2013年9月30日月曜日

メジャーリーグと日本人選手

・今年のメジャーリーグはなかなかおもしろかった。黒田、岩隈、ダルビッシュが好調で、3人そろって自責点のトップ5に入ったりしたから、先発の日には結果が気になった。レッドソックスでは田沢と上原がゲームの締めくくりにつかわれるようになったし、ブリュワーズの1番に定着した青木の奮闘ぶりなど、毎日チェックする選手の数が多かった。

・特に注目したのは岩隈と上原だ。二人とも剛速球を投げるわけではない。ストライク先行でバッターを追い込んで、フライやゴロで討ち取る。それに案外三線も多い。見ていて、なぜ打たれないのか不思議に思うほど、どうと言うことのないボールなのに、バッターは空振りしたり、打っても内野フライかゴロ。へえー、すごい!と感心するけど、何試合見ても、打たれない理由がわからないほどだった。

・他方でダルビッシュは力でねじ伏せる投球を見せる時もあれば、フォアボールを連発して長打を打たれることもあって、こちらは以前の松坂を見ているのと同じだった。たまに勢いがあるのは岩熊や上原にはないもので、力があることはすぐわかるのだが、メンタル面がすぐに投球に現れるから、見ていられなくなって辞めてしまうことも多かった。

・NHKの中継は今年もやっぱりヤンキースとレンジャーズ中心で、岩隈が投げる試合を放送するようになったのは、彼が好投を続けたシーズン後半で、黒田やダルビッシュが出なくて岩隈が投げてる日でも、中継やヤンキースやレンジャーズということもあった。イチローは出たり出なかったりだから、今さらながらにNHKの中継方針には疑問を持った。

・青木が所属するブリュワーズの試合は、いったい何回中継しただろうか。彼は1番バッターとしてチームの牽引役だった。4番のブラウンが薬物問題で今シーズンの出場が停止されたこともあって、チームは負け越しているが、青木は3割を超えて打つ時期もあって、ネットでチェックしながら、中継したらいいのにと思うことが何度もあった。

・まったく無視されていたのは松坂だろう。トミー・ジョン手術からの回復時期で、今年はインディアンスのマイナーで投げていて、8月下旬にメッツに移籍した。マイナーで好投しての移籍で、最初はやっぱり乱調で、ニューヨークのメディアにはぼろくそに批判された。しかし、3試合目から変身して、以降は安定した投球をしている。おもしろいのはダルビッシュではなく岩隈に通じる投球をして好投している点で、この調子が継続できるなら、来年の松坂は大活躍するかもしれないと思った。

・シーズンが終わって、これからポスト・シーズンになる。一番の注目は上原と田沢のいるレッドソックスだろう。去年はチームが崩壊するほどメタメタだったのに、今年は見違えるような強さで、しかも、大金をはたいて取った選手がいるわけではないから、監督やコーチの手腕やGMのチーム作りのうまさの結果だと言えるのかもしれない。レッドソックスがワールドシリーズまで勝ち進んだら、見ずに入られなくなる。

2013年9月23日月曜日

千客万来の夏

 

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・今年の夏はお客さんがたくさん来た。河口湖もいつになく暑かったが、それでも来た人たちは口をそろえて、涼しいと言った。30度を超える日が珍しくなかったが、下界に比べたら7〜8度は低かったのだから、やっぱり避暑地なのだろうと思う。けれども、やっぱり、今年は暑かった。富士山が世界文化遺産になって登山客で混雑したようだ。富士山は登る山ではなく、眺める山。我が家の裏山に登れば、こんな景色が眺められる。→


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・夏休みに入って最初の客は、中国人の留学生たちとカルタイを一緒にやったYさん、それからゼミの古株Sさん。中国人の留学生Sさんが何とか前期で修論を書き上げた。前から来たがっていたので、そのご褒美として招待した。女ばかり4人も来ると、何ともにぎやかで、男一人では居場所がない感じになってしまう。夜は河口湖の湖上祭の花火を見に、湖畔まで歩いた。隣家のツリーハウスに登ってご満悦。→


forest110-4.jpg・翌週には息子とパートナーがやってきた。正月以来で久しぶり、天気も良かったから西湖でカヤックを楽しんだ。実はカヤック自体が久しぶりで、組み立てるのにかなりの時間がかかってしまった。骨組みはアルミのパイプで組み立てるのだが、パイプをつないでいるゴムがいくつも切れていて、細切れのパイプを合わせるのに苦労したからだった。で、家に帰ってから、パイプにテープを貼って色分けをした。


forest110-5.jpg・8月の後半は北海道の利尻・礼文島に出かけたが、その礼文島を歩いている時に京都の庭田さんから電話があった。で、帰るとすぐに河口湖に来たいという電話。庭田さんはフランス哲学の研究者で、彼が書いたものは難解でよくわからないが、話はものすごくおもしろい。次々と話題を変えて楽しい時間を過ごした。彼は青森の出身だが、先祖が下北半島に国替えさせられた会津藩の家臣だったことを初めて聞いた。『八重の桜』を見ているから、余計に驚いてしまった。

forest110-6.jpg・9月に入ってすぐに3年生のゼミ合宿をやった。生徒の希望で河口湖でやることになって、大学が提携しているホテルに泊まった。あいにくの悪天候で、カヤックも自転車も山歩きも何もできなかった。で、我が家で陶芸体験をしてもらい、一緒に食事を作った。吉田のうどんとかき揚げ天ぷら、それにカスタードクリームをはさんだそば粉のガレット。楽しく過ごせて何よりだったが、帰りがけに学生が「おじいちゃん、おばあちゃんの家に来たみたいだった」と言ったのには、「そうか、もうそういう歳か」と思って、がっかりしたり、納得したり。

forest110-7.jpg・で、先週は京都の友人の娘のKちゃんがやってきた。彼女はニュージーランドに住み着いてもう何年にもなる。環境省で働いていて、ガイドなどもやっているようだ。アウトドア大好きで、一緒にカヤックや自転車、それに山歩きもした。ニュージーランドは行きたい国の一つで、景色のすばらしさはもちろん、捕獲した山羊の皮をはいだり、肉を切り分けたりなんて話も聞いた。来年の春に行けたらいいな。そんな気持ちになった。

2013年9月16日月曜日

Bob Dylan "Another Self Portrait"

 

dylan13.jpg・ボブ・ディランが『セルフ・ポートレイト』を出したのは1970年で、僕は大学生だった。アルバムのジャケットも自画像で、あまり似ていないと思ったが、レコードをかけてまず感じたのは、ディランらしくないという印象だった。しわがれた以前の声とは違って澄んだ甘い声とプレスリーを思わせるような歌い方に強い違和感を持ったことを今でもよく覚えている。もっともそのような変化は、前年に発売された『ナッシュビル・スカイライン』からで、メッセージ性よりは音楽そのものを楽しむ方向がより強調されて作られたものだった。自分で作ったものではない曲を歌っているのもデビュー盤以来で、それについても、ずいぶんびっくりし、がっかりもした。

・『アナザーセルフ・ポートレイト』はアルバムから漏れた曲、アウトテイクやデモ・テープを集めたもので、2枚組で35曲収録されている。『セルフ・ポートレイト』だけでなく、その前の『ナッシュビル・スカイライン』と次作だった『ニュー・モーニング』録音時のものも入っていて、60年代の終わりから70年代初めにかけてのディランの変化がよくわかる内容になっている。このアルバムもジャケットはディラン自身が描いた自画像で、割と最近の作のようだが、やっぱり全然似ていない。

・ディランの歌は公式盤の他に、その何倍もの量の海賊版が出されてきた。中には伝説となっているライブを録音したものもあって、音の悪さに関係なく貴重品扱いされたりもした。そんな市場に応えて「ブートレク(海賊版・シリーズ」が公式に出されるようになったのだが、『アナザー・セルフ・ポートレイト』はその10作目に当たるものである。CD2枚組と4枚組の2種類があって、4枚組にはイギリスのワイト島で1969年に行ったフェスティバルのライブ録音と『セルフ・ポートレイト』のリマスター盤が収められている。どちらを買おうか少し迷ったが、4枚組は値段が15000円もするので、2000円の2枚組にすることにした。

・このようなアルバムは、ディランに特別の関心や愛着がなければ意味のないものかもしれない。しかもこの時期は、プロテストソングの旗手として注目され、ロックギターに持ち替えてフォークロックというジャンルを築いたディランが、交通事故以降沈潜していて、表だって注目されることもあまりなかった頃である。ディランがザ・バンドをバックに精力的なコンサート・ツアーを行い、それが『偉大なる復活』という名のライブ盤として発表されたのは1974年のことだった。

・けれどもだからこそ、この時期のディランはおもしろいとも言える。音楽的にも生き方においても、新しいものを探してあれこれ模索をする様子がうかがえるからだ。カントリー音楽を取り入れたり、プレスリーの真似をしたり、ザ・バンドとのセッションを重ねたりして、揺れ動きが大きい分だけ、ディランの多様な面を垣間見ることもできる。歌詞の面でも同じことが言える。直接的なプロテストや批判ではなく、自分にも問いかけるような視点を持った曲が多くなった。

・そんなディランの模索がまた、若いミュージシャンの指針になったことは、この時期にデビューしたミュージシャンに共通の特徴を見たらよくわかるだろう。ニール・ヤング、ジャクソン・ブラウン、ジェームズ・テイラー、ジョン・プライン、ライ・クーダー、エミルー・ハリス、スティーブ・グッドマン等々……。今はもう死んでしまっていたり、あるいは大御所になっていたりして、たくさんのアルバムを出している人ばかりだ。そう思ったら、ここに上げた人たちをまた聴きたくなった。iPodではなく、久しぶりにCDで、というよりはレコードで聴いてみようか。

2013年9月8日日曜日

福島、シリア、そしてオリンピック

・福島第一原発の汚染水問題が大きく取りざたされている。東電が発表したのは参議院選挙後で、メディアもまるで最近出てきた問題であるかのよう扱っている。しかし、地下水が汚染されて海に垂れ流される危険性は、事故当時から指摘されていたことだった。小出裕章さんは事故直後から、原発の周囲と底を分厚い鉄板で覆う必要性を強く主張していたが、東電も政府も本気で取り上げようとはしなかった。費用の問題だったようだ。危険性の回避を最優先するという原則のなさが、事故以前だけでなく、現在までもずっと続いている。責任の所在を曖昧にする態度が、結局は事故の対応をいい加減にしていることは明らかだろう

・原発を冷やすために注入した汚染水が周辺のタンクに貯められている。次々増えているが、ここからも水漏れがあいついでいる。いい加減なつくり方をしたせいだが、この汚染水についても小出さんは、大型のタンカーを用意して柏崎の原発まで運んで処理をすべきだと言っていた。事故当時なら緊急事態として、海外からも了承されたと思うが、今では輸送時の放射能流出の危険性などから、反対されてできないだろうと言われている。場当たり主義的で、何の展望もない事故対策に、政府がやっと介入する姿勢を見せているが、その政府にだって、どうすべきかについて根本的な原則があるわけではない。

・シリアの内戦で政府軍が化学兵器を使ったことが報道された。オバマ大統領が即刻反応して、人道的な理由からシリア政府に対する攻撃の必要性を力説した。それではブッシュと一緒ではないか。そんな感想をもったが、イラク攻撃の時とは違って、イギリスは議会が反対したし、ロシアや中国をはじめとして、シリア攻撃に対する批判の方が強いようだ。アサドの圧政は批判すべきものとしても、反政府軍の方にも非人道的な行動はあって、目には目、歯には歯というハムラビ法典の世界だなと思う。それだけに、一方を悪玉にして攻撃するのは、あまりに短絡的に過ぎるといわざるを得ない。

・武力介入したってうまくいかないことは、イラクやアフガニスタン、そしてリビアなどでくり返されているのに、なぜオバマはこれほどに積極的なのだろうか。結局、誰が大統領になっても、世界中を管理する警察としてのアメリカの役割について、疑問を呈することができないのだと思うと、世界の現実はもちろん未来について、悲観的になってしまう。今までオバマに無視されていた安倍首相が、いち早くオバマ支持を打ち出したことで、ロシアで行われたG20ではいの一番に会談をして、支持を要請したようだ。相変わらずのアメポチかと思うと、うんざりしてしまう。

・その安部は、ロシアに行った後、G20を中座して、政府専用機でアルゼンチンのブエノスアイレスに出かけて、2020年オリンピックの東京招致に向けて後押しをしたようだ。専用機に乗って世界中を飛び回るのがこれほど好きな首相も珍しい。日本の原発を売り込んだり、東南アジアに中国包囲網を作ろうとしたりと積極的だが、原発事故の現状や対中国、韓国との関係、あるいは東南アジア各国との関係について、いったいどう考え、何をしようとしているのか。これほど危なっかしい首相もいないという気がする。

・メディアはオリンピックの東京招致に向けた応援番組や記事が目についた。一方で、G20の席に安倍首相がいなくても、それを批判的に取り上げるメディアは皆無である。3.11以降の大政翼賛会的姿勢がますます露骨になって、うんざりするやら、ぞっとするやら。オリンピックにうつつを抜かしている時ではないだろう。そう何度も呟いてしまった。だから、2020年のオリンピックが東京に決まったというニュースを見たときには、中止になった戦前のオリンピックの時代の再来かと、暗澹たる気持ちになった。

2013年9月2日月曜日

北海道の旅

 

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礼文島最北端のスコトン岬、その向こうはトド島

・北海道を10日間旅をした。と言っても、前回の「利尻と礼文から」で書いたように、6日間は二つの島にいて、後は稚内、旭川、札幌に一日づつだったから、利尻・礼文の旅とした方がいいのかもしれない。よく歩き、よく食べた6日間だった。利尻と礼文はウニと昆布の産地だし、北海道と言えば、鮭とイクラ、ホッケ、アワビ、イカ、車エビなどうまいものはたくさんある。ただし、利尻も礼文も、米はもちろん野菜も肉も牛乳も何も生産していない。ホテルなども5月の連休から9月中旬までしか営業しないところがほとんどのようだ。やせた土地と厳しい気候であることを実感したが、滞在しているときも天気はめまぐるしく変わった。

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・島を歩いて見かけた草花は河口湖でも見る高山商物が多かった。ただ八月なのに植物は秋そのもの。とは言え、春夏秋が短いから夏の名残もずいぶん見かけることができた。ただ動物の気配はほとんどなく、シマリスを一匹見かけただけだった。ヒグマはもちろんエゾシカもキタキツネもいない。野鳥は渡り鳥がいるようだが、見かけることはあまりなかった。

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・動物が少なかったからと言うわけではないが、以前から行きたいと思っていた旭川の旭山動物園に行った。檻の中に閉じ込めるのではなく、自然を模した遊び場を作ったことで話題になった動物園である。おかげで閉館の危機から来園者が上野動物園を上回ったこともある有数の動物園になった。出かけた日も平日にもかかわらず、子ども連れでにぎやかだった。暑さのせいで動物たちは寝てばかりだったが、おもしろい様子を見ることができた。

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2013年8月26日月曜日

利尻と礼文から

 

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今年の夏はノルウェイのフィヨルドを歩くツアーに参加する予定でしたが、催行人数に達せず中止になって、急遽北海道に行くことにしました。北海道は20数年ぶりですが、利尻と礼文は40年以上前に大学生の時に稚内までやって来て、悪天候で船が出なくて、諦めた場所でした。その意味では、いつか必ずと思っていた地で、二つの島でゆっくり1週間過ごす計画を立てました。 risiri2.jpg risiri3.jpg
risiri4.jpg risiri5.jpg利尻といえば昆布とウニ、最初に泊まった宿はその名も雲丹御殿。名前の通り雲丹づくしで、そのおいしさに感激しました。翌朝、宿から見える海にはウニを捕る船がたくさんいて、竿で釣る様子がよく見えました。揺れる船からの漁は大変そうで、しかも漁は早朝の3時間ほどに制限されていました。いい調子で食べたことを反省してしまいました。
今回の旅の第一の目的は歩くこと、そこで利尻山に挑戦し、7合目まで登りました。山はあいにくの雨でびしょびしょになり、靴は泥まみれになりましたが、花を見たり、時折顔を覗かす山頂や麓の景色に見とれました。石が多くて足場の悪い登山路で、雨水が沢のように流れる道でしたから、下山の時は滑らないよう神経を使いました。risiri6.jpgrisiri7.jpg
rebun1.jpg rebun2.jpg利尻から礼文へはフェリーで移動。着いた町は香深(カフカ)と言います。そこから澄海(スカイ)岬まで移動して、最北端のスコトン岬まで歩きました。海岸から100m、200mと登ってはまた下る。岬を越えるたびに2度、3度と繰りかえす。しかも利尻山とは違って好天気で、照りつける太陽が刺すようにきつかったです。
3時間半の行程を何とか歩き通せたのは、目の前に連なる絶壁の岬やコバルトブルーのきれいな海のせい。あるいは道にかぶさるように生えた一面のお花畑のおかげだったかもしれません。スコトン岬の先にはトド島があって、そこから北はロシアのサハリンになります。利尻島ではハワイ島を連想しましたが、礼文島はアイルランドにどことなく似ていると思いました。rebun3.jpgrebun4.jpg
rebun5.jpgrebun6.jpg翌日、路線バスで香深にもどる途中でアザラシの群れを見ました。この日も歩く予定で地蔵岩までバスで行きましたが、雨と雷で、少し歩いてバスで引き返しました。その次の日も雨でしたが、今度は南端の知床から猫岩や桃岩を巡るコースを歩きました。雨は幸い途中で止んで、2時間ほどのトレッキングを楽しむことができました。よく歩き、よく食べて楽しい旅をしています。

2013年8月19日月曜日

幸福について

エリック・ワイナー『世界しあわせ紀行』早川書房
ジグムント・バウマン『幸福論』作品社

・「レジャー」をテーマにした本の出版のために勉強を始めている。10名ほどの人たちとの共同作業なのだが、編者として、この夏休み中に本の骨子を示す序文を書かなければならない。さて、「レジャー」について考えるときに解き口となるキーワードは何か。そんなことを考えていて、「幸福」と名のついた本が、最近目につくことに気がついた。

happiness1.jpg ・エリック・ワイナーの『世界しあわせ紀行』は幸福度が高いと言われる国を旅して、その実態に触れようとした紀行文である。訪ねたのはオランダ、スイス、ブータン、カタール、アイスランド、モルドバ、タイ、イギリス、インドの9カ国で、最後が自国のアメリカになっている。幸福とかしあわせという判断には客観的な尺度があるわけではない。お金やモノでは計れないし、忙しいとか暇で推測できるものでもない。あるいは、幸福感は一瞬自覚することもあれば、持続的に持つこともある。人とのつきあいの多少だって、必ずしも幸福度のバロメーターになるわけではない。

・そんな話に終始した内容なのだが、一つだけ大事な指摘があって、なるほどと思った。それは「嫉妬心」で、たとえば「スイス人は他人の嫉妬を買わないためならどんな努力もいとわないから幸せなのだ」という話を聞き出している。経済的な格差はスイスにだってもちろんある。しかしそれを見せびらかしたりひけらかしたりしないことを心がける。それはアメリカ人の態度と正反対だが、ここにはもちろん、労働に対する賃金を高く設定して不平等感を抑えるという政策もある。

・嫉妬心はアイスランドでもまた話題になっているが、アイスランド人の対処法は「分かち合うことによって嫉妬心そのものを消してしまう」ことだと言う。競争(compete)の語源はラテン語の「コンペトレ」だが、その意味は競うことではなく「ともに探求する」ことにある。助けあい協力し合って成果を生み出すことに価値を見いだせば、成果を独り占めにすることもできなくなる。それは「オープン・ソース」の発想で、コンピュータはもちろん、芸術や文学の新しい運動が起こったときには、必ず見られる現象でもあった。アイスランドには人口に比して芸術家や作家の数が多いようだ。

happiness2.jpg ・ジグムント・バウマンの『幸福論』は消費社会の進行と、社会の液状化、それに伴う貧富の拡大や将来の予測の不可能性といった、彼がこれまで指摘してきた現代社会の分析をもとにして、「幸福とは何か」を問う内容になっている。


・近代は、幸福を追い求めることを普遍的な人間の権利として宣言することから本格的に始まったと考えられている。また、近代は、すべての生活様式が昔より発展していくことを前提にし、今まで以上に役立つことを目指し、さらに骨が折れることや面倒なことを減らすことを追求してきたと考えられている。(p.11)

・生活を豊かにするためにモノやサービスを買う。この流れはもはや止めることができないどころか、ますます加速するばかりである。そしてバウマンは、現代人の不幸をこの流れの中に見つけている。消費社会は必然的に、競争心を煽り、羨望や嫉妬といった感情を消費欲求の源泉にしてきたのだし、市場主義は万人の幸福よりは貧富の格差を広げる結果をもたらしてきたからだ。それはワイナーがスイスやアイスランドで見聞きしたしあわせのための処世術とは正反対のものである。

・現代人にとって幸福は、ほんの一時的にもたらされる感情でしかないし、また他人との比較の上で絶えず実感しなければならないものである。安定を願いながら、その状態を不満や退屈の源泉として感じてしまうこと、他者との関係を重視し、孤立を忌避しながら、同時に絶えず、他者との間に羨望や嫉妬、優越や差別の感情を持ち込んでしまうこと等々。経済的な豊かさがもたらす幸福と不幸、医療と長寿がもたらすしあわせと不幸せ、多様なコミュニケーションによって経験する充実感と煩わしさ等々。それはまさにバウマンが指摘する「リキッド・モダンのジレンマ」に他ならない。この本の原題は「生活の技法」(The art of life)である。それが時流に乗っていたのでは身につかないし達成されない技法であることはいうまでもない。