2012年10月15日月曜日

社会や政治を変えることは可能なのか

孫崎享『戦後史の正体』創元社
小熊英二『社会を変えるには』(講談社現代新書

・3.11以降、政治の動きやメディアの対応について、その裏側が見えるようになり、一つの動きやそれに関わる情報操作が、どんな力によって、どんな意図のもとに行われているのかがわかりやすくなった。たとえば原発の廃止という国民の世論に対して反対するのは電力会社はもちろん財界もだが、アメリカや英仏も即座に反応したようだ。しかし、そのようなニュースは、実は、欧米という虎の威を借りた日本の狐が発信源だったりして、しかも、メディアはそんな意図など関係ないかのように、無批判に垂れ流してしまっている。そんな仕組みが露呈されているのになお、同じことをくり返す政治やメディアの現状は一体どうすれば変えることができるのだろうか。

magosaki.jpg ・孫崎享の『戦後史の正体』は最近のベストセラーで、戦後史の裏側を政治家や官僚の回顧録や公文書を読み解きながら暴露した内容になっている。おそらく3.11以前ならば、一つの裏話として読まれたのかもしれないが、現在の状況と照らし合わせると、きわめて説得力のある政治史として読むことができる。

・第二次世界大戦に敗北した日本は、連合国に対する無条件降伏とアメリカによる占領政策によって戦後の時代を歩き始めた。憲法はもちろん、何から何までがアメリカの意向によって決められ、それに逆らったり抵抗したりすれば、政治家は公職追放になり、また何らかの罪をきせられて投獄されたりもした。戦後の日本の政治は、「アメリカ追随」と「自主」という二つの路線を巡って争われ、そこにアメリカが時に正面から、そしてまた時には裏面から介在して圧力をかけて操ってきた。この本が主張しているのは何よりその点にある。

・たとえば、そのような視点から歴代の首相が行ってきた政策や人物に対する評価を見直すと、世に言われてきたものとはずいぶん違った解釈ができるようになる。汚職や醜聞で失脚したり、無能だと酷評された政治家には例外なく、アメリカの意にそぐわない発言や行動をしたという共通性があるからだ。そのことは陸山会事件で起訴された小沢一郎や、普天間基地を巡って迷走した鳩山元首相まで一貫したことである。

・アメリカの力という点では、自衛隊や米軍基地はもちろん、領土問題や原発政策でも同様だ。ポツダム宣言で日本の主権が認められた領土は北海道、本州、四国、九州と連合国が認めた諸小島だが、アメリカはソ連の参戦を促すために国後、択捉の領有を認めておきながら、戦後になると日本に対してそれらを「北方領土」としてソ連に返還要求をするよう圧力をかけたようだ。同様のことは尖閣諸島についても行われていて、孫崎は、アメリカのそのような政策を、日本がソ連や中国と対立して、独自の外交を行わせないようにするためだったと解釈している。


oguma.jpg ・戦後の日本は、そのアメリカの占領政策によって、「自由」と「民主主義」を教えられた。急速に経済成長を成し遂げるきっかけも朝鮮戦争だった。小熊英二の『社会を変えるには』は、3.11以降に顕在化したさまざまな問題について、多くの人びとがその対応を政治家や官僚には任せておけないと感じ始めたこと、マスメディアを無批判に信用してはいけないと気づき始めたこと、そして、デモという直接行動やソーシャル・メディアを使った発言にその解決策を見つけ出したことなどを出発点にして、「社会を変える」方策を探ろうとしたものである。

・この社会を変えるためには、やはり、現在の社会がどのような道筋を通って現在に至ったのかを知らなければならない。この本はそのことを「工業化社会」から「ポスト工業化社会」に変わってきた日本の現況と、その過程の中で、国の政策に反対し、抵抗してきた社会運動の歴史を振り返ることから始めている。そして、「自由」と「民主主義」あるいはそれを具体化する「代議院制度」について、ギリシャまでさかのぼり、近代化の中で重要な役割を果たした多くの思想や哲学に触れながら、これから取るべき方向性を探ろうとしている。

・日本人にとって「自由」や「民主主義」は自らの手で勝ち得たものではなく、天から降るようにして与えられたものである。だから選挙で投票して政党や議員を選び、その代表者たちに政治を任せることを「民主主義」の唯一の方法だと思い込んできた。しかし、そのようなシステムでは、自分の意見が反映されないし、任せておけないと多くの人が感じるほどに不安感や不信感が蔓延するようになった。

・そんな思いをどのようにして具体化していくか。小熊は「自分がないがしろにされている」という実感から出発することが大事だという。それは個々さまざまに現れて、時に差別意識や嫉妬心を増長させて、特定の人びとへの攻撃に向かう危険性を持っているが、「原発問題」には大きな「われわれ」意識となって、国を動かす力になる可能性がある。そのことは今年の夏を頂点に、東京だけでなく全国で起こった反原発デモで垣間見ることができたことである。この運動をどのように持続させ、もっと大きな「われわれ」意識にしていくか。

・やり方はいろいろであっていいし、主張もいろいろであっていい。「『デモをやって何が変わるのか』という問いに『デモができる社会が作れる』と答えた人がいましたが、それはある意味で至言です。『対話して何が変わるのか』といえば、対話ができる社会、対話ができる関係が作れます。『参加して何が変わるのか』といえば、参加できる社会、参加できる自分が生まれます。」(pp.516-517)

2012年10月8日月曜日

「イッテQマッターホルン」


imoto.jpg・夜の地上波はタレントを集めて馬鹿なことをやる番組ばかりで全く見る気がしないが、一つ、というよりは一人だけ、気になるタレントが出る番組がある。だからその番組の、そのタレントが出るところだけ見ようと思うのだが、早すぎたり、遅すぎたりして、見逃すことが多い。今回は特番で、3時間の後半部分だったから、すべてを見ることができた。とは言え、事前に知っていたわけではなく、たまたまつけたらやっていたのである。

・番組名は「「イッテQマッターホルン」 で、お目当てのタレントはイモトアヤコである。平板な顔に太いつけまつげをつけ、女子高生のセーラー服姿で世界中を飛び回って、危ないことや恥ずかしいことをやらされる。そんな役回りだが、見ていて最初に感心したのは、5000mを超えるアフリカ最高峰のキリマンジェロの登頂に成功した時だった。その後彼女はモンブランに登り、アンデス山脈のアコンカグアに挑戦して、今回のマッターフォルンとなった。いずれも番組の特番として放送されたものだが、アコンカグアとモンブランは見逃している。

imoto2.jpg・実は、彼女のスイス出発は、僕が出かけた二日後だった。だから番組で映るマッターフォルンは、僕が現地で見たのと同じ日だったりもした。僕はマッターフォルンの回りを3日間、東から西にかけて半周ほどしたから、マッターフォルンの美しさを方向を変え、時間を変えて見ることができたが、同時に、登ることがいかにきつく危ないことかもよくわかった。フォルンとは角のことだが、名前の通り角のように突ったっていて、もっとも一般的な登坂ルートでも、刃先のように尖ったところを登るのである。

・番組自体はおふざけ半分で、ちょうど僕が歩いた道に大樽の風呂を4つおいて、森三中とイモトがそれぞれ入るといった場面を入れたりもした。マッターフォルンを背景にした即席の露天風呂のためだけに森三中をスイスに連れて行ったりするのが、バラエティ番組のどうしようもないところだと思うのだが、そんなシーンがなければ視聴者は本当に退屈してしまうのだろうか。だとすれば、登山をなめた番組作りだというほかはない。

・とは言え、登山計画自体は当然だが、きわめて慎重で、準備も念入りだった。事前に別の二つの山でトレーニングをやって、イモトアヤコがマッターフォルンに登れるかどうかを現地のガイドに判断してもらっていて、番組はその様子にかなりの時間を割いていた。その期間のスイスは観測史上最高という暑さで、リュックに詰めたセーターなども、ほとんど使わずじまいだったが、僕の旅が終わりになる頃には天気が崩れはじめて、マッターフォルンには雪が降って岩壁にへばりついたようだった。

・登山は条件次第で予定を変更したり、キャンセルしたりすることがよくある。だからこの番組のクルーも足止めを食って、登頂は9月に入ってからになってしまったようだ。訓練のきつさや、待たされている間に感じる不安などがイモトの様子からもよくわかった。時におどけ、時に真顔になる。そんな様子はNHKが得意にするドキュメントタッチの登頂番組とは違って、素人でもわかり共感することができた。

・そんなことを思いながら感じたのはイモトアヤコというパーソナリティのユニークさと、うまく成長すれば日本を代表するアルピニストにもなれるのではないかという期待だった。今山歩きをすると、「山ガール」で溢れている。悪い気はしないが、山をよく知り楽しむ術を身につけた人として続けるのだろうかと疑問に思うこともある。一時の流行ではなく、レジャーの一ジャンルとして定着するのは、彼女の今後の成長次第かもしれないなどとも思ってしまった。

2012年10月1日月曜日

傑作2枚


Bob Dylan ”Tempest”
Ry Cooder "Election Special"

dylan12.jpg・ディランの新しいアルバムが出た。2009年のクリスマス・ソング以来で3年ぶりだが、このコラムでは今年もトリビュート・アルバムについて取り上げているから、それほど久しぶりだと思わなかった。デビュー50周年で71歳になるのにコンサート・ツアーもこなしていて、その精力的な活動には驚くばかりだ。しかも、このアルバムが、アメリカはもちろん世界中で大絶賛されている。

・タイトルは"Tempest"だから大嵐とか大騒ぎといった意味になる。アルバム・タイトルになった曲は沈没したタイタニック号の物語を14分もの長さで語っている。もっとも語っているのはこの歌に登場する「彼女」である。アルバムの収められた曲にはこのほかにも、物語風に仕立てられたものが多い。最後の"Rll on John"(急げジョン)はジョン・レノンを語っている。


急げジョン、雨や雪にめげずに進め
右手の道を取って水牛が集まるところに行け
君が気づく前に奴らは待ち伏せして罠を仕掛けるだろう
今となっては家に引き返すには遅すぎる  "Roll on John"

・今年ディランはオバマ大統領から「大統領自由勲章」を授与された。その様子はyouTubeで見ることができる。オバマはディランが「音楽に社会意識を与え、次に続く道を切り開いたこと」を讃え、現在もなお精力的に活動していて、自分も大ファンであると語っている。ディランは例によってサングラスで無表情だが、居心地が悪いというふうでもない。こんな場にもすっかりなれてしまったせいだろうか。

・彼はすでにオスカーもピューリッツアも受賞しているし、名誉博士号もいくつもの大学から授与されている。フランスの文化勲章。スウェーデンのポピュラー音楽賞と外国でもらったものも少なくない。後残るのはノーベル賞ぐらいで、これも以前から何度も話題になっている。しかも、彼の活躍は21世紀に入ってからも衰えていない。前作の"Together through Life" は初登場で米英で1位を記録したし、その前の"Modern Times" は200万枚を超える売り上げだ。おそらく、今度のアルバムも売れるだろうと思うが、日本ではいつでもほとんど話題にならない。

ry8.jpg ・もう一枚はライ・クーダーの "Election Special"(選挙特集)だ。全曲、11月に行われるアメリカ大統領選挙に向けて、共和党候補のロムニーを批判し、現職のオバマ大統領を再選すべきだというメッセージが込められている。たとえば、1曲目の "Mutt Romney Blues" はロムニー候補がケージに入れた愛犬を自分の車の屋根に縛りつけて12時間も走り、動物愛護団体から非難されているといった内容だ。

・ほかにも昨年大騒ぎになった「ウォール街を占拠せよ」を応援する "Wall Street Part of Town" 、アフガニスタンで捕らえられた捕虜が送られる「グァンタナモ基地」のひどさを歌った "Guantanamo" などなど、共和党批判に溢れている。とは言え、曲自体はバラエティに富んだアレンジをしているし、ギターさばきもいつもながらすばらしい。

・この2枚のアルバムを聴いていて思ったのは、いつもながら、ポピュラー音楽がもちうる力のことだった。で、やっぱりつづいて思うのは、他のポピュラー文化に比較して、日本の音楽状況がなんと貧弱なことかということだ。映画や文学やアニメではかなりのレベルのものが作られているのに、音楽はくずばかり。もうとっくにあきらめて見捨てているが、しかし、なぜそうなのかを考える価値はあるのだろうと思う。

2012年9月24日月曜日

選挙は悪夢の選択

 ・民主党の代表選で野田首相が再選された。自民党の総裁選ももうすぐ結果が出る。いつ行われるのかわからないが、次の衆議院選では自民党が第一党になって政権を取り返すだろうと言われている。それを見越してなのか、テレビ局はどこも、総裁選に多くの時間を割いて、候補者に熱弁を振るわせていた。尖閣諸島の問題で中国各地で大規模なデモが続いて、候補者の主張はもっぱらナショナリズムを煽ることに終始して、原発については全員何も言わなかった。

・一方で民主党は、30年代に原発ゼロの方針を出しながら、もんじゅは研究炉として継続とか、建設中の大間や東通は完成させるといったつじつまの合わない方針を出し、しかも経団連の会長に噛みつかれると途端にトーンダウンさせたりして迷走状態をくり返している。もういい加減にしろと言いたくなるが、しかし、自民党政権になったら、原発ゼロは撤回されてしまうから、それはそれで許してはいけないことだと思っている。

・マスコミは、だったらいっそ「維新」にという空気にも荷担している。ここには確かに、新鮮さや威勢の良さはあるのかもしれない。けれども、政策にしても候補者にしても、にわか仕立てだし、既成の政治家との結びつきを模索して駆け引きばかりやっているから、うさんくささばかりが目立っている。

・こんな状況だから、野田首相は衆議院の解散を「近いうちに」ではなく、任期切れまで引き延ばすのだろうと思う。何しろ約束をした谷垣総理が引きずり下ろされたのだから、約束をチャラにしたって文句を言われる筋合いはなくなったのである。日本の現実や将来のことをそっちのけにして、目先の権力闘争に明け暮れている様子を見ていると、暗澹たる思いに駆られてしまう。もう絶望するしかないのかもしれないが、それでもなお、少しだけましな方向を冷静に考える必要はあるだろう。それはつまり、言ってみれば「悪夢の選択」ということだ。


人生は、いわば悪夢の選択の連続である。私たちは、いくつかの選択可能な悪夢のうちから、せめて選択の余地があることに感謝しながら、いくらかでもましな悪夢を選んで、その中で生きてゆくほかはない。(井上俊『悪夢の選択』筑摩書房)

・中国で起きている大規模な反日デモの発端は石原東京都知事がアメリカでぶち上げた「尖閣を東京都が購入する」という発言だった。一体この騒ぎがどれほどの被害を及ぼしているのか、これからどんな方向に進むのか。おそらく知事は、こんな事態を予測していたわけではないだろうと思う。ところが、反省するどころか、ますますボルテージを上げて中国を批判するばかりだ。そして、彼を批判する人はあまりいないし、メディアも責任についてなどほとんど話題にしない。

・総裁選に立候補している知事の息子の石原伸晃は福島第一原発のことを「第一サティアン」と口走って失笑を買った。言い間違いだと弁明したが、はじめてではなかったようで、親が親なら子も子だなと、呆れてうんざりしてしまう。ただし、こんな人たちがもっと権力を握ったらどうなるのかと考えると、空恐ろしい気持ちになってくる。せめて「悪夢の選択」ができるうちはまだましかと考えると、迷走状態でぼろぼろの民主党に、何とかせよと叱咤激励するほかはないのかと思い始めている。

・脱原発は経済より既得権より、倫理として勧める必要がある。そんなことを明確に主張する政治家や政党が出てくることが望めないのならば、少しでもその方向性を示しているところを支持するほかはない。いくらかでもましな悪夢の選択のために。

2012年9月17日月曜日

「レジャー・スタディーズとツーリズム」

・後期から特別企画講義が始まります。タイトルは「レジャー・スタディーズとツーリズム」で1月まで14回、毎回ゲストを招いて講義をしていただく予定です。一般に公開された講義ですから、興味のある方は参加してほしいと思います。

*毎週火曜日五限(16:20〜17:50)教室(E101)

[講義予定]

1 (09/25) 「レジャー・スタディーズとは何か」(薗田碩哉)
2 (10/02) 「レジャーとツーリズム」(加藤裕康)
3 (10/09) 「音楽ツーリズム」(宮入恭平)
4 (10/16) 「19世紀のロンドンと音楽」(吉成順)
5 (10/23) 「ストリートとロック・フェス、そしてレイブ」(佐藤生実)
6 (10/30) 「映画とシンガポール」(盛田茂)
7 (11/06) 「東南アジアとエコツーリズム」(川又実)
8 (11/13) 「エンパワーメントとしての観光―ニュージーランド・マオリの事例から」(深山直子)
9 (11/20) 「レジャーとしてのお笑い」(瀬沼文彰)
10 (11/27) 「修学旅行の社会史」(三浦倫正)
11 (12/04) 「レジャーとカルチュラル・スタディーズ」(小澤孝人)
12 (12/11) 「世界を歩く」(太田拓野 )
13 (12/18) 「クール・ジャパンとコンテンツ・ツーリズム」(増淵敏之)
14 (01/08) 「レジャー・スタディーズの可能性」(宮入恭平)

・レジャー・スタディーズは日本では余暇研究という名で行われてきた分野です。それをわざわざ英語名にしたのは、「レジャー」が必ずしも「余暇」に限定されない、「自由」や「自発性」を持ったことばであるからです。その本来の意味に帰って「レジャー」を見つめ直すことが、今回の講義の最大のポイントになります。

・「ツーリズム(観光)」は「レジャー」の主要な要素で、近年では、いわゆる観光地への団体旅行だけでなく、多様な形態が現れてきています。それは音楽との関係であったり、映画とつながりがあったり、あるいはスポーツやエンターテインメント、さらには医療、そしてボランティアであったりするようです。そんな多様な旅のあり方について、その魅力や問題点をそれぞれのゲストの方に話していただく予定です。

・最近の大学生は内向き志向だと言われています。あるいは、大学に入る前から就職のことばかりを気にしていて、その役に立たないことには関心を示さない傾向も指摘されています。そんな視野の狭さを打ち破って、世界や自分の将来について広く深く考える場になればと思ってこの講義を企画しました。

・なお、教室(E101)は正門からまっすぐ歩いて一番奥にある5号館の1階です。

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2012年9月10日月曜日

夏の終わりに

 

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・今年の夏は河口湖もいつになく暑かった。それでも、東京の猛暑にうんざりして帰ると、冷気を感じてほっとした。なにしろ大学の夏休みは高校はもちろん、中学や小学校よりも遅い。前期15回の授業を必ずやれという文科省の指導で、祭日を返上してもなお、夏休みは八月第一週までおあずけになった。

forest102-3.jpg・それに、老人ホームに引っ越した後の家を売りに出すために、家財道具の処分をする作業にも追われた。ものをため込む世代とは言え、処分しなければならないものは膨大な量で、それは冷凍冷蔵庫の中身一つとっても、何日もかかるものだった。とは言え、何もなくなった家は、ほんの少し前まであった生活の記憶すら不確かにする。両親はここに50年近く住んでいたのにである。


forest102-2.jpg・7月最後の日曜日に「国会大包囲」デモがあって参加した。この日も暑い一日だったが、集合場所の日比谷公園に集まった人の数はものすごくて、新橋方面に向かう行進が延々と続いた。東京電力本社前から経済産業前を通って日比谷公園まで戻り、そこからまた議事堂まで歩いたのだが、警察の規制が厳しくて、人びとが議事堂正門前の歩道にひしめくことになった。「病人が出るから道路を解放しろ!」といった訴えもあって、夕闇が迫る頃になってやっと、国会前の道路に人びとがあふれ出た。これだけの人が原発の廃止を訴えているのに、政府は目をそらせ耳をふさぐばかりだ。

forest102-4.jpg・8月の後半はマッターホルンやユングフラウの周辺をトレッキングするツアーに参加した。その準備に、毎週のように山歩きをし、発汗性のいい綿ではなく化繊のTシャツ、ポロシャツ、ズボン、それに毛糸の靴下などを買った。綿信奉者で化繊など買ったことがなかったが、山歩きでは確かに、軽くてすぐに乾く化繊がいいことを実感した。ただし、スイスは寒いからと持って行った厚手のセーターや靴下、帽子などは、一度も使わずじまいだった。ところが一週間後にスイスから届いたメールには、泊まった山小屋に雪が降ったと書かれていた。暑かったのはたまたまだったことを改めて、理解した。

forest102-5.jpg・家を離れたのが10日間だったから、帰っても時差に悩むこともなかった。しかし、毎日10kmも歩いたのに、体重が2kgも増えたのには驚いた。ビールかな、チーズかもと犯人捜しをしたが、量が多いのにがんばって完食を続けた結果で、要は食べる量が多かったのである。で、自転車で河口湖や西湖に出かけているし、腐って不安定になった庭への階段も作り直した。暑さもおさまってきたので、そろそろ周辺の山歩きも再開しようと思っている。今度の経験で、今まで以上にあちこち歩き回ることが楽しみになってきた。

2012年9月3日月曜日

世界遺産は何のため


佐滝剛弘『「世界遺産」の真実』祥伝社新書
ジョン・アーリ『観光のまなざし』法政大学出版局

・富士山を世界文化遺産にしようとする動きが本格化してきた。地元には反対もあるが。官民こぞって賛成という空気である。富士山はもともと世界自然遺産候補として話題になったことがある。それが頓挫した理由は、ふさわしくない建築物やゴミのせいだと言われている。だったら「自然」ではなく「文化」で行こうというのだが、富士山を文化遺産にすると言うのは、何か今一つぴんとこない、こじつけのように感じている。

journal1-154-1.jpg・佐滝剛弘の『「世界遺産」の真実』には、富士山が自然遺産にならなかったのは、ゴミのせいではなくて、富士山そのものが世界自然遺産として認められなかったからだと書いてあった。確かに、日本人にとって富士山は国土を象徴する山だが、世界には富士山と同じような形で、もっと高い山がいくつもあって、けっして珍しいものではない。だから、日本自然遺産のトップにはなっても世界と名をつけるのは難しいというのはもっともな話だと思った。

・とは言え、富士山は世界的にも有名で、外国からも大勢の観光客が訪れている。それなのになぜ、「世界遺産」にしなければならないのか。ニュースから聞こえてくるのは、観光地としてさらに活性化をさせたいという声が圧倒的に多い。つまり「世界遺産」になる目的は、世界一級の観光地としてお墨付きをもらうという一点にあるのだが、この本でも強く指摘されているように、ユネスコが「世界遺産」の認定を始めた理由を考えると、その変質ぶりには、首をかしげたくなる気がしてくる。

・世界遺産の登録は1978年のイエローストーン公園やガラパゴス諸島などが最初で、日本では1993年に屋久島、姫路城、法隆寺、そして白神山地が登録された。現在認められている世界遺産の数は962で、この条約を締結している国は189に及んでいる。文化遺産が圧倒的に多いこと(77%)、ヨーロッパに偏っていることなどの問題が指摘されていて、その改善に力を入れているようだ。

・この本によれば、一度認定されても、景観が変えられたり環境が悪化したりして取り消された事例があるようだ。住民にとって必要な建物や橋を作れなくなる。遺跡として認められたものの維持に多額の費用が必要になるなど、理由はいろいろあるようだ。確かに世界遺産として認定された状態を維持することは、その主旨から言って重要なことだろう。けれども、遺産として長く維持しようと思ったら、住んでいる人たちの都合や要望とある程度折り合いをつけて行くことは必要だろうし、維持するのにはお金や労力が必要なのだから、遺産としての価値があって、それができないところにこそ、積極的な認定と支援をすべきなのではと思う。

・「世界遺産」の認定がその理念とは異なって、観光地としてのステイタスに使われるようになったことは間違いない。日本における認定の運動には特にその傾向が強いが、富士山を文化遺産にという運動には、その性格が顕著だと言える。これでは一体何のための世界遺産かということになるのだが、それはまた、世界遺産の認定がツーリズムの大衆化、グローバル化と時期を同じくして盛んになったことに大きな理由がある。

journal1-154-2.jpg・ジョン・アーリの『観光のまなざし』によれば、イギリスにおける観光産業が大きく成長したのは80年代以降で、その特徴が「記号の消費」にあるということだ。世界的に無比のもの、特別なもの、典型的なものが記号として特化され、訪れてまなざしを向けたい対象として強調される。その仕組みは観光産業とマス・メディアによる合作だが、その戦略にとってユネスコの「世界遺産」認定が、きわめて好都合な材料であったことは間違いない。

訪れてみたい、経験してみたいと思わせるには、イマジネーションをかき立てる記号化が不可欠だ。大衆ツーリズムの歴史は観光産業がマスメディアと連携して、そのイマジネーション自体を次々と作り出して魅力的な商品に仕立て上げてきたプロセスだと言っていい。ユネスコの「世界遺産」は、自ら意図していようといまいと、その流れに大きな役割を果たしてきたことは間違いない。