大や夜間部の廃止に伴って開設された。「メディア社会」「企業コミュニケーション」「ネットワークコミュニケーション」、そして「人間・文化」の四つの専攻があり、ぼくは「人間・文化」に所属している。

・現代文化の最大の特徴は、それが商品として消費されるものだという点にある。衣食住のすべてにわたって、一からじぶんで作るのではなく、お金で品物として購入する。そんな生活スタイルは、20世紀後半から始まったものだから、その年月を生きてきた人ならば誰でも、次々と変容する有り様を具体的に記憶しているはずである。当然、ぼくにも、そのような記憶があって、何でも買って済ますことに違和感をもつことが少なくない。ところが学生たちは、消費という生活スタイルに、全く抵抗感がない。だから講義は、現在の文化の形態が、わずか半世紀ほどの間にもたらされた新しいものであることから始めることになる。

・「消費」という生活スタイルは簡便さや即時性を追求する。コンビニやファストフードはその象徴だが、どちらも学生たちにとっては不可欠の場に感じられている。欲しいモノがいつでも、どこでも手にはいる。このような感覚は、もちろん、話したい時にはいつでも、どこでも、誰とでもとなるし、聴きたい音楽や、見たいテレビも、いつでも、どこでも、何でもということになる。それは一面では、豊かさを実感させる根拠になる。けれども、その弊害もまた少なくないはずである。買わずにじぶんで作ってみる。やってみる。そんな発想が失われたところでは、結局、消費は浪費に行き着くしかなくなってしまう。そんな傾向を憂慮して「待てない子ども」「学ばない生徒」「働かない若者」といった問題を指摘する人もいる。確かに、そうかもしれないと思う。

・ けれども、ぼくが学生たちに対してもっとも憂慮するのは、時間と空間を超えてやってくる豊富なモノや情報が、逆に歴史や地理に対する感覚を失わせているという点だ。今、聴いている音楽は、いつ誰によって、どんな影響を受け、どんな思いをこめて作られ、歌われたのか。それをじぶんで調べて知ったなら、次々と聴き捨てることなどできなくなる。講義でくりかえし力説していることである。(2008年03月31日掲載)

 

2008年8月31日日曜日

学生が出した本

 

粟谷佳司『音楽空間の社会学』青弓社
宮入恭平『ライブハウス文化論』青弓社
瀬沼文彰『キャラ論』STUDIO CELLO

awatani1.jpg ・しばらく音信不通だった粟谷佳司君から本が送られてきた。彼は僕にとって最初の院生で、ほとんどマンツーマンで英語の文献を読む訓練をした。もう十数年前の、前任校での話だ。ちょうど僕も『アイデンティティの音楽』(世界思想社)を準備中の頃で、一緒にポピュラー音楽やカルチュラルスタディーズの文献を読んだ。僕が大阪から東京に転勤して、一緒に勉強することはなくなったが、がんばっていることは時折耳にした。
・『音楽空間の社会学』はカルスタ論が土台になっている。博士課程のある別の大学に移って書いた修士論文や、それ以降の理論研究が載っていて懐かしい気がした。歌が歌われ、音楽が演奏される空間や場、そこに集まる人びとの関係やパフォーマンスを理論的に整理して、それを留学中に体験したカナダの移民社会や、阪神大震災とそれ以降に生まれた、音楽その他のパフォーマンスという場に応用している。理論の部分が多くて、多少頭でっかちの感じを受けるが、フィールド研究として、これから発展させる可能性を感じさせる内容だ。

miyairi3.jpg ・実は同じ出版社から数ヶ月前に、やっぱり院生の本が出版された。その『ライブハウス文化論』を書いた宮入恭平君は現役のミュージシャン(粟谷君も最初はそうだった)で、東京のライブハウスを中心に活動している。だからこの本は、自らがパフォーマンスする空間を、研究者の視点にたって見つめなおして分析したものだと言える。音楽空間をテーマにした点で2冊は共通しているが、理論中心の前者に比べて、後者はフィールドワークと歴史が主な内容になっている。
・この本が強調するのは、日本の「ライブハウス」の特異さで、特に最近では、歌い演奏する者とそれを聴く者が、ほとんど仲間内の排他的な関係になっていることだ。つまり、「ライブハウス」という空間は、誰というわけではなく、ライブ演奏を楽しむために出かける場になっていないという指摘である。だから、ここには、そこを基盤にしてミュージシャンとして生計を立てるといった可能性はほとんどない。彼のフィールドワークから見えてくるのは、一部の有名なミュージシャンには多数のファンがつき、巨額のお金が動くが、それを除けば、音楽環境はきわめて貧弱だという現状だ。

senuma1.jpg ・もう一冊、『キャラ論』を書いた瀬沼文彰君は、吉本興業所属の元お笑い芸人だ。大学生の頃から芸人活動をしていたから、当然、あまり勉強していなかった。変わり種でおもしろそうだが、勉強のきつさに音を上げて逃げ出すだろうと思ったのに、「キャラ」という現象に目をつけて書いた修士論文が、ほとんどそのまま本になった。培った話芸が生きたのか、街中で若者たちにインタビューをして、おもしろい材料をたくさん見つけてきた。
・「キャラ」はテレビ・タレントが自分の特徴をはっきりさせるために使いはじめたものだが、最近の若者、というより、少年少女たちは、互いに仲間であることを確認し、関係をうまく持続させるために「キャラ」を使うという。この本によれば、それは身体的特徴であったり、性格に注目したものだったりするが、自分で表明するものではなく、仲間によって命名される。そんな「キャラ」を介した関係が、コミュニケーションに気をつかう最近の若者の傾向を如実に映しだす。自己主張ではなく、他人が受ける印象に気をつかうこと、たがいの距離感を自覚すること、マジより冗談、真顔よりは笑いが大事なこと………。

・僕の研究室には、毛色の変わったユニークな学生が他にもいる。そんな人たちと勉強するのは、いろいろ刺激になって楽しい。歳のせいか、大学生が幼稚に感じられてつきあうことにくたびれているから、院の授業が「リフレッシュ」(癒しではなく)の役割を果たしている。で、そこからそれぞれの勉強や研究の成果が形になってあらわれれば、教師冥利に尽きるといものである。一方で、研究職に就くのは容易ではないという現実もあるが、こんなふうにおもしろいテーマをうまくまとめれば、無名でも本を出せるといった状況もある。
・院生の一人、佐藤生実さんと共訳した本が、秋には出版される。クリス・ロジェックの『カルチュラルスタディーズを学ぶ人のために』(世界思想社)で、イギリスのものだから、日本文化との関連をいくつかの項目を立てて、コラム形式で追加した。前期の院のゼミに出席した学生に分担して、報告と議論を重ねながら書いたものである。分量は少ないが、それぞれ、勉強してもらうことは多かった。ささやかな業績だけど役にたつこと、である。

2008年8月24日日曜日

フリーターは自由ではない

 

赤木智弘『若者を見殺しにする国』双風社
雨宮処凜『生きさせろ!』太田出版
本田由紀ほか『「ニート」って言うな!』光文社新書

amemiya.gif・「フリーター」ということばが登場したのは1980年代後半のバブル絶頂期で、夢を実現させるために、自分の意思でフルタイムの仕事に就かない人たちを指したものだった。しかし、その数が顕著になったのは、バブル後の就職氷河期で、パートやアルバイトの仕事にしか就けなかった人たちが急増してからである。実際、大学のゼミ生でも、ほんの数年前まで、就職先を見つけるのに苦労していたから、「フリーター」ということばが実態とは違って使われていることは気になっていた。

・雨宮処凜(かりん)の『生きさせろ!』によれば、現在、フリーターと呼ばれる人の数は200万人をこえ、その若年層の平均年収は106万円だという。これではアパートを借りることもむずかしい。自宅で暮らせなければ、ネットカフェをねぐらにする人がいても無理はないというわけだ。この本には著者自身の体験もふくめて、非正規雇用のひどい実態が書かれている。企業に、経営者に、いいようにこき使われ、使い捨てられる人たちがこれほど大量にいるのに、社会はそれを自己責任だといって突きはなす。そして「フリーター」と呼ばれる人たちは、じぶんの現在の境遇が社会によってもたらされたと強く言えないし、同じような状況にいる者たちが連帯して声を上げるといった行動にも、なかなか出られなかった。彼女はいわば、そんな従順で孤立した若者たちの代弁者として、この本を書いている。

akagi.jpg ・赤木智弘の『若者を見殺しにする国』は、同様の状況を、もっと扇動的に攻撃する。バブルとその崩壊という、自分たちにはまったく関係ない経済問題が原因で、自分たちのひどい現実がある。だったらこの現実を一度ぶちこわしてゼロにもどしたらいい。だから戦争賛成だという議論をする。戦後の政治学を代表する丸山真男が軍隊でひっぱたかれた経験をしたように、戦争になれば誰もが徴兵されて、今エリートでいい思いをしている者も一兵卒になって、虫けらのように扱われる。そんな状況をつくり出したいというのである。
・この本には、そんな主張を真に受けて本気で反論した人たちを批判する部分もある。戦争の悲惨さを知らない者の無責任な発言とか、現在の生きにくさを一番感じているのは若者以上に中高年の世代だといった意見に対してである。実際僕も読みながら、そんなことをついつい口走りたい衝動に駆られた。けれども、よく読めば、著者が言いたいことはもっと別のところにあることがわかってくる。
・この本にくりかえし出てくるのは、景気が回復した現在でも、フリーターを正社員として雇用する気のある企業は、わずか1.6%しかないという現状だ。つまり、正社員の採用は高校や大学の新卒者が基本であって、そこからはずれた者は雇わないとする慣行が厳然と立ちはだかっている現実である。やり直しを許さない社会なら、社会自体をぶちこわした方がいい。そのことを「戦争」でというから刺激的で、多くの反論が浴びせられたのだが、この本には、そうでも書かなければ誰も注目しないだろうという必死さや、それを計算したしたたかさも感じられる。

honda.jpg ・働きたくても働けない状況を作っておきながら、働く気がないダメなやつとして扱われる。「ニート」はそんな若者たちにつけられた差別的なレッテルだ。「学生でもなく働いてもいない若者」をさすこのことばは、もともとイギリスで生まれたが年齢層等できわめて限定されて使われていたものが、日本ではひとり歩きをして拡大解釈されてしまっている。本田由紀ほかの『「ニート」って言うな!』には、働いていない人たちの増加の大半が求職者層であって、働きたくない人の数は、90年代の初めからほとんど変わっていないことがデータで示されている。つまり、低収入で不安定な仕事をしている「フリーター」の増加という問題が、「ニート」に置きかえられ、社会の問題が個人の問題にすり替えられているというのである。

・言われてみればまったくその通りと思わざるをえない。しかし、このような現状を突きつけられると、なぜここまで、放置されたままできたのだろうか、という疑問も湧いてくる。言いたいことを社会に向かって言えない若者たちの従順さや、互いに孤立して、一緒になって悩みを共有したり、問題をさがしたりすることができないこと。職がない、収入がないとは言っても、親に依存し、寄生(パラサイト)していれば何となく生活できてしまうこと。価格破壊で驚くほどの安い値段でいろいろな物が売られていて、生活に苦しむ人がいることに現実感がもてなくなってしまったこと。もちろん、定職をもち、それなりの収入を確保できている人にも、そんな状況がいつ破綻するかわからないといった不安感も小さくない。そんな中でがんばっていると感じている人には、職がない人は努力をしない人だと判断されがちだろう。

・けれども一番の問題は、政治的、経済的、社会的強者が生き残るために弱者を犠牲にしてきたということだし、その事実を、弱者の責任に転嫁してきたことにあるのは間違いない。そのおかげで業績を回復させた大企業や、公的資金によって再生できた銀行、そして何よりピンハネをビジネスにする人材派遣会社の急成長と、それを野放しにしてきた政治の責任をもっと追及すべきだが、若い人たちは、そのことで連帯して声を上げ、行動できるのだろうか。あるいは、パンクやヒップホップがそうであったように、自らの境遇から、新しい文化を創り出すことができるのだろうか。