2010年6月14日月曜日

ジャズ喫茶と米軍基地

 

マイク・モラスキー『ジャズ喫茶論』筑摩書房
『占領の記憶 記憶の占領』青土社

journal1-135-1.jpg・モダン・ジャズは、歌ったり踊ったりするのではなく、演奏だけの集中して聴くべき音楽である。日本では、そんな音楽が大学生などに好まれて、50年代の後半頃から、哲学や文学と同様の知的で高級な文化になった。ジャズ喫茶は、そんなモダン・ジャズのレコードをかける店で、町の盛り場や大学の周辺にはおなじみだったが、モダン・ジャズのわからないぼくには、ほとんど縁のないところだった。入っても音が大きすぎて話もできないし、本も読めない。それに何より、ジャズのわかる奴だけ入れてやるといった空気が入ることを躊躇させたからだ。

・ジャズ喫茶はアメリカから輸入されたホンモノのジャズを、高性能のオーディオで聴かしてくれる場所だから、そこでの客の姿勢には「集中的な聴取」が求められ、私語は禁止された。この本によれば、そんな聴き方はアメリカにはなかったようだ。そもそも、ジャズにかぎらず、レコードを専門にかける場がなかったようで、その理由を著者は、モダン・ジャズに興味を持った日本人の若者たちにとって、レコードの蒐集やオーディオ装置の購入が難しかったこと、アメリカには、ライブ演奏を聴くことができる場や、音楽ジャンルを限定して放送するラジオ局がいくつもあったことなどをあげている。

・そんな日本独特のジャズ喫茶には、時代によって変遷した特徴があって、それをこの本では「学校」(50年代)→「寺」(60年代)や「スーパー」(70年代)→「博物館」(80年代)とまとめている。つまり新しい音楽を学ぶ場、それを集中して聴取する場、多様なジャンルへの枝別れへの対応、そしてレトロとしての音楽と場という性格の変容である。僕が知っているジャズ喫茶は、確かに「学校」や「寺」といった雰囲気だったが、その後の社会や若者の意識変化と合わせて、いろいろ考えてみたくなる時代分けだと思った。

・他方で、日本の戦後のポピュラー音楽は米軍基地で軍人のために演奏をしたり歌ったりしたミュージシャンを核にして発展した。ジャズから出発した多くのミュージシャンは、やがて歌謡曲歌手になり、歌謡曲を演奏する楽団のメンバーになり、またテレビタレントになった。同じジャズでありながら、ジャズ喫茶は、そんな日本人のジャズやポピュラー音楽とは無縁な世界として発展した。著者はそこに、亜流(ニセモノ)の生よりはホンモノのコピーを求める日本人独特の傾向を見つけている。もっとも、ロカビリーやグループ・サウンズといった、より大衆的な音楽も、ジャズ喫茶から始まったと言われているが、この本ではそんなジャズ喫茶はほとんど扱われていない。

journal1-135-2.jpg・沖縄には米軍基地が集中し、1972年の返還までアメリカに統治された歴史がある。当然、基地の周辺にはアメリカ兵相手の音楽空間がたくさん生まれたのだが、著者によれば、主流はロックであってジャズではなかったようだ。そしてもちろん、本土ではおなじみの「集中聴取」を基本にした「学校」や「寺」風のジャズ喫茶はほとんど皆無だった。アメリカ兵が集まるライブ・スポットでは、沖縄のミュージシャンががアメリカ兵の好む音楽をパフォーマンスして喜ばせた。そこにはアルコールやドラッグが不可欠で、また性欲の処理をする女たちがいた。沖縄について、主に文学を素材にして分析した同じ著者による『占領の記憶 記憶の占領』を合わせて読むと、音楽を含めた、戦後のアメリカ文化の入り方、受けとめ方、そして発展の仕方の違いがよくわかる。

・「占領の記憶」は本土の日本人にとっては敗戦後からのものである。しかし沖縄では、それは明治時代から始まるし、それ以前の薩摩藩や清による支配にまで遡るものである。そしてその意識は本土に復帰した後から現在にいたるまで継続されている。著者はアメリカの占領や米軍基地をテーマにした文学を「占領文学」と呼ぶ。それを代表するのは本土では、大江健三郎や野坂昭如などで、戦後から60年代頃までに特徴的な題材だったが、この本によれば、沖縄出身の作家には、現在でもなお中心的なテーマであり続けている。「占領の記憶」がほとんど忘れられかけている本土と、基地の記憶にいまだに占領され続けている沖縄の違いは、最近の普天間基地の問題に対する温度差でも明らかだろう。

・敗戦によるアメリカの占領は、一方で、日本人に民主主義や新しい生活を教えた。ジャズ喫茶とモダンジャズはその象徴の一つと言えるかもしれないが、現在では、その姿はすっかり風化してしまっている。というよりは、アメリカ文化はすでにすっかり溶けこんで、日本人の中に血肉化しているといった方がいいかもしれない。しかし他方で、アメリカは日本人にとっては異物としてあり続けた。これも本土ではほとんど自覚されなくなってしまっているが、沖縄ではなお、身近な存在としてあり続けている。

2010年6月7日月曜日

拝啓、国民の皆様

・鳩山首相が退陣しました。在職期間が300日もならない短命で、安部内閣から続いて4人がほぼ1年で交代してきたことになります。それぞれ発足当時は高支持率だったのに、あっという間に愛想尽かされ見限られる。政治家の実力のなさと言えばそれまでですが、支持者の気まぐれにも、いい加減あきれてしまいます。

・鳩山政権が支持を失った理由はまず第一に母親からの献金でした。これは生前贈与にあたるもので、税務署に申告して税金を納めるべきものだったのに、総理はそれをしなかったのです。金をもらっていたことを当の本人がお知らなかったこと、庶民感覚では考えられない多額なお金だったことなどで、強い批判が浴びせられました。

・この一件を擁護する気はありませんが、メディアとそれが後ろ盾にする世論というものに違和感を持ちました。現在、国会議員に占める2世や 3世の割合はかなりのものですが、その人たちは当然、地盤、鞄、看板という三種の神器を受け継いでいるはずで、その鞄(金)を当の議員たちは、どう処理しているのでしょうか。それが問題にならないのは、多くの議員には受け継ぐ際に、法に触れずにうまく処理する仕方があるのかもしれません。であれば、鳩山総理の問題は、ずる賢く立ち回らなかったことにすぎなくなります。

・支持をなくしたもうひとつの理由は普天間基地を「できれば国外、最低でも県外」と言っておきながら、辺野古に移設するという自民党案に戻ってしまったことでした。僕はこの件について、沖縄の人たちの怒りや、一部移設を強いられそうな徳之島の人たちに拒絶はもっともなことだと思います。とりわけ、沖縄の人たちに希望を抱かせておいて失望させた罪については、辞めることで責任を取れるものではないでしょう。

・けれども、米軍基地の問題がこれほど大きくならなければ、沖縄が過重に負担してきた歴史と現状について、国民の多くが改めて考えることもなかったでしょう。これだけ大きな問題として注目されたわけですから、米軍基地の負担を沖縄ばかりに負わせ続けることはできなくなったはずです。基地の分散はもちろんですが、そもそも在日米軍基地がなぜ必要なのか、必要であれば、どんなものをどの程度に置いたらいいのか、そしてそれは沖縄でなければならないのか、といったことについて、国民は人ごとではなく自分の問題として向き合わなければならなくなったと言えるのですが、いったいどのくらいの人が、このような認識をもったのでしょうか。

・沖縄返還にまつわる機密文書の問題について、4月に一つの裁判の判決がありました。基地の返還について、その経費を日本が負担するという密約があって、そのことを当時の毎日新聞記者、西山太吉がスクープした事件です。情報入手の仕方の問題(情を通じた)に矮小化して、当の密約はうやむやになってしまっていたのですが、その密約が確かに存在したこと、その機密文書はアメリカにはあるのに日本の外務省では捨てられてしまっていることなどが明らかになりました。しかし、この事件は、なぜか、大きな問題として取りあげられませんでした。

・沖縄の返還については他にも「核抜き本土並み」という、条件が重視されました。しかし、ここでも、沖縄に核があるのかないのかはずっと確かめられてきませんでした。自民党政府は一貫して、アメリカがないと言えばない、持ちこみたいと言ってこないのだから持ちこんでない、と言う主張を繰りかえしてきました。しかし日本に寄港した空母や潜水艦に核が搭載されていたことや、沖縄に核が常備されていたとする証言は、ライシャワー元駐米大使や米軍関係者によって多く発言されてきました。

・鳩山首相は、基地を国外に移すことが無理である理由を、勉強して、抑止力としての沖縄の米軍基地の重要さを改めて認識したからだと言いました。勉強不足と批判され揶揄されましたが、しかし、アメリカとの話の中で、沖縄にはずっと「核兵器」が常備されてきて、今もあると明かされたとしたらどうでしょうか。公にすれば沖縄の人たちの怒りはさらに大きくなりますし、日米関係にも大きな亀裂が生じてしまうでしょう。だから公言はできないのですが、ここには、アメリカには、在日米軍が仮想敵国としている中国や北朝鮮の軍指導者たちに、沖縄にはやっぱり核があるのだと思い込ませることができたと言える一面が指摘できるかもしれません。これは内田樹が彼のブログに書いた推理です。あくまで推理ですが、沖縄にまつわる問題のなかには、その重要な部分が隠されて曖昧にままに置かれたことがあまりに多いのです。

・鳩山前総理をはじめとして、最近の政治家は「国民の皆様」といった丁重な言葉づかいをします。上から目線を嫌う、最近の風潮を察しての言葉づかいなのかもしれません。しかしそれはまた、「お客様」という商売人の言い方に通じた、仕事上の言葉づかいにすぎないのです。人からの「呼びかけ」のことばには、互いの力関係を規定する意味あいが強く含まれます。ですから、そこにには、政治についてはプロに任せて、国民はお客様でいてくれればいいのだというメッセージが聞きとれます。メディアが政治を批判する根拠にする「世論」は、メディア自体が先導(扇動)して作りあげているものですが、メディアにとって重要なのは発行部数や視聴率であって、問われている問題そのものではないのです。

2010年5月31日月曜日

宝永山と小富士

 

photo54-1.jpg


山が新緑におおわれたので山歩きを始めた。まずは富士山からと2週つづけて宝永山と小富士に行ってきた。
宝永山は富士山の中腹にある。江戸時代に大爆発して大きな被害を出したと言われている。富士宮口の5合目から歩くと、1時間ほどで火口を見下ろす場所に着く。今年は春が遅かったから初夏の季節になっても富士山にはたくさんの雪が残っている。霧がかかったり晴れたりとめまぐるしい天候で、富士山の頂上が見え隠れしたが、宝永火口と宝永山も、近づいてから突然、目の前にあらわれた。
photo54-2.jpg
photo54-7.jpg photo54-9.jpg
photo54-3.jpg 富士山の5合目はちょうど森林限界になる。だから歩くコースには岩場や砂地だけでなく、森もある。松や樅以上に存在感があるのは岳樺(ダケカンバ)で、痩せた土地にしがみついて大木になったものも少なくない。宝永山からの帰りのコースは、そんな生きられるぎりぎりの環境でがんばる木々の中を歩いた。5合目から車で降りる途中でニホンカモシカに遭遇した。昨年、精進湖から王岳に登る途中で出会って以来だが、今回はカメラを向けるまもなく走り去ってしまった。
須走口の5合目はちょうど2000mで、他に比べて標高が低い。鬱蒼とした森を歩いて小富士まで行くと、すっと上まで続く森が見えた。遙か向こうに見えるブルドーザーで作ったギザギザの富士吉田口下山道まで続いていて、須走口からは、そんな森の中を登ることができる。行く気はないが、また頂上に行くとしたら、須走口しかないと思った。この日も霧がかかったが、小富士からの眺めは素晴らしかった。眼下に見える忍野や富士吉田の町、そして河口湖から御坂連山、さらには八ヶ岳までも見えた。雲がなければ東京や房総半島まで見えるらしい photo54-6.jpg
photo54-4.jpg photo54-5.jpg
photo54-8.jpg 須走口には今の時期だけできる川と滝がある。雪渓を源にして、そこから岩場を下ってきた水が、所々で滝になって流れ落ちている。平日なのに大勢の人たちがいて、おそらく7合目あたりの雪渓まで登っている人もいた。
それからもうひとつ、グランドキャニオンと名づけられた谷がある。砂の層が削られてできたもので、高さは4〜50米ほどだろうか。自衛隊の演習地で立ち入り禁止の看板があったが、なぜかグランドキャニオンの標識が道路脇に立っていた。行きたければ自己責任でということなのか、遠くで射撃の音が聞こえていて、ちょっと西部劇風でもあった。

2010年5月24日月曜日

高速料金の迷走

・高速料金が変わるのか、変わらないのか、民主党の方針が揺れている。無料化を目指すと言いながら、今度の改定では実質値上げになる場合があって、そのことに異論を唱える議員が民主党内にも数多くいたからだ。

・高速道路が有料なのは、建設費用を利用者に負担させるためで、徴収し終われば、その道路は無料になる。その原則は、高速道路の建設が始まったときからできていたのだが、自民党は新たな道路建設に回すためにと料金を徴収し続けてきた。民主党は高速道路の新たな建設はしないことを原則にして、高速道路の無料化を、党の方針として打ち出してマニフェストに盛り込んだのだが、その原則が揺らいでいるのである。

・僕は通勤に高速道路を利用している。だから無料になれば大助かりなのだが、そうなればいいとは必ずしも思わない。混んで渋滞してしまったのでは、時間の予測がたたなくなってしまうからだ。とは言え、通常の料金のあまりの高さには、ずっと不満を持ちつづけてきたから、小泉政権の時に導入された通勤時間帯の割引には大いに賛成をした。

・たとえば、中央高速の河口湖インターから国立・府中インターまでは2500円の料金を取られる。しかし、通勤時間帯(朝は6時から9時、夕方は5時から8時)に利用すれば、八王子以西は半額になるから、1550円になる。往復利用だと5000円が3100円になって1900円の負担減だから、通勤にかかる費用はずいぶん軽減された。さらに、八王子〜国立・府中間の利用をやめればもう600円減になるから、往復では1900円ですむことになる。一時的にガソリンが急騰したとき以降、20分ほど余計にかかるのを我慢して、八王子から大学までは下道を通ることが多くなった。また、ETC利用者にはポイントにより割り引きもある。

・国交省が打ち出した新制度は普通車の上限を全日2000円にするというものだが、通勤や深夜といった割引やポイント制度が廃止されるから、大都市近郊で短区間を利用する人には、かなりの値上げになってしまう。僕の場合で言えば河口湖〜八王子は1900円になり、別料金の八王子〜国立・府中間をあわせた2500円をまた払わなければならないことになって、以前の高額な状態にもどってしまうのである。もっとも、河口湖〜大月間は実験的に無料化されるからその分は安くなって600円の割引になるから、片道で350円、往復だと700円の値上げということになる。

・高速道路料金についての民主党の迷走は、新たな高速道路建設の費用を捻出する必要が生じて、それを無料化の原則のなかに無理矢理押し込もうとしたところに原因がある。しかし、新たな道路が必要かどうかといった問題、平日の上限をなぜ、2000円にするのかといった疑問など、よくわからないことがあまりにも多い改定だと言わざるを得ない。長年利用してきた者の感覚からすれば、全日、すべての車種で料金を半額にして、深夜や早朝の割引やポイント制度を残すのが、一番無理のない、不満も少ないやり方なのではないだろうかという気がする。

・先日はじめて、土日を利用して京都まで車を走らせてきた。本来なら1万円ほどする片道料金が1000円で済むからずいぶん得した気分にはなったが、それが好ましい料金だとは感じなかった。これだとガソリン代をあわせても新幹線の料金よりも安いから、複数で乗れば断然安くなって、あちこち走り回って得した気分を味わいたくなってしまう。エネルギーの無駄な消費を奨励する政策だと言われても仕方がないものだろう。

2010年5月17日月曜日

地デジという無駄

・我が家は地デジの難視聴地域にある。地デジのアンテナは富士山の中腹にあるが、間にある山が邪魔して電波が届かないのだ。アナログの地上波も弱くて、天気や風向きによって見えたり見えなかったりする。しかし、ふだん見るのはBSが中心だから、放送の停止と言っても、特に困るという気にもならなかった。もちろん、ケーブル・テレビと契約するといった気も全然ない。要するに、どうでもいいのだが、最近、BSのリモコンをいじっていて、見たことのないチャンネルがあることに気がついた。

・画面には「地デジ難視対策衛星放送」と題字されている。そう言えば、ちょっと前に新聞で、地デジの難視聴地域の視聴者のために、BSを使って放送するという記事があったことを思い出した。画面に表示されている総務省のページをチェックすると、難視聴地域の特定はまだ一部しかできていないようで、山梨県はまだ対象外になっていた。しかし対象地域に特定されて、届け出れば、Bキャスカードが送られてくるようだ。つまり、スクランブルをかけて見られなくしてある放送が、カードを使うことによって見えるようになるというわけだ。

・そんな説明を読みながら、何か腑に落ちない奇妙さを感じた。これは難視聴地域にかぎった対策のように思えるが、BSアンテナをつければどこでも受信可能なわけで、それを、わざわざスクランブルをかけて特定地域の人以外には見られないようにしているということだ。つまり、地上波のアナログからデジタルへの移行は、既存のBSやCSの衛星放送を使っても、実用化できたのである。で、関連する記事や意見がないかネットで調べてみた。

・池田信夫の「サイバーリバタリアン」によれば、欧州のデジタル放送は衛星を使っているようだ。日本でもそうしていれば200億円ほどでできたのに、わざわざ新しいネットワークを1兆円の費用と10年の年月をかけて作ろうとしているのだと言う。50倍の出費とは何という無駄遣いとあきれるが、その理由は全国にある既存の地方民放局を守るためにあるようだ。つまり、衛星放送でカバーすれば、放送は全国一律になって、地方局の存在意味はなくなってしまうからというのである。だから当然、難視聴地域用のBS放送も、地域ごとに見えるチャンネルを制限して、わざわざ全部が見えないようにしているのだ。

・ちなみに山梨県には山梨放送テレビとテレビ山梨の2局だけだから、見ることができるのはそのキイ局であるNTVとTBSだけだということになる。僕の家ではUHFのアンテナは立てずに、東京からの電波でアナログの地上波を受信している。映りは悪いがNHKからテレビ東京まで7局見えているのに、デジタル化されたら民放の3局は見られなくなってしまうことになる。いろいろわかってくるにつれて無性に腹が立ってきた。

・衛星放送は全国をカバーするが、多チャンネル化できるのだから、地方の放送局もそれぞれチャンネルを持つことは可能なはずである。それは地域を限定してカバーするわけではないが、内容を充実させて、限定した地域にとって必要不可欠なチャンネルとして、地域の受信者に認識されればいいのである。そうしてもらえる自信はないから、従来通り県域に限定するというのは、新しいメディアの特性を無視した、既得権の行使以外の何ものでもない。

・日本では電波の利用は国によって管理されてきたから、ラジオもテレビもまったくと言っていいほど自由さのない状況で発展してきた。インターネットはそんな管理の及びにくいメディアとして、まるで黒船のように日本にやってきたから、自由度の大きいメディアとして急速に発展した。ラジオやテレビ放送のデジタル化も、インターネットと同様の発展のさせ方ができる可能性を持っていて、アメリカなどでは自由な発想の元にさまざまな放送が実現されている。そんな現状には目を向けずに、既得権第一で進める地デジ化など税金の無駄遣い以外の何ものでもないこ。これもまた、世界では例のない「ガラパゴス的」発想の一つである。

2010年5月10日月曜日

新しいチェーンソーを買った

 

forest83-1.jpg


forest83-2.jpg・今年から薪を買うようになってチェーンソーを酷使したせいか、壊れてしまった。エンジンのスイッチが効かなくなったのだが、修理に出さずに買い換えることにした。小型の機種だったから、太くて堅い木だと切るのに一苦労で、最近では、息も絶え絶えという感じになることも多かったからだ。これまで使っていたのはRyobiで、排気量は33ccで切断面の長さは350mmだったが、新しいのはHusqvarnaで、45ccで450mmある。重さも3.4kgから4.8kgとかなり大きく重いものになった。切断面の長さの違いは右の画像の通りである。

・さっそく組み立てて試運転をした。音の大きさや振動にさほどの違いは感じなかったが、切れ味の違いにはびっくりした。チェーンが新しいということもあるが、飛び散る木屑の大きさが違うし、それが足にあたると痛いほどで、一本の太い木を5等分に玉切りするのも、あっけないほどに簡単だった。来冬に向けて9立米の木を買い、Ryobiで7立米ほどを玉切りにして、斧で4等分から8等分に割ってきた。力もいるし、汗もかく。チェーンソーの負担も気にして、少しずつやってきたのだが、Husqvaranaを使った残り2立米の作業はあっけないほどに簡単だった。こうなると、もっともっと使いたいのだが、購入した薪は切り終わったから、この後使う機会はあまりない。

・もちろん、Ryobiにだって、大型のチェーンソーはあるし、Husqvarnaにももっと小さなものがある。だから、この二つを並べて、それをチェーンソーの能力差だということはできない。実際に、同程度の排気量や切断面の大きさであれば、値段的にもそれほど違いがあるわけではない。ではなぜ、Husqvaranaにしたのか。それは、木の伐採作業を見かけたときに使われていたのが、多くHusqvaranaだったし、話を聞くと、これこそホンモノという返事が、また多く返ってきたからだ。僕が買ったRyobiはホームセンターの特価品で、定価の半額とは言え、三万円近くもしたものだから、僕にとっては大きな買い物だったのだが、本職の人にはオモチャ扱いされてしまって、ちょっぴり悔しい思いをしたのだった。

・道具は要するに、用が足せればいいのだが、どんな世界にもブランドはあって、それを信奉する人たちがいる。そして、素人ほど、根拠も必要もないままにブランドに憧れがちになる。チェーンソーは頻繁に、チェーンの刃研ぎをする必要がある。使い終わったあとに必ずすべきことなのだが、くたびれた後にはどうしても面倒になるし、なかなか難しくて、かえって切れ味が悪くなったりもする。まっすぐに切れずに勝手に曲がってしまうようになって、研ぎ直しをしたことも何度もあった。だから、道具だけいいものをそろえてもしょうがない、と思っていたのだが、壊れてしまうとすぐに、Husqvarnaのことが頭をよぎった。

・チェーンソーを使い始めて、もう10年になる。使うのも手入れも、少しはうまくなったと思う。それに、木を買い続けるのであれば、毎年、太くて堅い木を大量に切らなければならない。ネットで探すと、メーカーは他にもたくさんあって、排気量や切断面などによって、たくさんの機種ががあることに気がついた。もちろん値段もさまざまで、中には数十万円もするものもある。僕の買ったHusqvarnaは値段的には下から数えてすぐといった程度だが、それでも7万円ほどもするものだ。手入れを怠らずに、長い間大事に使おうと思っている。

・ところでストーブだが、今年は5月3日が焚きおさめになりそうだ。切って割って干している薪を使う半年先まで、ゆっくり休んでもらおうと、煤払いをしてワックス磨きをした。これもDutchwestというストーブのブランド品だが、家を購入した時にはすでに据えつけられていた。使い始めて10年で据えつけられてからは20年になる。おそらく、これから10年、あるいは20年と使い続けるものなのだろうと思う。

2010年5月3日月曜日

アフリカの音楽が伝えること


Razia Said"Zebu Nation"
Youssou N'Dour"Egypt"

・アフリカのマダガスカル島は行ってみたいところの一つだ。バオバブの木やキツネザルなど、島独特の動植物があるし、アフリカとはちょっと違う島だからだ。しかし、現状はかなり違っている。そんなことを歌うアルバムを見つけた。教えてくれたのは「インターFM(76.1)」の「バラカン・モーニング」だ。

razia.jpg ・ラジア・サイードの"Zebu Nation"はマダガスカル島の環境破壊を告発することをテーマにしたアルバムだ。稲作と牧畜、コーヒー、そしてバニラといった農業の発展で森林が伐採され、土壌の浸食と砂漠化が深刻な環境破壊を招いている。ラジアの歌はアフリカの音楽そのままに明るく軽快に聞こえるが、彼女が伝えるメッセージは切実だ。現地のことばの他に英語とフランス語が混じる歌詞で直接聞き取ることはできないが、ジャケットには収録された曲の内容が、それぞれ説明されている。

・たとえば、"Yoyoyo"は貧困や悲惨、そして部族紛争に苦悩するマダガスカルへの応援歌だし、"Ny Alantsika"は植物や動物の泣き叫ぶ声に耳を傾けろという訴えだ。そのほか、このアルバムには、焼き畑農法で森がたった1割になったと歌う"Slash and Burn"や、自然の回復の大切さを訴える"Tsy Tara"、この地に伝わる雨乞いの歌"Lalike"、と太陽と会話をする"Tiako Ro"、そして、目を覚まして立ち上がれと人びとを鼓舞する"Mifohaza"などが収められている。
・歌の内容を説明するというのは、メッセージをできるだけ遠くに、多くの人に届けたいという気持ちのあらわれで、ジャケットには、このアルバムが、しばらくぶりに帰ったマダガスカルで出会ったミュージシャンと、改めて気づいた故郷の現状のひどさ、そして、母語で歌われた歌がもたらしたインスピレーションの産物であることも書かれている。聴きながら、レゲエというあたらしリズムに乗せて軽快に歌い、ジャマイカの惨状を告発したボブ・マーレーを思い浮かべた。

youssou1.jpg ・アフリカのさまざまな問題を世界に向けて訴えるアフリカ出身のミュージシャンは、もちろん、彼女がはじめてではない。というよりは、注目された人たちは例外なく、優れた音楽性だけではなく、その政治的な主張や明確な立場の表明によっても評価されてきたと言っていい。その代表的存在であるユッスー・ウンドゥールの"Egypt"は、これまで出したアルバムとは違って、エジプト人のミュージシャンをバックにして、イスラム教をテーマにしている。この作品がアフリカで物議を醸したことはNHKのBSで放送されたが、それは、イスラム教が偶像を禁止し、神について語ることも戒めているからだ。つまり、イスラム教やアラーの神については、それが批判でなくても、歌になどしてはいけないとされているのである。

・彼が宗教を歌にしたのはイスラム教に対する誤解をただすという狙いがあったようだ。彼の故郷であるセネガルでは、アラーの神は自分自身の運命と日々の生活を律する唯一の神として信仰されている。それはセネガルのことばで歌われているようだが、どれにも英語の対訳がついている。前記した"Zebu Nation"とあわせて、"Egypt"は歌が何よりメッセージを伝えるアートであることを思い出させてくれる。このコラムで何度も繰りかえしているが、日本人が歌う歌には、こういったメッセージという要素はほとんどない。

・ところで「バラカン・モーニング」だが、月曜日から金曜日の朝7時から10時の放送で、僕は家にいるときはほぼ毎日、そして仕事に出かける日もカー・ラジオで聴いている。カー・ラジオでは、雑音がずいぶん入って聴きにくいことが多いのだが、どういうわけか奇跡的に、我が家ではこの番組が雑音なしに聴けるのだ。毎朝かかる曲には、すでに持っているものが多いし、話題にするミュージシャンにもなじみの人がよく出てくる。イギリス人だが、同年齢で、同じような経験をして、同じような音楽を聴いてきた人で、僕にとっては、自分で選曲しているかのように思うことが少なくない。その分、ipodを聴く時間が減った。