2010年5月31日月曜日

宝永山と小富士

 

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山が新緑におおわれたので山歩きを始めた。まずは富士山からと2週つづけて宝永山と小富士に行ってきた。
宝永山は富士山の中腹にある。江戸時代に大爆発して大きな被害を出したと言われている。富士宮口の5合目から歩くと、1時間ほどで火口を見下ろす場所に着く。今年は春が遅かったから初夏の季節になっても富士山にはたくさんの雪が残っている。霧がかかったり晴れたりとめまぐるしい天候で、富士山の頂上が見え隠れしたが、宝永火口と宝永山も、近づいてから突然、目の前にあらわれた。
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photo54-3.jpg 富士山の5合目はちょうど森林限界になる。だから歩くコースには岩場や砂地だけでなく、森もある。松や樅以上に存在感があるのは岳樺(ダケカンバ)で、痩せた土地にしがみついて大木になったものも少なくない。宝永山からの帰りのコースは、そんな生きられるぎりぎりの環境でがんばる木々の中を歩いた。5合目から車で降りる途中でニホンカモシカに遭遇した。昨年、精進湖から王岳に登る途中で出会って以来だが、今回はカメラを向けるまもなく走り去ってしまった。
須走口の5合目はちょうど2000mで、他に比べて標高が低い。鬱蒼とした森を歩いて小富士まで行くと、すっと上まで続く森が見えた。遙か向こうに見えるブルドーザーで作ったギザギザの富士吉田口下山道まで続いていて、須走口からは、そんな森の中を登ることができる。行く気はないが、また頂上に行くとしたら、須走口しかないと思った。この日も霧がかかったが、小富士からの眺めは素晴らしかった。眼下に見える忍野や富士吉田の町、そして河口湖から御坂連山、さらには八ヶ岳までも見えた。雲がなければ東京や房総半島まで見えるらしい photo54-6.jpg
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photo54-8.jpg 須走口には今の時期だけできる川と滝がある。雪渓を源にして、そこから岩場を下ってきた水が、所々で滝になって流れ落ちている。平日なのに大勢の人たちがいて、おそらく7合目あたりの雪渓まで登っている人もいた。
それからもうひとつ、グランドキャニオンと名づけられた谷がある。砂の層が削られてできたもので、高さは4〜50米ほどだろうか。自衛隊の演習地で立ち入り禁止の看板があったが、なぜかグランドキャニオンの標識が道路脇に立っていた。行きたければ自己責任でということなのか、遠くで射撃の音が聞こえていて、ちょっと西部劇風でもあった。

2010年5月24日月曜日

高速料金の迷走

・高速料金が変わるのか、変わらないのか、民主党の方針が揺れている。無料化を目指すと言いながら、今度の改定では実質値上げになる場合があって、そのことに異論を唱える議員が民主党内にも数多くいたからだ。

・高速道路が有料なのは、建設費用を利用者に負担させるためで、徴収し終われば、その道路は無料になる。その原則は、高速道路の建設が始まったときからできていたのだが、自民党は新たな道路建設に回すためにと料金を徴収し続けてきた。民主党は高速道路の新たな建設はしないことを原則にして、高速道路の無料化を、党の方針として打ち出してマニフェストに盛り込んだのだが、その原則が揺らいでいるのである。

・僕は通勤に高速道路を利用している。だから無料になれば大助かりなのだが、そうなればいいとは必ずしも思わない。混んで渋滞してしまったのでは、時間の予測がたたなくなってしまうからだ。とは言え、通常の料金のあまりの高さには、ずっと不満を持ちつづけてきたから、小泉政権の時に導入された通勤時間帯の割引には大いに賛成をした。

・たとえば、中央高速の河口湖インターから国立・府中インターまでは2500円の料金を取られる。しかし、通勤時間帯(朝は6時から9時、夕方は5時から8時)に利用すれば、八王子以西は半額になるから、1550円になる。往復利用だと5000円が3100円になって1900円の負担減だから、通勤にかかる費用はずいぶん軽減された。さらに、八王子〜国立・府中間の利用をやめればもう600円減になるから、往復では1900円ですむことになる。一時的にガソリンが急騰したとき以降、20分ほど余計にかかるのを我慢して、八王子から大学までは下道を通ることが多くなった。また、ETC利用者にはポイントにより割り引きもある。

・国交省が打ち出した新制度は普通車の上限を全日2000円にするというものだが、通勤や深夜といった割引やポイント制度が廃止されるから、大都市近郊で短区間を利用する人には、かなりの値上げになってしまう。僕の場合で言えば河口湖〜八王子は1900円になり、別料金の八王子〜国立・府中間をあわせた2500円をまた払わなければならないことになって、以前の高額な状態にもどってしまうのである。もっとも、河口湖〜大月間は実験的に無料化されるからその分は安くなって600円の割引になるから、片道で350円、往復だと700円の値上げということになる。

・高速道路料金についての民主党の迷走は、新たな高速道路建設の費用を捻出する必要が生じて、それを無料化の原則のなかに無理矢理押し込もうとしたところに原因がある。しかし、新たな道路が必要かどうかといった問題、平日の上限をなぜ、2000円にするのかといった疑問など、よくわからないことがあまりにも多い改定だと言わざるを得ない。長年利用してきた者の感覚からすれば、全日、すべての車種で料金を半額にして、深夜や早朝の割引やポイント制度を残すのが、一番無理のない、不満も少ないやり方なのではないだろうかという気がする。

・先日はじめて、土日を利用して京都まで車を走らせてきた。本来なら1万円ほどする片道料金が1000円で済むからずいぶん得した気分にはなったが、それが好ましい料金だとは感じなかった。これだとガソリン代をあわせても新幹線の料金よりも安いから、複数で乗れば断然安くなって、あちこち走り回って得した気分を味わいたくなってしまう。エネルギーの無駄な消費を奨励する政策だと言われても仕方がないものだろう。

2010年5月17日月曜日

地デジという無駄

・我が家は地デジの難視聴地域にある。地デジのアンテナは富士山の中腹にあるが、間にある山が邪魔して電波が届かないのだ。アナログの地上波も弱くて、天気や風向きによって見えたり見えなかったりする。しかし、ふだん見るのはBSが中心だから、放送の停止と言っても、特に困るという気にもならなかった。もちろん、ケーブル・テレビと契約するといった気も全然ない。要するに、どうでもいいのだが、最近、BSのリモコンをいじっていて、見たことのないチャンネルがあることに気がついた。

・画面には「地デジ難視対策衛星放送」と題字されている。そう言えば、ちょっと前に新聞で、地デジの難視聴地域の視聴者のために、BSを使って放送するという記事があったことを思い出した。画面に表示されている総務省のページをチェックすると、難視聴地域の特定はまだ一部しかできていないようで、山梨県はまだ対象外になっていた。しかし対象地域に特定されて、届け出れば、Bキャスカードが送られてくるようだ。つまり、スクランブルをかけて見られなくしてある放送が、カードを使うことによって見えるようになるというわけだ。

・そんな説明を読みながら、何か腑に落ちない奇妙さを感じた。これは難視聴地域にかぎった対策のように思えるが、BSアンテナをつければどこでも受信可能なわけで、それを、わざわざスクランブルをかけて特定地域の人以外には見られないようにしているということだ。つまり、地上波のアナログからデジタルへの移行は、既存のBSやCSの衛星放送を使っても、実用化できたのである。で、関連する記事や意見がないかネットで調べてみた。

・池田信夫の「サイバーリバタリアン」によれば、欧州のデジタル放送は衛星を使っているようだ。日本でもそうしていれば200億円ほどでできたのに、わざわざ新しいネットワークを1兆円の費用と10年の年月をかけて作ろうとしているのだと言う。50倍の出費とは何という無駄遣いとあきれるが、その理由は全国にある既存の地方民放局を守るためにあるようだ。つまり、衛星放送でカバーすれば、放送は全国一律になって、地方局の存在意味はなくなってしまうからというのである。だから当然、難視聴地域用のBS放送も、地域ごとに見えるチャンネルを制限して、わざわざ全部が見えないようにしているのだ。

・ちなみに山梨県には山梨放送テレビとテレビ山梨の2局だけだから、見ることができるのはそのキイ局であるNTVとTBSだけだということになる。僕の家ではUHFのアンテナは立てずに、東京からの電波でアナログの地上波を受信している。映りは悪いがNHKからテレビ東京まで7局見えているのに、デジタル化されたら民放の3局は見られなくなってしまうことになる。いろいろわかってくるにつれて無性に腹が立ってきた。

・衛星放送は全国をカバーするが、多チャンネル化できるのだから、地方の放送局もそれぞれチャンネルを持つことは可能なはずである。それは地域を限定してカバーするわけではないが、内容を充実させて、限定した地域にとって必要不可欠なチャンネルとして、地域の受信者に認識されればいいのである。そうしてもらえる自信はないから、従来通り県域に限定するというのは、新しいメディアの特性を無視した、既得権の行使以外の何ものでもない。

・日本では電波の利用は国によって管理されてきたから、ラジオもテレビもまったくと言っていいほど自由さのない状況で発展してきた。インターネットはそんな管理の及びにくいメディアとして、まるで黒船のように日本にやってきたから、自由度の大きいメディアとして急速に発展した。ラジオやテレビ放送のデジタル化も、インターネットと同様の発展のさせ方ができる可能性を持っていて、アメリカなどでは自由な発想の元にさまざまな放送が実現されている。そんな現状には目を向けずに、既得権第一で進める地デジ化など税金の無駄遣い以外の何ものでもないこ。これもまた、世界では例のない「ガラパゴス的」発想の一つである。

2010年5月10日月曜日

新しいチェーンソーを買った

 

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forest83-2.jpg・今年から薪を買うようになってチェーンソーを酷使したせいか、壊れてしまった。エンジンのスイッチが効かなくなったのだが、修理に出さずに買い換えることにした。小型の機種だったから、太くて堅い木だと切るのに一苦労で、最近では、息も絶え絶えという感じになることも多かったからだ。これまで使っていたのはRyobiで、排気量は33ccで切断面の長さは350mmだったが、新しいのはHusqvarnaで、45ccで450mmある。重さも3.4kgから4.8kgとかなり大きく重いものになった。切断面の長さの違いは右の画像の通りである。

・さっそく組み立てて試運転をした。音の大きさや振動にさほどの違いは感じなかったが、切れ味の違いにはびっくりした。チェーンが新しいということもあるが、飛び散る木屑の大きさが違うし、それが足にあたると痛いほどで、一本の太い木を5等分に玉切りするのも、あっけないほどに簡単だった。来冬に向けて9立米の木を買い、Ryobiで7立米ほどを玉切りにして、斧で4等分から8等分に割ってきた。力もいるし、汗もかく。チェーンソーの負担も気にして、少しずつやってきたのだが、Husqvaranaを使った残り2立米の作業はあっけないほどに簡単だった。こうなると、もっともっと使いたいのだが、購入した薪は切り終わったから、この後使う機会はあまりない。

・もちろん、Ryobiにだって、大型のチェーンソーはあるし、Husqvarnaにももっと小さなものがある。だから、この二つを並べて、それをチェーンソーの能力差だということはできない。実際に、同程度の排気量や切断面の大きさであれば、値段的にもそれほど違いがあるわけではない。ではなぜ、Husqvaranaにしたのか。それは、木の伐採作業を見かけたときに使われていたのが、多くHusqvaranaだったし、話を聞くと、これこそホンモノという返事が、また多く返ってきたからだ。僕が買ったRyobiはホームセンターの特価品で、定価の半額とは言え、三万円近くもしたものだから、僕にとっては大きな買い物だったのだが、本職の人にはオモチャ扱いされてしまって、ちょっぴり悔しい思いをしたのだった。

・道具は要するに、用が足せればいいのだが、どんな世界にもブランドはあって、それを信奉する人たちがいる。そして、素人ほど、根拠も必要もないままにブランドに憧れがちになる。チェーンソーは頻繁に、チェーンの刃研ぎをする必要がある。使い終わったあとに必ずすべきことなのだが、くたびれた後にはどうしても面倒になるし、なかなか難しくて、かえって切れ味が悪くなったりもする。まっすぐに切れずに勝手に曲がってしまうようになって、研ぎ直しをしたことも何度もあった。だから、道具だけいいものをそろえてもしょうがない、と思っていたのだが、壊れてしまうとすぐに、Husqvarnaのことが頭をよぎった。

・チェーンソーを使い始めて、もう10年になる。使うのも手入れも、少しはうまくなったと思う。それに、木を買い続けるのであれば、毎年、太くて堅い木を大量に切らなければならない。ネットで探すと、メーカーは他にもたくさんあって、排気量や切断面などによって、たくさんの機種ががあることに気がついた。もちろん値段もさまざまで、中には数十万円もするものもある。僕の買ったHusqvarnaは値段的には下から数えてすぐといった程度だが、それでも7万円ほどもするものだ。手入れを怠らずに、長い間大事に使おうと思っている。

・ところでストーブだが、今年は5月3日が焚きおさめになりそうだ。切って割って干している薪を使う半年先まで、ゆっくり休んでもらおうと、煤払いをしてワックス磨きをした。これもDutchwestというストーブのブランド品だが、家を購入した時にはすでに据えつけられていた。使い始めて10年で据えつけられてからは20年になる。おそらく、これから10年、あるいは20年と使い続けるものなのだろうと思う。

2010年5月3日月曜日

アフリカの音楽が伝えること


Razia Said"Zebu Nation"
Youssou N'Dour"Egypt"

・アフリカのマダガスカル島は行ってみたいところの一つだ。バオバブの木やキツネザルなど、島独特の動植物があるし、アフリカとはちょっと違う島だからだ。しかし、現状はかなり違っている。そんなことを歌うアルバムを見つけた。教えてくれたのは「インターFM(76.1)」の「バラカン・モーニング」だ。

razia.jpg ・ラジア・サイードの"Zebu Nation"はマダガスカル島の環境破壊を告発することをテーマにしたアルバムだ。稲作と牧畜、コーヒー、そしてバニラといった農業の発展で森林が伐採され、土壌の浸食と砂漠化が深刻な環境破壊を招いている。ラジアの歌はアフリカの音楽そのままに明るく軽快に聞こえるが、彼女が伝えるメッセージは切実だ。現地のことばの他に英語とフランス語が混じる歌詞で直接聞き取ることはできないが、ジャケットには収録された曲の内容が、それぞれ説明されている。

・たとえば、"Yoyoyo"は貧困や悲惨、そして部族紛争に苦悩するマダガスカルへの応援歌だし、"Ny Alantsika"は植物や動物の泣き叫ぶ声に耳を傾けろという訴えだ。そのほか、このアルバムには、焼き畑農法で森がたった1割になったと歌う"Slash and Burn"や、自然の回復の大切さを訴える"Tsy Tara"、この地に伝わる雨乞いの歌"Lalike"、と太陽と会話をする"Tiako Ro"、そして、目を覚まして立ち上がれと人びとを鼓舞する"Mifohaza"などが収められている。
・歌の内容を説明するというのは、メッセージをできるだけ遠くに、多くの人に届けたいという気持ちのあらわれで、ジャケットには、このアルバムが、しばらくぶりに帰ったマダガスカルで出会ったミュージシャンと、改めて気づいた故郷の現状のひどさ、そして、母語で歌われた歌がもたらしたインスピレーションの産物であることも書かれている。聴きながら、レゲエというあたらしリズムに乗せて軽快に歌い、ジャマイカの惨状を告発したボブ・マーレーを思い浮かべた。

youssou1.jpg ・アフリカのさまざまな問題を世界に向けて訴えるアフリカ出身のミュージシャンは、もちろん、彼女がはじめてではない。というよりは、注目された人たちは例外なく、優れた音楽性だけではなく、その政治的な主張や明確な立場の表明によっても評価されてきたと言っていい。その代表的存在であるユッスー・ウンドゥールの"Egypt"は、これまで出したアルバムとは違って、エジプト人のミュージシャンをバックにして、イスラム教をテーマにしている。この作品がアフリカで物議を醸したことはNHKのBSで放送されたが、それは、イスラム教が偶像を禁止し、神について語ることも戒めているからだ。つまり、イスラム教やアラーの神については、それが批判でなくても、歌になどしてはいけないとされているのである。

・彼が宗教を歌にしたのはイスラム教に対する誤解をただすという狙いがあったようだ。彼の故郷であるセネガルでは、アラーの神は自分自身の運命と日々の生活を律する唯一の神として信仰されている。それはセネガルのことばで歌われているようだが、どれにも英語の対訳がついている。前記した"Zebu Nation"とあわせて、"Egypt"は歌が何よりメッセージを伝えるアートであることを思い出させてくれる。このコラムで何度も繰りかえしているが、日本人が歌う歌には、こういったメッセージという要素はほとんどない。

・ところで「バラカン・モーニング」だが、月曜日から金曜日の朝7時から10時の放送で、僕は家にいるときはほぼ毎日、そして仕事に出かける日もカー・ラジオで聴いている。カー・ラジオでは、雑音がずいぶん入って聴きにくいことが多いのだが、どういうわけか奇跡的に、我が家ではこの番組が雑音なしに聴けるのだ。毎朝かかる曲には、すでに持っているものが多いし、話題にするミュージシャンにもなじみの人がよく出てくる。イギリス人だが、同年齢で、同じような経験をして、同じような音楽を聴いてきた人で、僕にとっては、自分で選曲しているかのように思うことが少なくない。その分、ipodを聴く時間が減った。

2010年4月26日月曜日

仲村祥一さんを偲ぶ会

・昨年の秋に亡くなられた仲村祥一さんを偲ぶ会が京都で開かれた。40日ほど前の木村洋二さんを偲ぶ会以来の関西行きだったが、今度もまた雪に悩まされた。最近の天気はまるでジェットコースターのような上がり下がりを繰りかえしている。河口湖は16日から雪が降り始めて、夜遅くなると積もりはじめた。20cmにもなるという予報もあって、恨めしげに外を見ていると、仲村さんの「来んでもええ」「そんな会、せんでもええのに」という声が聞こえた気がした。仲村さんはドタキャンの常習者だった。最初は乗り気だったのに、直前になって面倒になる。今度もやっぱりという気になったが、だからこそ、今度は、何が何でも行かねばならない。15cmほど積もった中を、予定より1時間早く出発した。

・道路に積もった春の雪は、車に踏まれるとシャーベット状になったり、洗濯板のようになったりする。そこを走るのは、当然、なかなか難しい。左に右に不規則に曲がるし、横滑りもする。そこをだましだまして前へ進むのだが、路面状態を見ながらのハンドル操作も必要だから、ゆっくり、的確にしなければならない。幸い車の数は少なくて、本栖湖を過ぎて朝霧高原にさしかかったあたりで、道路の雪が消え始めた。しかし、反対車線は大変で、雪が積もっているとは知らずに来た車が何台も立ち往生していた。

・京都へは富士山を右回りに周遊して、新幹線の新富士駅から乗ることにしている。駅前に駐車をすれば、京都までなら3時間ちょっとしかかからない。1時間早く家を出たから、京都へも1時間早く着いた。天気は回復したが北風が吹いて、寒い。しかし、久しぶりだから、会が始まるまでの時間を散歩をして過ごすことにした。大改装中の東本願寺に行き、そこから小路を歩いて鴨川に出て、川沿いを歩いて塩小路を曲がって京都駅へ。桜がまだ残る景色はやっぱり季節外れだ。珈琲を飲もうと京都駅に戻ると、珈琲スタンドで井上俊さんにばったりあった。今日の偲ぶ会は彼の発案である。

・会の参加者は仲村さんと古くからつきあいがある人ばかりだが、その大半はすでに退職していて、僕が久しぶりに最年少ということになった。出席者は池井望さん、井上宏さん、小関三平さん、津金澤聡広さん、田村紀雄さん、中嶋昌彌さん、秋山洋一さん、そして娘さんの小俣さん夫妻の11名。仲村さんの思い出話に花が咲いて、笑いの絶えない会になった。木村洋二さんの会の時も感じたが、関西人は何よりユーモアを大事にする。偲ぶ会とは言え、美談やお世辞ではなく、おちょくりやぼやきは場を和ませ、仲村さんの素顔を思い出させた。

・仲村さんは本を送ったり、このコラムをまとめた冊子を送ると、すぐにお礼と感想を書いた葉書を書いてくださった。いつでもいの一番で、時には唯一ということもあった。ありがたいと思ったが、うまく判読できずに首をかしげることも多かった。そんな筆跡の話も話題に出て、互いの字をけなしあうことがまた、笑いを誘った。二次会をあわせて3時間ほど、久しぶりの人たちと、久しぶりの楽しい時間を過ごすことができた。遺影で参加の仲村さんも、きっと喜んだことと思う。

2010年4月19日月曜日

ジャガイモとアイルランド

 

伊藤章治『ジャガイモの世界史』『中公新書
林景一『アイルランドを知れば日本がわかる』角川書店

journal1-134-1.jpg・ジャガイモは毎日の食事に欠かせない食材で、それは世界中どこの地域でも食べられている。しかし、そんななじみの野菜が日本にやってきたのは400年ほど前のことだ。ジャガイモは南米のペルーにあるチチカカ湖あたりが原産で、コロンブスのアメリカ大陸発見後、数十年経ってヨーロッパに持ちこまれたものだから、そのまた数十年後には日本にまでたどり着いたことになる。同様の旅程を経てやってきたものには、他にもトウモロコシ、唐辛子、トマト、そしてカカオなどがある。ちなみにジャガイモという名の由来は、ジャワ島のジャカトラ(ジャカルタ)にある。

・伊藤章治の『ジャガイモの世界史』には「歴史を動かした貧者のパン」という副題がついている。ヨーロッパ諸国が近代化の過程で多くの戦争をし、また冷害に悩まされた時に、ジャガイモはその急場をしのぐ救世主になったし、近代化が進むと労働者階級の人たちの主食となった。日本でも北海道の開拓などでは、酪農が軌道に乗るまでの重要な食材になったようだ。

・アイルランドはその近代化の過程で、イングランドの圧政やイギリス人の不在地主によって苦しめられ、頼みのジャガイモが病気になって大飢饉を招いたという歴史を経験している。1845年から数年間のことで、それをきっかけにして、アメリカへの移民が急増した。南米原産のジャガイモを北米に持ちこんだのは、そのヨーロッパからの移民だったと言うから、南から北へではなく、いったん東に行って西にUターンしたということになる。

journal1-134-2.jpg・林景一の『アイルランドを知れば日本がわかる』には、大飢饉による餓死や移民によって人口が急減したアイルランドが、EU加盟以後急成長して、現在ではEUの中で大きな存在となってきていることが紹介されている。音楽とギネスだけでなく、ハイテク産業を誘致して、工業立国に変身してきているのだが、それはアメリカに移民して成功したアイルランド系の企業の存在が大きな力になっているようである。

・アイルランドの人口は、ジャガイモによって18世紀の半ばから19世紀の半ばにかけて150万人から800万人に急増し、大飢饉によって急減して、一時は260万人までに落ち込んだそうである。現在では北アイルランドとあわせて600万人に回復しているが、世界中に移り住んだアイルランド人の子孫は、アメリカの4000万人のほかに、カナダやオーストラリアなどでさらに1000万人を越えるほどになっている。

・アイリッシュ・アメリカンが得た職は警察官や消防士などの危険な仕事やスポーツ選手(ボクシング、野球)、そして映画(監督、役者)が多かったようだ。たとえばきわめてアメリカ的な映画の西部劇を代表するジョン・フォードやジョン・ウェインは有名だが、映画に繰りかえし登場したビリー・ザ・キッドやパット・ギャレット、あるいはアラモの砦のデービー・クロケットもアイリッシュだったそうである。

journal1-134-3.jpg ・そんなことを読んでいるときに、ライ・クーダーとチーフタンズがメキシコに及んだアイリッシュの音楽をテーマにしたアルバム”San Patricio”を知った。メキシカンでもありアイリッシュでもある、そんな不思議なアルバムだが、内容はアメリカとメキシコ(米墨)の戦争(1846)でメキシコ軍に参加してアメリカと闘ったアイルランド人が登場しているようだ。アラモの砦はこの戦争の発端になった戦い(1836)のアメリカ側の陣地だから、アイルランド移民は、両軍に別れて闘ったことになる。ちなみに、この戦争に負けたメキシコはテキサスからカリフォルニアまでを失った。

・アルバムには90歳を越えたチャベラ・バルガスが登場して歌っている。息切れをして裏声になるところもあるが、"Luz De Luna"はDVDにもあってなかなかいい。他にもリラ・ダウンズ、リンダ・ロンシュタット、それにエンヤの姉のモイヤ・ブレナンなど、参加者も多彩で聞き応えがある。それにしても、ライ・クーダーはいい仕事をしていると思う。