2012年8月13日月曜日

オリンピックどころではないのですが


・オリンピックが始まって、テレビはほとんどそのことで埋め尽くされるようになった。金メダルは少ないけれども、銀や銅を取る選手が多かったから、報道の仕方もヒートアップするばかりだった。他方で国会は消費税法案の採決や衆議院の解散をめぐって紛糾したが、メディアの関心度はオリンピックの比ではなかった。これからの生活に大事なことより今興奮できること。テレビのオリンピック中継とそれに歓喜する人びとの様子を見ていると、そんな「空気」を強く感じてしまった。

journal3-128.jpg・とは言え、今はネットがマスメディアに拮抗するかのような力を発揮するようになった。7月29日に行われた「国会大包囲デモ」は主にツイッターやフェイスブックで告知されたが、集まった人は20万人を超えたと言われた。そのデモに僕も参加したが、猛暑にもかかわらず大勢の人が日比谷公園から東電や経産省前を歩き、国会周辺で「反原発」の声をあげた。その様子は壮観だったが、同時に警察の過剰警備には腹が立った。

・あるいはネット上では新たに作られる「原子力規制委員会」の人選に対する抗議も強く行われていて、国会議員を巻き込んで、人事の撤回に向けた動きを作り出している。実際、この人事は消費税法案の採決よりも重要だと思うのだが、テレビはもちろん、新聞にも、そのことを明確に書いた記事はあまり多くない。原発の是非について国民に聞くという政府の「意見聴取会」も、その思惑とは違って、「原発0%」が7割という結果が出た。これを尊重するなら「原子力規制委員会」のメンバーも選び直すのが当然だが、沈没寸前の野田内閣は、というより経産省は一体どう処理するつもりなのだろうか。

・地デジ用のアンテナを立てたおかげで、視聴できるチャンネルが4つ増えた。微弱電波だから天候によって見えたり見えなかったりするが、オリンピックを見るチャンネルが増えたことは間違いない。しかし、深夜や夜明け頃のライブまで見る気はないから録画放送中心だと、日本選手が活躍したものばかりになって、すぐに食傷気味になってしまった。NHKが今回から他の競技を複数、ネットで生中継するようになった。同時にいくつもの競技を配信できるのだから、テレビ放送する種目も中継してほしいと思った。

・アメリカでは放映権を獲得したNBCがネット配信をライブでしているようだ。テレビの方が録画中心になって視聴者から苦情が来ているといったニュースを耳にした。既存メディアとネットの関係は日々変わっている。ロンドン・オリンピックで何より印象的だったのはそのことだった。であれば、次のリオでのオリンピックはテレビなしで、ネットで楽しめるかもしれない。そう感じたが、既得権を何より大事と考える日本のマスメディアにそんな方向が打ち出せるだろうか。

・ともあれ、オリンピックという祭りが終わって、もっと現実に目を向ける時がやってきた。連日の猛暑なのに電気が不足しているといった話はまるでない。関電は火力発電所を休めているようだが、そのことを批判するメディアは皆無だ。原子力規制委員会のメンバーの人選もめちゃくちゃなのに、それを問題にする声はネットでしか見かけない。

・国が歩こうとしているのは、既得権や利権という目先の金感情(勘定)だけで照らされた道なのに、メディアは、それが現実的な方向であるかのような空気(世論)を作り出すことに終始している。政治への直接参加と、マスメディアに頼らない情報のやりとりの必要性をますます自覚するばかりである。

2012年8月6日月曜日

六車由実『驚きの介護民俗学』医学書院


・介護民俗学などという分野があるのか。この本についての情報を目にしたときに感じたのは、そんな半信半疑の気持ちだった。しかしまた同時に、どんな本なのかという強い興味も湧いた。要介護となった両親とのつきあい方でいろいろ考えたり、迷ったりすることが多かったからだ。

・ホームでケアされる老人には痴呆症の人が多い。だから、常識的な意味での会話は成り立ちにくいと考えるのが普通だろう。患っていなくても、年寄りの話はくり返しが多いから、何度か聞けば「またか」と思って、まともに聞く気はなくなってしまう。それはここ数年、両親と話をして自ら経験してきたことでもある。

・老人ホームでの仕事はその大半が食事と排泄、そして風呂の介助などで占められている。だから入居者の話を聞くという作業は、それほど重視されていない。もちろん、介護には痴呆症の進行を遅らせたり、改善させたりするための方策も工夫されている。しかしそれはあくまで対症療法であって、老人たちの話自体に価値を見つけ出そうとするものではない。

・「介護民俗学」とは著者によれば、介護を通して聞く話の中から、その人の生きた歴史を積極的に読み取ろうとする手法である。もちろん、そこから老人たちが生きた時代、地域、職業などについての話を通して、当時の生活の仕方を見つけ出すといった民俗学本来の目的も可能になる。ちなみに「介護民俗学」は著者みずからが見つけ出して提唱している研究分野である

journal1-153.jpg・著者によれば老人ホームはそんな話の宝庫のようだ。同じことばをくり返したり、つじつまの合わないことを言う老人たちの話が、聞き方次第でとんでもなく魅力な物語に変身していく。題名についた「驚きの」は、決して大げさなものではなく、著者みずからが体験した素直な気持ちの表現だということだ。

・確かに、この本に登場する老人たちの話はおもしろい。しかし、長い人生の中で経験したことを聞くのにわざわざ老人ホームという場所で介護の仕事につく必要があるのだろうか。昔のことをもっとしっかり記憶していて、調査者が聞きたいことをうまく話してくれる人は、むしろ年取っても自立した生活ができている人の方に多いのではないだろうか。僕はこの本を読みながら、まずそんな疑問を持ち続けたが、読み進めるうちに納得するようになった。

・著者は大学に籍を置いていたが、その職を辞して介護職員になった。その理由ははっきり書かれていないからわからないが、介護をしながらの聞き書きが、話をする者と聞く者の関係を強く自覚させたことは確かなようだ。

・どんな専門分野、どんな研究テーマであれ、人から話を聞く必要が生じたときに考えるのは、最も有効な話が聞けるのは誰かということだろう。しかし老人ホームでの聞き書きでは、話者を選ぶことも話のテーマをあらかじめ決めることもしない。ホームの職員には、誰であれ老人の話に耳を傾けること自体が対症療法として求められているからだ。

・著者が模索する介護人類学は、そこから一歩進んで、老人の話の中身に関心を向けようとする。だからこそ「驚き」が生まれるのだが、その姿勢はまた、介護をする人とされる人という関係が必然的に持つ立ち位置の違いも消すことになる。老人が語る昔話に目を輝かせて聞く子どものようにして向き合うことが、物語を一層豊かにし、また話をする老人を生き生きさせることになる。

・老人ホームを何カ所か訪れて強く感じたのは、そこに入居している人たちの無気力な顔だった。そういう意味で、介護の中に入居者の話を聞く仕事を入れることは、ものすごく大事なことだという読後感をもった。

2012年7月30日月曜日

家について

・今まで何度引っ越しをしてきただろうか。荷物を段ボールに詰め、いらないものを捨て、新しいものを買う。空っぽになった家を後にして、新しい家に向かう。そのたびに、新たに住む家での生活を思い描き、去る家で過ごした月日を思い返してきた。過去と未来。しかし、今回の引っ越しは、今までとは違う、別の思いにとらわれた。

・すでに何度か書いたように、要介護認定を受けていた父の面倒を見ていた母が4月に脳出血で倒れ、二人そろって要介護の認定を受けるようになった。庭に畑を作って野菜を作っていた母には、家を離れるのは考えもしなかったことだった。しかし、日常生活がヘルパーの助けがあっても難しい状況になって、介護付き老人ホームに引っ越すことを受け入れざるをえなくなった。

・幸い、妹が住む家の近くで空きが見つかり、6月には引っ越しをすることができた。いつでも帰れるように家をそのままにしておくこともできたが、不用心なこと、手入れが面倒なことなどもあって売却することにした。そうなると、家財道具を処分しなければならないのだが、改めて見回してみて、比較的広い家に収まった家財道具の量に驚き、うんざりしてしまった。

・僕の親の世代は戦争を経験し、戦後の経済成長期に子供を育て、家を建てて現在に至っている。だから、不要なものでも捨てずにしまい込んでいる人が少なくない。パートナーの母が亡くなったときも、一人で生活するのに必要な量の何倍もの日用品がストックされているのに驚いたのだが、今回はそのまた何倍もの量だった。

・もう着なくなった服が、いくつもあるタンスやクローゼットにぎっしりと詰まっていて、これも複数ある食器棚には陶器やガラス器が並んでいる。何よりやっかいだったのは大型冷凍冷蔵庫と冷凍庫の中にびっちりと詰まった食料品をどう処分するかだった。点検すると賞味期限切れのものばかりで、持ち帰って食べようという気になるものは少なかった。だからその多くは、庭に穴を掘って埋めることにした。

・母は糠味噌や梅干しをはじめ、さまざまな保存食をつくって冷蔵庫で保存してきた。その中身も処分すると、ガラス瓶は100個ではすまない数になった。僕の家の冷蔵庫は1週間も経てばほとんどがら空きになる。で、買い物に行って満たすのだが、母の世代は、いつでも何でもあるようにしておかないと不安だったようだ。食糧難の時代に育った世代と飽食の世代の違いと言ったらいいのだろうか。僕はその冷蔵庫を開けるたびに、必要なものが奥に隠れて見つからないことに文句をつけていたのだが、母はいつでも、冷蔵庫からさっと取り出して見せた。

・片づけは何回にも分けて行ったのだが、家財道具が少しずつ減ってがらんとなっていく様子を見るうちに、両親が死んだわけでもないのに、二人の住んでいた痕跡がなくなっていくことに奇妙な違和感を持つようになった。終の棲家と思っていた両親には、家財を整理する気などまったくなかった。そして老人ホームに持って行けるものはごく限られていた。だから、衣食住に必要だったものは、そのほとんどを処分せざるをえなかった。

・本当なら両親が死んだ後にやることを生きているあいだにやる。核家族化と長寿が進んだ社会に新しく訪れた人生の最後段階。だとすれば、終の棲家にならない家の家財道具は必要最小限にしておくべきだろう。すっかり空っぽになった家の中を見回しながら、そんなことをつぶやいてしまった。

2012年7月23日月曜日

デモの勢い

・首相官邸前のデモが6月末から急激に増えて、毎週金曜日の夜には10万人を超える人が参加するようになった。増えたのは大飯原発の再稼働に対する抗議だったが、再稼働が強行されたあとも集まる人は増え続けている。大飯原発再稼働直前の6月29日のデモでは、Ustreamがヘリを飛ばして、上空からデモの様子を2時間ほど生中継をした。集まった人たちの多くはtwitterやfacebookの呼びかけに応じたもので、テレビや新聞は無視し続けてきたから、その中継は余計に印象深かった。

・デモの様子をヘリから伝えたのはタレントの山本太郎だった。そのことを事前に察知した警察の対応なのか、同日に彼の姉がマリファナの不法所持で逮捕されて、メディアが一斉に大きく報道した。大飯原発再稼働直前のデモの日に発表したというのは、明らかに作為的で、デモの勢いを抑えるつもりだったのかもしれないが、何の力にもならなかった。Ustreamの中継にはヘリを使う費用などに多くのカンパが寄せられたようだ。その後のデモでも、いくつものカメラを使った中継が続いているし、大飯原発前の抗議の様子も、再稼働の日に行われた「再稼働反対」の声を夜通し中継し続けた。

・このデモの勢いは7、8日の「NO NUKES2012」(幕張メッセ)の音楽フェス、そして16日の代々木公園での10万人集会と続き、主催者の予想を超えた17万人もの人が集まるほどに増している。炎天下の中を集まり、いくつかの方向に分かれて行進をしたようだ。中には福島や東北、あるいは関西からバスを連ねて参加したグループもあったという。老若男女、小さな子供を連れた家族など、反原発の意思表示をする人の多様さが、この主張の切実さを物語っている。

・メディアもさすがに無視するわけにはいかないと判断したのか、大きく取り上げ始めている。ただし代々木公園に隣接するNHKは相変わらず、小さな扱いのままである。あるいは、朝日新聞は鰻の記事の下に置いていて、一面とは言え、何だこれはという感想を持った。それは、大きな写真を一面トップに載せた東京新聞とは、きわめて対照的だった。

・メディアが取り上げなければ、どんな出来事もなかったかのように扱われる。メディア論ではつい最近まで、それがメディア批判の常套句として使われてきた。ところが、インターネットという新しいメディアが、そんな常識を打ち破った。メディアはそのことに脅威を感じ始めている。

・ツイッターは本来「つぶやき」ではなく「さえずり」だし、フェイスブックの標語は「今何してる」ではなく「今何が起こっている?」だ。そんなグローバル・スタンダードとは違って、日本ではツイッターは独り言をつぶやく場として普及し、フェイスブックは友達作りに便利な場として拡大してきた。その意味では、反原発の声が、二つのソーシャル・メディアを文字通り「社会的」なものにし始めていると言えるのかもしれない。

・政府は原発の再稼働という方針を変えようとしないし、やらせまがいの原発聴取会で将来の方針を決めようとしている。首相はデモについて「大きな音」といって無視しようとしているし、反原発の声が一時の感情的な高まりに過ぎないとでも言いたげな発言をくり返している。日本の現状や未来を経済の観点から考えれば、すべての原発を即廃炉にすることなどはできないという理屈だ。

・脱原発の声は確かに感情的かもしれない。しかしその感情は人間の命や健康、そして環境の汚染を第一に考えるべきという「倫理観」に基づいて生まれたもので、ドイツのメルケル首相が脱原発宣言をしたときの第一の理由に一致している。他方で、経済を第一に考える人たちが主張するのは、おなじ「かんじょう」でも「金勘定」にすぎない。それを声高に言う人やその背後には、既得権や利権故に現状を変えたくないという思惑が見え隠れする。

・だから、このデモの勢いは、政府や国会、そして官庁が方向転換の必要性を実感するまで持続させなければならないと思う。もうすぐ夏休みだから、ぼくも現場に出かけて、その行進の中に入りこみたいと思っている。アジサイには間に合わないがヒマワリかコスモスの頃には、原発ゼロを目指す方針を認めさせたいものである。

2012年7月16日月曜日

最近買ったCD


Madonna"MDNA"
Bruce Springsteen”Wrecking Ball”
Patti Smith "Banga"
Neil Young "Americana"

・新しいアルバムが出たらほとんど買うというミュージシャンは30人(組)ぐらいだろうか。多くは僕と同世代で、それぞれが出すのは数年間隔なのだが、これが毎年結構な数になる。時にはがっかりと言うこともあるが、それは例外的で、多くは納得がいく。そんなミュージシャンたちのアルバムが今年も半年を過ぎていくつかたまった

madonna4.jpg・マドンナの"MDNA"は4年ぶりのアルバムだ。下着姿だった前作の"Hard Candy"に比べて、今回のジャケットは透けたブラインドガラス越しで、真っ赤な口紅が目立っている。ワールドツアーもやっていて、イスタンブールではコンサートの最中に乳首を出したなんてニュースもあった。YouTubeにはそのシーンがあって、乳首よりは鍛えたからだで腹筋が割れているのに今更ながら驚いた。背中には"No Fear"の文字。相変わらずの元気さだが、アルバムそのものは。サウンド的にはいつもに比べて新鮮さに欠ける気もしたし、歌詞についても素直なラブソングのようで、おもしろいものが少なかった。

bruce5.jpg ・スプリングスティーンの”Wrecking Ball”は3年ぶりのアルバムで、Eストリート・バンドのリーダーだったクラレンス・クレモンズが死んだ直後に録音が開始されたようだ。収録曲の多くはアルバムで発売される前からコンサートでは歌われていたようで、2年以上前のNY City Liveではクラレンス・クレモンズも元気にステージに立っている。その"Land of Hope and Dream"を聴いていると、彼の変わらない、一貫した姿勢とメッセージがよくわかる気がした。


この列車には聖者も罪人も乗っている
敗者も勝利者も運んでいる
失われた魂、報われた信念
夢はくじけず、自由の鐘が鳴る

patti6.jpg ・パティ・スミスの"Banga"は8年ぶりのアルバムのようだ。意外な気がしたのは、前作の"Trampin"の後に、他のミュージシャンの歌を集めた"twelve"やシングル盤を集めた"Outside Society"を出していたからだ。"Fuji-san"という曲があって、アルバムについて自分で説明しているビデオ"Patti Smith BANGA New Album Release"では、地震と原発事故にショックを受けて作ったと話している。フジロックに何度も来ているから、このタイトルにしたのかもしれないが、彼女には特別の山として記憶されているようだ。録音には娘と息子が参加していて、エイミー・ワインハウスを追悼する歌、ジョニー・デップの誕生日を祝う歌もある。最後はニール・ヤングの"After the Gold Rush"。どの曲も静かにじっくり歌っていて、鎮魂歌のように、また子守歌のように聞こえてくる。

neil1.jpg ・そのニール・ヤングの"Americana"は「オースザンナ」や「我が祖国」といったアメリカの伝統曲ばかりを集めている。どういう理由か、最後は「ゴッド・セイブ・ザ・クイーン」だ。アメリカへの原点帰りということだろうか。ニールはカナダ人だが、音楽的なアイデンティティはアメリカにある。そんな宣言のアルバムなのかもしれないと思った。ただし、クレージー・ホースをバックにしてロックしているから、よく聞かないと原曲が何かわからないものもある。ここのところ駄作が多くて買おうかどうか迷ったが、まーいーか、という程度にはしあがっている。

・P.S.エディ・ベダーの"Society"は本当にいい歌で、運転中もしょっちゅう聴いている。その歌をYouTubeでジョニー・デップと一緒にやっているのを見つけた。

2012年7月9日月曜日

久しぶりにMLB


・メジャーリーグについては、このブログを始めたときから何度も書いてきた。そもそも、インターネットを使えるようになって自前のホームページを立ち上げたきっかけの一つは、猛烈なバッシングの中をメジャーリーグに飛び込んだ、野茂投手について発言したいと思ったからだった。ところが、もうずいぶん長い間、何も書いていない。理由は一つ、マネー・ゲームばかりが賑やかで、ゲーム自体がおもしろくないからだ。

・今年テキサスと契約したダルビッシュについて動いたお金は、交渉権が5170万ドル(40億円)で、契約金は6年で6000万ドル(46億円)だった。この金額は松坂がボストンと交わした契約金を超えて、日本人メジャーリーガーとしては史上最高で、ストーブリーグでは、そのことが大きな話題になっていた。もう、総額1億ドルなんて数字を見ても驚かないが、原点に戻って見ると、異常さがはっきりする。

・野茂投手は1995年にメジャー入りして、その年の新人王に選ばれたが、彼はマイナー契約でわずか11万ドル(当時のレートで1300万円)だった。そこからメジャーに12年在籍して123勝をあげたのだが、おそらく、彼が手にした年俸の総額はダルビッシュや松坂が契約時に手にした金額より少なかったのではないかと思う。その松坂は昨年肘の手術をして、今は復帰に苦労をしているところだ。今年は契約の最終年度だが、これまでの勝ち星は野茂の半分にも満たない49でしかない。

・一方でイチローや松井は日本での実績に違わぬ活躍をした。ただし二人とも衰えが著しくて、イチローはヒットが打てなくなっているし、松井は契約自体がリーグが始まって1ヶ月経ってからで、打率は1割台を低迷している。松井の今年の年俸は最高でも60万ドル程度で、ヤンキース時代の20分の1にでしかないが、彼がメジャーで稼いだ額はすでに8000万ドルを超えている。イチローはもちろんそれ以上で、すでに1億5000万ドル以上になっている。ただし彼も今年が契約の最終年だから、来年度はがた落ちか、下手をすると契約するのに苦労するということになるのかもしれない。

・こんなにお金にこだわるのは、そのことを考えると、試合を見ること自体がばからしくなるからだ。たとえば、イチローが200本以上のヒットを打ったときも、ヒット1本に換算すると800万円になったし、松坂だったら現在のところ、1勝が1億円の計算にもなる。もちろん、サッカー選手なら1本のシュートが何億円にもなるわけだが、こんなに高騰したスポーツ選手の年俸に賞賛の声しか上げないスポーツ・メディアの姿勢は、それをただ増幅させることだけだ。

・とは言え、メジャーリーグの情報はネットでチェックはしている。今年メジャーリーグに在籍している選手は、マイナー所属も含めて20人ほどもいる。けが人も多いし、評価されずに試合に出られない人やマイナーに降格されたままの人や、契約解除された選手も少なくない。人数の割に日本人選手は目立たないが、テストまでされて安い年俸で契約した青木の活躍や、地味だけど実績を積んでいる黒田などもいる。

・ついでに言えば、巨額のお金が動くのは人気プロスポーツのグローバル化が最大の理由だが、それは一般の企業でも同様だ。トップばかりが収入を増やしている現象については、格差社会のアメリカでも、最近の極端さには大きな批判が上がって、ウォール街をデモする若者たちが話題になったりもした。日産のカルロス・ゴーンの10億円は別格かもしれないが、日本でも格差が当たり前になる時代はそう先のことではないだろう。

・一方で、消費税は上げても、高額所得者の税負担を重くする税の改革は見送られた。日本の所得税は1987年までは最高税率が70%だったのに、現在では40%に引き下げられている。土地や株式の譲渡所得などには分離課税が適用されるから、実質的には100億円の収入があっても十数%の税で済んだりもするようだ。個人所得を個人の能力として考えれば、その数字を問題にするのはわからないでもない。だとすれば、名誉として、その所得のほとんどが社会に還元されてもいいのではないかと思う。どんなに稼いでも、そのお金をあの世まで持っていくことはできないのである。

2012年7月2日月曜日

やっぱりアンテナを立てようか

 

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・地デジのBS放送を止められてから4ヶ月が過ぎた。もともとそれほど見ていなかったから、特に不便に感じることはないのだが、BSでは夕飯時にも韓流や昔のドラマ、あるいはテレビショッピングなどをやっていて、ニュース番組がほとんどないから、「もうちょっと、ましな番組をやってくれよ」とつぶやくことが多くなった。NHKもプロ野球の中継が増えて、NTTの光テレビを見ることが多くなった。しかし、旅や料理の番組ももう飽きてきたし、見たい映画も、そうあるものではない。

・前回のこのコラムで紹介した隣の手作りログハウスが完成して、屋根には地デジ用のアンテナも立った。その隣人に「ここは電波が届きにくい所ですよ」と言ったら、映るようだという返事だった。近くでも、アンテナを立てて見ているところがあるらしい。その話を聞いて、「地デジなんか見なくたっていい」と思っていた気持ちが揺らいだ。

・実はずいぶん前から高性能の地デジ用アンテナをネットで調べていて、立てる可能性は探っていた。難視聴地域だからBSで見られるよう、総務省の係の人と交渉したときでも、アンテナを立てて見ている家があることを聞いていたからだ。で、アンテナを買うことにしたのだが、一番の理由は、総理官邸前で毎週金曜日におこなわれているデモをNHKが全く報じないという「さえずり」をツイッターで聞いたからだった。

・29日のデモの様子はUstreamでライブ中継されたし、山本太郎の乗ったヘリコプターが二度、録画した上空からの様子を40分ずつ放映した。官邸から国会議事堂にかけて多数の人が集まっていて、その光景は圧倒的で、主催者発表では15万人、新聞によっては20万人と書いてあるところもあった。テレビは臨時ニュースを、新聞は号外を出してもいい出来事のはずだが、どうだったのだろうか。確認できないことがちょっともどかしかった。

・アンテナは28日に届いて、さっそく屋根に取りつけたのだが、残念ながら何も映らなかった。ネットで調べると、電波が微弱な場合にはブースターが必要だと書いてあった。我が家にはVHFのアンテナにブースターをつけてあって、それとつないだ同軸ケーブルを使ったのだが、デジタルの電波を増幅してくれなかったようだ。それではと、またアマゾンでブースターを注文することにした。

・ブースターの設置場所はバルコニーの下にある。傾斜のきつい屋根伝いに二階に上がり、またバルコニーの下に潜り込んでの作業のくり返しで、それほど暑くはないのに汗びっしょりをかいての作業になった。何度か受信スキャンをくり返して、映ることは確認できたのだが、NHK2局と民放2局の全部が入らない。3局入ったところで、日も暮れたのであきらめたが、ネットで確認すると、アンテナ近くにさらに小型のブースターをつけると、もうちょっとパワー・アップすることがわかった。

・結局何とか4チャンネルの受信に成功した。たまたま雨雲が厚く覆っていて、BSもCSも映らなかったから、日曜日は、久しぶりに地デジを多く見ることになった。4ヶ月ぶりだから懐かしい気もしたが、夜はやっぱり、Ustreamの大飯原発前からのライブに釘付けになった。ここ数日の経験が、こういう現場を生中継できないテレビのどうしようもなさを改めて実感する機会だったのは、何とも皮肉なことだと思った。